行方不明の象を探して。その265。

起床。脳が「それ」を求めて睡眠時にも休むことなく頑張っていたのだろう。お疲れさん。脳。オールド・クロウのオン・ザ・ロックを作って飲み干した後にPendereckiのPolish Requiemを流した。

 

気が変わったので、Mauricio KagelのSankt Bach Passionをかけた。オペラの内容が断片的にしか分からないので、Kagel特有のユーモアが伝わりづらい。ようはこれはキリストの受難曲というありふれたテーマの内容をバッハに置き換えた作品なのだ。出てくる人物も主人公のバッハだったり実際に書簡などで存在が確認されているバッハの友人などが含まれる。

 

 

現代音楽をかけながら長時間泳ぐことで、泳ぐ努力さえも溺れるようになる。それは確かに理由だったからで、僕は長い時間泳いで異質な感覚を感じ、自分自身を制御から切り離された。しかし、何もない空虚な困難と実存的受難で自分自身を分散させた。目的もなく、ただ空虚に泳ぐことについて、それは自分が自分を引っ張っているかのようで、その都度、僕は自分自身を見つめなおして、凪を続けていくことになる。

 

海は穏やかで、現実を追ってそこに来ていたのに、その海が何の役にも立たなくなった時、これらの思いはどんな思いになっていたのだろう?泳がなければならないという理由だけで、全く無駄だった行動、僕が頭を使う習慣があったということが、どんな逃避に繋がっているのか、なのにも関わらず不思議と生ぬるく、ある種の快楽を追求していたこともあって、波が押し付けた飛沫が、逆さになっているのを感じなかった。

 

 それは自分を見つめているようだった。水中では静寂が支配し、疲労からか、あるいは未知の深淵さからか、あてもなく泳いでいるまま、僕は動かないままで、腰を下ろして海を見たが、雲に覆われていた。次の瞬間、僕はこうして泳ぐことに耐えられなくなった。その幻想は続かなかったのだ。

 

しかし、同時に唯一現実に思えたこと、それは沈むのということか?溺れるため?自分を捨てて、手の届かないところに散らばって遠くが見えなくなっている、空一面の違和感の中にすべりこんでいくのか。そして、この瞬間も、泡が同時に目の前を飛び交い、僕の中で自分の体が分散して泳いでいる感覚があった。

 

僕は風をはらんだ海の上を流れに任せて進む道を選択した。水の存在によって、天を仰いだ男の甘美な幻想が僕の体をとらえ、霧が海岸を隠している。彼は僕の腕であるこの波を転がすことを余儀なくされた。それは光に流される霧にもかかわらず、味気ない洪水から、僕は一瞬もない無限の旅を口にして、体は激しく現実の海と共に疲れを回すようになった。

 

水のことを考えると、砂を忘れることができた。僕は波の中にいたように、同じ時間の沈黙と穏やかなビーチに上陸し、引き込まれた。呼吸は荒くなり、理想の海は嵐となった。目的もなく泳ぐことで、僕は自分自身を混乱させ、見慣れた要素で感じる離人的感覚から転がることを余儀なくされた。しかし自分は自分を上から見ているようだったり、とにかく自分の中にいないわけだから、転がることについても、それは独特の感覚があって、言いようがないものがあった。

 

この感覚は、同じ時間を感じた何かがあった。その後、より強い波が来て、距離が見えなくなったとき、僕はまた虚空に滑り、自分自身を失った。

 

ドルチェ&ガッバーナの香水をつけて、クリスチャン・ディオールのジャケットとボトムスに身を包んで由香里との待ち合わせ場所に行った。僕がカフェでぼんやり外を眺めていると由香里がやってきた。

 

「またドルチェ&ガッバーナ?」

 

かなり遅れてきたのに開口一番これだ。このカフェのパンケーキは可もなく不可もなくという感じで、バターの質もメープルシロップの味も好ましいレベルにないものの、パンケーキの味というよりかは、じんわりと口にパンケーキの味が広がる独特のあの感じはパンケーキにしかないと思っているそれでもパンケーキを食べる。由香里はカフェオレとケーキを注文した。

 

「こんなところでマリファナ吸っていいの?」

 

と言った。

 

「別に死ぬわけじゃないからね」

 

と由香里は答えた。そのカフェは近未来をイメージしたような内装になっていて、立地も良くアクセスがいいため、パンケーキがイマイチだろうがいつも客でいっぱいだ。

 

「ところであの話だけど覚えてると思うんだけどさ」

 

「ジャンヌね」

 

「まぁそうとも言えるけどジルドレだって」

 

「そうだったわね」

 

「いくらジャンヌが火あぶりになったとはいえ、例えばさ、鬱になった人間が猟奇趣味に目覚めると思う?」

 

「引きこもりなんて大体そんなものでしょ?そういえばあたし、パーマかけたんだけど」

 

「それは偏見でしょう」

 

「パーマが?」

 

「いや、引きこもりに対してだよ」

 

「なんだそっか。良かった。友達がまるでワカメが頭に張り付いたようだとかって言ってたから気になってたのよ」

 

「凄い例えだね。それ。で、ジルドレだけどさ」

 

「ジャンヌがいなかったらジルドレはあんな風にはならなかったからジャンヌの罪なのよあれは。そういう意味で裁かれるべき女だったのよ」

 

「話が前後してない?ジャンヌが火あぶりになってジルドレが鬱になって、それで元々酷かった散財がもっと酷くなって財政的に困窮し始めて錬金術をやりだしたわけでしょ?でも金はできない。で、信用してた魔術師に「なぜ金ができないのか?」って聞いたら「悪魔の力が必要だ」って言われて、それで少年を誘拐してきて性的に弄んだ後に切り刻んだわけでしょ」

 

「頭おかしいわよね」

 

「ここでマリファナ吸ってる君も大概だけどね」

 

「だからマリファナじゃ死なないってば」

 

「いや、そういうことじゃなくて。キマってきてんの?目が赤くなってるね」

 

「ジャンヌが憐れだと思って悲しいのよ」

 

「じゃあなんでジルドレの悪行をジャンヌのせいにするの?」

 

「だってジャンヌはそういう女だからよ。ジルドレが悪魔に取りつかれたのもジャンヌが悪魔を呼んだからなのよ。生前は聖女だったけど業火に焼かれたことで悪魔に変身したというわけね」

 

ウェイトレスが「コーヒーのお替りいかがですか?」と聞いてきたので、彼女もおかわりを頂くことにした。

 

「それにしてもあれね、あなた、ハンフリー・ボガードみたいな喋り方するのね。クールでタフで」

 

「よくそんな歯が浮くようなお世辞を言えたものだね。僕は普通の男だよ」

 

「だってこないだセックスに興味がないって言ってたでしょ?」

 

生足に履かれた由香里の黒いブーツが鈍く光る。脚を組み替えたときに皮が擦れる「キュッ」という音がする。

 

「性に興味がないというわけではないよ。でもなんでハンフリー・ボガードとセックスに興味がないということが関係するの?」

 

「ほらね、コーヒーそのまま飲んだ。ミルクも砂糖も入れない」

 

由香里はマリファナを胸に溜めるだけ溜めて吐き出した。吸っているというより塗れているという感じである。この「感じである」と語尾をしめるのも、なんか他にないものか?と思うのだけどなかなか見つからなくて困っている。そんな風に考えてたらマリファナの匂いが周り以外にも、店内にも充満するほどのスティッキーなヴァイブスとなって流れ始めた。彼女は組んでいる脚をクネクネさせている。