行方不明の象を探して。その130。

チャネリングは悪くない。いよいよ本もつまらないとか3次元情報に飽きてきたらもう別次元だ。それを5次元とかって言ったりするけどそれが実際に5次元かどうかは分からない。それは数学的に5次元なのか別次元のことを比喩的に5次元と言っているのか、もしくはただ見えていないだけで3次元世界にあるものなのかもしれないわけだし。


そういう次元に行こうとすると喉がやたらに渇いてしょうがない。だから水をひたすら飲むしかない。ダルいからカフェインでシャキッとさせようとすると勿体ないのでやめよう。そのダルさは身体がついていっていないダルさだから良いダルさなのだ。満喫しよう。孤独といっても真の孤独を知る人は少ないだろう。真の孤独を愛せる人はあまりいないんじゃないか。俺は所謂「一人」でいることは好きだったけど、とある出来事があって真の孤独を味わって以来、あれは凄まじくハーシュだと思ったのだ。でも抜け出そうとは思わない。

 

人間の中でも滅多にいないタイプだから友達ができない・・・とかでも人間だからまだマシだろう。人間じゃなかったらどうすんだ。何より精神力開発とかの大半が人間用に作られているものだから「宇宙人だった頃を思い出しましょう」と書かれている本に出合ったことがない。自称霊能力者とかと同じで自称宇宙人が多すぎるんだな。

 

象と会話をしている時点で気がつくべきだった。俺は宇宙人かどうかは分からないが少なくとも人間じゃない。象に尋ねたら「そんなの当たり前だろう」って言うだろう。ヘッドフォンの話が全く初老の店員とかみ合わないのもしょうがないだろう。見えている世界が違い過ぎるのだ。でもそこで見えている世界が違うから偉いとか思っているファック野郎が多いから困ったものだ。これは全く種類の違いなわけで、例えば犬は視力は悪いけど嗅覚とかシックスセンス的なものが強いとよく言われるけど、だからといって嗅覚が凄い犬が偉いか?というとそんなことはない。

 

知能や身体能力然りだが、そこにヒエラルキーなんてのは存在しない。優越感を抱いたらまず違うから安心した方がいい。ガチな場合、孤独しかないから。え?肩をすくめるアトラスって文庫で出ているのか。名著でもなんでもないけどBio Shockのモチーフになった小説らしいじゃないかって三冊買ったはいいけど読んでいなくて、読んでいる途中に例の如く、この手の小説は全然頭に入ってこないのだが、値段を見て驚いた。一冊2000円もする。三冊で8000円か。いや、6000円だ。

 

アイン・ランドは本気であんな風に考えていたのだろうか?小説を読んだわけではないのに何を言おうとしているかをウィキペディアで調べれば大体書いてあるので小説を読む必要が無い。


思想を伝えるための小説がつまらないのはこういう理由だ。肩をすくめるアトラスが思想小説かどうかはともかく、全ては思想を表現するための膳立てのようなものなので、途中のやり取りとか物事がとにかくつまらない。

 

それはアイン・ランドに限ったことではない。というか小説と言えばこんなものばかりだ。だから気に入る小説を探すのに本当に苦労する。自分が好きになる作家は寡作だったり二作ぐらい書いて後は何も書かなくなったりする作家ばかりなので、色々と読みつつ、「これがあれば生きていける」という作家を探して精読するしかないのだろうか。

 

こんなものを書きたいあんなものを書きたいというビジョンがあるわけでもなんでもなくて、出てきたものをただ記述しているだけに過ぎないのだが、自分が思い描くような、小説家が執筆しているという、たとえそれが幻想に過ぎないとしても、創作しているカッコよさのようなものが一切ない。何かのメモを走り書きしているようで芸術性の欠片もない。

 

それは当然チャネリングで書いているものも多くなってくる。最近は特に多くなってきているから元々、戦争と平和ぐらいの長さのものを書こうと思っていたのにチャネリングの部分が多くなってきて分量がガンガン増えていくばかりだ。

 

チャネリングが良いのは頭で考えて書いたりしないので全く疲れることがないことだろうか。ただ自分のものではないので「俺が書いたんだ!」みたいな感じが出ないから遣り甲斐はないかもしれない。でも分量が増えることに快楽を覚えるかな。去年の10月ぐらいからこれをアップロードし始めてもう8月に入ったわけだからあと二か月で一年になるな。でもまだ半分もいってない。

 

でもどうやらチャネリングという言葉も違うらしい。本体が宇宙にある場合、本体がそのまま情報を受け取るわけだから「メッセージください!」というのは地球人的なやり方だ。だから宇宙人の自覚が必要になるのだが、今まで地球人としてやってきた期間が長ければ長いほどその認識は難しい。寝起きはまず何十年来続いている「ヒト」として起きる。で、「そういえば宇宙人だった」ということを思い出す、もしくは念頭に置いて生活するようにする。

 

メッセージ受信系の本とかYoutubeは地球のやり方だと思って、でも応用できるところはあるから応用して使うようにしよう。そういえばアリス・ベイリーが言っていたイリュージョンとしてのグラマーってのも、つまりは例えば「チャネリング」と言えばその言葉が歴史的に持っていたり人々がその言葉にアクセスする集合的無意識のようなものにアクセスすることになるので、本来の直感や考えていることとの齟齬が生まれるようになる。

 

そこに気がつかないと言葉に操られてしまう。例えば「あの人凄い!」という感覚があったとして、その「凄い!」というのは「その「凄い!」という感覚をあなたは分かっておりませんね」と凄まじい手さばきでタロットを切るベテラン占い師は俺にそう言ったのだった。このベテラン占い師、あくまで占いは統計なのだと言う。でも明らかに霊感なのか能力なのか、読める力で読んでいるとしか思えない。そういう占い師に出会う確率は少ないのだが、俺は出会える確率が高い。

 

直接師事を受けていなくてもそのリーディング結果が結果的に導師のようになることがある。そういうシンクロニシティがガンガン発動しているときはそれが当たり前になるのだが、感謝の念は絶対忘れてはいけない。俺が凄いんじゃなくてプレアデスでは当たり前のことだからってことだろう。

 

本来の役割や使命に目覚めることは胡散臭いスピリチュアルにハマらない最高の免疫になる。そもそも金儲けが目的のものなんてすぐ分かるようになるし、適当なことを言っている占い師もすぐ見抜けるようになる。スピ本でも適当な情報の寄せ集めというのがすぐ分かるようになるし、でもその一方で自分は宇宙人だというスピ本もびっくりなぶっ飛んだ世界があるから、でもそれが事実なのだから適当なスピ本に騙されることも満足することもない。

 

ただ人畜無害で割と良いことを言っているものに関しては良いと思う。本自体が著者の紹介になっていて40万円ぐらいのセミナーに誘導されるようになっているような本は大体ダメだ。なんでその40万円の情報を数千円で買える本に書かない?「ウォント」というGreedは罪だ。これがただですら霊性が低い地球人の霊性をさらに下げることになる。

 

お金は結果ついてくるものだ。GreedでWantすると何もかもが曇る。それが今世でのミッションになっている人はともかく、画一的にみんなそっちに向かうのは違うだろう。それは価値観の多様性なのではなくてここのミッションの違いだ。そこを受け入れることができるかどうかで人生はだいぶ変わってくる。一人一人ミッションが違うのは当たり前のことなのだ。

 

ヒルデガルトのような歴史の残るようなチャネラーもいれば、最初にウニを食べた人みたいに、それにチャレンジしたのではなくウニは食べることができるという情報を持っていた人もいる。所謂未来人だ。でも未来人が全部の情報を知っているのではなくて、断片的に分かっていることがある。でもイリュージョンの中で「そんなことはありえない」とされるとそのイリュージョンに巻き込まれることになる。

 

人の目を気にし出すと恐らくもうダメだろう。「これじゃあキチガイだ」となりかねないから。でも正気を保ったままぶっ飛んだ情報を扱えたりそれが所与のものだと自分の常識にできる人はそうしたほうがいい。でも人には言わないほうがいい。ぶつかるのが目に見えている。

 

ぶっ飛んだ情報も当たり前になるとそれが自然になる。ぶっ飛んでいると思うのは地球的発想だ。でも別にどちらが偉いとかではないから、個々が幸せにやっていければそれでいいに決まっている。ただ目に見えることしか信じないという常識に囚われて生きづらさを感じている人は宇宙なり別の星なりハイアーセルフなりなんなりにアクセスするという方法もあるのだということを伝えたい。

 

「何いきなりスピリチュアルに傾倒してんの?」とか言われないから大丈夫だ。そんなの誰にも言わなくていいし一人でやるもんだから誰かにバレることはない。スピリチュアルと真実は似ているようで違う。ニューエイジやスピリチュアルは一種の地球的パラダイムで真実は己の中にしか存在しない。個々の役割が違うから真実は人の数だけ存在する。宇宙が人の数だけ存在するのと全く同じことだ。

 

あと学びについて。なんでも本から学んだりYoutubeから学ぼうとするのは地球的発想で方法が退行催眠であれなんであれ元々顕在化していない意識層に存在する言わば「元々持っていたもの」にアクセスするほうが有益な情報が得られる。例えば霊感をつけるために努力する!というのは地球的発想で、そのためには荒行をしなければいけないとか断食をしなければいけないとか、でもそれは元々あったものを思い出すだけで何かを授かるということはないのではないか?

 

「得る」のではなく「思い出す」のだ。それは別に荒行をしなくても「思い出す」ということに必死になっていれば思い出せることがある。ただ社会生活を送れなくなる場合があるので注意が必要だ。こいつ(俺)はそれは気にしていないのでやりたいようにやれるようである。

 

前回のチャネリングはエッセネ派の話のところだったかな。そこは現世での話で、ただ存在は宇宙で入れ物として人間の体を使って何回も転生を繰り返しているので、ただその前というかだいぶ前がエッセネ派だったというだけだ。占いについてはあれだ、もう見えている人が師を探しても不毛かもしれない、ということが分かった。白紙の上になら師の占いの手法や技術や秘伝を書き込むことができるかもしれないが、すでに読めている人が別のリーダーから師事をしてもらうのは直感がぶつかって頭に入ってこない。

 

これは華麗なタロット捌きのベテラン占い師が俺に語ってくれたことだ。自分の認識がそこまで言っていると直接に師弟関係になるわけではないが、そういう認識レベルのことを教えてくれる人や出来事に偶然出会うことになる。これには本当に感謝しかない。本当にこいつ(俺)は恵まれている。

 

全ての闇や個人的トラウマや心の傷を光に転化することができるようになっている。その転化や導きが言わば仕事だ。でもジョブといったような賃労働や食うための仕事というわけではなくてそれがお役目だ。それだけに限らないだろうけど。

 

占いの館を後にした俺の心はすがすがしくなっていた。そこまでのリーディングをしてもらえるとは思わなかったから。良い出会いに感謝だ。