行方不明の象を探して。その119。

エレベーターに乗っているときに乗り合わせた女子高生が

 

「さっきなんかキモい禿がいたんだけど」

 

という話をしていて、多分、学生の頃だったのだろう。そのキモい禿は俺の当時の友人だった。でも禿げているわけではなくて坊主にしているだけだった。その友人と話しているところを女子高生が見たときに俺と目を合わさないようにしているようだった。というのも

 

「キモイ禿」


と呼んでいた人物が俺の友人で、俺もどちらかと言えばエレベーターの中でその女子高生とは知り合いではなかったのにも関わらず

 

「へぇーそうなんだー」


的な同調するような表情を浮かべていたから、まさかそのキモイ禿が俺の友人だったとは思わなかっただろう。でもそれは誰がそう思わなかったのか。そこに知らなかったという主体がいなくて、ただ知らなかったことによる変な空気が生まれていた。でも俺は学校は中学1年から登校拒否になって学校に行ってないし、形式的に卒業した高校は金を払えばほぼ自動的に卒業できるような弱者救済の通信制高校だったわけだから、じゃああのエレベーターで出会った女子高生と俺の友人は誰だったのか?ということもより不明瞭になる。

 

出会うとすれば学校だったのだろうが、スクーリングといって、たまに形だけ授業に出席するというのがあって、それで凄く苦痛に感じていたのにも関わらず、卒業しなければいけないという使命感からスクーリングをこなしていたのだが、スクーリングの会場は毎回ランダムに変わっていたような気がするし、俺が形式的に卒業したとされる高校の校舎は無かったような気がする。

 

でも有名な話があって、それは新宿にもあるらしい、その形式的な通信高校の大本みたいな弱者救済高校の屋上から女子高生が飛び降りて自殺したという話だった。授業中、まさにスクーリング中のことだったらしいので、ずいぶんと有名な話になっていたのだけど、何をもって有名だったと俺が認識していたのかも、本当に申し訳ないのだが、曖昧でよく覚えていない。

 

でも思うのだ。もしその自殺した女子高生が例のエレベーターの女子高生だったらだと思うと。ダブル思うと。ということは思っていないということだ。女子高生なんて星の数ほどいる。でも今は少子化なので数えるぐらいしかいない。その中から俺の友人を「キモイ禿」と呼んだ女子高生を探り当てて新宿校の屋上に呼び込み飛び降り自殺と見せかけて突き落とすという完全犯罪を行う。

 

頑張る意味などない。こういうものは勝手に起こることだ。ボインのTちゃんは取材に来たカメラを回し蹴りで破壊したという伝説を持っている。キレたら怖いタイプなのだろう。Tちゃんと対になる感じで、恐らく男であったら誰もが迷うであろう花屋のAちゃんという可愛らしい子がいる。

 

ボインのTちゃんとの違いは可愛いけどオナニーのおかずにしようとは思わないような清純さを持っているところだろうか。でもTちゃんも清純だ。実は淫乱なのかもしれないが、下半身がだらしない感じはしないし、そういう噂も聞かない。

 

でもエロいからTちゃんのバーは繁盛しているのだと思う。俺は脚が好きで乳には興味がないのだが、Tちゃんは全体的にエロいので、会うたびに必ずと言っていいほどペニスが勃起してしまう。また時間が合わなくて会えないかもしれない。店は夜から営業しているし、こうやって書いているときの自分は調子が良いときで、調子が良いときは大体時間の概念が無くなって、何時に起きて何時に寝るといったことが気にならなくなってくるからこそよく寝れるのであって

 

「ちゃんとした市民らしい生活をしなければいけない」

 

と思ってシチズンっぽい時間のサイクルで生活しようとすると途端に不眠症に似たような症状が出てきたり、睡眠のイップスのようなものが出てきたりする。恐らくこれは時間の方が間違っているのだと思う。なぜか強制的に世界では24時間という計算になっているらしいが、俺から言わせればというか俺の経験ではそれに合わせていると大体物事が上手く行かなくなるというほどではないものの、適用できないわけだから、それは俺にとっては間違いだ。24時間を押し付けるやつは誰なのだろうか。

 

そういうことが分かれば新宿校の女子高生の自殺の話も、エレベーターの女子高生の失言も全て説明がつくと信じて今もこうして生きている。だからエレクトロの名盤って何があったっけ?と思って検索しようとしても「エレクトロニカの名盤」が出てきて、エレクトロそのものがフォーカスされることはあまりないのは、やはりエレクトロがニッチなジャンルだからなのだと思う。

 

テクノをやっているアーティストのアルバムにエレクトロ調の曲があったりなかったりするぐらいで、一つのジャンルというにはニッチ過ぎて、かといってもクラフトワークとファンクの繋がりという音楽史的に見てもアツいとしか言いようがない出来事自体の偶然性と必然性があって、エレクトロはようはクラフトワークのNumbersのビートをブレイクスとして解釈したヒップホップの亜種なのだと考えると説明がつく。

 

何の説明?エレクトロを突き詰めるとNumbers的なビートにクラフトワーク的なアナログ・シンセの音を混ぜることに尽きるわけで、色々と要素を足し過ぎるとそれはエレポップ風になったりシンセ・ポップ風になってしまうので、もうほぼリズムトラックだろう、これ、と思われても仕方がないぐらいRawである必要がある。

 

そのRawさ故にエレクトロは一つのジャンルというには風呂敷を広げるほどのものではないにも関わらず歴史的な意義が大きいものだと言える。DJ Godfatherのゲットーチックなエレクトロトラックなどは金玉を掴まれるぐらいの思いがするわけで、音楽そのものがあのぐらいシンプルでなおかつファンキーでグルーヴィーであるべきで、それ以外の音楽なんて俺は認めないよ。だからTちゃんの店でかかっているようなスタバでかかっていそうなジャズなんかはグルーヴ感が皆無なわけだし、ジャズにスイングが無かったら村上春樹が怒るだろう。

 

村上春樹がTちゃんの店にクレームをつけたりしたら文学的に大変なことになってしまう。春樹さんはそんなことをする人ではないのだけどね。別に知り合いでもなんでもないのだけど。もう嫌なことだらけだ。展開とか展開とか展開とか。RawなエレクトロとかDJ GodfatherやWestbamのシンプルさを見習ってほしい。あれは手抜きのループではなくて、グルーヴを追求した結果、ああいうシンプルな形になるのであって、音楽はグルーヴに還元されるわけだ。