行方不明の象を探して。その137。

確信めいたものがあるわけではないが、定式化された物理現象の中で発揮する人間のポテンシャルというのは限られている。そもそも物理空間や物理現象の整合性とマッチしたのが脳なわけで、ただ脳はそれ以外の情報も整合性を保ったまま、意味の崩壊という危険性を冒さずに「それそのもの」として見ることができる。

 

また親知らずの痛みが激化してきた。言葉自体がイデアとして純化することはない。イデアに届くのはロゴスだけだ。諸君は俺がいきなり神秘主義に傾倒し始めたと思うかもしれないが、根本は全く変わっておらず、善を愛するプラトニストであり、宇宙人の大先輩であるイエス・キリストに帰依するものである。

 

キリスト並の純度のロゴスのみがイデアに届く。人間が恣意的に使い続ける言葉はコミュニケーション手段としての言葉なのであってロゴスではない。動物の鳴き声とかと同等のレベルである。ロゴスは何も言葉だけに限定されるものではなく、シンボルや数やロゴスを直に受ける霊媒のようなものから発見されることがある。問題はそういったものを見聞きしたときに人間がそれをロゴスだと捉えられるか?なのだ。そこに直感や霊が見えるなどというものではない霊感が必要になってくる。

 

象は自分の想像の中で世界を活気づけて、それに何らかの意味を与えようとする試みは、大きな間違いであると考えていたようです。例えば、犬を小さいと思うのは、自分が思っているより犬が小さいからで、それは想像力が生じる場所から出る老廃物のようなものです。懐疑主義とも違います。そうやって系統立てないでください。これをそれそのものとして見て考えてください。


あなたはそれをやってみる必要があるのではないでしょうか?想像力を意図的に刺激する最初の段階は、自分が誰であるかを思い出し、健康を保ち、ネバーギブアップということなんですね。あなたはそこでやがて、純粋な至福の時を迎えるでしょう。


イメージは消え、夢は止むでしょう。そうしたらあなたは象を必要としなくなる。先生、ありがとうございました!あまり動揺していませんが、何かというと、難しい考えで、表現が難しく、安心とは程遠いですね! でも、念のため、あなたのカードは保管しておきます。あと言い忘れましたが、来週もよろしくお願いします!

 

僕は何を想像することはできませんか?どうして?ホワイ。夢の後、僕たちは紹介されたばかりだと言ったのにも関わらず、今更ながら友達になれたかも……と後悔しても、財布から家族の写真を 取り出して見せてるみたいに滑稽なことであって、友人と一緒にプレーヤー、あ、これはレコードプレイヤーですね、それを探しに行ったときの白昼夢も、それがあるような物語から切り離せない、彼女は珍しいと言っていたので、経験について僕たちに伝えようとすることを知っているのだが、彼女はあまり上手に話してはくれません。 車の中で、地平線上に、そして著作権の不思議。


そうした中で僕はどこを触っても壁にぶつかり、前進することは諦めなければいけなかった。この不安の中で、腕を広げ、自分の体を完全に壁にくっつけた。それは前に進もうとしない自分自身がそうさせているようだった。書けば書くほど文字数が少なくなる不思議。

 

「寒いわ」

 

彼女はゆっくりと寝がえりを打って鼻先を僕の右肩につけた。僕は足元に投げ捨てられたタオル・カバーを取って肩口までひっぱりあげてから彼女を抱いた。


僕は何か話している。しかし話しているのか。では僕はいったい本当に話すことができるのだろうか。不可能なものを起点とするこの話す能力、拳固活動そのものによって「埋める」べき無限の隔たり、このことにより重大なものは何もない。

 

「あなたは怖くないの?」

 

「怖いけどそこにフォーカスしても何にもならない。倦怠より怖さのほうがマシだと思えてくることもある。でもいざ怖さに襲われると倦怠のほうがマシだと思えてくる」

 

彼女は黙った。今にして思えば、この時の僕は、彼女の測り知れないトリックにまんまと乗せられていたのだろう。彼女の扇情的な妄想は、決して無意味なものではなかった。無意味どころか、それは、僕を精神的に刺激し、「自分の実存」への関心を極度に緊迫させるためのものであった。

 

思えばあの時の僕は、脳髄に凝固した過去の記憶を再生させることで、自分を刺激しようとしていたのだろう。それにしてもなぜそんなずっと残り続ける苦悩が、ここでの極限の連動においてだけでなく、すでにこのうえなく単純な発語についても生じるのか。


「いや」

 

「あら、そう」

 

「うん」

 

それを忘れるためにか、否定するためにか、あるいは表現するために、彼女が話すからなのだろう。


「なんかね、ずっと何年も前から怖さを感じるようになったの」

 

「形而上学的不安だよ。それは。誰でも潜在的に持ってるんだけど、それでもみんな生きているってことは、なんとかなるってことなんだよ。そう思っていれば風向きも変わるさ」

 

「本当にそう思う?」

 

「いつかね」

 

僕の頭はどこだそれはテーブルの上にある。僕の手はテーブルの上で震えている。僕が眠っていないことを彼女は知っている。風は激しく吹き、小さな雲はその前を滑っていく。小さな雲はその前に走り出す。 テーブルは光から闇へ滑るように移動する。闇から光へ。

 

彼女は背筋を伸ばし、再び僕を見つめる。 彼女はただ僕の名前を呼ぶだけでいい名前を呼ぶだけでよいのに。起きて、触って、でもだめ。僕は動かない 彼女は不安を募らせ、また震え出す。


「何度もそう思おうとしたわ。でもね、いつもダメだった。人も好きになろうとしたし、辛抱強くなろうともしてみたの。でもね……」


そう言うと彼女は眠った。

 

これで僕の話が終わるのではないのだが、もちろん後日談はある。象はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年のは寝ているうちに原稿が勝手に出来上がる作家の話で、一昨年のは零という女の子を冴子先生がカウンセリングする話だった。原稿用紙の一枚目にはいつも

 

「ハッピー・バースデイ、そしてホワイト・クリスマス」


と書かれている。

 

もし例の顔の無い作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろうと、まで言うつもりはない。けれど僕の進んだ道が今とはすっかり違ったものになっていたことも確かだと思う。

 

信号が変わった。意識ははっきりと溌溂としている。歩道に立っている。機械的に歩き出す。頭がはっきりとし過ぎている。仕事場へ早く戻らねばならない。彼の死後長い間、死というものは僕にとっては彼ら職人たちから吐き出されていたあの嫌な汗の匂い、そこに住み続ける薄明かりに包まれつつ狭いロビーというよりむしろ通路を満たしていた嫌な汗の匂いを保っていたのだが、その薄明かりは彼の仕事部屋がそうであるように、日差しや暑さを恐れて計画的に絶やさぬようにされていたわけではなくて、そこは必要欠くべからざる蚊よけの網戸をつけてあるドア、そして棚下通路に面するドアからしか光が射し込まなかったからであり、したがってドアが開いている時でさえ、そこに入り込んでくるものと言えば、すでもう暗くなり緑色っぽくなった上に、さらに彼の仕事部屋の壁に張ってあるのと同じオリーヴ色がかった緑色の花の模様のついた陰気な壁紙に吸い取られてしまう光だけなのであったが、彼はその仕事部屋で彼自身もまた一種の死の中の人物であるかのように、電球の黄色っぽい薄明かりに照らされながら、書物の小さな山を前にして座り込んでおり、すると緑色がかった灰色の亡霊がひとりまたひとりとはいってきて、疲労の匂い地下室の匂いの立ち込める中で、カサカサという紙の音チリンという金属の音が聞き取れるほんのしばらくのあいだ彼のそばにたたずみ、それからまたそこを出てゆくのだった。

 

これから見せられる僕の過去の形見は、実を言うと、僕とは何の関係もない他人の形見なのだ。この正体不明の冷血で凶悪なサイコパスがどこかに潜んで描いている、猟奇的で残虐な犯罪の形見。そんなものを次から次へと見せられて、僕はどうすればいいのか。


小柄な男は、白い襟のついた上着に黒いズボン、古い靴で作ったスリッパという、見慣れない格好をしていた。後から入ってきた看護婦は、部屋の中央に湯気の立ったボウルを置くと、その横に畳の椅子をにぎやかに広げた。と、気がついて起き上がって机の上を眺めた。そこには二本の原稿があった。


徹夜で仕上げようとした作品だが行き詰って脳を休めるためには眠らねばならず寝るためには薬の力を必要とした。いつものことだが。医者には飲み過ぎないように言われていた。耐性がついてしまって完全な薬物中毒になってしまうらしい。一時期はそうだった。普通の人間だったら死ぬ量をウィスキーと飲まないと寝れないときもあった。それに比べると今はだいぶいい。悪くないと言ったところか。

 

音楽作品は作らなくなったのだが、ユーティリティ的な作家性がない機能性に特化した自分用の入眠に適した音源などを作っていたらそれが最高だと感じた。表現とか作家性を取り除いて機能性だけに特化すればこんな良い作品が作れるのか。ただそこに俺はいない。ただ入眠とかラリることに特化した音源が存在するだけだ。

 

何かを表現するたびに過去のものをなぞってしまうというジレンマから抜け出せないのと、本当に才能のある音楽家は別として、凡庸な作品ならAIが勝手に生成することになるだろう。だから音楽にロマンなんていらないわけだ。何かを見ようとするときにまず宇宙的視点に立つか、やっていることが宇宙的なことで、それを地球で何かしらの仕事なり活動としてやるということは人間レベルにまで宇宙レベルものを矮小化しているのだということを忘れてはいけない。

 

人間から発するものは3次元の制約を受けすぎているから大抵つまらない。とりあえず今の目標は五次元だ。科学なんてどうでもいいので意識体が存在する次元もあると時間という次元を入れれば5次元だろう。物理学的な意味での5次元とは全く関係ない。

 

現実に飽きるというのは長年の悩みだったが、単純に意識を拡張すればいいことが分かったので、そのワークに取り掛かっている。やりがいがあるし色々な発見もある。何しろ本体が宇宙にあることでやり過ぎて発狂することがないということが分かったので本当に良かった。