行方不明の象を探して。その164。

この本を書き始めてからとうとう一年近く経ってしまった。正常にそして時には幸せに暮らしていたその何か月かの間、俺は随分髪を黒く汚しては破いてしまった。「書き始める」という最初の文章だけが生きていた。ほかは執拗に書いては消し書いては消していた。そして恐らく生活が原因で長いこと破り捨てていたような原稿をとっておき、それを関連のないその書き出しの部分に結び付けることができたのは生活をはぎ取り中断した時だけなのだ。

 

彼女の頸筋を支えてやると白目が見えた。受け止めた手をもたれに彼女はふんばり緊張に呻きが増した。白目がもとに戻り一瞬興奮はおさまったかと思われた。俺を見た。その目つきからいましも「不可能」から引き返しつつあることが読み取れた。奥底にはめくるめく疑惑がうかがえた。根元から湧きだし彼女を浸した洪水は涙となって表れた。

 

目から涙が小川のように流れ出た。愛欲が眼中で死に絶え、曙の冷気が死の影を宿した明るさが立ち上り始めていた。そして全てはその夢見る目つきの中に包まれていた。男の異様に長いペニス、おまんこを広げる指先、俺の苦悩、さらに口元のヨダレの記憶、どれひとつして死への盲目的埋没に一役買わぬものはなかった。

 

彼女は神秘の中へ行くのだから進むことができるのだ。恍惚にして絶対に到達していた彼女はこうしてそれの上昇をしらなかった観念の逆の進行を始める。彼女がその高みに動きも出来ないで絶対としてとどまっていた螺旋は順次に照らし出されまた夜の中に沈められている。

 

万里江の喜悦は湧き上がる泉のように胸も張り裂けんばかりに彼女の中へ流れ込み、異常なばかりに長引いていた。情欲の大波は彼女の存在に栄光をそえ、彼女の裸体をさらに裸に、彼女の破廉恥ぶりをさらに恥知らずにすることをやめなかった。肉体と表情を陶酔に、えも言えぬ鳥のような鳴き声に委ね、彼女は優しさのうちに、くたびれた微笑を浮かべた。彼女はこのとてつもない夜の運命を通過しているような気がしている。

 

結局彼女は到達すべきところへと到達し彼女を市から引き離す行為を理解する。別の淫行。彼女は言う。あたしはセックスを真面目にやることができない。でもあたしが被っている生きているという災禍は恐ろしい。この絶対を孤立させている事物の邪悪な無自覚な乱雑の底に無の実存によって示されている自分の不在を感ずる。

 

あたしがあなたがたの狂気の虚しさを言ったからって軽蔑しないで!しっ、あなたがたが見せる錯乱はやめて。いいわ。あなたがたが時間を探してあの高所に復帰するのは簡単なことよ。門が閉ざされているとでも言うのかしら?あたしはこれから無を知るのよ。あなたがたは再び混合物に還る。あたしは言葉を発する、ふたたびそれをそれ自体の虚しさの中に沈めるために。

 

俺は味気無さの底を覗き込んだような気がした。俺の悲しみの底から彼女の悦びの奔流が躍り出るのが感じられた。みずから願ったはずの快楽におのれの苦悩が刃向かうのだった。万里江の痛ましい快楽は奇跡の徒労感を俺に抱かせたのだ。俺の苦悩と発熱はものの数ではなかった。が、それこそは俺の持ちもの、冷ややかな沈黙の底で俺が「愛しい女」と呼びかける相手の陶酔にこたえる、俺の中の唯一の偉大さだった。

 

ゆっくり最後の戦慄が彼女を捉えた。やがて汗ばんだまま彼女の体は力を抜いた。タクシーの底には運転手が転がっていた。俺はまだ万里江の頸筋を支え続けていた。つっかえをはずし横にならせ汗を拭ってやった。死んだような目つきで彼女はされるがままになっていた。俺が明かりを消した。彼女は子供のようにまどろんでいた。同じ眠気が俺たちを、万里江と運転手と俺を朦朧とさせたようだ。

 

このように思考が共鳴しなくなったら、それは象との繋がりが希薄になっている証拠だ。気づいたら透明性のある関係性を築くために全力を尽くさなければいけない。関係性を戻せたり維持できているなら恩返しとして書かなければいけない。しかしそれは自発的でなければいけない。義務感でやってしまった場合、透明性はまた薄れていってしまうだろう。非人間的な恐怖からは逃れられませんが、俺の場合、倦怠から逃れられるなら、なによりもマシなことだ。

 

結婚しそうなカップルが通り過ぎ、快楽を求めて急ぐ若者たちが通り過ぎる。すっかり引退したものたちがいつもの歩道で一服し、商店主である所在なげな人たちが立ち止まって、ここかしこの戸口でぼんやりと眺めている。時折普通の人たちが姿を見せる。自動車はそこではこの時間さほど多くはない。彼の心の中には苦悩から成る平穏があり、彼の落書きはあきらめに他ならない。

 

ドアの両扉を開く。それはひと続きになったページを見ることなしに開くことである。書き込んでいる人間には見えない空間に向かってそのページは開かれている。作曲家も作家も自分が書き込んでいる紙片を決して見ることはないし、一生の間に一度として、自分が書いている文字を書きながら目にすることはない。そこには白いページなどありはしなかったのだ。白紙の話をするのは教授とジャーナリストたちだけだ。彼の手が書き物をしている姿を彼は一度として見たことがなかった。

 

先を続けるか?そのつもりだったがどうでもよくなった。興味は失せてしまった。筆を渋らせるこのやりきれない思いの原因を探れば。一切は狂っているのか?あるいは何かの意味があるのか?それを思う時、俺の気分が滅入る。朝、俺は目を覚ます。眠りは永遠に霧散し、俺自身もそしてそれら何百万の人間も俺たちの目覚めに意味があるのか?隠れた意味が。だがもし何物にも意味がなければ俺の営みは無益である。

 

あたしはこの小さな体で、あたし自身を認識したのだろうか。この小さな体で。でもあたしは個性がないから、あまり印象に残らないんです。誰もあたしのことを全然覚えていないんです。お父さんを作ったとき、なぜか自分の体が馬鹿らしくなった。あたしはあたし。でもあたしの思考ルーチンを持っていたら、まずいんじゃない?でも、お父さんはあたしよりも論理的な存在で、現実世界との接触は必要ない。あたしが食べないと死んじゃうけど、お父さんは食べなくてもいいんです。お父さんはあたしより進化しているのだろうか。

 

こういう風にイメージを持たずに語ることが重要なのだ。というのも問題は言語だからだ。あなたは自分の言語がバラバラになる兆候を認識しなければなりませんでした。書かない人生なんて想像すらもできない。言語がバラバラになるということは自分から決定的に離れてしまうことを意味します。それは象から決定的に離れてしまうことを意味します。象なくしてあなたが幸せになることはありえないのです。

 

言語はあなたと象の唯一のつながりでありながらそれを書くことは考えられません。それは性質の違いからくる拮抗作用で、それによってバランスもどんな調和も不可能なものにします。あなたは常に象との繋がりと関係性における安定を求めますが、それについては諦めなければいけないし、常に繋ぐ意識をしなければいけないのです。それは存在しないはずのものが存在する不自然な繋がりなのですが、存在と繋がりの揺らぎは関係性の証でもあります。

 

例えば駅での「ゴーッ」という音。そういうありふれたものに全てが吸い込まれていきそうな感覚になる。根本的な繰り返しに飽きてしまった人間はどうやって生きていけばいいのだろうか?ロカンタンのアレが、場所や人種や時代を問わない普遍的なものだったら、そもそも諦めた方がいいということになる。ねぇねぇ何ならやっていけそう?諸行無常だよ。その都度変わる。

 

書くということについて他に何ができるでしょうか?時間や集中力や労力などの環境的要因を整えることは必須ですが、すぐ見えてしまう限界を突破し続けることへの情熱が必要です。自己嫌悪からの解放も必須でしょうね。何しろ書いているとき以外は全く生きた心地がしていないし、存在しているという実感もないし、特に雑事に追われているときは生きている価値が無いと心底思えるので、書いていないときの精神的な管理が重要です。

 

物語の中で時間は過ぎていきましたが、それは自身としての人生の時間が流れていただけで、それに一体何の意味があるというのでしょう?意味などありませんね。問うだけ無駄でした。それは常に宙に浮いていて、それについて悩まされることなど不可能なのです。存在することの痛みに先立つものは邪悪ですが、それが書くことを表面上可能にしているものだとしたら、それは邪悪とは言い切れないどころか、聖なるものである可能性もあるのです。

 

真の道を歩んでいるという確証を得ることはできませんが、いかに遠回りをしようとも、その道に向かって収束していくことだけは間違いないのです。弱点はメンタルの弱さでしょうね。でもそれは取り組んでいるものに対しての神経の張り詰め方が尋常じゃないために精神的ダメージを追いやすくなるということなのであって、それは立派な力なのです。揺らぎが最大の支えなので、言い方を変えれば脆さもまた最大の支えと言えるでしょう。確固たる自信を持って取り組むことができたら、それは道を外れていることでしょう。そういった安定とは全く無縁の道だからです。

 

もし意味が存在すれば?今日のところは俺には分からない。明日になれば?知れたものか。俺の責め苦でない意味などは考えられない。無意味が書く。ミスター・無意味が書く。自分が狂っていることを彼は心得ている。やりきれぬ話だ。がその狂気、その無意味、それはなんと突然に深刻に変化したことか。それこそまさしく意味であろうか。俺の生は俺がそれを欠くとき、はじめて意味を持つのだ。

 

正気を失うという条件のもとで。分かるものは分かってくれよう。瀕死の人間は分かってくれよう。これこそは存在の姿である。理由も分からず寒さで震え続け……。無限の広がりに闇に取り囲まれ、わざわざ彼はそこに置かれているのだ。だが神は?なんと説明なさるおつもりか。せめても神は心得ているのか?主よ、我を救い出したまえ。

 

そのとき上の階で誰かが絨毯を叩き始めた。きっと大掃除をしているのだろう。ガラス窓に水が流れているに違いない、ほうきが仕切り壁にぶつかっていた。紙切れが風にぱさぱさ音を立てていた。こんな時間に大掃除とは。とても信じられない。ではなにが起こっているのか?もう朝になっているのだが、この広い玄関には絶対に陽の光が射し込んでこないのだ。ついにそう考えてみることにした。