理想の国家を作る!とか麻原並の誇大妄想だと思うんだけどまぁ俺の脳内ユートピアってことで達成したい夢ではあるよね。でもいかにも!な夢らしい夢だと思うんだけど、今の生活には夢が無いよなぁー。本当にって思いつつも夢って何だ?って思った時にやっぱりそれはあれだよね、苫米地さんの本とかにも書いてあるような「明らかに実現不可能と思えるもの」だよね。
まぁ達成出来そうなものでもいいけどやっぱ夢は夢らしくなくちゃ!んでもそれすらも持てないってのは分かるんだよね。絶望とかもあるけどそもそも夢が無い!って人も多いらしいけど、まぁ今の俺で言えばズバリ「数学者になる!」ってことに尽きるな。30歳説とか色々あるじゃん?で、帰国の流れから言ってどんどん離れていってるような気がするんだよね。「あーもう無理だなぁー」的な感じね。あとは人にそんなこと言ったら「大人になれよ」とかって言われるような感じっつーのかな?
なんかそういうのが増してくれば増してくるほど言わば実現可能性が低くなってるか低くなってるように感じるわけじゃん?そうなればなるほど夢の夢具合っつーか夢度って上がるじゃん?だからこそ追える価値が出てくるっつーかやり甲斐がある気がするんだよね。数学者になろうとして挫折して他の職についてる人とかさ、あとは無理だったんだけど好きだから続けてる人とかさ、なんかまぁ崩れが多い業界だよね。別にそれはright trackに入ったようでも崩れるんで学校とかあんま関係無いんだけどさ、んでもなんかもうキャリアとかも無くて始めるのも遅くて学校行けなくてみたいなさ、なんかそういう条件ってロマンがあるよね。俺らしいロマンっつーか(笑)
政治系に関して言えば前にここで耳蝉さんはドンキホーテみたいだって言われて凄く嬉しかったんだけど、数学に関してもそれでいけるよね。いや、そう見えてるか。普通に(笑)でも俺の中ではとりあえずtrackに入ろうと思ってたわけでさ、んで今はもう完全に外れてる外道になってるってことになってるわけよ。そんな中だからこそあえてやり続けるっていうさ、何かそれ自体が良いような気がしてきたんだよね。最近。
「あースカイリム終わっちゃったなぁー・・・やることなくなったー・・・」って感じになって自然に数学に戻ってきて楽しんでる自分がいるとやっぱそこに「楽しみ」だけじゃなくて「夢」をトッピングしたくなるんだよね。イノセントな夢っつーかなんつーか。数学者にはなれないけどでも好きだからやるじゃやっぱダメだなと。それだとただの数学好きじゃん?そこがやっぱ俺自身が嫌いなアマチュアリズムになるわけで、明らかに無理そうでも勝手にプロフェッショナル道を歩もうとするっつーのは本当にもうマインドセットしかないと思うよね。まさしくそこに必要なのが大いなる勘違いだよね。俺はやれる!大数学者になるんだ!って勘違いが必要。
で、俺の中ではその痛い感じの勘違いを開き直りでもなく方法論的にでもなく地でやっちゃうっていうさ、そのかっこわるさを実行しないとダメだなって感じてるのね。今まではなんかやっぱなんだかんだで1流になろうとしてる気負いみたいなのがたとえドンキホーテ的であれあったんだけど、今はもうドンキホーテとして数学に挑むしかないんだよね。まぁでも挑むというほどチャレンジなわけじゃなくて好きだからやるんだけど、でもそこで妄想狂の人みたいに「大数学者になる!」とかって勘違いしてるってのが本人にとっては幸せだからそれでいいっつー感じだよね。
ゲームやっててもやっぱ終わりがあるし飽きるよなぁーってスカイリムみたいな神ゲーレベルでも所詮そうなのよね。哲学も昔ほど刺激的に感じられなくなってきたし、今もフッサールとか読んでるけどなんかより研究的になってるんだよね。よりディティールを理解するために読んでる感じで楽しくてやってる!という感じではない。だからなんかイノセントな感じで楽しくやってるのって今は数学だけなんだよねぇー。マジで。飽きずにここまでやれてるってやっぱ好きなんだろうなぁーって思うよね。スカイリムに飽きて数学に戻ってくるとかなかなかのガチっぷりだよね。まぁここまで好きになるまで時間がかかったわけだけど。
あ、んでDead Islandってダウンロードし終えたんだけどやっぱああいうのはすぐ飽きるな。ただゾンビ倒すだけだから。ゾンビ倒してる時にもうブルバキに戻りたくなったりArtinのAlgebraの続きを読みたくなってきたりするからやっぱ寝ながら数学書を読んでるのが一番いいなーって思うよね。マイルドな快楽だから躁鬱っぽくならないし。まぁただこればっかだとさすがに飽きるから合間にゲームとか映画とかお笑いとか娯楽挟まないといけないんだけどね。でも前から書いてるようにそれはあくまで数学のための娯楽だよね。
刺激をキープするための気分転換としての娯楽なわけでメインはやっぱ数学なんだよね。数学しか無い!って思ってやってても実際そうじゃなかったらとっくに辞めてると思うんだよ。でもやっぱゲームにハマって数学に戻ってくるってことはゲーム並に好きなんだよね。恐らく。人生後悔しないために好きなことは徹底的にやる!ってのは俺の鉄則だからそれはやっぱ絶対やるんだよね。で、それに即物的な「どの道、これしかないし」的な消極的な感じじゃなくてやっぱり「大数学者になる!」っつー夢のトッピングが必要だなと思って。言わばラーメンっつー味わえる土台があって夢っつートッピングがタダでよりラーメンがおいしくなるならタダなんだしトッピングすれば?って話なんだよね。
そこでまぁ「いやー無理だよ」って思うのはどこかかっこつけてるんだと思うんだよね。なりたい!と思ってなれないっていうのがダサいから言わないとかさ、「もう諦めた」って言うほうが現実的な感じがして大人っぽいとかさ、結局はなんつーか見栄えのことなんだと思うよね。夢追い人はそうじゃダメだな。その追ってる姿のダサさっつーのかな?「プッ・・・無理に決まってんじゃん」としか思えないのに本人はやる気満々でやってるっていうその滑稽さね。夢に対してfoolになるって意味でのまぁジョブズではないけどstay foolishだよね。
なんか俺はかっこつけてたなぁーと思って。俺には無理なんじゃないか?とかアカポスが無いから・・・とかってまぁそれはリアルな面なんであってさ、んでも夢の実現ってそういうリアルを突き破るもんじゃん?だからリアルに規定されて夢が消えるってそれは現実的な夢過ぎて逆に諦められる夢ってのは夢じゃないし諦めたように振る舞ってるってのはfoolishでいることをやめて冷めた意味でcoolになるってことじゃん?それじゃーダメだなぁー!と強く思ったわけですね。ええ。stay hungry stay foolishってのは言わばそういうことですよねぇ。そういう意味で発狂後のニーチェがある意味で一番ニーチェらしいと言えるよね。この俺を見よ!的な実践じゃないとダメなわけで。その夢を追う姿は素っ裸で糞尿垂れ流しながらひたすら走り続けるみたいなさ、つまりは凄まじくダサい生き方になるわけですよ。
夢が現実的だとかっこいいんだよね。荒唐無稽だと勘違い野郎とか電波系とか中2病とかになるんだけど今の俺に足りないのはそこなんだよなぁー。今でも十分そうかもしれないけど夢を追うfoolishさが足りなさ過ぎる!って思ったのね。何がきっかけだったのか分からんけど。foolってのは何もやらない本当の愚者でfoolishってのは何かをやり続けるバカだよね。で、バカだったはずが認められると後者は一気に成功者!とかって言われるようになるっていう。まぁ別に名声とかは関係無いんだけどね。なんかんでやっぱ帰国後の俺ってfoolだったんだよね。それに比べてアメリカに居た頃は凄くfoolishだった。その違いが凄く大きいなぁーってことなんだよね。
まぁそんな感じで今日はこの辺で。