行方不明の象を探して。その167。

書かないために書くこと、そして書くことをやめる。その黄金は深夜以外は夢の儚い宝物、豪華にして無用な遺物にすぎない風を装うとしていたことを思い出す、金銀細工の海と星との複雑性に無限の偶然なるいくつもの結合が読み取れることを別にすれば、それは究極の譲歩の瞬間です、刮目してください、それは絶望の中ではなく、まるでこれが望まれていたかったことのように、つまり象が与えてくれる恩恵のように感じられることでしょう。マーベラス。

 

満たされない欲望をここで満たしなさい。絶対に配するに無限をもってする組み合わせの中に生ずるはずであった。必要なことはイデーを抽出すること。書けないでしょうね。沈黙しかないのですけど、欲望を満たせます。社会的な適応性はゼロですね。また海に行って走りますか?有用な狂気。

 

かくして宇宙劇の一幕を演じ終わる。完全に受動的なものへの執着心。受動性の表れ。書きたいと思うことが重要です。もはや何物もただ一つになった言葉と仕草の果ての一息のみが残っていた。それは途轍もない不条理です。それに耐えられるのであれば。書くことで意思は衰えていきます、といってもすり減らすという意味です。精神がすり減ります。それを値踏みして書いてください。

 

お母さん、あたしのこと心配してるの?あたしが変だからでしょう。でも、大丈夫だよ。だって、お母さんに迷惑をかけないから。そのメールのことをネットの知り合いに話したら、象さんが追跡の仕方を教えてくれました。ホストのログが消去されていなければ、送信者を追跡できるかもしれませんね。

 

本当はいけないことなんだけど、探偵みたいなことをすると心が躍るんです。あっちが悪いんだから、こっちも同じぐらい悪いってことでいいじゃないですか。やっぱりあたしは悪い子なんです。性格に問題があると言われても仕方がない。でも、それはあたしが変だから。あたし、変ですか?ねぇ、象さんって変でしょう?

 

象が唐突に部屋にやってきたのは日曜日の夕方だった。前みたいにドアを壊して侵入されていないだけマシだと思った。曜日も時間帯も自分にとっては何の意味もないのだが、その日によって変な穴みたいなのがあるときがあって、そういうときも一人でいる分には全く問題ない。でも人と会ったり穴があるときに外に出たりすると頭はきまって疼き始める。 そのときどきによって度合いの多少はある。でもとにかく疼くのだ。

 

両方のこめかみの1センチか1センチ半くらいの奥の方で柔らかな白い肉の塊が奇妙にひきつれる。まるでその肉の中心から目に見えない糸が出ていてずっと向こうの方で誰かがその端を持ってそっと引っ張っているような感じなのだ。ただ一点だけこの疼きの利点があるならば、生活を支配しているアンニュイ、生の倦怠感が紛れるという一点に尽きる。しかしそれは紛れているだけで緩和しているわけではない。それは軽いかすり傷程度の痛みがより大きな他の部位の痛みで目立たなくなるようなものである。

 

ちなみにこの疼きは特に痛くはない。痛くても不思議はないのに全く痛くない。それはありがたいことなのだが。それはまるで深く麻酔をかけた部分に長い針をすうっと刺しこんでいるみたいなシュールリアルな感覚だ。そしてその音が聞こえる。いや、音というよりはそれは分厚い沈黙が闇の中で立てる軋みのようなものだ。

 

それはDavid Jackmanのユニット、Organumの金属軋み音の作品を真っ暗なトンネルの中で再生したときの残響を聞いているような感じだ。だからスピーカー一体型のレコードプレイヤーを廃トンネルに持っていきOrganumのレコードを再生しようとは全く思わない。リアルよりも現前性のほうが恐ろしいのだ。

 

とにかくそれがまず最初の徴候だ。まず疼きがやってくる。そしてそれにあわせて視界がわずかに歪み始める。いつ死んでもいいと思っている割に健康オタクで自分の身体のことが人一倍可愛い自分にとってそれは由々しきことなので、暇を持ち合わせた自分は人間ドッグで検査をしてもらったことがある。脳に何の異常は見られなかった。少なくとも物質的なレベルでは。

 

「しかし恥ずかしがることはありません。先人たちのなした偉業を参考にするのを恥じるのはそもそもおかしなことなんです。拡大解釈すればコピーもオッケーです。パラフレーズや模倣したところでそれもどの道、コピーなのですから。小説も映画も漫画も書道も絵画も政治も過去を参考にしてきました。盗作し剽窃し流用し模倣してきました。それは進化のための必然です。突然変異ばかりじゃ一瞬で絶滅します」

 

「小説家が書くものは媚薬にして毒薬。小説家が書く文章は読者の感情を高め下げ壊し治す。たとえ読んだことを忘れてしまっても心の隅に必ず残りそれにより人生の混乱期を解決させたり人生の安定期を崩壊させたりする。聖にして悪の概念だ」

 

象はだからこそ日曜日の夕方を狙って部屋にやってきたのだ。まるで憂鬱な考えや秘密めかして音もなく降る雨のように、彼は時刻の薄闇の中にそっと潜り込んでくるのだ。象の外見についてまず説明しておこう。象の身体のサイズはあなたのそれよりかなり大きい。少なくとも人間の世界を動き回れるようなサイズ感ではない。

 

それと体の各部分がみんな均一に大きい。だから大きいと言うよりは拡大されていると表現した方が擁護的にはむしろ正確だろう。あるいはあなたは象をどこかで見かけても象が大きいことに最初のうちは気づかないかもしれない。でももしそうだとしても、おそらく象はあなたに何かしらの奇妙な印象を与えるはずだ。居心地の悪さとでも言えばいいのだろうか。なんだか変だな、とあなたは思うに違いない。

 

そしてもう一度あらためて彼をじっと見つめることになるだろう。一見して特に不自然なところはないのだが、それがどうもかえって不自然なのだ。つまり象の大きさは巨人や巨像の大きさとは全然違っている。僕らは巨人や巨像を見て「でけぇ」と感じるわけだが、その感覚的認識は多くの場合、彼らの体つきのバランスの悪さから発しているのである。

 

身長が高すぎる人間は長生きできないとか、何かしらの健康に対する害を抱えているのだという。それは人間という生物の大きさに上限があって、大きくなり過ぎると様々な身体器官のバランスがおかしくなってしまうのだろう。

 

巨人にしてもあれだけ大きくなった場合、人間と同じ体の比率のまま大きくなることは不可能なはずである。おそらくはその体重を支えるために腰や脚が異様に肥大しているとか、逆にちゃんと巨人として生きていくために上半身は異様に細いかもしれない。水木しげるの妖怪辞典に出てくる足長手長を想像すると分かりやすいかもしれない。アンバランスであって然るべきなのだ。

 

象の大きさは拡大コピーを取ったような不自然な大きさであり、形のデータだけを取り出してそれを無理やり拡大したかのような異様な大きさである。かといっても巨大なわけではない。ただひたすら「でけぇ」という印象が拭えない大きさなのだ。あるいは象は遠近法のモデルみたいにも見えるとも言える。手間にいるのに遠くにいるように見える人。まるでだまし絵のように平面が歪み波打つ。届くはずのところに手が届かない。届かないはずの物に手が触れる。

 

言葉で象を表現し尽くしても恐らく表現し尽くせないだろう。だからニュアンスで言えば「象が家にやってきた!」という子犬を我が家族として迎えたときの家族の心境、アンパンマンのようなヒーローがやってきた!というのを受け取る子供のニュアンス、ジョン・コルトレーンの再来か?などとレビューされるジャズミュージシャンがデビューした時の雰囲気、いよいよ我が家にもルンバがやってきた!というような、機械以上ロボット未満のような半自動的存在を家に迎える時の人間の心境、そのぐらいしか思いつかない。大抵のものは言語で語りつくせない領域のところに属している。全てを言葉で表現しようなんていうことは不可能だ。

 

象はノックもしなかったしドア・ベルも鳴らさなかった。こんにちはとも言わなかった。そういう間柄ではないからだ。ただそっと部屋に入ってきただけだった。侵入したときもこんな感じだったのだろう。象が入ってきたときソファーに寝転んでぼんやり天井を見ていた。「それ」について気になってくる。

 

トイレに行く。何かを食べる。シャワーを浴びる。一体何なんだこれは?と思う。What is it?だ。It is rainingのitってなんだ?というようなチョムスキー的な意味合いも含まれると思うけど、そこまで言語学に詳しいわけではないので知ったかぶりはやめようと思う。

 

本当に何なんだろうな。起きるとそれは始まる。寝るとなぜかitが無くなって夢の中でitについて悩むことはない。夢の中で起こっていることを傍観したり参加したりしているので、そんな風なことを考える暇がない。退屈している自分という夢を見ないのはなぜだろうか?夢の中でもitについて「なんじゃこりゃ?」と考えている夢を見ないのはなぜか。恐らくメンタルを守るための防衛本能なんだと思う。夢でそれを考えて起きてもそれを考えていたら発狂するだろう。もちろん夢には悪夢があるので、悪夢が永遠に続いたらそれこそ発狂することもあると思う。ないとは言い切れないのがポイントだ。

 

自分が自分であるということの自己同一性による形而上学的不快などと言えばかっこいいのかもしれないけど、実際はそんな高尚なものではない。なんとなく冷蔵を開けて食べ物を物色している時に「なにやってるんだろう?俺」と思う。Itの仕業だ。それは意味がないように見えるからだと思ったりもするのだが、散々考えてきたように、それは快楽によっても起こる。好きなものを好きなだけ買い尽くして高揚した後に来るit。生活が危ぶまれるほどハマってしまうゲームをしゃぶり尽くしたあとに来るit。こいつからは逃れられない。