行方不明の象を探して。その129。

そう。僕は思い出すのだが言葉を語ることとはそもそもあらゆるビジョンと決別することであり、もはや明るさともそれを唯一の尺度としてかかわるのをやめることである。そしてまた言葉の中には日の光の所業ではないような現前、それでも明らかに表示するような現前がある。

 

何よりもまず「光あれ」という言葉をあらわにする発見がある。その言葉が他なる人の開示のことであるかもしれないということを予感している。しかしこの他なる人というのは僕にとって依然として一つの神秘だ。

 

足が出る前の知らない記憶がある、弾丸が飛び交い、騒いで下を見たら何もない。ピザの配達人は、モルヒネピーナッツの端を噛んで、彼の中に差し込み、絞った状態で這い出てくる。男がそう乗り切れることを願う。それ以前の足で送ってあげればいい。一日一日。次の日、何かが、別のものが明らかになり、あなたはほっとする。寂しさ、声、写真。怒鳴り声になれた。次の日、別のもの。次の日の別の記憶。

 

一斉に怒りの声を上げ、互いの耳元で叫ぶ。光が消えてしまった。暗闇の中で、人は耳を傾ける。より速く、より速いリズムで。その言葉は突然に止む。再び、光。

 

僕は、ゆっくりと空っぽになった空を見つめた。揺らめく炎の長い行列が、世界の静寂と生命を運び去っていた。僕は他に類を見ないほど細部にまで気を配り、丁寧に本を読んでいた。紙に穴が開くほど気を配って読まないと分からなかった。この本は自分を愚鈍にしているように思えた。何も分からない。

 

でも魅力があった。理解してやろうと思った。その本からあふれ出す言葉の奔流に、死力を尽くして身を任せた。ん?おかしいぞ。死力を尽くしているのに身を任せるのか?いや、違うんだ。文字に入るまでに時間がかかるんだ。パッと読んでサッと読めるものじゃない。

 

「今日はここまでだ」と決めて、あとはやることがないから寝る。起きるとまた本に取り組もうと思うのに力が出ない。凄く力が必要なんだ。また入るまでの集中力を持ってこなければいけない。でも他にやりたいことがない。退屈だ。身体が鉛のようだ。入るしかない。あの本に。聖書に。

 

「すげーなおい。聖書暗記してるなんて凄いじゃん。なんだか悪かったな。俺って本を読まない人間を下に見る癖があるんだけど、聖書をそこまで暗記してる人間なんて会ったことないからさ、君が人間かどうかはともかくとして、象がテキストみたいなもんだな」

 

「神の象。Imago Deiなんつってな」

 

僕の主が十字架にかけられたときあなたはどこにいましたか?おお!そのことを考えると時々震えて止まらなくなります。そして次元上昇が行われるとき、とてつもない倦怠感と眠気に襲われるでしょう。起きたら外が暗い。早朝に起きたか?でも今は夏だ。日の出は早いだろう。そう思ったら朝の6時じゃなくて18時のほうの6時でした。20時間寝ていたことになる。もはやロングスリーパーという域を超えている。

 

見ていた夢は明晰夢だらけ。どこかに行っていたのだろう。それをパラレルワールドに行っていたのだって信じること。3次元世界に飽きて「もうダメかも」と思ったらまだ他に見えていない世界があるわけだからその世界を信じること。信じるというのは神を信じるとかってことではなくて「あるんだ」って思いこむことで頭のブロックが徐々に無くなっていくということなのだ。

 

「こんなこと考えてたら完全に変人だ」みたいな他からどう見られる、みたいなところを捨てきること。あと安易に夢は脳の記憶の部分がどうの・・・とかっていう下手糞な科学的なごじつけをして納得しないこと。この辺は自由でしょう。他の世界に行っていたのも記憶がどうのってのも両方間違ってるかもしれないんだったら他の世界に行ってたって思ってた方がいいでしょ。

 

お友達が多い人だったら縁はガンガン切れていくだろうな。話が合わなくなるのは当然だ。例えばあなたが宇宙人だったとする。で、それを自覚したとしたらすさまじい孤独を感じることだろう。宇宙人仲間がいても今まで人間だと思っていたわけなんだから、実は違ったという認識は恐ろしい脳の負荷を起こすことになる。そこでそこから逃げずに「宇宙人なんだからしょうがない」とアクセプトすること。

 

そんなことをUFOに出くわしながら思った。本物に出会うとYoutubeとかに上がっているUFO話とかに全然驚きを感じなくなる。当たり前の話だったり作り話だったり。でも俺が未来人の類じゃなくてよかったと思う。あくまで現代に生まれてきた宇宙人の魂だから別にこういうことを書いても宇宙の法則で勝手にネタバレしやがって!的な報復を受け取ることもないし相手にされることもないから安心だ。

 

コツは能力を手に入れる!と思うのではなくて、特にあなたが宇宙人なのだとしたら宇宙人の星にいたころに当たり前に使えていた能力を思い出すこと。例えば「悲しい」という感情が分からないから手に入れたい!って思うのと思い出すのとでは全くプロセスが異なるでしょう?脳のブロックは驚異的なんだよ。本当に。あと「そんなのあるわけない」って普段は良い人なのに親の仇みたいに批判してくる人がいるから誰かに言うことは何の得もないよ。

 

夕方になって日が陰り始める頃、僕たちはプールから出てマゾンナのブートライブ音源が流れるホテルの小さなバーに入り、冷たいビールを飲んだ。広い窓からは港の灯がくっきりと見えた。マゾンナのブートライブ音源は観客のエア録音らしく、肝心の山崎マゾの演奏よりも観客の叫び声のほうがデカかった。

 

ワイヤレスヘッドフォンを買いに行ったときにというよりノイズキャンセリングか。ノイズキャンセリング機能が一番高いヘッドフォンを探していると初老の店員に聞いたら

 

「そんなのは気の問題だ」

 

と言われて驚いたことがあるってのを他でも書いたと思うけども、その初老キャンセリングヘッドフォンを買って半年が経った。最近それを使っていると左側からこれもまたどこかで書いたような気がするが、耳糞が耳の奥でゴソゴソいっているような、生理的に不快な音がするようになって、こればかりは気の持ちようでもなんでもないだろうと思って色々と調べてみたらよくある症状だそうで、しかも気の持ちようを買った後に気の持ちようの新型が出ていることを知ってさらに妙な気持ちになった。

 

数か月後に新モデルが出るなら伝えておいてほしかったな。それも気の持ちようなのか。店員の論理を敷衍すると全ては気の持ちようということになる。だとすればノイズキャンセリングヘッドフォンなんていらないだろう。

 

多分、俺がいかにも騒音を嫌うような、家に籠っていそうなタイプだと思ったのが、もっとメンタルを鍛えろ!という意図も初老の店員にあったのかもしれないが、変で不快なガサゴソ音とそのガサゴソ音が半年後に出始める前提で発売された新モデルと、色々と書いていてよく分からなくなってきた。

 

「故障なんですか?」

 

「そうですねー」

 

とかのやり取りをした後に保証期間がどうの発送がどうの、もうそれ自体が面倒だ。だから俺は思ったのだった。人間にノイズキャンセリング機能がついていればいいのではないか?と。もちろん四六時中じゃ困るで必要な時に限るのだが。

 

それにしてもなんで読む気がない本を大量に買ってしまうのだろう?大体そういう本はやはり読む気になれないので読まないまま本の山に埋もれることになる。ワイヤレスだから?ヘッドフォンの話だ。じゃあ有線のノイズキャンセリングヘッドフォンを買えばいいんじゃないか。でもそこまでノイズに困っていない。というより頭の中で鳴るノイズに困っている。ということは問題は音声ではない。

 

新型を買えば頭の中のノイズもキャンセリングされるのだろうか?そうだとすれば買う価値がある。でも保証期間内にまだ買って半年しか経っていないものの新型を買うというのはどうなんだろう。またバリバリ言い出して接続が切れてしまった。これだから無線は嫌いだ。最初から有線のものを買えばよかった。それとガサゴソ問題は別としても、無線は音が悪い。と言われている。

 

でもあるのは無線ばかりで有線のものは滅多にないというのが、ノイズは気の持ちようの持論を持つ初老の店員の主張だった。ノイズが鳴るたびにこの初老の店員を思い出す。別に嫌な人間だったわけではない。ただ鮮明にフラッシュバックするのだ。特にノイズキャンセリングヘッドフォンを買おうとしたわけではなくて、珍しく何かの用事があって、それまで時間が空いていたので時間を潰すために電気屋に行ってそのヘッドフォンを買ったのだった。

 

ああ、もうメーカーに電話するのが面倒だ。何もやりたくない。座って本だけ読んでいたい。で、たまに何かを書く。それだけで生活はイナフイナフだろうが。喋るのも面倒だ。単調なエレクトロを聴きながら本を読んでいたい。