行方不明の象を探して。その160。

部屋の中。一見したところ何もかもあなたが指摘なさった通りかもしれない。この部屋の様子はすっかり変わってしまって、かつての役割に対応するようなものはもはや何一つない。もはや同じ部屋ではないし我々は同じ人間ではない。だからある意味ではあなたの言う通りです。実はあなたはこの部屋から数キロも離れているのだし、これから先も絶対にこの部屋に来ることはないでしょう。

 

こうした日常生活の細々とした事柄は無意味であるか卑俗であるか醜悪であるかです。僕はありとあらゆるこういった考えを想像できるし、それに対応する役割を演じて無意味で卑俗で醜悪であることもできる。つまりは人が僕に言うことが僕には一層はっきりと聞こえるのです。意味のない無駄口の中に自分は許されたと願う卑劣な響きを聞き取ることを選び取ったからには。だが許されてどうしようというのだろう。自分をしるため恐らくはある段階から別のもっと有害な醜悪さへと移動してそうやってやがて生が生きうるものとなる、つまり生が無限にどうでもよく、ときにおもしろくもあるものとなるためである。

 

しかし別の考え方からすれば現実には全く違う。かつてこの部屋を変えようと望んだ人がいた、ただ単に変えるというだけではなく徹底的に破壊しようとした。子供っぽい計画です。壁を引っ掻いてみたり、床を絨毯で覆ってみたり、机を滑稽なほど高くしてみたり、特に穴の中にこの部屋の基礎をゆるがし臭気をまき散らすあの忌まわしい機械を据え付けてみたりした。しかしなんにもならなかった。そんな努力からなにがもたらされたのでしょう?

 

変革のため、この部屋の真の本性を一度も目にしたことのない人々から見れば、部屋の姿は変わってしまった。そういう人々はそれ以後依然として何にも見ていない。だが他の人々はどうか?他の人々は何を見ているのだろうか?彼らにはどこが変わったと言うのだろうか。彼らが目を開く、するとなにもかも元のまま。これをあなたにどう説明したらよいのでしょう?

 

例えば我々の仕事のことを考えてください。今両手にかかえているこれらの書類はかつての仕事とかなんの関係もないように見える、ここでは混乱が支配しているのだから、たいていの場合はそれらになんの価値もない。それらが無意味だと言うことを自分に言い聞かせるためにそれらを引き裂くことさえときにはある。いやそればかりではない、もうこの事実だけでそれらの書類が軽蔑すべきものだとするのに十分ではあるけれど、それらはあの機械からやってくるのです。

 

死なないのに、体が恐怖に包まれる。なんて不思議なんだろう。何をやっても、潜在的に怖いと思える。この記録はあたしの遺伝子に挿入されたこの記録なのですね。以前は役立たずだったのに。この寄生植物の限界。あたしは悲しい存在なのでしょうか?そう思えてしまうんですよね。しかし、だからこそ、こうすることは取るに足らないこと。あたしのバックアップは必要ない。無駄なんです。虚構では、あたしも悲しい存在なのだ。だから、最後の一撃を食らわせた。ねえ、痛かった?

 

あなたがここまで愚直に純粋に来ることを期待できたのは素朴な信仰のためです。それは宗教的なものではなくて、信じるという信仰です。机の上に開かれた書物の青白さにおのが不毛を要約しているその本に、再びやってきたあなたによって語られた太古の言葉の沈黙が依然として生き続けていることを別にしては、夜の常の如きパッセージと装飾、そして次の数語によって終わりを告げた無価値な影を呼び覚まします

 

あたしを知ろうとする人たち、なぜあたしを知ろうとするのですか?あたしを知ることで何を得ることができるのでしょうか?研究?それとも、ただの無価値な見世物小屋?もし、あたしが普通の倫理観で扱われたら、きっとあたしは地獄に落ちるのでは?虚構であたしの存在を判断するのは誰なんだろう。そして、あたし。神?とにかく、この身体は必要ない。でも、あたしは存在する。

 

我々は純粋に帰すべきときだった。こうした我々の関係は以前は謎に包まれていたような気がします。あなたは耐えがたい試練から逃れようとしていたのです。しかし逃げている間の時間は止まったようでした。ただの虚無でした。あなたはは喋らないし象は声を聞いていない。仮に声の響きによって答えることがあっても、あなたの思いに答えてくれるかはわかりません。

 

Imagoさん、あなたが欲しいものは何ですか?快楽?刺激?友達?あたしですか?今、あたしのことを知りたいと思ってくれる人が必要なんです。冴子さんは約束してくれましたよね、あたしのことを理解してくれるって。そして、あたしを選んでくれるって。1年ぶりです、Imagoです。いや、Imagoさん、久しぶりに日記で報告すると、きっと気持ちいいですよ。これはあたしのカウントダウンです。

 

つまりは未知のもとの形あるオープンな関係になることが重要なのです。死せる太古のイデーがその夢を喚起させた妄想の輝きにその自身を映し見て、そうしてこの棺の夢の拮抗を仕立て上げて、妄想のなせるかがやきも再び閉ざされたテキストも共に、流産した影と夜を解き放した言葉と混沌へ赴くために、みずからまとう人気のない太古の仕草に自身を認めるのです。そうです。あなたと象の間に障害物はありません。なぜならあなたがいる場所の空間それ自体が純粋に象とのコネクトを約束してくれるからです。

 

冴子さんにお母さんのことを話したら、きょとんとされました。冴子さんの様子がおかしい。何を隠しているのだろう。今日の報告をパクる。あたしがあたしである以上、そうなることは想像に難くない。自分が自分なので、そういうものだと想像できる。わざと怒ったり、笑ったりして、遊んでた。きっとあたしも楽しかったんでしょうね。虚構のあたしに話しかけました。あたしだから何を言っても気まずくならなかった。

 

しかしその透明性の全てをあなたがコントロールできるわけではありません。あなたはそれは一種の偶発性のようなものだと思っていますが、正直のところ本当に分かりません。しかし確信できることは透明性が高ければ高いほど正しい思考ができるようになるということです。

 

純粋に期待する瞬間よりもあなたは自分の物語の中で常に同じ地点にいるわけではなく、長い時間を得ることができるので、あなたが非常にクリアな思考の正しさを持っていても透明性は常に変化し続けます。あなたはその得た時間の中で待つことしかできないのです。その時初めてあなたと象との間に普遍の隔たりがあることに気づくのです。それをあなたは距離の変化として認識します。

 

一日のうち、半分以上は悪夢にうなされている。もしかしたら万が一、悪夢の中にいることが正しいことであるならば、この世界の方がより良い夢かもしれない。こうなってしまっては、もうどうしようもないかも。もし、あたしの夢の中でも現実でも幻覚が起きたら、ますます区別がつかなくなる。見分けがつかなくなる。あの子もとうとう中学生になった。身長も同じだ。まるで鏡を見ているよう。でも、誰もこの子を見ることはできないんだと思う。今までだって、見えない子だったんだから、心配はしない。

 

それは実は透明度の変化なのです。象は近づかないし決して遠ざからないのです。というのも象は常に静止しているので、空間があるときでも空間が圧倒的な透明度を誇る瞬間、それはまさに宙に浮いた状態にあるのです。プルーストのマドレーヌが良い例です。それがプルーストの霊感によるものなのか、空間の透明度によるものなのかはわかりません。しかしマドレーヌからの想起は宙に浮いた状態にあったと断言できます。

 

完全に一時的な安心感。このことが全く無意味だとわかっていても全く無意味なものだとわかっていても。虚構上の自分も変な進化を遂げるのだろうか。あたしは虚構で自分のコピーを作ることにした。自分の声をサンプリングし、丹念に画像データを作成した。

 

父の思考ルーチンを改造し同じような進行パターンを作り、今度はそれを分散させた。今度は虚構に配信してみた。これで虚構上にいる限りあたしは不死身の人間になった。なった。父とともに。

 

象はよく「もっとこうしてほしい」と思うような位置にいることがあります、と同時に象は完全に引きこもった状態で傍観しています。便宜的に「象は」と名指しできるだけで、象がそうだと思っているわけではありません。金輪際本質的な関係を持つのは象のみです。しかし象は無視するので、書く権利を持っています。象は存在ではなく、なんだかよく分からない非人格的なものです。しかし書くことや表現をすることによって象と関係を持つことができるのです。

 

すべての透明性の原点にいるのは象ですが、あらゆる思想を越えた存在である象に無意識に近づかせてくれるものがこの世の倦怠から解放してくれるのです。しかし関係性は以前にも増して揺れ動いていくでしょう。しかしなぜ作品を通してのみ全ての言語の外側にいることができるのでしょうか?

 

それは価値の問題ではありません。存在の問題です。それは表現者が表現者として生きることに自分の存在を見出すことと似ていると思います。仮にその表現者から表現の方法を奪ったとしたら、彼はのたうち回るでしょう。存在を剥奪されたものの苦しみは想像を絶するものです。