ユングによると、一般的に偶然の一致と呼ばれているものの中で意味のあるもの、言い換えれば、意味のある偶然、必然的な偶然、そういったものを引き起こすのがシンクロニシティなのだという。
象は例をいろいろと話し出した。小説に書いた話とまったく同じ事件が実際に起こったとか、そんなふうな話ばかりだった。詳しいことは、適当に聞き流していたので覚えていない。そもそも意味のある偶然だとか必然的な偶然などという言葉自体が変に思えた。
意味があったり必然的だったりするならばそれは偶然ではないはずだ。内心そう思いながら僕はストローでオレンジジュースから突き出た氷をかきまわしていた。そのときだった。象、という姿が目に入ってきたのは。
「相変わらず図体だけはデカいなって今一瞬思ったろ?」
「そんなこと言われてもな、いつも思ってるよ。そりゃ。ところで数秒前のアクションに後悔することってない?」
「アクションをアクションと捉えてないからなぁー。武骨だから俺は」
「武骨と後悔って関係あるの?」
「他がどうとかは関係ないんだよ。俺は武骨だから後悔しない。ただそれだけだ」
「まぁそれならいいんだけど。でもなんか不思議だな。言葉の意味が全く分からない。言っていることは分かるんだけど概念として全く降りてこないよな。頭に定着しない」
「存在なんてそういうものだろう。あやふやだよ」
「なんかまたそうやってズラすよね。もしかしたら俺らって微妙に次元の隙間みたいなところにはまり込んでてさ、本来はちゃんとした言葉のやりとりができているのに、それが出てくるときになんか変になるんじゃないか?って思ったりしたのはさっきのことだった」
「俺が小学校に居たころにいたよ。そういうやつ。話によると小学校低学年ぐらいには普通に話していたんだけど、突如、「そこに隠れていた」とか「それを知る由もなかった」とかっていう借り物の言葉でしか喋らなくなったメスの象がいてさ、だからって話の落ちがあるわけじゃないんだけど」
「別に全ての話に落ちがある必要はない」
象という考えが僕の内部で奇妙な思い出を呼び起こした。さっきのメスの象の話。俺の小学校の頃にもそういう女子がいたような気がする。でも女子といってもさ、今の女子は凄いよな。みんな綺麗になってる。顔が変わってるんだよな。近未来っぽいっていうの。
俺が小学校の頃にいたような、芋っぽい小学生とかってあんまり見かけなくなったもんな。人類の進化だなってことは象も進化してるんだろうな。人間から見るとさっぱり分からないけどね。違いが。
「そうだね。でも勘違いしてほしくないのは、何を言いたかったか忘れたってことなんだよね。」
「そうだねっていうか何も喋ってないのに「そうだね」ってどういうことなの?」
「喋っているかのようだからそれはしょうがない。寝る前のチョコレートの禁断の甘味」
「へぇー象もチョコレート食べるんだ」
「そりゃ食べるさ」
「寝る前にさ、もう起きてられないってぐらいのときにチョコレートとか煎餅とかを食べまくるんだよ。ドカ食いする。そうすると鎮静剤を新たに打ったかのように泥のように眠ることができるんだよね。薬で眠くしておいて満腹感でさらに眠くするのさ」
「プロパーサブセット」
と象は言った。でもなぜ言ったのかは分からない。いつも言うようだけどそれは象が言ったのであって、傍観者である俺がなぜそういったかまでは分からない。生憎、神の視点は持ち合わせていないからね。
「キリンさんについての話は?」
「キリン?あ、例の動物園襲撃事件の?まぁ事件でもなんでもないけどな。あれ」
「ああ」
象は鼻のあたりをいじくりまわしていた。ほじりたいんだけど相手が俺でも人がいるということでほじれないんだろう。
「何年か前にね、キリンと動物園を襲撃しようっていうことになったんだ。それで・・・」
「あ、いや、その話はいいよ。散々聞いたから」
「話したことあったっけ?」
「あったようなないような。でもいいよ。知ってるから」
「まぁでも聞いてくれよ。短く話す。その時に考えたのさ。なぜこんなものを作ったんだろうなってね。なんで街のアーケードの中に動物園なんか作ろうとしたんだって。もしくは動物園が最初にあってその後にアーケードが作られた可能性も無きにしも非ずだけど、それは考えられないだろ?動物園を後から作ったとしか思えないんだよ。で、匂いの苦情が商店街から殺到して反対運動が起きてるっていうさ、確かに獣臭いところで飲み食いしようと思わないよな」
アーケードのデモ隊、彼らは彼らの心、彼らの脳、彼らの感覚を率直と粗野な相互理解のアルコールに漬けて保存していた。人間たちにとって種族と絶縁しないために必要なすべて、最も貪欲なものにも見られる最小限の気前のよさ、最も抽象的な精神を曇らせる夢の価値、彼らはそういうことを仲間愛で救っていた。彼らはどうせ決して現存しない誰もプリントを観ないこの最後のフィルムに、人間のすべての感情を撮影していた。
「動物園はあまり行ったことないけど、アイスクリームとかは売ってそうだけどな。ホットドッグとか」
「がっつり食べる感じじゃないだろ?やっぱり。俺はさ、黙って動物園を眺めてたんだけど、その時に俺が感じた気持ちはね、とても言葉じゃ言えない。いや、気持ちなんてものじゃないね。まるですっぽりと包み込まれちまうような感覚さ。全ての動物が一体となって宇宙を流れていくんだ」
象はそう言うともう泡の抜けてしまったコーラの最後の一口を飲んだ。
「文章を書く度にね、俺はその宇宙を流れる感じを想像するんだよ。そしてこう思う。全ての動物のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね」
「よくそんな臭いセリフ言えるよな。なんかの引用?ばっかじゃねーの?ただ宇宙の流れを感じるってのは俺もやってるから分かる。でも全ての動物のため云々ってさ、己惚れすぎだろそれ。一人の人間がそんなことできるわけないだろ。だからできることを積み重ねていって、結果的にすべての動物の為になるようなものが書ける……っていうか何か書くつもりなの?あんだけ反小説キャンペーンをやっておいて」
語り終えてしまうと象は首の後ろに両手を組んだフリをして、ズドーン!という凄い音と共に倒れた。後ろに壁があったと思っていたらしい。象だけに凄い音だ。人間が倒れるのとはわけが違い過ぎる。
そして象は
「イテテテテ」
と言いながら
「汝らは地の塩なり」
と言った。
「え?象ってクリスチャンなの?」
「だが塩に塩気がなくなればその塩は何によって塩味が付けられよう。もはや何の役にも立たず外に投げ捨てられ、々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、もし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば家の中のものすべてを照らすのである。そのようにあなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。マタイ 5章13~16節から」