行方不明の象を探して。その116。

ヴァイノーはあれだ、前に書いたかもしれないけど日本の80年代のシティポップなんかが海外で人気で海外のバイヤーが大量に買っていって海外でボロい値段で売っていても何しろ海外は賃金が高いから高いレコードも売れるんだろうな。中古のレコードの値段が高いんだ。俺が二束三文で手放したコンピとかが4000円とかになってる。でも悔しいから二度と売らない!と誓って4000円出してそれを買う。蒲田のショットバーで毎回かけてたレコードだなーとか思い出補正ばっかりだけどね。

 

そうそうよかったね。散々書いたけどね、新しい音楽で好きでしょうがない!なんてものはもう当分出てこないしまぁあれだ、映画と一緒だ。ヌーヴェルヴァーグとかタルコフスキーとかあれはもう保存版としてブルーレイで持っていた方がいいっていう感覚がヴァイノーなんだ。新作映画でブルーレイ欲しい!って思うほど好きなものなんて滅多にないだろう?

 

過去のものは有限だから膨大なようで厳選していけば買うものは限られてくる。あとディグ歴もあってすでに手に入れている類の物もあるから増えなくて済む。買うことは楽しいしディグのハシゴほど楽しいものはないけど買うことが目的化すると金も吹っ飛ぶし何より部屋をガンガン圧迫していく。

 

結果的にレコードを売らなきゃいけなくなったりなんかすると本末転倒だ。でもヴァイノージャンキーとはよく言ったもんでジャンキーは買ってきたばかりのレコードでまた聞いていないものがあるとそれだけで安心するんだ。豊富なヘロインの在庫があるから安心!みたいなもんだろう。ドラッグと違って聞きすぎで死ぬことはないから安心だけどね。

 

怖いのはあれだ、一店舗で結構な枚数買ったけど数万で済んだな。まだまだイケる!と思ってハシゴすると結果的にその日に10万近く使っていたりすることがあったりだとか、若い頃と違って多少高くても決定的なものは代替が利かないから高くても買おうとかって思うと総額が高くなってしまうのだよね。で、ギターもやっているとエフェクターだのアンプだのDAWのアップデートだのDAW音源だのっていう細かい出費が重なるととんでもない額を使っていたりする。

 

自分的には散財ではなくて然るべき出費なのにかさむと凄いことになるから厄介だね。でも別な見方をすればそんだけ熱を入れられるものがあるというのはそれだけで幸せでしょう。レコード熱も冷めて音楽熱も冷めていた頃にやるゲームも無くて書く小説のネタもなくなったりなんかして・・・って時には地獄にいるような気分になるわけでしょ。

 

地獄だよ。何もできないというのは。できないというより何もないってのは。だったらなんかあったほうがいい。そのほうが人生豊かだ。将来のための貯蓄?知るか!ボケ!今を生きないで未来なんてあるはずがないだろう。老後のことを考えて今を生きるなんて今を老後に生きているようなもんだ。若くて感性がバリバリ研ぎ澄まされていて体力も有り余っていて、そういうときにやれることをやらないで何が老後だってんだ。

 

何しろメメントモリ感覚が無さすぎると思うんだ。普通の人って死ぬだろう?特に俺みたいなアラフォーになると同年代の特に病気を長年患っていたとかではない人が急死したりする。そういうのを見て恐れおののかなくては。明日死んでもいいって言えるぐらい今を生きているか?と。

 

人生ってのはコンテンツ産業の供給側みたいなもんだ。自分が自分に何かを探すなり作るなり工夫するなりして供給して行かないと枯れて産業は死ぬ。生きるってことは生成だ。すなわち産業だ。生きる産業。ヴァイノーをピッカピカに磨くのも楽しいだろう?それもコンテンツだよ。それに比べてゲームとか受動的なのって終わりがあるし虚しいだろう。バイオハザードのRe4は近年稀に見る名作だった。Reシリーズ屈指のものだろう。

 

アシュリーが美人になっていてしかもタイツにブーツという組み合わせで、あれで黒ブーツだったらもっと良かったのに、でも誘拐されてレオンと逃亡を繰り広げて脱出までずーっとブーツを脱いでいなくてしかもタイツってことを考えるとちんちんというより下腹部全体がムズムズしてくる感覚に襲われてバイオレントに虫に侵された村人を撃ち殺しているのにムラムラしてきて中断してフォトモードで撮影した汚れたタイツとブーツ姿のアシュリーでオナニーをするということを繰り返していて、そしてクリアしたらある意味、賢者モードだろう。

 

終わっちまったアシュリーのブーツの悲しみに。救出されたらもうシャワーを浴びるだろうしあのジメジメ状態は永遠には続かないのだなと思うと凄く儚く思えてきて落ち込む。だから気分を切り替えてヴァイノーを掘るだとか磨くだとかギターを弾きまくるとかっていうことをしていたほうがいいんだ。その合間にアシュリーのブーツとかがあるぐらいのオプション的な感じだったらいいだろう。でもゲームに全力を注ぐと燃え尽き症候群プラスクリア後のロスみたいになるだろう?それが毎回嫌なんだな。

 

だから永遠と打ち込めるものが何かあるってやつは強い。とにかく強い。それを人生で見つけたってだけである意味成功者だ。経済的に成功したり人から認められたりしても空虚感が満たされなければしょうがない。打ち込めるものがあるやつはまぁそれで成功すればさらに良いんだけど打ち込めるだけでもプライスレスな価値があるだろう。それが凄いってんだってことだよ。

 

地獄なのは俺みたいにうつ病持ちだとなおさらだけど、寝起きに「さて昨日の続きをしよう!」とかってものがないと地獄のような気分で目覚めることになるんだ。それが続いて気が滅入って自殺するやつもいる。そのぐらい寝起きってのはタフなんだ。だから命を繋げるためにも打ち込めることってのは必要だ。それによって生かされているという感覚。

 

そうそう、俺はソニーシャーロックとか好きなフリー系のギタリストの猿真似さ。でもね、最近気がついたんだけどフリー風の下手糞な演奏をするにもそれなりにボキャブラリーってのがあって今は言っちゃえば10ぐらいしかない。そこを例えばロックとかやってるやつならありがちなフレーズとかリフを蓄積していくんだろうけど俺の場合、フリーすぎて蓄積するものは大体決まっているおかげで自分のスキルの範囲内でやれるものが圧倒的に少なくなってきた。

 

そこであれじゃないか、アイラーだよ。ソニーシャーロックは本来、コルトレーンに影響を受けてサックスをバリバリ吹きたかったのに喘息で無理だったからギターを管楽器みたいに単音で弾きまくるってスタイルにしたんだったらさ、それ自体を真似て、例えば俺は阿部薫を連想して弾いたり高柳を連想したりそんなことは散々やってきて、んでやっぱり次にもっとボキャブラリーが必要だってことになっているからアイラーもいいけどね、セシルテイラーとかフリーじゃないけどバリバリキマっているときのバドパウウェルの演奏に俺自身がハマっている時の高揚感といったらないでしょう。

 

それをボキャブラリーにしよう。ギター教本とかに載っているものを練習しても全くつまらないのでそれが挫折の原因にもなるし「ギター=つまらないもの」になってしまうから自分でやり方を工夫するしかない。セシルテイラーをギターでコピーするとか楽しそうだろう。だったらヴァイノーだ。ヴァイノーでセシルテイラーを買いまくってまずナガオカで磨いて聞きまくろう。最近の高い再発とかじゃなくて80年代とかのやつなら全然枚数買える額だから全然オッケーだよね。あーでもまたレコード増えちまうな。

 

でもこれは教材を買うようなもんだから別枠でいいんじゃないか?聴くのが楽しみでたまらない良いクオリティの時間を過ごすためのヴァイノーと教材のためのヴァイノー。Spotifyで聴いてコピーなんて嫌だろう。

 

そこまで聴くものはヴァイノーだ。ましてや俺の持論であるジャズとかファンクとかラテンとか生演奏モノとヴァイノーの音質の相性は最高であるってがあるわけだし、まぁそれはロックにも言えることなんだけど、かといっても90年代のテクノとかもヴァイノーだと独特の質感があって特に909のハットとキックの質感がヴァイノーだとたまらないという、ん?でも909は生音をサンプルした音を使っているからアナログだよな。だからアナログの音がいいんだ。なるほど!

 

なるほど!と思った俺はアシュリーの画像の脚の部分を拡大してまたオナニーした。