行方不明の象を探して。その277。

だから僕は常にメンタルのチェックを欠かさない。でもここでパラドックスが起きる。もし僕が狂っていたら「狂っていない」と診断する僕は狂っているのだから、第三者の目がどこにもないということが問題になる。身体的な問題なら客観的に分かりやすい。首が回りづらくなるとか足首が回りづらくて違和感を感じるとか、でもメンタルに関して言えばそういったフィジカルのような分かりやすさがないので、狂っているか狂っていないかが分からない。

 

そろそろ執筆の時間だ。僕はタイプライターをセットが置いてある机に向かった。作家というのは少なからず、夜を無事に過ごすために虚構を練り上げ、整え、売り歩くという仕事に従事しているのだ。売らなくても売れなくても虚構を練り上げれば夜をなんとか過ごすことができる。練り上げられなかったときの苦痛を考えると虚構に関わらないほうがいいとさえ思えてくる。声がなくなっていく。

 

僕は現象間の必然的な関連性という凝り固まった考えを否定し、それを「習慣の繁殖期待」に帰着させ、それによって「因果の原理」を心が信じること、偽ること、作り上げること、発明すること、言い換えれば、都合の良い虚構をでっち上げることに専念しているのである。こういった自己欺瞞の能力を高めることは、作家にとって、架空の人物や、しばしば自分自身を育てる上で、貴重な特性である。

 

アメリカのノーベル文学賞受賞者の多くがアルコール依存症であることを考えると、このような能力が強い酒に飢えていることは驚くには当たらない。今後どんな作品を書いちぇいくべきか、どのような作家になっていけばよいのか、という悩みであれば別に問題ないのだが、今回の場合は、自分は一体何のために小説を書いているのか?という根源的な疑問を突き付けられた。どうして自分が小説を書いているのか分からなくなってしまったのだ。

 

おやまあ!あそこにいるのは象さん!そんなベッドになんか座って!それで泣いてる!胸も張り裂けんばかりに!象さん!なぜこんな?誰にこんな目に?何者ですか?畜生、あいつら・・・あいつら・・・ほら象さん、このハンカチを!そしてこのハンカチも!そしてこれも!ちょっとタオルを取ってきましょう。医者を呼んできましょう。何かできればできることなら熱い紅茶でもい?温かいスープでも?マリファナでも?LSDもコークもありますよ。ヘロインは高いし維持できないとキツいんで持ってません。赤のジャケットでも?青のジャケットでも?

 

象さん、どうか!象さん、僕を見てください。誰かに辱めを?すると象さん、あなたは凌辱されて?破滅させられ?あなたが僕を破滅から救うのではないのですか?凌辱されて破滅させられたのですか?調教のバイト関連ですか?名誉棄損が行われ?悪評が出回り?中傷が?SNSで?忌々しい!許さんぞ!我慢ならんぞ!畜生、この身果てるとも、命朽ちるとも、象さんをディスったやつらを特定してやる。そして血盟団の如く成敗してやる。僕は正義のテロリスト。一人一殺どころではない。一殺多生でもない。多殺多生だ。

 

うーん、象さんをディスったやつを見つけて成敗する勧善懲悪ものかぁー。でもどうやってSNSの書き込みから個人を特定する?特定したいのは山々なんだけどって山々って何?ググろう。小説家になるためには言葉のアーティキュレーションが必要だ。いや、間違ってはいないようだ。でも山々って違和感がある。そんなに壮大なつもりはないし、何よりフィクションだし。あーもうダメだ。今日は酒飲んで寝よう。また明日頑張ろう。

 

手をのばして電灯のスイッチを切った。朝、目覚めたとき、自分がどうしようもなく空っぽに感じられた。いちいちそんなことを言わなくてもどうせ毎回空っぽに感じてるわけだから、寝る起きるを繰り返してれば「空っぽに感じられた」って言うだけでもうあれだろう、それは永遠だろう。ゼロだ、と思った。それを繰り返していれば虚構が続くような気がするが、それは一芸だけで永遠と何かを続けるような芸人のようなもので、「空っぽだ」と言っていればとりあえずオッケーになってしまうというのはいかがなものか。

 

恐らく俺は見当違いな場所で見当違いなことをしている。でも見当違いじゃない場所というのはない。窓の外に暗い色のキリが低くたれこめていた。今にも雪がふりだしそうな寒々しい空だった。そんな空を見ていると何もする気も起きなかった。時計の針は7時5分を指していた。昼夜逆転が戻ったのか。寝たのは実は自分じゃなかったりして。だからあまり時間は気にしない。

 

スマホでネットを見た。ネットサーフィンなんて言葉があったけど、いかにもネットが出始めって感じの言葉で懐かしいよね。いやーネットはつまらない。そりゃそうだ。世界がつまらないんだからネットが面白いわけない。ネットが面白かったら逆に問題だ。おかげでスマホ中毒とかネット中毒にならずに済んでいる。と

 

いっても中毒になるぐらい丸一日やっていた時期があって、でもこういう中毒も一回経験してしまうと克服できてしまうものなんだよね。おかげでアルコール中毒にも買い物中毒にもネット中毒にもならない。全てに飽きているから。

 

つまらないのでベッドを出て浴槽に行って顔を洗って髭を剃った。元気を出すためにインキャパシタンツをハミングした。でもそのうちにそれがインキャパシタンツのライブ盤であるような気がしてきた。考えれば考えるほどその違いがわからなくなってきた。どっちがどっちだったんだろう。客の歓声が入っているエア録音っぽいやつは客の歓声までハミングしなければいけないので大変だ。でも客の歓声は入ってないからどっちがどっちだか分からない。何をやってもうまくいきそうにない日だった。髭を剃っていて顎を切りシャツを着ようとすると袖のボタンが取れた。

 

イライラしてたらイチモツが突っ張ってきたので、使いすぎてちんちんの大けがを負って以来、使っていなかった最新のテンガのハードタイプのやつでゴリゴリとちんちんを擦った。気持ち良くない割に無理に精液が出たのでさらにイライラしたので、クローゼットを開けて、どんな服があったかを点検して、ボロボロになったペニスを慰めるために適当に洋服を選んで少し外に出てみようという気になった。点検って狂気だよな。身近にあるものを点検する人間って多分この世にいないと思うんだよな。

 

街を歩いててもペニスがズボンに擦れて痛くなる。あのテンガをちゃんと使えている人はいるのだろうか。ちょっと遠慮気味に使ってもゴリゴリし過ぎてて性器に傷がつくから、自分ペニスが大きすぎるのか?とも思ったけど、んなこたぁないだろうと。日本人男性の典型的なサイズだと思うのでね。一時間ぐらい歩いているとペニスの痛さも限界になるどころか、いつもごめんね。つまらないんだぁ。何にもおもんない。

 

適当に駅ビルとか電機屋とかに入って何かを買おうと思っても必要なものが全て揃ってるし、逆に今後の暇つぶしとしては寝起きにクローゼットを開けて毎回洋服をひとつひとつひとつ点検してから、点検した割に「これあんまり着てないな」っていうものを選ぶのではなく、いつもと大体同じ格好をして街を出て、その前に体のひとつひとつひとつを点検してから、外に出て適当な店に入っては、商品のひとつひとつひとつを点検して回り「結局、これも持ってるし必要ないな」と認識にインプットしながら、昼ぐらいになったらこないだ行った一般的に言えば変な音楽がかかっていそうなビヤガーデンに入ってシンバル女が食べる予定だった生ガキやシンバル女が食べそうなものを先回りして頼んで、管男と同化してひゅーひゅーしながら文字を書けばよいのが書けるかもしれないけど、ちんちんが痛い場合、それが気になるし、清潔にしようと思ってボディーソープで洗おうとすると痛いどころか痛さを越して燃えるように熱くなって、きゅんたまにバンテリンを塗ったときのような痛みが、ようはああいう内部系に浸透するようなどうしようもなく苦痛な痛みがちんちんという表面ではなく鼓膜に突き刺さる音楽を制作するもんだから、ちんちんに対して「申し訳ない」と思うと同時に、あのテンガは一生使うことがないだろうなーとか思いつつ、ちんちんを痛めてからはオーセンティックな手淫に戻らざるを得なくて、でもそれが逆に低刺激で気持ち良かったということ考えると、一周周ってオナニーは手淫に戻るのかもしれないなと思った。

 

ちんちんが痛くなったから痛くならないような楽なズボンを履こうと思ってまた一時間ぐらいかけて自宅に戻って着替えてビールでも飲みに行こうかと思っていたら読みかけの本が目について、実際は読みかけの本だらけなんだけど、適当に手に取ってコムピュータがスキャンしているような速度で読んでは、また別の本を読んで、でもあんまり感動がないから、精読すればいいのか?というと全くそんなことはないわけで、かといっても本の質が低いとかそういうわけではないから本のせいにもできない。

 

この慢性的な退屈感から逃れるためにはドラッグぐらいしかないだろうと思っても、お金の問題というよりかは切れた時に調達しなきゃいけなかったり、ハリウッド俳優みたいに何キロものヘロインを自宅に隠しておくということもできないし、長期的に見るとやはりマリファナ以外は身体に害があり過ぎてリハブに入ることを考えるとやっぱり面倒だなって思う。

 

そろそろ限界だ。なんかやろう。数年前に買った「これ」と決めているいつも買うブランドの上下をベッドの上に広げてみた。何も起こらなかった。成人してから既に長い年月を経た人間であり毎年税金の確定申告をアウトそーじんぐして然るべき額を延滞なく支払い、犯罪歴もなく、無駄に教養だけはそこそこある。そしてそれも何も起こらなかった。そんなことを考えてもどうにもならない。まあ誰にだってそういう日もあるのだと自分に言い聞かせても、実際、自分の日々なんて毎日こんな感じだ。本当にどうしようもない。

 

さっきゴリゴリ射精したから外に出て文章の写生の訓練でもしてみようかと思って外に出た。家にいるとまたウロウロしてキチガイ度が高まるから、まだ外に出てやっていることはただのウロウロでキチガイじみているのだけど、散歩だとかっていうエクスキューズが可能になる外は意外とどうしようもなさと相性がいい。やることがなくなって死ぬのを待ってる老人が意味もなく外に出てウロウロしているのもそういうことなんだろう。家にいると発狂してしまうからだろうね。

 

気持ちの良い春の宵だった。家にいるのが好きだけど外の空気はたまに吸うと格別な気がする。錯覚だと分かっていても。空には明るい満月が浮かんでいた。通りに並んだ街路樹は緑の若い芽をつけ始めていた。散歩するにはちょうど良い気候だ。しばらくあてもなく街を歩いてから、バーに行ってカクテルでも飲むことにした。あーまた同じだ。結局これぐらいしかやることがない。んでまたあれだろ、お冷と一緒に頼んで小便ジョージョーたらしてさ、時計を見て「立派な時計だなー」とか思いながら、ダラダラと小説が書けない理由を考えるのだろう?しょうもない。