行方不明の象を探して。その125。

「象と俺のみ」という意味での我々は店の奥にある薄暗いコーナーでマリファナを吸いながら時間を潰した。

 

「いい感じにキマったな」


「ああ。俺は上物しか吸わないからな」

 

我々はカウンターに戻りビールとジム・ビームを飲んだ。すでにラリっていたので殆ど何もしゃべらず黙り込んだまま店内に流れるDieter Schnebelの「Für Stimmen (...Missa Est)」をただぼんやりと聞いていた。バッドトリップした時にこれを聞いていたらまさに悪夢だろうが、良い感じにキマっていたので象も正常な時間間隔で言うと1分おきぐらいにはなんらかの笑い方をしていたと思う。「ハハッ」「プッ」とか、あとは笑おうとして笑わなかったときの「んっんーん」みたいな咳払いならぬ笑い払いみたいなのが断続的に続いた。

 

A面はMauricio Kagelの「Hallelujah」だ。こういう表現がしてみたい。こういうのを聞くと憧れしか湧かない。音で真似ても仕方ないから言語でできないものかと考える。でも現代詩のような抽象的なものではなくて、非常に具体的でこのレコードみたいな感じがいい。「感じ」は掴めているのにアウトプットの手段が分からない。


「頼みがあるんだ」

 

と象が言った。それはそうと音楽などで例えばロックでもなんでも演者のルックスが良いから音楽性など関係なしにキャーキャー言われて人気が出るのも客商売だからしょうがないにしても昔はそんなに前にしゃしゃり出ることが無かった作家がしゃしゃり出るようになってルックスとかキャラクターで売れるようになるっていうのはどういうことなんでしょうね。


「どんな?」


昔はファミコンカセットとかでセーブデータがバッテリーで保存されていたじゃない?だからキレるのよね。下手すると。キレるってことで言うとセーブデータが消えるってことなんだけどそれにキレて明らかにセーブデータが消えまくるソフトはおかしいからゴルフクラブで思いっきりスウィングしたら遊びに来ていた友達の頬をかすめて切り傷ができたんだけど切り傷というよりもファミコンカセットをゴルフクラブでフルスウィングするっていうところに常軌を逸したものを感じた友人はそれにビビっていたんだけど悪いことをしたなあというのもある程度大人にならないと反省できないという話。

 

「人に会ってほしいんだ」


ジャズが無ければスウィングが無いのだとしたら例のファミコンカセットもジャズが無かったらスウィングという概念が無いわけだから友達の頬も無傷ということになるけどジャズはいいところもあるから人を傷つけることもあるけども悪いところだけじゃないから音楽としてはいいと思います。

 

「・・・女?」

 

少し迷ってから象は頷いた。

 

「何故僕に頼む?」

 

今日は国語の授業のトラウマを話そうと思いますというのもね、国語ってスクエアな文学しか載ってないわけで反文学的な文学しか教科書に載らないっていうのはヤバ過ぎる文学に目覚めちゃうようなラディカルなものが取り上げられていた場合、生徒が文学に目覚めちゃって他の勉強をしなくなるからあえて文部省はつまらないあくびが出るようなものを国語に載せているんだと思うっていう陰謀論。


「ほかに誰がいる?」

 

象は早口でそう言うと6杯目のウィスキーの最初の一口を飲んだ。


「スーツとネクタイ持ってるかい?」

 

でもその場合、陰謀論が成立しないのが音楽ですね。モルダウみたいなセンスの悪い演歌みたいなクラシックを子供たちに聞かせたって分からないし良いと思えないでしょう。なんでドビュッシーとかサティとか現代的な感性で美しいと思えるものを選ばないのでしょう?

 

「持ってるさ。でも・・・」

 

算数とか数学もそうね。抽象度の低い電卓でやればいいような計算を無理やりやらせてトラウマに引きずり込むという教育に断固反対する。反学問的過ぎるんですよね。だって数式見ただけで数学のテストのことを思い出してお腹が痛くなるっていう人がいるぐらいだからそんな教え方が正しいわけじゃない。

 

「明日の2時」と象が言った。

 

優美に教師とか政治家とか気に入らない人間全員暗殺させるということをコントラクトしようと思っている。お人形さん暗殺者優美。でも人を殺すのは良くないよね。だって殺したところで根本的な解決にはならないでしょう?そういうことを書いてたら本当に要人が死んじゃった。小説に書いたことが本当になるというのは本当だったんですねっていうところの本当とは一体なんでしょう?

 

「ねえ、女って一体何を食って生きてるんだと思う?」


「ブーツの底」

 

こういう女性をモノとして扱うような描き方をするのって作品が古いものにしてもやっぱりどうかと思うんですよね。物語は男性が書くものが多いから男性的になるのが多いんですけど女流作家と言えども良い作品を書く人たちばかりじゃないからこの辺は難しいですよね。


「まさか」


まさかとかって口頭じゃ使わないですよね。全てが喋り言葉というか喋り言葉風に書いた口語体なのではなくて喋った言葉をそのまま文字にして構成しようとも思ってる。構成しようと思ってるということはすでにもう他のところで着実に進んでいるはずだ。こうご期待。


と象が言った。

 

「彼女はどこにいるんだ?」

 

僕はそう訊ねてみた。象は黙って本を閉じ、車に乗り込んでからサングラスをかけた。

 

「止めたよ」

 

書くものが読み手に左右されちゃったらね、これは面白いとかってジャッジする人が凡庸なものしか理解できない頭の持ち主だったらその国のリテラシーレベル=その国の文学ってことになっちゃうんですよね。なぜラディカルで実験的なものの大半が海外文学なのか?出版側もどうせ売れないなら面白い挑戦的なものを出した方がいいと思うのになんで古典的なものしか出さないんだろう。出版する側より読者の方が賢いからみんな本を読まなくなってしまうんだよね。

 

「止めた?」

 

ストーリーというものが嫌いなのはDJとかでも決まり事というかなんでBPMがあっている同じもの同士を繋げなきゃいけないのか?っていう話でヒップホップの次にハウスが来てもいいわけだしハウスの次にドラムンベースが来てもいいはずなのにね。もちろん踊りづらいから機能という意味ではアウトなんだけどどれもこれも似ちゃうのは暗黙のルールのせいなんですよね。

 

「止めたんだ」

 

深すぎるため息をついた。なんていうかその、もう一回「パードゥン?」的な聞き方をしないと理解が完結しない言い方にうんざりしているからだ。