行方不明の象を探して。その118。

それは空き部屋が気に入ってちょっと安心しながら寝入ったときのことである。隣の部屋から

 

「うう・・・」

 

という呻き声のようなものが聞こえたので、隣の部屋をノックしてみると重病人らしい年齢不詳の男性が寝ていて、ちょうどその時に超ボインのTちゃんもこの重病人の様子を見に来ていたらしく、部屋の前で鉢合わせになった。色々と話が長かったものの、要約するとあまりの重病のためにこの重病人にタダで部屋を貸していて、これから住むことになる俺もたまに様子を見てあげてということだったのだが、そんなものは願い下げだった。

 

考えても見て欲しい。部屋にいるときに薄い壁を隔てた隣から断続的に呻き声が聞こえる部屋なんて住めたものではない。しかも呻き声がしたら様子を見に行かなければいけないということで、逆にそれだったら家賃を払って普通の部屋に住んだ方がいい、というより体感的にこの空き部屋に住むということは10万円ぐらいの家賃を払うより心理的な負担が大きいと感じた。

 

そのことを超ボインのTちゃんがやっているバー「Sの天国」に行ってTちゃんに説明した。親切なのはありがたいことなんだけど、重病人の看護をしながら暮らすというのは負担が大きすぎるということを直接的に言わずに他に良い物件が見つかっただとか、なんて言ったのかあまり覚えていないのだが、色々な理由をつけてその空き部屋に住むことを丁重に断ったのだ。Tちゃんは逆になんか迷惑なこと言っちゃってごめんね、と言ってくれたのだが、その時の俺のペニスは勃起していた。

 

Tちゃんは店の名物だというキツめのリキュール系のカクテルをおごってくれたのだが、客が誰もいなかったので、Tちゃんは例の重病人の様子を見に行くとかで、俺に店番をしていてほしいといって店を出て行ってしまった。

 

全てはTちゃんの善意の中で行われていることなのにも関わらず俺はTちゃんの善意に振り回されている気がした。ただTちゃんがやっていることは尊いことだ。ただ俺は聖人じゃない。何も食べてなかったのでカクテルが腹に染みてすぐに酔っぱらってしまった。誰もいないバーでスタバでかかっていそうな、グルーヴ感やスイング感ゼロの無難すぎるジャズがかかっている。

 

店番というより一応開店している店を開けるわけにはいかないから俺がいればとりあえずオッケーだとTちゃんは思ったのだろう。Tちゃんが戻ってきたら何かを胃に入れてすきっ腹に入れてしまったアルコールを中和しなきゃいけない。そのあとにTちゃんをオカズにしてオナニーでもして寝よう。

 

一体、この時間は何なのだ?というような時間が流れている。Tちゃんが店を出てから10分ぐらいしか経っていないのにもう1時間ぐらい待たされている気がする。俺は外出するときに必ず何らかの本を持ち歩くのだが、この時はまさか店番をさせられるとは思っていなかったし、Tちゃんにあの部屋は使わないということだけ伝えて家に帰るつもりだったので、想定外の隙間時間に戸惑っていた。

 

ちなみに隙間時間という言葉が好きではない。戸惑っていたと俺は言った。でも戸惑っていたというほど戸惑っていたわけではない。Tちゃんに会うからシャワーを浴びてきたのにもうおっさんみたいな臭いが体から発せられている。何の汗をかいているんだ。俺は。もっと入念に体を洗うべきだったのか。

 

Tちゃんがカクテルを作るときに客は絶対Tちゃんのボインを見ているはずで、ボインを肴に酒を飲む、実質的に風俗店のような店だと思いつつ、Tちゃんはそういう下品なことは考えないはずだし、何しろ重病人の介護をボランティアで行うことに全く労力も苦痛も感じない人間だ。聖女のような子だ。

 

でもその善意に俺は巻き込まれた。仮にTちゃんと付き合ったとしたらもっと巻き込まれることが多くなるのだろう。彼女の完全な善意に周りは翻弄されるから、周りは必然的に不幸になる。不幸は言い過ぎか。それでも

 

「今日は驕りでいいよ」

 

なんて言いながらボインを震わせてカクテルを作ってくれるTちゃんに誰も文句が言えるはずがない。話に関係ないことだがTちゃんは空手の有段者である。バーを見回すとダーツがあったので、ダーツをして時間を潰していたらTちゃんが

 

「ごめんねー遅くなっちゃってー」

 

と絶妙な声のトーンと共に店に戻ってきたので

 

「部屋の件はなんだかごめんね。変な感じになっちゃって。本当にありがたかったんだけど」

 

なんてことを言ったんだっけ。あまり覚えていない。とりあえずTちゃんは

 

「全然いいよー気にしないでー」

 

みたいなことを言っていたと思う。店を後にした俺は即座に家に帰ってパンツを脱ぎ下半身だけ全裸になって、というか半裸になってTちゃんをオカズにオナニーをした。イメージ的にはTちゃんがユーロハウスや初期レイヴっぽい音楽をかけながらノリノリで騎乗位で俺を犯しまくるというジェイソンの殺されるカップルの1シーンみたいなのを想像した。ペニスが凄まじく硬くなっていたのでグリップを強く握るようにして

 

「ああ……あぁ」

 

とか言いながら果てた。果てたときにジワーッと脳から何かが身体中に広がる感覚があった。その後に冷蔵庫のイメージが出てきて、その冷蔵庫を鬼のような形相で開いている老婆の姿が見えた。

 

「ロクなもんがありゃしないね。何を食べてるんだろうね。あいつは」

 

恐らく俺の冷蔵庫を漁っているらしい。誰なんだろうか。こちらに気づいたようだ。そしたら鬼のような形相から、それまでずーっとそれでやってきたような作り笑いをして

 

「ハロー」

 

なんて言ってきた。なんやこのクソ婆とか思いながらも俺は

 

「ハロー」

 

と言い返した。お互いなぜか片言の英語で話し合っていたのだが、会話の内容は覚えていない。最近、覚えていないことがあっても成立するなら書いてしまえばいいと思っている。実際にそれは頭の中か別世界で動いている現実を記述していて、ただ会話らしい会話を英語の片言で話しているらしいということまでしか分からないわけだから、そこにあえて妙な創作意欲を発揮して物語めいたダイアログを付け加える必要もなかろう。それが起こったということでいいのだ。

 

その老婆は俺との挨拶を終えると逃げるように二階に上がっていったのだが、それは二階ではなくて一階だった。ということは俺の冷蔵庫は地下にあるということだ。論理的に考えればそうなるに決まっているので地下だったのだろう。あの婆は無益ながらも邪悪という感じがする。あんなのが母親だったり自分の祖母だったりしたら自分の血統を呪うだろう。もしくは呪われた血に抗って善に邁進するだろうか。