行方不明の象を探して。その127。

そして彼は、あの世での絶対的な意識を想像する。彼は、僕たちが皆そうであるように、自分が死んでいることをどうやって知ることができるのか不思議に思っている。僕たちは流体の右端に気を取られていたのだ。なぜ左端ではないのか?それは驚かせるための絶対的なミスがある、と彼が考えるからだ。

 

彼はこの単純な思考を、物語をどう動かすかという問題に応用する。信じられないほどゆっくりと、僕たちの視界はスライドし始めるが、問題としては、僕たちは、公園とその細部に魅了されているのであって、そこでは言葉が凍りついたように、右端ではすぐ近くにいる人の体によって壊され、ぼやけ、リズミカルに動いている。

 

マスターは仕事に戻っていった。それ以上は何も聞かずカウンターに戻ってビールを飲んだ。10分ばかりしてマスターがもう一度前にやってきた。

 

「ねえ、象はあんたに何も言わなかったのです?」

 

ため口パターンとコンシェルジュパターンのミックスだった。

 

「うん」

 

「変だねぇ」

 

「そう?」

 

マスターは手にしたグラスを何度見磨きながら考え込んだ。

 

「なるものは勝手になるから、どうしようと足掻いてもしょうがないことってありますよね」

 

またか!と思った。波留のことにしてもなぜ相談役にならないといけないのか。いや、別にそれ自体には全く問題ない。進んで良いことをできるならやろうと思う。市民性だ。でもマスターはこういうよく分からない内容の相談を誰かに引き受けさせるハブのような存在なのだろうか?と思った。なんでよりにもよってよく分からないことの相談なんだろう。波留はあれを置いていったし象も何かを置いていくのだろうか。

 

「でも象にそういう素振りはないな」

 

「素振りってスイングの素振り?」

 

「馬鹿になんかしないよ」

 

「せっかくだから温かいものでも飲んでからお行きなさいな。あと読んでない本もついでに読んでいったらどうなの?ポンシュを飲みながら庭に椅子を置いて小説を読んでいるというのはポーズですね。そう言いたいだけです。酒飲んだら文字なんて入ってきやしませんぜ。旦那。」

 

「悪くとらえたりしないよ。知的かどうかは別として」

 

「会話がかみ合ってませんな。こりゃ。あちゃーってあんまり言わない。日常で。日の常と書いて日常と読むんだ」

 

「インディード」

 

笑ってビールを飲んだ。

 

「象には言い出してみるよ」

 

「うん、そうしてくれるとありがたいよ」

 

マスターは煙草を消して仕事に戻った。席を立って洗面所に入り手を洗うついでに鏡に顔を映してみた。そしてうんざりした気分でもう一本ビールを飲んだ。麦酒って言おうかな。ハネケの城に出てくるような、炭酸が抜けた感じの、ただ黄色いだけのビールはなんだかどうしようもない連中が飲んでいる黄色い液体という感じがしてビールという感じがしない。

 

「あぁー!」

 

ってビールのCMの喉ごしがどうのっていう時の「あぁーっ」は文字では表現しづらい。文章表現やめようかな。制約が多すぎるもの。「あぁー!」じゃまるで官能小説のそれじゃないか。寝る前に薬を飲むと異様に食欲が促進されて、それまで虚構に没入して取ってこなかった栄養分を寝る前に摂ろうとする。そういうアティチュードにアゲインストだ。

 

マスター曰く彼自身の精神は普通の状態ではないらしい。何をもって普通とするのかが問題のような気がするが、かといっても崩壊的な感じではなく、錯乱するような類のものではなく、ただとりあえず彼の基準において普通ではないらしい。

 

こういう風なマスターとの会話では言葉が宙に浮いて霧散する様子が顕著に表れるような気がするのだが、実際の恐らくほとんどの会話の実体はこういう感じなんだろう。それをマスターは顕著な形で体現している。生きるのをやめさせるために見せつけようとしているのだったら、それは失敗している。そんなことは自明だからだ。

 

黄色くなる痣と黄色いだけのビールっぽくないビールの黄色さは似ている。でも黄色は大嫌いなブドウ球菌の色でしょ。黄色だったっけ。肌が異常に湿っているのを感じた。腕から胸にかけて、何度も大きな湿気が襲ってくる。シャワーを浴びれば済むことなので大したことはない。いちいちそういうのに驚くなよ。書く必要もないし。

 

彼女は君に期待しない。工場で働き、結婚し、何人かの子供を産んで、ママとパパの面倒をみて、年をとって死ぬ。それだけだ。俺は農場を尊敬しているのは、それが軍事的に可能か?ということで、そもそも恐れていないからね。僕の家族の話もしないとね、だって家族で変なんだもん。意味わかんない。でも、彼の匂いなんてどうでもいいんです。

 

だから姉は鶏肉と餃子を作るんだ。鶏肉を4時間くらい茹でたものだ。その上に生地を乗せて、鶏の脂を染み込ませるんだ。そして、バラバラになった鶏肉と、鶏の脂身だけの生地を並べるんだ。そしてマッシュポテトと、豚汁で固まったゼリー状の緑色の肉。

 

そして貧乏人は熱を持ち、尻尾を潰し、穀物豆をインスタにあげまくる。でも、彼はいつも機嫌がよくて、文句を言わない。なぜなら、彼は俺の妹と結婚したいから。だから毎回、大音量でバンドが対バンして、家中が鶏肉と餃子と桃のせいで濃密な感じに溶けていく感じ。

 

彼らはフロントガラスの裏窓を取り、他の窓を転がし、屋根を支えている公園を3インチほど切り落とした。それからルーフを溶接して元に戻したので、ルーフが低すぎて車内でまっすぐ座れなくなってしまった。だから、いつも前傾姿勢でいなければならなかった。腰が痛くなった原因の一つだ。

 

「時々ね、どうしても我慢できなくなることがあるんだ。自分が金持ちだってことにね。逃げ出したくなるんだよ。分かるかい?」

 

「オツベルさんは良い人なんじゃなかったのか?それとも飼われているという感覚が嫌だってこと?」

 

「そういうことじゃない。オツベルさんを裏切ることなんてできないし、今の自分は凄く恵まれた環境にいるということは重々承知してる。でももし・・・もしね、俺がただの野生の象だったらどうなんだろうか?って思うんだ」

 

「どうなんだっていうのは存在論的にってこと?」

 

「なんていうんだろう、こうやって喋りもせずにさ、ただ象であるということを全うする人生ってどうなんだろう?って思うのさ」

 

「ごめん。分からない。俺、人間だし」

 

と呆れて言った。

 

「でもそれが本当に重荷でさ、逃げ出したいって思うぐらいなら逃げ出せばいいんじゃない?」

 

「逃げ出すのが面倒臭い。お前との会話もそろそろダルい」

 

「ん?その場合、想定されているのはお前がどこか別の場所で始めからやり直すってことで、野生の象として生きるっていうことではないんだ?」

 

「話聞いてる?うまく行ってる?ってゴダールの映画だっけ。手足がもうホットだから眠る時間じゃないのかぇ?」

 

「寝るとまた起動が面倒なんだよね。スイッチが入るまでが。スイッチがあればいいんだよ。そうすれば翼を授かったようにさ、レッドブルとかを飲まなくてもやる気が出るっていうね。もうその起動に飽きてるんだよね」

 

「そっか。やっぱりこういう話をしても合わないな。いや、君と合わないんじゃなくてね、無理なんじゃないかって思うんだよね」

 

「そう言われちゃうともう答えようがないんだけどな。ところでさ、これから何をしようと思ってる?プランのようなものはあるの?」

 

象はタオルで足を拭きながらしばらく考えた。

 

「プラネットプラン的なものならあるかな。他は次元が違うものかな。もうあんまり現世に未練はない」

 

「いや、それ散々お前が否定してきたことだろ。バルーン化したり俺の家にわざわざ来たりして小説家になることを必死で止めようとしただろう?」