行方不明の象を探して。その117。

掃除をすると運気が上がるとか掃除は心の掃除にもなるとかって言うけどヴァイノーのお手入れはどうなんだ?下手な掃除より運気とか自分が磨かれそうな気がしてこないか?ヴァイノーが凄いのはグルーヴにグルーヴそのものが刻まれていることだ。それを針がピックアップしてフォノアンプで増幅された音をさらにヘッドフォンアンプで増幅して聞いているのだから実質、そこで音が鳴っているという物理現象そのものがそこで起きているということになる。

 

その物理現象の解像度を高めるためにレコードを手入れするというのは物理現象に関わるものをクリーニングするわけだから普通の掃除とはわけが違う。掃除の質が違い過ぎる。レコードは聴けば聴くほど自分が磨かれるってことになる。意味分からなくてもそういうことだって思って聴いてクリーニングすればいいんだと思う。何よりヴァイノーが高騰しているわけだから適当に扱うわけにはいかぬだろう。売ることはないにせよ例えばやっぱり1000円で買ったレコードと4000円で買ったレコードでは扱いが違うでしょう?

 

高いスニーカーと手ごろなスニーカーの扱いが違うのと同じことだ。でもヴァイノーは過去に1000円で買ったものが4000円になってたりする。値段なんてどうでもいい、重要なのは内容だって思っててもやはり時価が4倍も違うとクリーニングしようって気になるし適当に例えば盤が曲がりそうな状態で適当に保管してあるとか、そういうのはアウトだなってことになるでしょう。

 

ビビったのは激安お得コンピの定番みたいなブルーノートのBlue Breaksとか正式なタイトルは忘れたけど500円とかで売ってることもあったようなのが3750円になってたりしたことかな。実に7倍値段が上がったことになる。90年代にDJ需要で発売されまくっていたこういうクラブで使えるレアグルーヴ系のコンピの特にメジャーレーベルが出しているようなやつを今聞くとエゲつないぐらい音が良いことに気がつく。さすがメジャーレーベル!といったところだろうか。

 

ブートコンピだったりするとマスターがオリジナルのレコードだったりレアグルーヴ系のレコードの再発でも新品が1000円とかで売られてたような明らかなブート臭いやつとかはレコードにCDのスキップ音が入ってたりして、まぁそんなもんはすぐ売ったけどね。

 

多分、音が良いからなのかな。値段が上がるのは。ヤバいんだよね。音が近いんだ。逆に90年代のCDとかってなると音がすっかすかだったりするんだけどヴァイノーは巨根のAV男優の如く音が太かったりする。DJにとってハコでのLowの出音は死活問題だ。DJユースなもんはそういうことが念頭に置かれていたんだろうな。なんで今更気がついた?

 

もちろんオーディオ機器は重要なファクターだ。ヴァイノーの音を最大限まで引き出せるようなオーディオ機器が好ましいのは言うまでもない。でもハイエンドになるとブルジョワ向けの頭がおかしい価格設定のものがあってカズノコ天井だからハイエンドを出しているメーカーのエントリーモデルとかで十分だと思う。

 

俺が持ってるのはそんなもんだ。針もそんな感じなんで適当には扱えない。あとヘッドフォン。これはヴァイノー関係なくゲームやるときもネトフリで映画見るときもずーっとこれ使ってるわけだからハイエンドのものを買っておいて損はない。毎日使うもので使用頻度が凄く高いものなんだから高くても全然納得がいくよね。

 

オーディオマニアは絶滅危惧種らしいんでディスらないけど例えばこっちの針にするとブルーノートのなんたら盤のB面のヴォブラフォンのソロが化けるんだ!とかそういうレベルになるとね、俺だったらいやー、そのソロの化けに何十万何百万使うよりヴァイノー買うかなーって思っちゃうけどね、でも最低限の投資は必要なんだよね。何しろ世界が変わるからね。

 

例えば面白いのは自分的には昔の金がカツカツだった頃の俺っつっても今の俺も使い過ぎでカツカツだけど、そもそも使える額が少ないときはっつっても父がオーディオ好きだったからお下がりのアンプとかを借りて良い音で聴いてはいたにせよ、アップグレードした音響機器で過去によく聞いていたヴァイノーをそのアップグレード環境で聴くと全然違う!なんてことがあったりして、あとは自分の内面とかセンスが変化しているから違う聞こえ方がする場合もあったりして、まぁ楽しいことは多いですよ。

 

あとは聴きこんでいなかったものをじっくり聴き込んでみるとかね、毎月何百枚も買っているときは一枚一枚の聞き方が雑だったりして、それで棚にしまって以来、一回も聞いてないみたいなやつもあるからジャケを見ても持っているのは知っていたけど内容までははっきり思い出せない・・・みたいなやつはガンガン聴き込んだほうがいいっつーか初見ならぬ初潮じゃなくて初聴みたいなもんだから新しく買ってきたもんだとかって思って聴くと楽しいよって話だ。

 

これはただレコードを大量消費するということから能動的な聴くとか聴き込んで自分なりの良さを発見するっていうクリエイティブな行為に変わるっていうことでもあるんだよな。もちろん最初に聞いて気に入りすぎて何回も聴いてしまうものもあるけど、そういうのに埋もれて内容は結構いいのに聴き込んでいないものって結構あるはずなんだよね。だからそういうのを引っ張り出してクリーニングして聴き直すのだ。

 

ましてや演奏する側とか作る側なんて音楽の聴き込みだのディープリスニング経験がないなんてありえないだろう。そんなやつが作る音楽は薄っぺらいに決まってる。フランク・ザッパだとかフランク・ザッパだとかザッパだとかザッパしか浮かばなかったけど、ああいう天才系の人はほぼ例外なく天才っぽい凄まじい密度の高い音楽の聴き込みをしている。しかも膨大に。頭がおかしいんじゃないか?というぐらい色々な音楽を聴いているからあんなにいろんな音楽が本人から湧いてくるのだ。虚空からは何も出てこない。それはザッパみたいな天才にも言えることだ。

 

下積み期間ってのはプロのボーヤをやるだけじゃない。膨大な音源を他の人間がセックスしていたり乱交パーティーをやっていたり合コンをしていたりディズニーリゾートを満喫している間にたった一人で部屋に籠って永遠と音楽を聴き続けるということも含まれる。というかボーヤなんてやる時間があったら永遠と音楽を聴き続けたほうがいい。

 

俺がその昔、昭和のレトロなおもちゃとかグッズを売っている店の片隅にレトログッズの一環として売られていた「懐かしのレコード」みたいなコーナーで見つけた守安祥太郎のモカンボセッションは生涯の俺の宝物だしその「懐かしのレコード」コーナーで見つけたお宝はいくつかあるけど、何を言おうとしたんだっけ?

 

そうそう、守安祥太郎だ。彼は当時出回っていたレコードのほとんどを採譜していたらしく、だからピアノのボキャブラリーがとんでもない上であんなぶっ飛んだ演奏をしていた。モカンボセッションがあった場所自体がドラッグの巣窟だったらしいが守安祥太郎はまじめで一切そういうのには手を出さなかったんだとか。でもジャンキーのバド・パウウェルスタイルなのは間違いない。なんなんだ、あのバドとか守安のラリる感じは!

 

聴いててラリるんだから「これは下積み期間なんだ!」なんて頑張らなくても快楽に身を任せていれば自然に膨大なレコードを聴くことになるだろう。音楽聴き放題世代には聞き流しがデフォになっている連中もいるだろうし、俺もああいう世代に生まれていたらそうなっていたと思う。俺が音楽を聴き込んだのは聴き込まざるを得なかったからだ。

 

中学ぐらいに登校拒否になってからは家で永遠とオナニー三昧で他はと言えばCDばっかり聞いていた。俺には音楽の黒歴史が無くて最初から春樹用語でいうところの「とびきり」のセンスを持っていたから今にそのまま繋がるようなものを聴いていた。といっても当時の環境では買える枚数に限りがある。

 

いや、そんなに今みたいに山みたいにレコードを買えないでしょう。ちなみにレコードを買うようになったのはシカゴハウスをディグろうと思って、あと登校拒否なのにDJになろうと思ったからだったんだけど、買える枚数に限りがあるっつーか金に限りがあるときは買ったものを聴き込む以外に道は無かったのだよね。

 

だから特に気に入ったやつは誇張なく何百回聞いたと思うから内容を思い出すと曲の最初から最後まで全部記憶しているぐらいなわけで、それがつまりは音楽的ボキャブラリーってことだろう。「自分で作った」とかって思っててもそうやって聞いてきた音楽の継ぎ接ぎすることしかできないし音楽を全く知らない人間が作曲できないように、っていうか書く順番間違えた。言葉を知らない人間が言葉を喋れないように、だった。狼に育てられた少年でも少女でも言葉もそうだけど音楽っつー概念すらないから作曲できないでしょう。

 

だから後天的なインプットの賜物なんだ。それでしか作れないし演奏できない。だから思い上がらないで欲しいんだよね。自分から湧き出るっつーかそれは記憶の継ぎ接ぎだからっていう。ヘーゲルも言ってたでしょう。オリジナルの思想なんてありえないって。あとは影響を受けるつもりはなくても不可避的にでも聞いてきたり読んできたものに影響を受けたものを作っちゃうんだよね。

 

だから開き直るといいのだ。レコードを聴きまくるのだ。だからね、クリーニングをしながら聴きまくればいいんじゃないか。