行方不明の象を探して。その136。

観測の過程として現象は現れるので、現実に見えるものや認識的に納得がいくようなもの以外のものの振る舞いが様々な現象を規定しているといっても過言ではない。というかそう考える方が自然なのではないか?なぜ人は「見えるもの」や「信じることに値するもの」にしか存在を認めないのだろうか?

 

全てが空間と時間の中に存在するなどと客観的に問うことは不可能だ。自然の姿というのは我々が合意しているリアリティなのであって真実ではない。しかし人間は特権的な行為者や全てに対する観察者ではない。全てが相互作用によって成り立っている。成り立っているという言い方もおかしい。人間が捉えられる範囲での宇宙意識によって認識できるものではそういう言い方ぐらいが限界である。

 

見えるものしか信じないなんていうのは人間の傲慢だ。例えば人間が犬並の嗅覚を持っていたら世界像も違うだろう。結果的に感じる世界が変わる結果、見える世界感が変わる。見えるものしか信じないというのは「まともである」というイデオロギーでもある。人間は見えないものからどんなに鈍感な人間ですらも何か感じているわけで、「これ」と指定できるもの以外で知覚していたり認識しているもののほうが物理的に存在するものを知覚する情報よりも多い。

 

松果体を鍛え上げる、というか、石灰化している、つまりは鈍化しているものをクリスタル並に戻すにはケイ素がいいらしい。ガチの先生に「飲むと良い」と教えてもらったサプリメントにはケイ素が入っていた。でもそれとは別にケイ素を買った。飲んだ次の日、親知らずが腫れてしまいには頭痛がしてきた。「何か意味はあるのか?」と思い、親知らずについて調べたら個々の歯は内臓と関係しているらしく、親知らずはなんと松果体に関係しているらしい。

 

「まとも」なら親知らずが歯肉炎になって腫れてるだけってことになるんだろうが、俺はこれを松果体のチャクラの活性化だと考える。でもそんなことを言うとアカデミックな人間や「トンデモ論を言うやつはアホ」などと考えている人間から相手にされなくなるので、つまりはそう思われたくないから完全じゃない発展途上もいいところの「科学」を信じて、そういう胡散臭い話は信じないようにする。

 

でも松果体のチャクラを意識してサプリメントを飲んで瞑想をして実際にチャクラが開いたらどうするんだ?これは「チャクラを開かせよう」と思っているからメンタルブロックが外れる結果、チャクラが開くのだ。元々の才能もある。でも才能があっても「そんなのあるわけない」って思っていたらそこにブロックがかかるので、そういう能力に開眼することはない。ないことはないか。いきなり見えるようになる人もいるからその辺は分からない。

 

それにしても驚きだ。パッと目に入った占いの館に入ってみると大体俺は宇宙人だと言われる。こないだの鑑定で決定的だったのはって前に書いたっけ?俺の本体は宇宙にあるとのことだった。納得だ。先生方からは幽体離脱するから気をつけろと言われているけどそれはそう言われているから信じているだけで、実際は本体は宇宙にあって俺はルーターというか、ドローンみたいなもんだから幽体離脱しようがないわけだ。

 

これなら安心だろう。ヤバそうな瞑想法とかをガンガン試せるし魂が抜けることがないから何でもできるだろう。でもまぁ地上に居場所がどこにもない理由もよく分かった。自分は宇宙人だと考えた方が認知的整合性が取れるんだったらそっちのほうがいいだろう。キリストの生まれ変わりだなどという誇大妄想とは違うわけで、ただオリジンが宇宙というだけなんだから、そこに「俺は他とは違う!」みたいな優越性はない。

 

でもなぜ人は白黒つけたがるのだろう?それは脳が作り出した錯覚だといってもそうでは説明できないものが色々とある。そういうものを信じないと決めつけている人間がそういうものを否定するときの理由が雑過ぎる。というよりこれは逆でそういうものがあるかもしれないから信じないという風に決めて人生を歩んだ方が都合がいいからなんだろう。俺が自分を宇宙人だと思うのと理由は変わらない。

 

誰々がこういう経験をした、でもそれは物理的にありえない、でもそんなことは起こるはずがないからそんなことはないっていうことはその「誰々」は嘘つきだと言っているに等しい。酷くないか?「俺の友人がこういう体験をして・・・」っていうその友人を嘘つき扱いするわけだからね。

 

あと全ては脳と言うけれど人間の脳ってそんなに凄いのか?俺は人間は大したもんじゃないというか宇宙から見たら糟みたいなもんだから凄いとは思わない。だから脳以外のところで脳が追い付かないような凄いことが起こっていることのほうが当たり前に思える。あとは時代だろう。もっと科学が進んで超常現象の類だとかUFOだとか宇宙人だとか「あるわけない」とか「謎」とされていたことが全て判明したらそりゃ白黒はっきりするだろう。でも計測不能だったり検証のしようがないものを全て嘘とか脳の錯覚とか幻覚にするのは無理がありすぎるだろう。

 

というか科学はデフォだ。それありきでただ分からない世界ってもんもあるに違いないって思うのが真摯な態度だろう。分からないものは存在しないってのは独我論の極みだろう。そんなものはあるわけないというものを信じているものはバカだと思っている人間を、あるわけないものを感じたり見たりしている人間の側はバカだと思っている。両者が分かり合うことはないだろう。

 

ただ頭がお花畑だったり頭が悪そうなスピリチュアル世界ってのはあるので、そういうのを軽蔑する気持ちはよく分かる。俺も軽蔑しているからね。でもそういうものと実際の見えない世界は違う。精神世界ともまた違う。なんたら世界なのではなく、それは事実で現実だからだ。

 

だからそういう意味で「何たら系」とか「唯物論系」とかなのではなくて、リアリティの把握の範囲が狭いか広いかっていう違いだろう。でも別にどっちとは言わず、例えば親知らずはただの歯肉炎だったのかもしれないし、松果体のチャクラが開きかけているから親知らずが生えてきているのかもしれない、っていう両方の可能性を同等に持っているってことで解決しないんだろうか?でも客観性に生きるとこの三次元世界というのは凄まじく退屈なので俺は宇宙人的リアリティを選んだ、というただそれだけのことだ。だから親知らずが生えてきたのは松果体のチャクラが開きかけているからだ。

 

短絡的なスピリチュアルも弊害があるので、こういう所謂、精神世界と言われる領域のリテラシーも必要だと思う。ガチなものはガチで実に現実的なのだ。スピリチュアルみたいにキラキラしていないしただ即物的に普通では感知しえないものがあるというそれだけなのだ。例えば先祖の霊が祟るだとか水子が祟るだとか、俺は宇宙人なので地球的な霊界の話は分からないが、普通に考えてなんで先祖が墓参りをしていないからって理由だけで祟ったり怒ったりするんだろうか?俺が仮にその先祖本人になって子孫が自分の墓参りに来なくても俺はなんとも思わないだろう。ましてや血縁関係にある子孫を祟るなんてことをするわけがない。

 

水子が祟るってのもそもそも地球に生まれていない赤ちゃんがどう母親を祟るんだろうか?まぁ放っておいていいわけじゃないんで供養をするのはいいかもしれないが祟ることはまずないだろう。見えない世界系の話がヤバいのは霊感商法だの祟るとかって勝手に言っておいて法外なお祓いの金を請求したりすることだろう。だからこういう見えない世界のリテラシーは大事なのだ。見えない世界だからといってなんでもかんでもぶっ飛んでいるわけではなくて、そこにも当然、人間世界と地続きのロジックがあるわけで、自称霊能者の話を真に受ける理由なんてないのだ。

 

あとはあれだ、パワースポットにしても包括的な運気のリテラシーが無いと意味ないだろう。例えばパワースポットに行って神社だったらそこで何か祈願したりなんかして帰って来てパワーチャージ!なんつって例えばその帰りに友達とプライベートの愚痴を言い合ってたらそんなもん運気も糞もないだろう。そもそも普段からちゃんとしていればパワースポットに行かなくてもパワーは自家発電できるのだ。でも清い心を持っている人間は少ないからパワースポットとかが流行るんだろう。別にパワースポットを批判したいわけではないんだけど。

 

ただまぁお天道様は見ているから運気を下げたくなかったら良からぬことをしないことを徹底するべきだ。人に不快感を与えるというのも酷い行為だがそれはカルマとなって自分に帰ってくるから誰も得しないわけだ。逆に良い行いだけしてなるべくあとは普通にしているか悪いことをしないだけでもパワーチャージできる。そういう人間を神様とか神属性にある存在達は応援するから結局、俺が昔から言っているように「善くあること」が黄金律なのだ。結局はそれはもう聖書とかに書かれている原理そのものってことになる。

 

何より自分が「善くある」ということが霊格に繋がるとかって思って毎日修行だと思っていると周りの人間の俺に対する反応が明らかに変わってくる。まぁようはソフトで愛に溢れているから相手も優しくなるんだろう。善には奥深い哲学がある。精神世界のことを研究したり実践したりするより「善くある」ことを徹底したほうが次元上昇が早まって世界感が変わるから現実のクソゲー感もだいぶ変わってくる。

 

宮台先生が昔から批判している損得野郎みたいなやつはそもそものそいつの世界観がクソ過ぎる結果、そいつの人生がクソになっているわけで、それは自業自得ってやつだ。何かを変えたかったらまず自分を変えるしかない。現実がクソに思えるのはクソな自分の投影だ。当然意識も投影されるから「クソだなー」と思っている意識が投影されてまたさらにクソみたいな現実が続くことになる。時間が過ぎているのではなくて人間は時間を歩いているのだから、どういう意識で時間を歩くか?で世界も変わってくるのは当然だ。いきなり劇的な変化を望むのは難しいから少しずつでいいのだ。少しずつ変わっていけば。

 

こういう風なことを書いているとまた親知らずが痛くなってくる。松果体で書いているからだろう。半分はチャネリングみたいなもんなんだな。なんでも「脳」っていう思考を変えよう。なんでも「脳」思考は最低の唯物論的思考方法だ。ただですら糟みたいな人間の可能性をさらに下げることになってしまう。

 

2年前にガチの占い師に診てもらったときは「完全にイッちゃってるサイキック」と言われた。ただその「イッちゃってる」ってのを純化させて周りなどを気にせず突き進めばとにかくいいらしいということをその占い師は言っていた。逆に守りに入ると「死ぬ」とまで言われた。それは人間として糟になるってことの比喩だったんだろう。言われたときは「俺がサイキック?んー・・・」って感じだったが、今となっては素晴らしい鑑定と助言だったと思う。良い占い師に出会えるというのも、そもそもの日々の行いと「善くある」ことを求める力にあるのだと思う。

 

そういうものに俺は導かれているのだと思っていたが、その占い師は導かれているのではないと言っていた。俺がサイキックな宇宙人だから勝手にそういう道を猪突猛進で突き進んでいるからなんだろう。宇宙人の習性だ。でもサイキックってのは能力的には相当地上的なもので下位なものだと思う。俺は宇宙人なんだからアカシックレコードにアクセスするとか宇宙からメッセージを受けるとか、そういうことがしたい。透視も悪くないがアカシックがいい。

 

何しろ俺はルーターなんだから宇宙からの情報のダウンロードが天職なはずだ。というかこの比喩はどうなんだろう?モデムが本体で宇宙にあってルーターが地上にある、であってるのだろうか?この辺りもまた象にあったときに相談してみよう。あいつならまたなんか突拍子もないことを言いながらもたまに的を得たことを言うから、なんかヤツから引き出せそうな気がする。