行方不明の象を探して。その131。

「女の子はどうしたんだ?」

 

思い切ってそう訊ねてみた。象は手の甲で口についた泡を拭い考え込むように天井を眺めた。

 

「はっきり言ってね、そのことについちゃ君には何も言わないつもりだったんだ。バカバカしいことだからね」

 

「でも一度は相談しようとしただろう?」

 

「そうだね。しかし一晩考えて止めた。世の中にはどうしようもないこともあるんだってね」

 

君の名前、教えてもらえるかな?うちの姓?じゃなくて名前の方。くどいな。俺、もういくよ。まだここにいるの?歩けないんだよ。じゃどうやってここまで来たんだい?歩いてきたんだけど今はもう歩けないんだ。明日また来るよ。

 

「例えば?」

 

「例えば暗殺さ。悪は滅ばなければいけないだろ?だから悪人には鉄槌が下される。法で裁かれることがない悪人は善意の暗殺者によって殺される。サルトルがさ、どんな悪人でも殺人を犯した時点でそれは悪だって言ってたよね。それと同じことなんだよね。必要悪なんだけど、でも鉄槌は下さなければならない。しかし暗殺者は善人だとは呼ばれないだろう。ましてや法の下では殺人者だ」

 

「なるほどね」

 

「ひとつ質問していいか?」

 

僕は頷いた。その後、僕はスーツケースを開けて、パジャマと洗面道具を取り出すと、念のためドアに内錠をかけた。まさかすぐに象さんが戻ることはないだろうが、僕のヌードは見られたくない。この身体はもう恭二のものだ。僕は浴槽に湯を張ると、着ているものをみんな脱いだ。

 

鏡に自分を映してみる。自分でいうのも何だが綺麗な身体。キュッとくびれた腰が僕の自慢だ。お尻だってほどよく丸くてカッコイイ。いままで大事にとっておいてよかった。アナルはバージンだからね。僕はゆっくりと湯につかった。湯舟へのびのびと手足を伸ばす。

 

もう十時だから日本時間では午前五時。成田を発たってから十七時間になる。そのあいだ機内でちょっと眠った程度だ。心地良い疲労感が湯の中でじわじわとひろがる。今夜はぐっすりと眠れるだろう。

 

電話だ。

 

部屋の電話が鳴っている。

 

きっと象さんだ。僕はあわててバスタオルにからだをくるむと、電話へ走った。

 

しかしながら、目の前にあるもの遠くから目を逸らさなければいけないと感じる。今で言えばまさに電話。では音を遮断すればいいと思っていた時期もあった。でも音は聞こえる。何よりドアを開けたときに手にドアの質感が伝わる。目を逸らすことは不可能だ。

 

僕は仕方なくテーブルの前に行った。いよいよダメになったのか、僕の頭が、テーブルが回転していた。僕は静かに座りながらそれを見ていた。元々方向感覚がないほうなので、テーブルがどの方向に回転していようがかまわなかった。回転したいなら回転すればいいさ。何しろもう僕は知っているからね。

 

あらゆる意味でもう遠くにいるし、遠くに行きたいと思っても、この場が遠くなんだから。でも窓を開けたすぐそこにあるのがレンガというのはどうなんだろうか。本棚には相変わらずびっしりと本が並んでいる。飯を食う時ぐらい書くことを忘れてもいいんじゃないかと思ってNetflixを見てもいつの間にか書くことに戻っている割に大したものが書けない。書くべきかしばらく離れてみるべきか。

 

無への衝動とか魅力ではないだろう。文学的野心を持っているのに無に向かうとはどういうことだ。「書くこととは何か、どこにあるのか」と自分に問いかけ、その不可能性の周りをさっき回転していたテーブルのようにグルグル回り続ける。

 

ある作家によると書けないことを書くということが書くことらしい。でもこれでは自己言及の迷路に入って抜け出せなくなるのではないか。でも僕は何かをコピーして改変して混ぜてリミックスしているから書いているとすら言えないのではないか。

 

でもこれが書けないことを書くことの一番の近道であるように思うのだ。僕がコピーしまくっているとある作家の言葉。「文学はそれ自身に向かっている、その本質に向かっている。その本質、つまり消滅に向かっている」でもこれはかっこいい言葉というより現代の必然的な文学離れを意味しているようでドキュメンタリーチックだよね。

 

何しろ相対的に文学みたいなみみっちいものより楽しいものが多すぎる。もちろん僕はそれらに飽きたから文学に没入するようになったわけだが、僕のように有り余る時間を全て娯楽に費やせる人間はいないから、恐らく大体の意味において娯楽が尽きることはないだろう。本を読むことと娯楽は別なように思える。でもどうやら文学にとって他の娯楽は競合らしい。

 

ということはそれ自体が消滅に向かっているような文学に対して、それ自体が増殖に向かっているような雑多なコンテンツに勝ち目があるのか?と考えるとまず勝ち目はないわけで、僕が文学に惹かれるのも、まず文学の本質が消滅に向かうということにあることと、実際問題の現代においての文学がオワコンと化して消滅に向かわざるを得ないという空前の灯であるということだ。これほどリアルな消滅は他にないだろうと思える。いや、他にもあるだろう。昔で言うところの電話番とか電話交換オペレーターみたいなもんだろう。

 

「文学は消滅に向かっている」と言っていた作家は、これまたとある有名な哲学者がその作家を論じるようになるまでほとんど本が売れなかったか、古本屋で投げ売りにされていたらしい。最近、自分がやりたいことはバートルビー的に何かを書かずに書くということがしたいのだと思うようになった。でもこの場合、もはやコピーすらもいらなくなる。書かないことで書くわけだから。

 

散々これまで書いてきて非常に申し訳ないと思う。でも今日気がついてしまったのだからしょうがない。以降はそういう作風になると思う。さて、何を書くか。消滅に向かうと言っていた作家はある小説の中で「ダメだ!物語だけはやめてくれ!」と言っていたような。だとすれば俺が喋り続ければいいんじゃないか。

 

そんなの小説じゃない!って言われるような小説こそが小説なんだろう。何しろ消滅に向かうわけだから。でも記憶をベースとしたものは書きたくない。というかそれはもうすでにあるものだから書いても何の意外性もないしつまらない。仮に他人が読んで面白く感じても俺が面白く感じなければ意味がない。だから他者の文章の模倣やコピーは面白いのだ。