「あたしは悪魔の前でうんこするから」
「今は吐いていたじゃないか」
「あたしうんこするから」
彼女はうずくまるといま吐いたゲロの上にクソをした。勇敢な男はひざまずいたままだった。万里江は椅子に背を寄せかけた。汗だくで恍惚となっていた。思い描くことのできたすべては乱交をしながら一種の夢想を追い続け、その中で糞尿と合体しているのだということであった。自分自身から外へ出、空虚の中に滑り込み、糞尿の缶ねんの中に気を紛らわすことの陶酔はそれに対して戦っている。彼女は言った。
「こんなのみんなどうということもないわよね。でもあたしのところへ来たら怖くなるわ。その時はもう遅いのだからね」
彼女は首を強く振ってから猛々しく突然勇敢な男に歩み寄るとその襟首を持って叫んだ。
「来る?」
「ああ喜んで」
彼はそれからほとんどささやくように言い足した。
「彼女なら俺にふさわしい」
万里江はその言葉を聞いたが、ただ彼を見つめただけだった。それは彼女がもはや糞尿の中でなく漠然とした観念上のここにあってそこにはないある領域に滑り込もうとした時だった。その領域は神聖な場所のような何かであり、そこでは彼女は物質を越えた物質そのものの中に自らを見出すであろう。
彼は立ち上がる。
「行ってしまってもいいのよ」
と彼女。
「でももし来るのだったら……」
勇敢な男はきっぱりと彼女の言葉をさえぎって
「お供しよう。あなたは俺に身を任すのだ」
彼女は相変わらず暴力的な調子のままだった。
「時間よ、さあ」
と彼女が言った。
二人は早足に歩いた。着いた時には夜が明けてきていた。万里江は門の鉄柵を開いた。二人は古木に縁どられた小道を歩いて行った。太陽が二人の頭を照らしていた。不機嫌極まりない万里江だったが、太陽が自分のたくらみを認めてくれているのを承知していたのだ。彼女は勇敢な男を自室に招き入れた。
「もうこれでいいんだ」
と彼女は自分に言った。疲れていた。憎しみに溢れていると同時にまた、すべてがどうでも良かった。
「着物をお脱ぎになって。隣の部屋で待っているから」
と彼女は言った。この場所があまりに彼女にぴったりしているので存在するためにはそこにいるだけで十分であるという密かな考えを抱いた。空想上の窪みのようなものであり、そこへ突っ込んでいくのであった。勇敢な男は慌てもせずに裸になった。陽光が葉を通して射し込んで来、壁に反転を作っており、その光の模様が盛んに舞っていた。
勇敢な男のペニスはいきり立った。脈を打って充血していた。彼の裸の体とそのペニスにはまさに悪魔的な奇形感があった。骨ばった怒りすぎの方にめりこんでいるその顔は真っ青で嘲笑的だった。彼は万里江を欲していた。そしてただそれだけを考えていた。彼は戸を押し開いた。悲し気な裸体で彼女はベッドを前にし彼を待っていた。
いかにも挑発的でかつ醜いその裸体。泥棒と疲労にすっかり参ってしまっているかのようだ。裸になっているときに言葉を弄びまどろかしい表現を借りねばならぬのは残念である。衣服と外形を引っ剥がし、俺の言うことを裸に還元する人間がいなければ俺の書く行為は無駄だ。けれど万里江は夢の幻ではない。その汗は俺のハンカチを濡らした。彼女に連れられここまで来た。が、これからは俺が導く番だ。この書物には秘密がある。それは守らねばならぬ。それは一切の言葉の彼方にあるのだ。
重くはないので彼女を抱いていくことに決めた。大通りに面したタクシー駐車場が近かった。腕の中で彼女はぐったりしていた。それだけの道のりだが時間がかかった、三度立ち止まらねばならなかった。その間に彼女は我に返った。そして着いたときは自分で立つと言い張った。一歩踏み出してよろめいた。支えてやった。支えられて彼女は車に乗り込んだ。力のない声で言った。
「……まだ……待ってもらって……」
俺は運転手に動かないように頼んだ。疲労に我を忘れ乗り込むなり運転手も俺も座席にじっと動かずまるで車が走ってでもいるかのように。やっと万里江は俺のほうに向いて言った。
「渋谷駅まで」
俺が運転手に取り次ぎ動き出した。暗い通りを引き回された。落ち着いてゆっくり万里江は上着の結び目をほどき脱ぎ捨てた。もはや仮面はつけていなかった。そして小声で言った。
「獣みたいに素っ裸」
ガラスを叩いて彼女は車をとめた。外におりた。体が触れ合うまでに運転手に近づいて言った。
「ごらん……あたしは素っ裸よ……さあしましょう」
運転手は身じろぎもせず獣を見つめた。彼女は後ずさりあからさまに見せつける目的で片足を高く持ち上げていた。黙って慌てず男は座席を降りた。頑丈な荒くれ男だった。万里江は抱き着き唇にキスし片手でズボンの中をまさぐった。引き出したのは長い一物だった。男のズボンを足元へ引きずりおろし言った。
「車内へいらっしゃい」
男は俺の隣へ来て腰をおろした。後に続いて彼女はその上にまたがった。露骨に片手で男を自分の中へ導いた。俺は無気力に眺めていた。いかなる他者も侵入できないこの場所、誰とも奪い合うことのありえない乱交を見つけられる場所に身を落ち着けて、自分自身と合一化するのだった。言わばセックスと合一化するのだった。けれどその錯覚は続かなかった。結局は戻らねばならなかった。
彼女は落ち着いた動作を示し、傍目にも鋭い感覚を味わっていた。それにこたえて一方は荒々しく全身で立ち向かっていた。二個の肉体の裸にされた親近性から出発してそれは今や勇気もくじけるピークにさしかかっていた。ガタイのいい運転手が鼻息荒くのけぞっていた。俺は車内の明かりのスイッチを入れた。馬乗りの万里江は髪を振り乱し状態を伸ばして頭を後ろに仰け反らせていた。