行方不明の象を探して。その92。

ロックには気合が必要だ。気合さえあればなんでもロックだ。シェケナベイベー。あーでもフリージャズは凄いよな。管楽器もドラムも念の塊だろう。ようは身体を使う楽器が良いってことだな。それが当たり前の人間にとっては文字通り当たり前のことなのだが、根っこからの電子音楽化の俺にはそれが自明ではなかった。というよりそういう身体性とかをダサいものだと思っていた。

 

勝手にオシレーターが発信してランダムなノイズを出すとかがかっこいいと思っていた。いや、でもそれはギターでも可能なんだ。オシロファズってのがあって勝手に発信するファズがある。ギターをこのような電子楽器として使ったのがジミヘンだと思っている。フィードバックを演奏するという発想はテルミンそのものだろう。

 

ロックのスタジオ録音のアルバムが大体つまらないのはノイズ的なものを徹底的に排除するからだろう。それがめちゃめちゃ残っているものは商業性と相性が悪いから大体インディーズになる。ギターは激烈に歪んでいるのにボーカルがメインだから歪んでいるギターが遠くから聞こえるようなミックスになっているものは最悪だ。ギターが喧しくなければいけない。ギターウルフは最高だ。最近はギターウルフばかり聞いている。

 

あれがペランペランのポップスのようなマスタリングになっていたら全く違うように聞こえるだろう。爆音で音が割れてて爆音パンクバンドの演奏をカセットでエアー録音したような音質が最高だ。ここが問題だ。マスタリングにはレコード会社の思想が出てしまう。ギターウルフは爆音前提でメジャーから出た音源であそこまで爆音のものなんて滅多にないだろうという感じだけど、ライブでは轟音なのにアルバムは音が控えめのバンドは本当に悲惨だ。

 

バンドかぁ。ペットボトルに汲んでおいた古めの浄水の水を飲みながら思った。大好きなソニー・シャーロックが在籍していたLast Exitのライブ映像をYoutubeで見ながら思ったわけで浄水を飲みながら思ったわけではなかった。ペーター・ブロッツマンのその場でぶっ倒れそうなサックスとあくまで管楽器の代用品としてギターをかき鳴らすソニー・シャーロックを見ているとバンドだなって思う。アンサンブルというよりも音を出すやつがその場に他にいてその音に触発されて自分もまたさらに音を出す・・・ということの連続性じゃないか。

 

自分の音に触発されて自分の音が出るってのはソロの場合ね。それで充分かと思っていたんだけどブロッツマンみたいなサックスを聞くとあんな壮絶なサックスが近くで鳴ってたらどんだけ凄い刺激を受けるんだろうって思う。もちろんある程度のギターテクがあってのものだからね、頑張ってっていうより楽しんで練習しよう。

 

人間関係が面倒だからセフレみたいなジャムバンドがあればいいんだよな。会ったらセッションする。それ以外のやり取りとかあんま無し。バンドってなると人間関係が煩雑そうで凄く嫌なんだよな。嫌だったらすぐ抜けられるジャムが一番いいだろう。俺にとってはすげーエピックなことだ。誰かと演奏するなんてね。

 

バンド活動みたいなものに全く興味ないんだよな。すげー音を出してくれるやつらが周りにいるだけでいい。今でもあるみたいだけどさ、音に反応して自動にドラムとかベースが伴奏するようなね、でもやっぱそれって違うよね。そういうことじゃないんだ。魂だから。

 

でもその場で死んでもいいぐらいの熱量でサックスを吹く奴なんて今時いるんだろうか?ドラム然りベース然り。まぁこれはやりたいことリストの中にいれておこう。即興の本質の話とかは置いておいて、凄まじいジャムができたらそりゃもう代替不可能な経験になるわけでね、なんかギターっていいんじゃないか。自己完結できるところも多いけどやっぱりバンド形態でやってみたいでしょう。

 

59年製のギブソン・レスポール。世界中のギター好きが憧れるモデル。それが俺のギター。左手を使ってマスターベーションをした後、すっきりした状態で練習にうつる。毎日の生活が変わらない中でギター練習も絶対に変わらない。そうだったらいいのになぁ。俺は何かにハマると永遠とそれをやっているのだが、飽きると一切やらなくなるいずれ葡萄パンを食べつくす。東京ドームを占拠する。バンドではなくカフェでやりそうなぐらいのソロギターリサイタルぐらいの規模で、とにかく埋め尽くす。

 

俺のロッカーは本と洋服で埋め尽くされている。それにしてもジャマイカのやつらはなんでレゲエなのにロッカーって言うんだ?ロック・ステディとかね、ロックが流行ってた頃にジャマイカのやつらが「俺らがやってるレゲエこそがロックだ」って言い張ったのが発端だとかなんだとか。まぁでもそういうことだろう。生き方がロックとか「ロックしてたぜ」っていうロックって言葉が形容詞になるわけだから音楽のジャンルを表すわけではない。

 

何千万もするヴィンテージギターを使っているロックバンドの音源を聞いたら打ち込みのJ-POPで唖然としたことがある。一応、彼らはロックバンドなんだそうだ。いや、違うだろう。ダメだ。ロックって言葉が独り歩きし過ぎている。内田裕也みたいに歌が下手でギターも弾けなくて、でもシェケナベイベーって言って「ロックだぜ」って言っているのがロックってのもなんだか問題あるな。

 

あらゆる意味でロックは色々と問題があってダサさの象徴みたいになっている。太った50代ぐらいのおっさんがラバーのピッチピチの服を着て化粧をしてクソダサいメタルの曲を弾いている。なぜか客が入っていてファンがいる。というか俺のロックとかギター音楽のイメージはこういうものでしかない。だから本当に見下していた。

 

だからマジなロックってのを探すのは大変だ。一般的なカテゴリでロックと言われていてもJ-POPは論外としても海外のバンドでもほとんどポップスみたいなのばっかりで、そもそもマジもんのロックだったらしつこいようだけどギターウルフみたいな音量にならざるを得ないわけで、そうなるともうノイズ・ロックって言われるようになってしまう。

 

でもサーストン・ムーアも言っていたではないか。「ギターを聞くということはノイズを聞くということである」と。さすが大学教授の息子だけあって頭がいいな。でもソニックユースもしょうがないんだろうけど初期以外はポップスにしか聞こえない。なんでみんな金を欲しがるのだろう?ロックをやること以上に金が欲しいのか?ロックを捨ててまで金が欲しいのか?

 

初期のロックバンドですらも例えばディスコ音楽が流行ってるってことでディスコを取り入れたりシンセを取り入れたりして全然ロックじゃない。ロックの張本人たちが一番間違っている気がする。ロックってのはファンクとかファンキーだと感じられる瞬間という現象なんだと思う。マイルスの電気化・前衛化の時期の音源の間のある演奏は本当にファンキーだ。ジミヘンもスタジオアルバムで聞くと大してロックでもないんだけどブートのライブ盤とかに入っているジミヘンが発狂したようなギターソロの部分は本当に部分的にロックだ。