行方不明の象を探して。その143。

がぶ飲みするのに適していないウィスキーなのに美味しいからいつも多く飲んでしまう。これで悪酔いしたことがない。飲み過ぎたと思った時も二日酔いしない。味を想像しただけでも唾が出てくる。アードベッグは思考費としての域を超えドラッグとして認識されつつある。他のウィスキーだとそうはいかない。そんなに飲もうと思うほど美味しくないからドラッグにならない。

 

グラスを一気にあおるとフランスの煙草のような後味がする。煙草を吸わなくてもここまでスモーキーな味わいを楽しめるウィスキーなんて他にあるはずがない。入眠用の薬を相当飲んだのに立て続けに二杯目三倍目と流し込んでしまった。だんだんラリったような酩酊感が出てくるものの、この感覚に慣れるとそんなに特別なものだとは思えなくなる。全ては馴化する。

 

結局、頭の片隅にあるのは書きたいものを書きたいという欲求だ。ご神託の通り作為の不在として書くのだろう。でも明日だな。書くのは。でもこの状態になるとご神託を書くような気がする。でも身体が持たない気がする。医者にこれを続けていると死ぬと面と向かって言われてしまったからな。

 

気がつくとバーにいる。だが気分がいい。少なくともここでは自らの石で酔い自らの意思で眠り、意識を失っているらしい。気分的に楽ではある。しかしここまで楽では書きたいものが書けない。これはつまらない。適当に時間を潰したらまた戻ろう。でも今はここにいるのも悪くない。

 

店内を見回した。昔ここは冴子と二人で飲みに来た店だ。懐かしい、といってもそこまで昔ではなかった気がする。酔って意識を失っている間にここへ来たということは思っている以上に彼女を求めているということだろうか。夢やこういう意味不明の意識状態ではプリミティヴな欲求が先行する。

 

好きな女と一緒にいたい、認められたい、大金持ちになりたい、でも意識が戻るとそういったプリミティヴな欲求は消えて、ひたすら書きたいということだけが頭の中を周り続ける。実益は一切ないのだろうが、夢の中の欲求より現実における欲求のほうが楽しい。普通は逆な気がする。そういう意味では恵まれている。書くことがあってよかったと思う。

 

酔っているのは誰なのだろうか。殻のようなものだろう。書くための機械としての殻。だから書く以外の存在価値が無いのも頷けるし、書く以外のことをしていても全く生きた心地がしないのはそういうことなのだろう。

 

次に気がつくとトイレの中にいる。夢の中の夢か現実かどちらでもいい。何をしに来たのだろう。個室のドアを開けっぱなしにしたまま便器を椅子代わりに眠ってしまっていたらしい。夢は見なかったようだ。心地よく揺らぐ光の世界にいるようなので現実ではないのだろう。悪くはない。酔って眠ると夢を見ないのだろうか。さっきはバーにいたのだから、あれは酔った夢だ。

 

その中の夢では酔った状態では夢は見ないのか。それとも家の外で眠るから夢を見ないのだろうか。でもこれが夢ではないという証拠はない。少なくともここでは非人称的存在や象の気配は感じない。何度も言うようにだからこそ気分的に悪くない。気が楽だ。しかし存在の意味が完全に抜け落ちた感じがする。現実に戻った方がよさそうだ。

 

「お客さん、お客さん」

 

次に気づいたときまたカウンターにいた。まどろみから抜け出したくなかった。外は苦痛と喧騒でいっぱいだ。なぜそっとしておいてくれないのだ。思い出のカウンターの眠りを。安らぎは今のこの眠りの中にしか存在しない。

 

「お客さん!」

 

その手は頑なに揺らし続けた。意識はようやく浮かび上がってた。よこには困り果てたバーテンの顔があった。昔いたバーテンではない。彼ならお客さんなどと呼びはしない。

 

「もう閉めたいんですがねえ」

 

「あ、ああ」

 

口の端に残るヨダレを気取られないように拭いた。何か夢を見ていたような気もするが何も思い出せない。ダンカンコノヤローとたけしが言った。ポケットから財布を取り出してカウンターへ金を置いた。目の前には空になったボトルがある。ボトルの沈黙。そんなもんが地球を横切って移動することを知ってどうなる?でも酔っぱらうとそういうことが分かるようになる。

 

もはや何が起こるか分からない、それは沈黙の色だ。持つ手が消えたペンのような。ペンが書いているというより地球が書いている感じだ。沈黙の色というより土の色だった。

 

「釣りはいいよ。悪かったね」

 

「いえ、とんでもない」

 

バーテンは苦くて律儀な笑みを漏らした。自分の体の中のアルコールとイメージの明るい署名されていないメッセージ。想像してみるとまた僕は彼の部屋を発見した。あと聞き取れないものは欠けていった。ブラックホールに放出された精液のように、部屋全体が部屋の隅を持ってひっくり返るようだった。

 

一瞬気持ち良くてすぐ気持ち悪くなる。窒息するような言葉を最後に僕は店を後にしようとしても身体が動かない。グワングワンする。廃墟からミントの木が根付くだろうだとかなんだとか、いろいろな追憶だよね。でも僕の不在を横切って冴子は俺を走らせた。言葉の不可能性の上に横たわる渋谷の街を夢見る。実際はつまらない街、渋谷。つまらなくなった街、渋谷。街というよりかはただの通り道のようになった街、渋谷。

 

「おれ、寝てる間に何かやった?」

 

「いえ、別に」

 

愛想のないままのニコリともしない表情だ。

 

「ただうなされてるみたいでしたけど」

 

「領収書をくれ」

 

何とかその場をつくろって店を出た。受け取らないという選択肢はない。良いと思ったものは良い。テープで録音してディストーションをかけて良かったらそれでいい。売れる必要はない。そんなことを考えていたら酔いは醒めてしまった。あーあ。確かにそれはノイズに似ていた。

 

何の録音でもよかったのかもしれない。結果オーライ。少なくとも幸せな気分ではない。何も起こらなかったように生活を続けたとしても象のことが頭から離れることはない。そういう場合はVRだ。結局、ベターな使用法はプラネタリウムのソフトを三倍速にして星を見続けることだ。プレアデスに帰りたい。でもロバート・モンローはプレアデス生活がつまらないから地上に来たのだという。だとすれば地上にいるプレアデス人は何らかの理由があって地球に転生したのだろう。

 

俺のサビアンは

 

「魚座22度  シナイから新しい法則を持ち降りてくる男」

 

松村潔と同じサビアンなので、俺がタロットや占星術に異様に興味を持つのも分かる気がする。それにしても風水や四柱推命や易などの占いにはハマらなかった。タロットと占星術だけに惹かれる。自分のアスペクトの一部が仮に

 

「リーダーシップを発揮してバリバリ会社で活躍する」

 

だったとしたら占星術は信じなかっただろう。自分でも驚いたのだ。ネイタル見たときに。「これは俺ではないか!」と。でも例の死神曰く俺の寿命は62歳らしい。今までやってきたことはなんだったのか。もちろん実学ではないものにせよ役に立ちまくっている。でも能力開発に10年かかるとしたら現役で何かをやれるのは10年ちょっとってことになる。長生きなんてしたくないと思っていたのだが、今は死ぬほど長生きしたいと思う。

 

でも今は風のことで悩まずに済んだ。そもそも風による移動は我々にとって自然な営みのはずだが、いつのまにか不便に感じ始めていた。街は朝の空気っぽくなりつつある中で、その生き物は文字である我々に話しかけてきた。音でしかなかったので名前はなかったのかもしれない。人間も象も我々も表面上には何も起こっていないフリをした。夜が明ける。朝になる。クソ、負けるものか。久々に創作意欲をかき立てられた。その日の夜は満月だった。少し寒かった。