行方不明の象を探して。その122。

話をエレクトロに戻そう。エレクトロはつまりはTR-808を使ったお決まりのビートしか選択肢がないわけだから、結果的にどの曲も似たり寄ったりになって、ジャンル的には短命に終わった。でも俺の中でエレクトロのマイブームが来ている。Rawなものを俺は好むのだが、エレクトロのRawさは凄まじい。ほぼビート頼みで音楽の体を成していないものすらある。

 

Rawとはやはり俺のキーワードだろう。文学でも同じだ。Rawな文学は凝っていないカフカの日記のようなものがRawな文学だ。もしくは出版を前提に書かれていないラフなものや格式張っていない自然体なもの。自然体なもの、で文章が終わってしまったし、書くこともなかったからそこで終わったのだった。

 

そもそも人々が商業的な文学に犯され過ぎている。緻密なプロットを書いたり、書くのが面倒なので、映画の原作になりそうなしっかりとした体裁の小説とでも言っておこうか。そういうのが小説ということになると個人の日記とも小説とも言えないような散文は見向きもされなくなる。結果的に俺みたいな好事家がそういうものを好むようになってマニアックなジャンルになる。でも本来文学はそういうものなのだから、文学の本来の姿はマニアックでニッチなものということになる。

 

そんなものは元々狂っている。大衆娯楽ではない。そんなのを読むやつも頭がおかしい。黄色ブドウ球菌が嫌いだ。黄色ブドウって美味しそうなのに人体にとってほぼ悪いことしかしない。でも人体にとって悪いことが悪玉菌とされるのはいかがなものか?という人間原理というと大げさだから人間中心の考えっておかしいよねっていう話は擦られ過ぎているからここでは書かない。黄色ブドウ球菌め!忌々しいやつらだ。フォルムも大嫌いだ。

 

象の日記に「動物園襲撃。デモ隊大忙し」とあり、あきらかに「デモ隊」は象のペンの文字であるけれども「動物園襲撃」はキリンのペン字であるのだから。

 

「自分からこう書くと言うのはあなたが夜、あの部屋からここにやってきてそばか後ろから自分で書き添えたものに違いないのですから。どうしてこんなことまで知っているのかですって?」

 

彼女について何かが知られることを永遠に望まないだろう。それでも彼女に言及しなければならないしまたいかに神秘に満ち溢れていようともそれでもやはり生きた者たちのそれでしかない状況を通して彼女を日の下に連れてこなければならないのだが、しかしそのような必要性の中にはある暴力があってその暴力が恐怖を感じさせる。ここに短縮したいという欲望は由来している。しかし短縮すればするほどそれは膨れ上がる。そしていつもの精神の無限状態に入り創造的な孤独を経験することになる。

 

もし彼女が正真正銘のサイコパスで、声をかけている相手が彼女自身の深刻な幻覚に過ぎないとしたらどうだろう。もし、僕が不用意に彼女に対応したら、ヤバいことになるに違いない。もし、その人がこの世に存在する人で、僕以外の人だったら?

 

彼女の饒舌のおかげで寝室の様相のいくつかをとてもはっきりと見てとることができた。すでに寝室との間には新たな契約が結ばれていたのだ。だが彼女が見えなかった。なぜだかはわからない。すぐにベッドの端に置かれた大きな肘掛け椅子を興味深く見つめた。

 

窓の近くの隅にきれいな鏡をのせた小さなテーブルがあるのに気づいた。しかしこの家具を指す言葉が思い浮かばなかった。恐らくこれに関しても彼女の饒舌を必要とするのだろう。かといっても彼女の饒舌が万能というわけではないし過信は禁物だ。この瞬間、窓の近くにいてほとんど気分がよくなっているのを感じた。

 

そして内部で日がふ たたび昇っていくのと同じくらい速く日が沈んでいくというのが本当だとしても、その方向からくる残照だけで十分にあらゆるものが幻覚もなしにむけて示されていたのだ。そこに揺さぶられるような彼女の無限のイメージはない。ちゃんと統合されている。この統合が心の晴れやかさに繋がっているのだと思う。

 

彼女は僕の口にキスをした。その瞬間、プルーストのマドレーヌ効果のように昔の銀行員はタフだったと思い知らされたことをさらに思い出す。ヒー君に無理やり銀行に電話をかけさせて、適当に何か叫んでみてって指示を出したら、普段おとなしいヒー君が、こんな声を出すのかというぐらい

 

「ウァァァァ」

 

とやり切ったのを見て、やり切る人は凄いなと思った。自分にはそんな度胸はなかったし、度胸が無いからこそヒー君に頼んだのだが、ヒー君は相当控えめな性格だったから、自分よりももっと度胸が無いと思っていたから、自分ができないことをヒー君にできるはずがないと思っていたのに、ヒー君は凄かった。そこからやっぱり接し方が変わったし、漢ってこういうことだなとも思った。

 

そしてヒー君の眠りは、ゆっくりと覚めていった。夜の漆黒の中、寒さの淀みの中、彼は目が開くのを感じた。耳元で水滴の音がする。凍てつく闇の中で、睫毛がばらばらになっていく。膝や肘が徐々に埋まっていく感覚を取り戻したようで、頭の中に響いているのは自分の目の音だ。全身を締め付けていた筋肉が、手のひらや足の裏まで、わずかに響くように痙攣し始めていた。そして、闇が深まっていった。

 

でも残念だったのがヒー君と仲が悪くなったきっかけというのがあって、水泳に行くと泳ぐというよりビート板で水面を叩いてノイズを出すっていうのが一番楽しかったりするじゃない?ビート板のビートって叩くって意味なんだろうな。当時は分からなかったけどね。小学生だったし。

 

ほとんど泳がずにビート板でバンバン水面を叩いた帰りに、ヒー君と水泳場から家路に帰るまでに、自転車で来ていたから自転車で帰ったんだけど、水泳場から家路までの途中の道下妙にマニアックな道で、田んぼがやたらと広がっていて、人か自転車しか通れないようなところに、シュールレアリスティックな感じで車が渋滞していて、何が原因で渋滞をしているのか分からなかったけど、東映映画とかのわき役で出てきそうなおっさんとかってやっぱり昭和には多かったんだなって思った。

 

そういうわき役っぽい人が車から出てきて、ヒー君と自分は自転車に乗れずに、自転車を押しながら渋滞する車の横を通っていたんだけど、割と先を歩いていたヒー君がその東映のわき役に怒られていて、何で怒られてるんだろう、とは思ったけど、そこがやっぱり自分がビビりなところで、ヒー君と違って、自分は度胸がなかったから、怒られているヒー君を遠くから見ているしかなかったんだよね。

 

エクスキューズミー。ヒー君、すまない。あの時、僕は白昼夢を見てたんだ。白昼夢?冗談じゃない?5分前からシグナルを送ってたんだよ。あの脇役のことを考えてたんだ。 ヒー君が何を望んでたか分かるか? 

 

僕はね、疲れてたみたい。何も残すな、と言われたけれど20分ほど音楽を流した。その後、天気が気になったので、テレビの電源を入れた。テレビで天気を知るのは至難の業だ。今となっては。スマホ?スマフォ?音楽にはカロリーがない。でも歯磨き粉はカウントに入れるんだよ。歯磨き粉?顔を洗った時、塩が口に入ったけど、聞いてあげるわ。それはどうかな?コーヒーだ、一杯目の紅茶、カフェイン多めのバタートースト。 

 

ヒー君の目が大きく見開かれ、東映のわき役が押し迫ってくるのがわかった。気がつくと、僕は氷のような岩床の上にいた。両側には荒々しい石の壁が垂れ下がっている。岩を伝う水滴の音。時間が経っていた。眠りの深さが初めて思い浮かぶ。長い眠りだった。しかし、浅い夢ばかり見ていたような気もする。抱いていた思いは現実と結びつき、目に沁み込んでくるようだった。

 

ああ、ヒー君から脇役へ、脇役から自分へ。

 

よみがえった言葉が反響して、人間の記憶をさらにたくましくしていた。