「笑っているのは君だろう」
「だって楽しいじゃない?徹夜でダイヤモンドを磨くんでしょう?」
ヒステリックな冴子の笑い声は止まらなかった。
「磨くってより叩くって感じだな。中東ダブだもん。ムスリムガーゼって。ぎゃははは。飛び方が完全にアレやんな、幻覚系だよね。下手すると気持ち悪くなるタイプ。たまにパーティーで慣れないやつが幻覚系とアルコール同時摂取してゲロってたりするけど、アルコールか大麻かLSDか、どれかにしろよっていうさ」
「わけがわからないわよ」
冴子はカウンターを叩いでゲタゲタと馬鹿笑いした。冴子もまたこういうサイコタイプだったのか。知らなかった。でも冴子が喋っていることが自分が喋っていることのように思えるのはなぜだ?なんかエコーのような感じがする。白いタイル張りの部屋の真ん中に真っ赤な絨毯が敷いてあり椅子が二脚並んでいる。
本当の冴子は呆れているのだと思う。酔い過ぎたかもう精神がダメになってるのかよく分からない。それがどのようないきさつで今、目にしている姿になりかわったのかを考えた。これが夢である可能性もあるからだ。そしてダメになるほど追い詰められていないしラリっているわけでもない。冴子は車を降りた高層ビルから少し歩いたところにある喫茶店へと向かった。常連なのか、店前の髭面の男と無言で挨拶をすませると堂々と中に入っていく。
冴子は売れっ子作家だ。言うことに説得力がある。誰かとは大違いだ。腹が痛くなるほど笑い転げた。マダム・エドワルダみたいに冴子さんよ、おしっこしてくんねーかな。素面で書いた文章を泥酔で上塗りする男。クソの上塗り。うんこだらけ。
「今こうしている間にも日本全国全世界でどこのご家庭でも左手が5人の恋人になってうんこをこねて踊り狂ってるわけだ」
「ちょっと忙しすぎるんじゃない?」
「そんなことないよ。実質仕事はないから」
「じゃあどうやって生活してるの?」
「さあ、どうしてるんだろうね?こっちが聞きたいぐらいだよ」
冴子は前を見たままこちらを向いた。どうやって?冴子は黙ってバーボンを舐めた。飲んでない。今気づいた。猫みたいだ。二人はしばらく黙って飲んだ。俺以外の二人だ。だーれだ?痙攣してアへ顔になってる冴子のイメージがあるのに酒に強い冴子は全く酔っぱらってないようで、しかもそんな淫乱じゃないし、困ったもんだ。イメージの奔流。
「ホント、意味が分からない」
冴子は小さな吐息とともにそう言った。裸で何が悪い。クソ野郎死ねって言ってるように聞こえる。どうせ俺が何を書いたって無駄なのは分かってるさ。なんたってあんたは売れっ子作家だからな。冴子さんよ。
「あたしそういう作家ごっこする人、大っ嫌い」
その言葉に引っかかった。
「自分が作家だなんて思ってないよ。ただ真剣に取り組んでるつもりなんだよ」
「あたしにそんな趣味はないわ」
「趣味?趣味って?」
「仕事しなさいよ」
「書くのが仕事だ」
「それは仕事じゃない」
「じゃあ真の芸術家らしくちゃんとしなさいよ。あたしだって常に死に物狂いで戦っているのよ!」
「俺は戦ってないってなんで君が言えるんだ?」
「戦ってる人間にしか分からないわよ」
彼女は冷ややかに笑ってこちらを見た。おしっこはしてくれなさそうだ。
「俺が言ってることは事実だよ。さっき夢だとか言ってただろう?夢じゃないんだよ」
「例の遺骸的類似?言葉酔いしてない?酔うのは酒だけにしておけば?」
「なんだと!!」
「大きな声を出さないで」
冴子は目を逸らした。
「わかったわよ。やっぱりあなたは疲れてるのよ」
「まるでモルダーとスカリーじゃないか!俺がモルダーだってのか?俺だって超常現象なんて信じちゃいないさ。ただ起こったことは事実なんだよ!」
バーテンと客がこちらを見ている。ヒートアップし過ぎたようだ。実際、自分もあれが事実なのかどうか分からない。他のことにしても夢か現実か区別がつかないことが多々あるわけだから。
そもそも俺は、市民的不服従行為によって起こりうる法的結果を人々に知ってもらうことが重要だと感じている。だから書くのだ。書く目的は、人々に威圧感を与えたり、過激な行動を起こさせないようにすることではない。メンタル界への不法侵入。要求に応じてコーザル体から出ることを拒否したこと。
「もういいわ」
「違うよ、冴子、違うんだ」
「アムステルダムにでも行っていい大麻いっぱい吸って吸ってー吐いてー」
「すーはーすーはー」
「ラリって来た?」
「元々ラリってる。世界が虚構過ぎて耐えられない。それでもまだまともにやってるほうだと思うよ。麻薬漬けになりたい!いいや!俺のこと知ってるだろう?そんなことしてたら逆にもっと気が狂うんだよ」
「あなたは疲れているわ。でなきゃあたしの話をだって聞くはずだもの」
「君のこと?」
「そうよ。あたしスペインへ行っちゃうって言ってるのよ」
スペインって大麻合法だったっけ?あれだよな、若者が昼間っから酒飲んでるイメージしかないよな。もう世界は終わりだぜ。労働とかやめてみんなラリってればいいのに。彼女も海外でハメ外すのかな。それでオマンコハメハメ?
ブラヴァツキーのドグマに陥ることはない。メンタル体だのコーザル体だの。あれはイメージだろう?意味分からないだろう、なんでアストラル体の上がメンタル体なんだい?違ったっけ?どれが上とか下じゃないんだよな。エーテルというのは目に見えないというか見える人もいるまぁ大雑把なエネルギーとか鑑賞する媒体とかチャンネルのようなもの。
アストラルとかメンタルとか細かく分かれてないよ。体外離脱した人の話を聞けば明らかだろう。まぁ一番いいのは経験から分析することだね。やっちゃいけないのは経験したものをドグマに照らし合わせて合致させること。こりゃ勿体ない。タロットも占星術も直接的に経験してその上で作り上げるほうがいい。解釈辞典みたいなのはリファレンスでスタートポイントだけど最終的に自分の物を作り上げないとモノにならない。
「アルゴリズム的な占いなんてChat GPTとかでできるようになるっつーかもうすでにあるらしいからね」
「アスペクトにせよサインにせよ解釈が一意的だったらAIにやらせりゃ済む話だ。その上での助言もAIのほうが上手くなったりしてね」
「だからやっぱり直感、霊感なんだよ」
「でもその肉体的なものではなくて降りてくるものとか宇宙的なものだね」
「タロットはどうなんだい?」
「ただのランダム性なのかシャッフルしたり引いたりする時点で気みたいなものを入れてたり降りるような精神状態にあったりするか、とかだよね」
真顔で素っ気ない感じ。
「ただのランダム性から読むだけだったらこれもAIで終わりっすわ」
姿勢を変えないで胸元を強調。
「あたかもタロットをシャッフルしたかのようにタロットを出せる方法なんていくらでもあるだろうからね」
世界の名所をミニチュアで再現。モリモリ来ないかな。寂しくて死にそう。
「霊視ってこと?」
蛇口が壊れたみたいに涙がこぼれだす、とか、「蛇口が壊れた」の部分いらないです。泣いているとか、涙がこぼれている、とかでいいです。
「いや、俺の場合は違うって言われた。そんな地上的なもんじゃなくて宇宙的なもんだって。だから焦ってるんだってば」
息を呑んで、とかもダメです。くだらない形容をやめましょう。ヘミングウェイみたいに書きなさい。無駄なきようにね。
「太陽と海王星のスクエアの典型なんじゃない?」
「そうだね。でもそれは土星と冥王星のコンジャンクションがあるから大丈夫だと思ってる。最近、もう物質世界にいられなくなったって思うのも完全なフェーズの変化だから」
「タロットで言うところの12番以降の宇宙って感じ?」
「そうだね」
VR元年が2016年だとして、そっからスカイリムとかFalloutのVRバージョンが出たんだけどまぁヴァニラじゃ話にならんってことでMOD前提なら神ゲーってことで。
「でもあれでしょ?バイオとかをVRモードにするパッチとかあるんでしょ?個人が作ってるやつ?」
「全然重くてダメだったけどグニャグニャだったけどやってみたけど凄かった」
「へぇー」
「へぇー」
空を見上げると、プレアデス星団が明るく輝いている。
「あれだよね、ホント、VRってソフト少ないよね」
「マジで。死ぬほど少ない」
「PSVR2はソフトが無さすぎることで有名だけどPCも正規ので言えばそんなに多くない」
「ゾンビとかシューティングとかあとパズルとかばっかでつまんないね」
「クソおもんない」
間取りはすこぶる狭く、これはたぶんマンションの一室だ。俺の明晰夢は夢であって夢ではない。リアリティの4畳半。
「やってないけどGTA5とかのまた有志のパッチがあってそれでVR化するとかね」
「ベースのゲームがあのぐらいじゃないとダメだよね」
「そうなるとやっぱりPCのスペックが追い付いてないっていうか、仮にそんな規模のゲーム発売してもPCスペック要求が高くなり過ぎて売り物にならないんじゃない?」
「そうだろうね。ハイエンドPC前提、なんていうソフトじゃダメだからね」
「スカイリムはやったの?」
「やったけどさ、オリジナルとリマスターと何十回やったか分からないぐらいやってるからさ、今更って感じよ。ちゃんとやれるのがスカイリムとFallout4ぐらいだね。でも両方とも死ぬほどやってるからVRは面白いんだけどしゃぶりつくしたゲームをやってるからおもんないってのがある」
こないだやりかけた掃除の続きをしようと思ったのだけど挫折した。モチベーションの問題ね、これは。メガテンの井の頭殺人のママのコメントみたい。
「VRってもっと帰ってこられなくなるぐらいの世界かと思ったら結局は今のテクノロジーの感じだと進化したゲームの延長って感じだね」
「まぁ研究所とかに置いてある装置レベルのVRだったらとんでもない体験ができるんだろうけどね」
「それを10万以下で売ってなおかつさ、ソフトも簡易的なのじゃなくて何百時間も遊べるようなやつが欲しいよね」
「まだ時間かかりそうだよね。あと3年でVR元年から10年だよ?全然進歩してなくね?2023年なのにスカイリムやってるってなんなの?」
「ほんまやね」
この部屋はやけに薄暗い。でもそこまで陰気臭くない。日影がさしている、といっても夜中だけどね。
「結局、一番凄いのってやっぱAVだよ。女優がベロチューしてくるからね」
「だね。しかも凄いクオリティのやつが1000円とかだもんね。でも特殊性癖のやつがまだまだ少ないねっていうか特殊性癖のやつって売れる数が限られてるから定価高いでしょう?」
「そりゃそうだよ。普通のAVに比べたら」
「だから俺はブーツの脚コキシーンがあるやつのそこだけのためにAV買ってるもん」
「スカトロは?」
「嫌いじゃないけど抜く感じじゃないかな」
「っていうかさ、自作AV作りたいよね。女優を生成して服装選んでプレイを選んで、ってまぁそのうちできるだろうね」
「AI生成グラビアとかあるからね」
「あれでも抜いたことあるわ」
「抜きに真摯だね」
「というか精液が溜まるペースとズリネタが生成されるペースがあってないんだよ。俺みたいに毎日シコるやつはオカズに困るんだよ」
「初耳だよ。そんなの」
「もう日本へは帰らないかもって」
「ああ、聞いたよ。で?」
「だったらなぜ聞かないの?なぜ行くんだとかいつ発つんだとか誰と行くんだとか」
「誰と行く?いつ発つ?なぜ行くんだ?はい、聞いたよ」
「もういいわ」
冴子はこちらに背中を見せた。ドラゴンのタトゥーがしてある。なぜ背中を見せたのかは分からない。勝気な彼女はこれまで涙を拭いているところすら見せたことはない。
「あなた、やっぱり疲れているのよ」
「もういいよ。その話は。信仰の問題だから」
「またわけのわからないことを言って」
「信仰があるから一晩で百枚近く書けるんだよ。そりゃ疲れるさ」
「誰も読まないわよ。そんなの。意味分からないもの」
「スペインに行けば分かるさ。宗教観の違いだよ」
「なにそれ。最低」
「何が最低なんだよ。信仰を持つことが悪いことだっていうのか?」
「そういうことじゃないでしょ!バカじゃないの?」
「え?バカ?なんだと?」
「なによ!」
「んだとこの野郎!!」
「分かったわよ!ごめん。だから大きい声出さないで」
冴子が低くくぐもった声で言った。
「ゴメン。悪かった」
「あたしが出ていく?それともあなたが帰る?」