今の時代に小説を読むとは?

今の時代に小説を読むとは?ですけどね、書き始めてから読むようになったんでまぁぶっちゃけ小説を読むようになったのは最近ってことなんですけど今ってコンテンツが腐るほどあるじゃないですか?んでなんであえて小説?っつーと元々特に純文学なんて読者はすげー少ないらしいけど本っつー特性だよね。

 

パッとすぐ取り出して読めるとか携帯できるとかなんとか。でも今ってまさにその携帯がスマホになったからなんなら分厚い本より余裕で軽いスマホで何でもできるじゃん?まぁ携帯PCよね。で、あんま外出ないけど電車でなんか見てるって人は大体スマホだよね。いや、みんなスマホばっかみて!みたいな批判じゃないのよ。当然、そうなるよねって話なんだよね。

 

俺も仮に時間無かったら電車でスマホ見てると思うんだよね。PCでなんか検索したかったやつとかを検索してると思うわけ。でも四六時中PCの前にいるから外でなんで本を読むのか?っていうと本しか読めない環境を強制的に作ると普段あんま読もうと思わない読み進められない本とかも読めるから読むって話なんだけどまぁいいや、んであれだ小説なんだけどさ、あんま電車で映画とか動画見てる人っていなくてチラ見すると落ちゲーみたいなゲームとかネットやってる場合が多いような気がするんだけどあれなんだよね、分からんよ、小説ってのがなんか読まされるみたいなさ、読んでおくとステータスが上がるみたいな教養みたいなスノッブな感覚があったとしたら今はもうないよね。

 

それはあれだよ、ジャズとかクラシックに詳しいとなんか尊敬されるとか学があるとかって思われるみたいなことだよね。まぁそういうくだらない意味でのスノッブな教養ってのは別にして小説をエンタメとか楽しみって考えたときに明らかに映画とかゲームとか他の没入型のものに負けるわけよね。

 

映画の1シーンを言葉で語り尽くしたら何ページになるのかって話だけど映画なら数秒だからね。んで情報量が多い割に視覚の情報だからあんまり頭を使わなくていい。風景を見るとか人がこういう状況に対してこういう反応をしているみたいな観測と似てるよね。でもそれを文字で感じようとしたら能動的な読書が必要になるよね。活字中毒の人間ならともかくエンタメを求めるなら映画とゲーム二択って感じよね。あとアニメとか。前にも散々書いたか。あとまぁCGとか声優の演技とかとても文字じゃ表せない躍動感とかさ、あ、漫画でもいいんだわ。

 

で、そういうのが携帯デバイスで見れるようになっててんでなおかつそこにYoutubeとかも出てくるじゃん?街録ちゃんねるみたいな有料レベルのコンテンツが死ぬほど見れるものがあってこれも前にも書いたけど人の半生を本人が語るわけでドラマチックよね。まぁ他にもコンテンツって色々あるけどそういうのが見れる端末の普及と低コストっつーか別に金かけなくても見れるかサブスクっつー昔ツタヤでDVD借りてた人間からすると死ぬほど安い料金で大量の映画が見れるっていうのと携帯デバイスの普及っつーのがリンクしてんのよね。で、なおかつYoutubeとかテレビですらも見逃し放送とか有料で金払えばフジテレビの番組が見れたりするでしょ?

 

そこで小説を読む必要ないよねっていう(笑)俺は小説を読むようになるまでずーっとそういう感覚だったしそもそも小説を読む感覚が全く分からなかったんだけど色々と尽くして最後のフロンティアが小説ってだけで特に小説である必然性はなかったんだけどただ色々と読んでみて文字じゃないとどうにもならん!っていう他じゃ無理なものってのがあってそれがベケットとかカフカとかブランショとかヌーヴォーロマンだとかってことだったってことなんだけどね。

 

文字じゃないとダメっつってもまぁハネケがカフカの城の映画化をしてるけどやっぱまぁ全然ダメだよね。だからまぁそういう意味で文字じゃないと意味を成さないとか文字である必然性があるものってのは残るし今後も価値あると思うんだけど小説の中でアクションだのサスペンスだのってのはどうなんだろうね?っていうさ、ネトフリとかアマプラとかでドラマとかエグイ量あるじゃん?まぁもちろん小説が原作のやつがあったりするから小説は無くならないんだけどさ、ただまぁ映像化されたら映像見るよね。楽だから(笑)

 

これってなんかカメラと写実主義に似てると思うんだよね。カメラってのがまぁようは映画とかドラマってことなんだけどでもまぁドラマとか映画は昔からあったっつっても昔は放送時間が決まってたり録画してテープで見なきゃいけなかったりってのがあったのが今はモバイルでオンデマンドで任意の時間に見れるっていうところが一気に映画とかドラマがカメラ化したような感じがするんだよね。小説はテレビがいらない!すぐカバンから取り出して読める!とかCMが入らない!とかそういう小説の良さってもうないわけだよね。

 

あとまぁマウンティングの時代が完全に終わってるから「これ読んだ」とかっていうマウンティングが使えないから教養としての小説みたいな価値もないじゃん?そんなのもうとっくに無くなってるのかもしれないけどね。ジャズとかクラシック然り。そう思うとやっぱ印象派なのよね。そんなに美術詳しくないけど(笑)例えばなんかの出来事があって私はこう感じましたということを客観ではなく徹底的に主観で描くっていうね、そこで独白だのルサンチマンだの自分の生い立ちだのってのが出てきてそれが世界感になるっていうね、まぁ日本文学は私小説が多いらしいけど、元々日本ってそういうのが強いのかもしんないよね。

 

逆に客観的っつーか完全に物語で刑事ものだのなんだのってことになると明らかに映像のほうが優れてるっていうか利点が多いよね。刑事ものの小説を読むって渋いけど結構ハードル高いよね。ミステリとかだと分からんけどね。よく分からんけど文章ならではの誘導があってそっから謎解きとかトリックってのが巧妙ってのは純粋に書き手の技術でやたら映像にすればいいのか?っていうとそういうことではないような気がするんだよね。

 

でもSFとかアクションとかだとそれこそそのうち今もあるらしいけど文章から映像を生成するっつーAIがあるらしいからまぁ文章を書く人はいるんだけど鑑賞する側は文章で生成された映像を見ることになるわけだよね。なんつーか映像で見た方が親和性が高いジャンルってあるでしょ。まぁそういうのが多くて文字である必然性があるものってのが逆に少ない感じがする。

 

ただ私小説の映画化とかの場合、キャスティングやら監督の解釈やらで全然違うものになるからっつーかまぁあと2時間ぐらいっつー時間の制約もあるから小説いらないってことにはならないよね。結局小説のほうが情報量多いとかさ、映画化においては削除せざるを得なかったエピソードとかってあるわけでしょ?

 

なんか書いてて思ったんだけど意外と小説っていらなくないね(笑)一冊の小説を読み込ませて完全なる映像化なんてできるようになるのは相当先だからあくまで今の技術っつーところから言うとまぁしばらくは大丈夫そうだよね。ただまぁ小説脳ってあってさ、ぶっちゃけ読み始めの頃って読み始めだから読むの大変だったんだけど、2年前に書き始めて半年ぐらいやってネタ無くなってやめてんでまた書き始めたのが去年の10月ぐらいからなんだけど小説に触れてない期間にも小説脳って育っててさ、すんげー小説が頭に入ってくるんだよね。

 

文体合わないなーとか興味ないなーとかって思ってたやつもガンガン入ってくるから読んでなかったやつ読んでみよう!とかって思ってまぁあんま素材とかにならなかったやつとかを(笑)色々と読み始めたら面白くてしょうがないというね、これはまぁ小説を読む頭が出来上がったってことだよね。

 

まぁ書いて読んでるからそりゃ脳も発達するだろうとは思うんだけど小説って面白いんですよマジで(笑)マジでもう色々とやることなくなって飽きまくってやべーなって時に小説再開したから小説に救われてるんだよね。書ける時はそりゃ最高。脳汁出まくる。書けないと絶望的な気分になるけどそういうときはインプットっつーか読んでなかった小説とかを精読するっていうね、書けない時は読む!っていう感じよね。

 

そうなるとまぁ俺って小説まともに読んでこなかったからっつっても古典とかはやっぱ今読むとつまらなさすぎてキツイからやっぱ近代小説にはなるんだけどかなりの量あるじゃないですか?で、サンプリングできるかもしれないしまぁそれってあれよね、音楽の作り手になると基本的にサンプリング脳で音楽聞くようになるのと同じよね。「これ使えんじゃね?」的な楽しみがある。

 

なんか思ったより話が展開しないね(笑)まぁただ小説って若干スピリチュアルになるけど技巧派はともかく自伝的なのとか私小説的なものとかって誰でも一個ぐらい持ってるんだよね。物語を持ってるっつーのかな?高橋源一郎さんが人は誰でも生涯に一冊ぐらいの小説は書けるって言ってたけど、それってまぁ誰でも一個ぐらい小説として成り立たせることができる物語を持ってるみたいなことだと思うんだよね。

 

でも逆になんかあれだわ、テクとかではない音楽とかと一緒で出てこないもんは出てこないわけで、絞り出すとネタ切れになるっていうか、あとはなんかどっから降ってくるとか小説と会うのを待つしかないっていうね、なんかこれってどうやったら書けばいい?みたいな技巧じゃないところが面白いと思うんだけどね。

 

仕事としてやってるわけじゃない場合、例えば曲とかにしても思いついたら作るわけで思いつかないのにDAWの前で渋い顔をして降りてくるのを待つってのも不自然だよね。降りてきた場合、部分的なものであっても降りてきてるからあとは形にすればいいだけなんだけど降りてない場合、結局技巧で書こうとするからまぁ大体つまらないんだよね。降りてきたのってよく分からなくて異様だったりするし書いてる本人もよく分からないけど書いちゃってるって感じだからなんかこれって占いとかのイタコ的な感じと似てるなと思うんだよね。

 

でも書いてる時が楽しいからまた降りてこないかなーとかって思うんだけどまぁそんなになかなかしょっちゅう降りるってこともないわけで。

 

まぁそんな感じっすかね。もうちょっとなんか書こうとしたようなことがあると思ったんだけどまぁいいや(笑)

 

んじゃまた。