行方不明の象を探して。その150。

その虚無、空白、空虚さは非常に長いプロセスの曲がり角と回り道を何ら妨げない。いや、これは現実だから自分の意識の問題なのだろう。だから中に誰かがいるということは言わなかった。ただキーを中へ忘れたとだけ話した。

 

アブストラクトなフロント係は部屋のドアの前に立った。

 

「なるべく音を立てないように」

 

「は?」

 

「いや、周りの人に迷惑だからさ」

 

「かしこまりました」

 

フロント係はマスターキーを差し込んだ。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

「では失礼いたします」

 

小声で言ってフロント係は去った。

 

細目にあいたドアの奥からラジオから流れてくる音楽が聞こえる。ラジオやテレビがつけっぱなしということはよくあることだが、ラジオやテレビをつけることがないので、誰がつけたのかがいつも分からなかった。しかしあまり気にはしていなかったし、今回も同じことだった。こういうことはよくあることなのだ。

 

ソファーには冴子がいた。

 

「何やってんだ。人の部屋で」

 

「あら。ずいぶんなご挨拶ね。忘れ物を届けに来てあげたのに」

 

見ればテーブルの上に手帳が置いてある。

 

「それにあんな別れ方のままじゃ気になったし」

 

きっと後者の方が本当の理由だろう。あのままにはしたくなかった。冴子とこうして会えてよかった。ハワイに行ってしまったら多分二度と会えないのだから。しかし奇妙な沈黙が続いた。あ、ハワイじゃなくてスペインだった。

 

その沈黙は息苦しいほどになった。何かをいうべきなのだろうが二日酔いの状態の頭は遠くから傍観者のように二人を眺めているだけで何一つ言葉が浮かんでこない。でも二日酔いではなくてもこういう感覚に陥っていることが多い。こういうときにしか書けない。身体はいらないと思っていた時期があった。しかし観念的な身体論を研究していたら身体こそ観念なのだということが分かって納得した。体は必要だ。体が無ければ傍観者ですらいられない。

 

この街にはまだ誰も見ていない人がいることを彼は知っていた。どうして知っているのだろう?それは知っていることではなく、知識の中に含まれていることなのだろう。それ以外のことを知るということは知っているか、知らないかである。そう考えると、どうやって探しに行くという誘惑にどうやって勝てるのだろう。いや、誘惑に勝つ必要はない。それを欲望と解釈すれば生きる原動力になる。これなら虚構も悪くないと思える。

 

いや、悪くないどころか、それはいい考えだ。自分のことは自分で守らないと。他の人は嫌でしょう。そうやってちゃんと安全を確保するんだ。そして、彼らは、おそらく、ただの人間であるべきだ。多分、精神的な部分から遠いんだろうね。僕があなたの後ろに来て、あなたがその音を聞いたかどうかは分かりっこない。でも、なんてこった、知らない、というか、わからない。どうしてそうなったのかわからない。いや、俺なら逃げるね。どうして?私なら、たぶん、最初の直感は、後ろに肘をついて、それから走ると思う。

 

あいつには透視能力があってIP見るだけでそいつがどういうやつでどこに住んでいるかが分かるんだってさ。でもその話はここではするな、って念を押されていた。リアルなキチガイのシリアス加減には胸糞悪いものを感じる。例えばバーガーキングのCMで 「ファックできるバーガー」 って本社は大変だったんだ。ファックして食べられるバーガーを開発したんだ!そうこなくちゃ!

 

別のダイナーにはサンドイッチ用の肉があるんだ。そこのウェイトレスが具体的な戦い方を手にしていたのが気に入った。まあ、つまり、それが今のやり方なんだ。サンドウィッチを食べるために戦うんだ。サンドイッチのために。同じ時間にね。こんなような俺たちの状態に対して「大丈夫ですか?」そう言ってくれる人がいる。

 

「悪いな、俺は・・・えーっと、悪いが、ゴメン!気が乗らない。本当に素晴らしいと思う。それは分かってる。でもね、ちょっと怖いかな?まだコンドームのポーズを取れるけど、そうならないようにしてるんだ」

 

「どうすればいいんだ?」

 

「どうやって会うんですか?」

 

 「そうですね、これ以上簡単なことはありません。偶然に出会うのです」。

 

彼らは何人かいて、それも確かなことだ。一緒に住んでいるのか、それとも一緒にいても別々なのか、十分満たした我々はそこにいつか行ってみたいものだとお互い言い合いしながらゆっくりと目を開けた。

 

「彼らを知っていると思うか?」

 

「どうしてそうなるんだ。誰にも会わないのに?」

 

彼は彼を見ているようだ。

 

「さっきから言っているようにあなたには誰も見ていないと言ったでしょう」

 

参ったな。彼の方が何枚も上手じゃないか。

 

二人の部屋。冴子と自分。結局、沈黙に耐えかねた彼女にはその場を立ち去ることしかできなかった。自分も一瞬どっか行っていたわけだし。

 

「帰るわ」

 

「ああ」

 

男と女の関係はこんな風にして終わるのだろうか。

 

「帰るわよ。本当に」

 

「ああ」

 

彼女は気怠そうにバッグととって立ち上がろうとした。彼女の気怠そうな仕草には真理が含まれているといつも思う。外の自分がいつも気にする気になり過ぎる倦怠を彼女は持っているし振る舞いの所作にそれが顕著に出ることがある。彼女の意図しない倦怠の表現力は圧倒的なものがあった。

 

冴子は化粧をするし、悲しい時は口紅を、憂鬱な時はゴールドのアイシャドーをまぶたに塗る。しかし、その日の冴子のまなざしは、自分の中に轟く嵐を鎮めるかのように、何の下心もなく自分を見つめていた。燃えるような顔色に対して甘い口元、驚いたような目に対して詮索するような眉毛。

 

しかし、口の端にある得体の知れない跡は何だったのだろう。唇がかすかにすぼまっている。唇を持ち上げて震わせる動きは何なのだろう。この動かない優しさは何なのだろう。冴子の笑顔が自分の顔に影を見ないこの明るさは何だろう。それは、冴子にいつも欠けている優しさなのだろうか。冴子は微笑む。

 

まだ、音に震えているのに、何も見えない。不思議な感覚に襲われた僕は、身を屈めて冴子の顔を見た。いつもなら、顔だけを見て、自分の中から漏れてくる思いを認識するのだが、口元を引き締める皺、その視線に気づいたのだ。

 

それは彼女にとって、自分が空しく探してきた新しい感情の戦慄すべき表現に他ならないように思えた。冴子は彼女のイメージそのものであった。

 

すべての感情はその盲点を去ったので、顔のほんの一部だけが下品な気配を残していた。彼女はさらに微笑んだ。その笑顔の刃に、それぞれの好きなものを研ぎ澄ました。微笑の刃の上で、冴子は自分の偏愛の一つ一つを研ぎ澄ました。鼻を細くし、太すぎる眉毛の影を追い払い、自分の中の不遇な部分をすべて研ぎ澄ました。

 

僕は外見上、鏡の中にいたように思う。僕は人生の倦怠期を迎え、そこから恩知らずで不幸な思いをするようになった。このような自分に出会わないために、意識的ではないものの、色々とやってきた。

 

しばらくして彼女の声がどこか遠いところから聞こえた。

 

もし自分がと書いたらそれを示すのではなく糾弾することになる。彼女を指定できるものよりも高くするような地位や役割や存在感を与えるどころかそれを指定しうる何ものをも凌駕するような地位や役割や存在を与えるどころか、自分こそは、このことから虚構の、あるいは機能的な同一性に収束することを受け入れる関係に入るのである。

 

書くというゲームをするために「我」が虚構の、あるいは機能的なアイデンティティーに留まるを受け入れる関係に入るのは自分である。そのゲームに参加するのは自分であり、彼女はパートナーであると同時に恋人でもある。

 

そして原理的なプレイヤーとして演じ変換し彼女自身を置換する。そしてその変化そのものを置き換えるのである。もし自分が文章の境界線に留まるなら、大げさに彼女を記述しないように注意すること。彼女が何をデザインしているかを知らないことから来る過剰な意味を持たせないようにさらに注意する必要がある。

 

この言葉が何を意味するのかわからないままである。同じもの、同一性、永続性を表現することから始まる。記号の同一性、永続性を表現することを課されながら、同時にこの自己以外の形を持たない。自己は自己ではなく自分自身と同じものである。