行方不明の象を探して。その166。

男は言った。

 

「今からはじまることは、これまで起きていたことだ。だからお前はどうすればいいのかどうかをあらかじめ知っていることになる。しかしそれは変えることもできる。お前の判断で全てを変えることができる。しかもお前がどこを変えるのか、それらを我々はあらかじめ知っている。つまりこれははじめからわかっていたことだ。我々は時間を経てもう一度同じ時に戻る。戻ってきたとき我々は次に変化する方向を知っている。しかし我々には動かすことができない。動かすのはいつもお前である。いつも誰か違うものだ。人間だけとは限らない。犬かもしれないし象かもしれない。風であることもあるし砂であることもある。今はお前の番というわけだ。全てのものにこの順が回ってくるわけではない。回ってこないまま死んでいくものもいるし、そもそも消えないものもいる。それははじめからわかっているのだ。しかも変えることができる」

 

意味をほとんど奪われた言葉は騒々しい。意味は限定された沈黙である。言語は不在の意味を含む度合いに応じて、相対的に沈黙する、書かれたものが静寂の中に響き、沈黙を長く響かせ、その後、謎がまだ目覚める動かない平和に戻るように。 書くことは、それ自体を芸術の上に置くことなく、人が芸術を好むのではなく、書くことがそれ自体を消し去るように、芸術を消し去ることを仮定している。無邪気さを除いたら何も意味がない。なぜなら、自身の中にある自己が彼にもたらすのは、同一性ではないからだ。この自己は単に形式的な必然性であり、自己と他者との無限の関係を可能にするためのものでしかない。

 

こんなこと、本当にやめたい。でも、普通に過ごせてよかった。桃子ちゃんに、ノートを貸してくれてありがとうって言ったんだ。でも、桃子ちゃんのノートは落書きだらけで、読んでいてちょっとおもしろかった。神田先生が家に来て、お母さんと話をした。お母さんは心配そうな顔をしていた。これ以上休んだら、卒業できないよ。夕食後、お父さんとお母さんが話をしていた。お母さんは泣き、お父さんは悩んでいた。あたしは悪い娘なのだろうか。自分を消せたらよかったのに。

 

心は動揺や不穏さではなく安らぎである。それは重さであり重苦しさである。神は限りなくコンパクトな金属であり、あらゆる存在の中で最も重く、最も肉体的な存在である。失われた類似。不可視の父の似姿である象。久しかりしその夢の時間は静まってゆく慄きがその豊潤さで仕上げてその上にとまっている壁掛けに溶け込んでいる。

 

このように不死の芸術家は魂と肉体が相互に無感覚になるゼロに到達するために努力しなければならない。虚体への道である。言葉の前の無気力はお互いに分離された言葉への欲望でもある。その力は意味であり壊れておりその構成も高分野システムの連続性である。この倦怠、この欲望は現在的ではない狂気であり、理不尽との間、すなわち

 

「彼は明日には狂っているだろう」

 

狂気はそれを使って高めたり深めたり思考を軽くしてはいけないのだ。饒舌な散文、それは子供の戯言に過ぎない。便所の落書きを書きなぐる馬鹿者は言葉を持たず、力を失っている。それは流れ去る言葉に近いが、書かれなければ沈黙はないのである。

 

誤りを減らすこと。話すことは何らかの真実に対する信念を育むことによってそれらを伝播させ普及させる。宇宙も海もその本質を残し全ての時に事物の絶対現在を作るために相互的無として外在性に留まり無限から分離するのだ。読むこと、書かないこと。読むことを禁じられたものを欠くこと。書くことを拒否すること、この拒否の方法によって書くこと。だからいくつかの言葉を求められたとき、それだけで一種の排除が決定される。

 

お母さんはあまり文句を言わないようになってきた。心配です。変なことしているから、お父さんも騒いでいるんだ。惨めな気持ちになる。久しぶりに学校に行ってきました。意外と誰も心配していないようです。あたしは心配で、存在しなくなったような気がします。この場所では何も見えない。もしかして治った?そうだとしたら本当に幸せ。お父さんやお母さん、冴子さんも喜んでくれるかなぁ。

 

この現前はこの神秘な装飾物が思索の波とその最初の拡大との折れ曲がる裂け目、思索の漠然たる慄きを引き留めている幻のような時間の部屋に住んでいる、そのとき、久しくも夢みられた純粋時価のマヒさせるような静けさの中で時が崩壊する直前の位置は動かなくなっている。あたかも生き延びること、死に続けるために生に身を委ねることが義務付けられる。書くこと、そのための手段を欠くこと。解決できない孤独。それでも近づいてくる動かぬ象。書く義務、生きる義務なんてあるのだろうか?

 

暖房の効いた部屋で友人二人がグラスを手に記憶を呼び醒ましている。壁に飾られた美しい食器、古い家具、豪奢な館、差し迫った心配はない。外では日も暮れクモが密集していて夜になるまえに雨が降り出しそうだ。最後まで中庭に残っていた一羽の鶏が小屋に帰っていく。ホロホロチョウが耳障りな声で鳴くのが聞こえる。カラスが隣の畑から飛び立ち柱にとまろうとしている。いやカササギかもしれない。

 

「この話は」

 

と青年は彼を見つめながら話を続けた。

 

「あなたには常軌を逸していると思われるかもしれない。つまり何かが欠けていたのです。倦怠が人々の顔を暗くしていきました。なぜかは分からないけれど、毎日毎日が空虚なままで、朝起きると眠りの慰めがやってくるまで生きねばならぬ長い時間のことを考えて憂鬱になるのでした。同時に奇怪な現象が少なくとも無為な人々には奇怪に見えた現象が色々と起こりはじめた。まずはじめに熱狂や規律がゆるんできた。まあそれは言ってみれば極めて当然なことです。熱中に生ぬるさが続き、人のことを考えて自分も満足するという態度の後には悪意がとって代わったのです。これは人類だろうか?なぜ目が二対あるのだろう?なぜ口がなくなってしまっているのだろう?多分、彼らは我々のすぐ近くにいるのでしょう、我々の目には見えず、また我々にその声を届かせることができないままに。けれど彼らはどうやって我々のそばにいるのか?彼らがどこにいようとそこ、今、あなたのいるその場所にいようと、彼らは無限に遠い、そして、我々は彼らを見たり、彼らに話しかけたりする手段を持っていないのと同様に、彼らのことを考える権利もまた、我々にはないのです。彼らのうちのあるものたちは表の通りに定住して我々に合図を送り、今、彼らが被っている倦怠の中に我々を引き入れようと試みている。そんな話も聞いています。途方もない夢想です。そんなことを考える人は地獄に落ちるでしょう」

 

誰かがまた扉をノックした。

 

夜の幻影、昨日と明日の幻影、わずかでも思考が躓けば死、まるで部屋の窓を開けると砂漠が広がる情景のようだ。逃れようのない家事に集中し、この虚無感をなんとかやり過ごす。徒歩で行くこの街がこれほど広く感じられ、足がこれほど疲れるとは予想もしていなかった。それに白い家々の壁に眩しく照り付ける太陽のせいで、しまいには眩暈がしてきた。強い日差しを浴びた家の壁は時間を追うごとにますます白くなり、さらに時間が経つと白さは弱まったが、だんだん目が痛くなってきた。

 

深刻な問題は生のうちに生じる倦怠であり、倦怠から逃れようとする文学も苦悩であり、それがどんなに重要であろうと面白かろうと興味深いものであろうと空虚であるから、より一層、生の倦怠が強調される。時計はかつで同じような局面を示したことはない、これこそ彼が創造した唯一の時なのだから。

 

持っている信仰は、語ることができないときにでも示すことができると信じている神秘主義である。沈黙は不可能だ。だからこそそれを望む。書くことはあらゆる現象、あらゆる現れ、表現に先立つものである。書かないこと、その地点に達するまでの道のりは長い。そしてそれは決して確実なものではなく、報酬も罰もない。不確かでありながら必要でありながらただ書かなければならない。

 

書かないということは書くことの効果の一つであり受動性の表れのようなもので、悲しみが自由を表現できる手段である。そのうつろな響きにとって一個の家具を喚起している時は鏡の中に消え失せもせず壁掛けに隠れもしなかった。書かないためにどれだけの努力が必要だろう。

 

その書店には足を休めるために入った。木の床が軋んだ音をたてる古い建物で、狭い階段を下りると薄暗い地下のフロア、上がると明るくてきれいな地上のフロアだった。俺は地下のフロア、ついで地下のフロアをくまなく歩きまわり、全部の書棚を経めぐった。本を一冊取り椅子に座って読もうとしたが、疲労と喉の渇きで読めなかった。

 

俺は入り口近くのレジに行った。カウンターの中にはカーディガンを着た生真面目な感じの男の店員がいて、本をいくつかの山に仕分けしていた。俺は書店にそんなものはないだろうと知りつつも、ここに水を飲むところはないか、水を一杯もらえないだろうかと尋ねた。店員はここにはないが近くのバーに行ってみてはどうかと答えた。

 

あれからすでにかなりの時間が経過している、確かにそうなんだけど、まだ慣れない。もうこんな夢は見たくないと思うようになってきた。普通になりたい。桃子ちゃんには、本当に頭が下がります。研究室に行った時、一緒に行くのかと思ったら、もう舞ちゃんと一緒に帰っちゃったんだもん。それはまずい、本当に嫌だった。うっかりしちゃったんだから、謝りなさいって。嫌われ始めたんだ、きっと。