ブルース徒然。

今日は雑談を。いやさ、仮に個々の人間にお役目があったとして、それをやるべきなのかやりたいことをやるべきなのか、なんか迷うよねっていう。自分の人生なんだから!っつってもそれは与えられた人生なんであって・・・ってことを言いだすとディープな精神世界の話になりそうなのでやめるけど、あれだよね、お役目があったとしたら多分それはスピリチュアルとか抜きにして所謂「向いている」ことだよね。

 

でもそれとやりたいことが一致するとは限らないからね。まぁやりたいことを死ぬほどやって得ることもあるからそれも魂の修行なのかもしれないけどその反面、西洋的な概念の生産性ということを考えると全く向いていないことに必死にエネルギーと時間とお金を費やすことの不毛さを考えるとね・・・っつってもまぁそれもお役目の修行の一環なのかもねーとか思ったりね。

 

でもそもそもやりたいことを死ぬほどやれてるってこと自体に感謝せなあかんよな。俺なんか最近さ、イングヴェイがデビュー前の10年間ぐらい一日13時間ギターを弾き続けたっていうエピソードを読んで「すげー!」とか思ってさ、なんかその死ぬほど打ち込むことの楽しさってあるじゃん?あといつも書くけど娯楽に飽きてる問題ね。

 

「なんか気分転換に・・・」とかって習慣的にやっていたものをやってももはや過去の自分とは違うから全然気分転換にならないし逆に虚しくなるっていうさ、だったら結果が伴う伴わないは別として何も考えずに13時間ギター練習してたほうがよくね?って感じになるんよね。なんかある種の修行僧と同じようなベクトルを感じるんだよな。別にイングヴェイ自身は癖がある人間で人格者なわけじゃないんだけど(笑)でもすげー名言だなって思ったのがさ「こんなことやって何になるんだろう?」とか「辛いなー」って思ってる時ほど練習をしたほうがいいって言ってることなんだよね。

 

結局、こういう道を究める練習論みたいなのって俺の師父も同じだけど基本狂ってるんだよね(笑)師父は天才だから「練習しよう」と思わなくても「何かやろう」とかって思ったりする前に勝手に練習を始めてたり、練習ばっかやってないで他のことをしようと思っても気が付いたら練習をしていたってぐらい練習をするんだよね。師父は天才だけどそこには途方もないような練習量がある。でもその練習に向かうベクトルがすでに天才というか、凡人には考えられない練習をしているって感じで、イングヴェイとかヴァイとかのギターと同じやん・・・って思ったんだよね(笑)

 

ギターとか武術とかなんでもいいんだけど才能ですか?練習量ですか?論って必ずあるけど、これは間違いなく練習なんだけど、異様な量の練習をできてしまうと言うこと自体が天才なんだよね。たまに5歳ぐらいからピロピロと楽器を持った途端に弾き始めたみたいな神童もいるけど、結果的にそれは10年間13時間弾き続けたイングヴェイにしてもさ、人間がやれる限界ってのはあって、そこにどう到達するか?っていうところじゃん?才能とかセンスとか置いておいて技術だけで言うとそういうことになるよね。

 

でも大体あれなんだよな、向いてないやつが無理して「イングヴェイだ!13時間だ!」っつってやるとメンタルやられるとか無理し過ぎになって挫折するんだよね。だから結果的にやらないよりはいいから一日30分でも触れってことになる。さて、俺はどうだろうか?相変わらず俺の関心の一つは武術なんだけどギターが加わったじゃん?で、ギターのベクトルはどうなのよ?っていうとなかなかのもんですよ。上手い下手じゃなくてやってる量と熱量ね。そこで頑張ってるか?っていうとあんま頑張ってない(笑)

 

やりたいからやっているというだけだね。結果的にオナニーと一緒で楽しいから続けてしまうっていう猿と同じレベルになる。特にタブ譜を読めるようになってスローでも曲を追えるようになると教則本とか曲のタブ譜をやるのが楽しくなる。「あ、曲と同じ音やん!」ってのが一瞬でもあるからね(笑)指が動かねーとかこのフレットがどこだっけ?とかの煩雑さが無くなってその辺がすぐできるようになると一気に楽しくなるんだよね。

 

あと面白いのがさ、前はエフェクター繋ぎまくって変な音色々出すのが楽しかったけどってこの話は書いた気がするな。今は良いギターの一番美味しい部分の音とアンプのセッティングと最小限のエフェクターでギターとアンプで最大限の良い音を出すってことが楽しくなるんだよね。まぁビョワビョワーみたいなのってぶっちゃけあれじゃん、インプットはなんでもいいじゃん?(笑)

 

マゾンナみたいに浅田飴にコンタクトマイクをつけるでも良しシンセでも良し、そこに繋ぐとその音が出るってのが一気に冷めるんだよね。その良さはあるんだがやり過ぎて飽きたんだろうね。あと良いギター買っても全部音一緒だから意味なくね?ってことなんだよね(笑)俺はどっちかというとギターをただの雑音発生器だと思ってたんだけど開眼したんだろうな、ギターそのものの良さに目覚めたんだよね。

 

だからそのギターの良さを無くすような音を出すと意味ねーって思っちゃうし「それシンセでやれば良くね?」的なことに一気に興味を無くしてるってのがあるね。あと興味と言えばあれだ、ブルースなんだけどかなり聴いてるんだけどね、ブルースロックとかも。でも結局、行き着いたのがさ、まぁブルースロックバンドもブルースばっかやっててもアレだからポップス路線の曲も・・・って感じで普通の曲とかやり出したりするじゃん?

 

何かだからイメージ的にブルースそのものってウィスキーのストレートでブルースロックがまさにロックなんだよね(笑)で、もっとブルースなんだけどポップなのがハイボールって感じ。でもここは好みだから結局、俺のウィスキーの飲み方と一緒でストレートが一番いいってことに落ち着くんだよね。でもやっぱエレキのほうが好きだからAlbert Kingみたいなモダン以降のブルースがいいねっつってもまぁ戦前のやつってジャンル分けできないような良さがあるからなんとも言えないんだけど。

 

だから結局、ブルースでいいやってことになるんだよね。頑張ってロックの中からブルース的なものを!って頑張るより普通にブルースギタリストの作品を聴いていたほうが一番濃いのが聴けるという。ただ生涯をブルースで貫いたギタリストなんてどれだけいるんだろう?って思うんだよね。ジョニーウィンターは割とブレなくてレイヴォーンは早死にしてしまったから結果的にそうなったという感じがあるよね。白人ブルースギタリストでセルアウトしなくてブルースを貫いた人なんて本当に少ないなって印象だわ。

 

少ないから助かるけどね。バカみたいにアナログ買ってギター関係の機材と共に支払いが大変なことになってるけど(笑)ファンク7インチ沼とかガレージロック沼とかパンク7インチ沼とか恐ろしい沼がいっぱいある中で、俺は覚悟を決めたつもりだったんだけど意外と大丈夫だったかな(笑)Allmanとかも最初は良かったのにポップス路線になった後とか「なんじゃこりゃ?」って感じだもんね。まぁAllman本人が早死にしちゃったからしょうがないんだけどさ。

 

あとまぁロイ・ブキャナンだな。っつってもまぁイマイチなアルバムもあるけど基本的にセルアウトしないほうだったなって思うしあとまぁロックスターみたいにしたてようとしていたレーベルの思惑を避けたとかってのもあって、ただまぁ最後は悲劇だけど、結果的にレジェンドよね。でもまぁ問題は音の良さですよ。すげー好きな質感のブルースギターを弾いているか?とかあとは音色の問題ね。あとボーカルとか他の楽器とのバランスとか。そこでやっぱブキャナンとレイヴォーンとジョニー・ウィンターは外れがないね。一辺倒なんだけどそこがいいわけで(笑)

 

ブルースも結局、ギタリストメインで聴いてるから例えば別に差別はしてないんだけど例えばハープとか歌がメインのやつとかは買わないよね。やっぱギターがメインのやつを聴くし買う。だからぶっちゃけそこまで買うのは多くない。それでも何百枚にはなるけど何千枚にはならんだろうなってのがあってちょっと安心してるよね。

 

あとはバカみたいにレコードを買うやつが必ず自問しなきゃいけないのが一回聴いただけで棚にしまって全然聞いてないのがどれくらいあるのか?ってことなんだよね。レコード好きってやっぱ買っちゃうんだよね。ビニールをパリパリ外してシュッシュしてってレコードケアの水ね。んで拭いてからタンテに乗せて・・・っていう一連の流れがこの世の天国ぐらい幸せなモーメントなのでそれを永遠と維持したくなる。永久エクスターシーみたいなもんだよね。

 

でもやっぱ聴き込むことって大事でさ、特にギターやってて「ブキャナンみたいに弾きたい!」って思ったらブキャナンのギターフレーズを歌えるぐらいにしないとねってこれは高柳の受け売りだけど。でもまぁなんかAI著作権議論とかでよく言われてることだろうけどやっぱ何かやるとかやり始めるってまずコピーが必須よね。完コピするぐらいまで聴き込んだり弾き込んだりして身体に馴染ませたうえで自分から何が出てくるのか?っていうところでかろうじて表現の枠に行き着けるのかな?ってところだよね。

 

俺の場合、なんだろうな、ブルースへの開眼があって、基本全部同じなんだけど(笑)何十時間と聞いていられるって意味ではブルースをストレートで永遠とノーチェイサーで流し込むということができるわけじゃん?たまにポップス挟まないと辛い・・・みたいな人間じゃないからそこはもう生粋のブルース好きよね。で、それに付随してブルースが好きすぎるからそりゃ弾きたくもなるよね!ってことでギターがある感じなんだよね。

 

でも研究癖があるからギター自体のことを色々調べたりさ、所謂、ガジェットオタク的な知識ね。あとテクににしても難しすぎるジャズ以外ならブルース以外にもやっぱヘヴィメタとかオーソドックスなロックってすげー勉強になるんだよね。まぁギターの勉強=ロックの勉強って気がするぐらいギターとロックってセットだと思うんだけど。で、イングヴェイ的なピロピロ高速ギターの何がいいのか?ってそれ自体がそんなに好きじゃなくてもハイノートをひたすら弾きまくるという良い練習になるんだよね。あれを目指すというよりかは練習ドリルとか練習素材として考えるとめちゃくちゃいいんだよね。

 

んでまぁあれだ、バケットヘッドとかも聴いてるね。まぁあの人テクニカルなんだけど割と出てくるフレーズとかやってることは普通なんだよね(笑)ヘンリーカイザーみたいな実験系の人みたいなド変態な音を出さないのよね。ある種、凡庸な調性音楽に留まっているというかなんというか。どっちが良い悪いじゃないんだけどね。それがギター音楽の良さだな。

 

なんかそれなりに色んなものにそれ特有の良さがあるのは個々のギターとかアンプにそれなりの良さがあるのと似てる気がするわ。ただまぁロックバラードは本当に勘弁してくれって感じだけど(笑)ノリノリでロッケンロール!ってやったあとになんでお通夜みたいなムードの曲を入れたり演奏しなきゃいけないの?ってハテナだらけですよね。全然ロック通ってこなかったからそういう常識が分からないという(笑)ただ象シリーズでも書いてるようにギターウルフみたいなのって純化されたロックだと思うんだよね。爆音、ボーカルは叫ぶ、辛気臭い曲が無いっていう俺の「これがロックだ」というのを悉く満たしてるんだよね。実際、ああいうバンド滅多にないからね。

 

あとやっぱ商業臭さがしないっていうのは本当にポイントなんだよね。そういう意味で特に初期のブルースなんかさ、良い意味で絶対それでスターになってやろう!とか億万長者になってやろう!みたいな野望を感じないじゃん?なんか諸行無常な現実をリアルなままに歌ってそれだけっていう究極の実存主義的音楽っていうかさ、んで歌もギターも金とか名声じゃない、ひたすら演奏そのものに集中しているっていうね。

 

なんかその辺はあんまヒップホップ分からんけどさ、ストリート的な感覚っつーのかな?まぁグランジとかではあったみたいだけど「あのバンドセルアウトしたな」っていう、そのセルアウトのダサさね。金と引き換えにカッコよさとかブルースフィーリングとかロックフィーリングという金に換えられないものを捨ててしまっているっていう、そこが最高にDickなんだろうなと思うよね。セルアウトじゃなくて路線変更ならいいんだけどね。

 

ロック系のドキュメンタリー見てるとやっぱウッドストックの時代とかはさ、ロックは商業的じゃダメだ!っていうちゃんとした評価軸があったんだよね。実際にどれほどあったのか分からんけど(笑)あんま過去を幻想化しちゃいかんけどさ、でもそれを言うとあれなんだよな、ドラムンベースとかも初期はジャングルっつってもうなんかダブプレートしか手に入らないような状態ですんげーRawな音で海賊版ラジオでしか聞けなかったのがメジャーが囲うようになってからすんげーメジャーなボーカルが入ったドラムンベース風ポップスとかが出てきたようにっつってもH Jungleとかは別として(笑)本物とポップスって水と油なんだよね。そりゃそうだ。本物ってRawでラフなんだから。

 

ツルンとした音になったら終わりなんだよね。なんかあと結果的にポップスに向かったバンドって時代と共に忘れられたりバリバリロックだったりブルージーだった初期だけが評価されてポップス期のはゴミレコード扱いになってたりするのを見ても長期的に考えると結局、セルアウトしないほうが歴史にも残るはずなんだよね。でもまぁ目の前の成功だとか金だとか名声が欲しいのかな。勿体ないよね。

 

でもそれってバンドだけの責任じゃなくてレコード会社の押し付けとかが相当多いだろうから、だからまぁやっぱ基本DIYがいいっつーかなんつーかさ、でもそれだと生活大変になるっていうね、まぁ色々大変ですよね。そういう意味だと今のそのポップスとかとロックの関係ってどうなってるのかな?とかって思うよね。あんま現代のバンドに興味がないんだけど今って昔のバンド全盛期みたいな頃みたいに商業路線にしたところでそれが売れるとは限らないわけだしさ、それで一気に売れなくなることもあるだろうしっつってもあんま興味ないからいいや(笑)

 

でもまぁ思うんすけどね、沼れること自体が幸せなことだと思うんですよ。支払いとかリボ払いとかに追われる日々かもしれないけど(笑)沼れている時は至高の時を過ごしているっていうね、それってまぁ幸福のヴァイブスですからね。そういうのが広がれば世界平和に繋がるであろう。

 

金は腐るほどあるけど日々がつまらないとか何もやりたいことが見つからないって人と金はカツカツだけど沼れるものがあってそれのコレクションのためだけに生きているとかそれが楽器であれレコードであれなんでもいいんだけどカツカツになるまで沼れちゃうっていうほどの没入を持てる人ってそんなに多くないと思うんですよ、っていうのを比べたときに後者のほうが幸せだろう。億万長者なのに自殺する人とかいるからね。

 

あとまぁ家庭での生活とは両立できないかもね(笑)奥さんが沼に理解ある人かあとは沼っても自分でやっていけるぐらいの稼ぎがあればいいけどカツカツの場合、理解者がいないとムズいよね。だからそういう周辺の理解も含めて沼れている人は幸せものだってことなんだよね。で、それって恐らく物欲とかと違うんだよね。魂が求めているものなんだよね。というかそういうものじゃないと沼とは呼べないでしょう。

 

ちなみにブルースから沼の話になったのは当然スワンプっていう言葉がかかってます。後付けだけどね。今気がついた(笑)コスパとは程遠い世界のイッちゃってる世界の沼はある種の超越世界なのかもしれないよね。到達しようと思って到達できるもんじゃないからね。もうお呼ばれしたとしか言えないようなね、いや、俺のブルース開眼はまさにそんな感じよね。それまでも聴いてたことはあったけどあんなになんつーか「これだ!」って感じを受けたのはなかったんですよ。具体性をあげるために「これだ!」ってなったたまたま掘ってて安かったから買ったコンピを貼っとくね。

 

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Allaっつーからアラバマかと思ったらカリフォルニア産でしたね(笑)特にGoldrushのAll My Money is Goneを聴いたときはもうなんか霊的体験としかいいようがない何かを感じましたね。ライナーによるとどっかのバーで録音されただけで誰なのか?っていうバイオグラフィ的な情報がほとんどないんだとか。演奏者本人も極東のこんな変わり者に半世紀後にここまで感動されるなんて演奏している時は思ってもなかっただろうに、でもまぁ音楽のヴァイブスって時代どころか次元を超えますからね。まぁギターブルースしか聞かないっつってもコンピ買うとギターブルースばっかじゃなくてこれはピアノなんだけどまぁこういう出会いがあるからコンピいいんだよね。

 

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ってことでそんな感じで。

 

PS

 

Goldrushの情報、今でもリアルにアンノウンでした。リアル・ブルース・レジェンド!

 

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