行方不明の象を探して。その259。

彼の現代音楽のコレクションは質的にも量的にも文句なく素晴らしいもので、レコードに至ってはほとんどが書版オリジナルでコンディションも良かった。尤も現代音楽のレコードは珍品を除けば数百円から高くても2000円超えないぐらいで売られているものが多いので、現代音楽と違って愛好家の多いジャズのレコードの初版の、しかも盤にスクラッチひとつないほぼミントと同様の状態のものが大量にあったらお金に換算したら凄いものになるかと思う。

 

多分、彼のコレクションは一部のマニアを除いては二束三文で取引されるようなものが大半かもしれないし、何より現代音楽は果たしてこれは音楽なのか?などと言われてキワモノ扱いされたりもするので、例えばそれがモンドのレコードのようなストレンジでスペース・バチェラーなものであったら「面白レコード」として評価されるのだが、現代音楽に至ってはレコードやCDという媒体の価値がどうのという世界の話を聞いたことがない。

 

デンタタと知り合ってから半年ばかりあとのことだが、彼の家の留守番を頼まれた。デンタタは珍しく仕事の都合でどうしても一週間ほど海外に行かなくてはならなかった。デンタタが旅行に出るときには、娼婦たち数人が留守番をするのだが、今回はそれができなかった。

 

「悪いけれど君しか思いつけなかったんだ」

 

とデンタタは言った。

 

「いや、留守番といってもモルボルに一日にどの食事さえ与えてくれれば、あとは何もすることはない。好きなだけレコードもCDも聴けますよ。酒も食料品もたっぷり用意してあるから、遠慮しないでやってくれるとありがたいです」

 

それは悪くない提案だった。ヴィンテージのパワーブックG3を持って行って、片っ端からデンタタのコレクションをコピーしてしまおうと思っていた。しかし相手が人間ではないとは言え、とある生物が持っているCDを無断でコピーするのは道徳的にどうかと思い、デンタタに

 

「気に入ったCDがあったらコピーしてもいい?」

 

と聞いた。

 

デンタタは

 

「どうぞご自由に」

 

と答えた。これがバンド結成の経緯だ。編成はマッキントッシュ・パワーブックG3を極力微動だにせず、ただ画面を眺めてネットサーフィンでもしているかのような体で犬が吠える声の短いループを流したり、SMプレイの時の鞭と喘ぎ声を同じくループさせて若干変調したりして、デンタタは愛用のオルガンのインプロヴィゼーションをするという内容のものだった。

 

デンタタはサン・ラの大ファンで、サン・ラのオルガンインプロヴィゼーションに感銘を受けて電子オルガンではなく、本物のオルガンを買ってYoutubeで映像を見ては真似をしていたらしい。だからサン・ラのインプロヴィゼーション風の演奏なら自家薬籠中の物にしていると言える。

 

と言えば言わばサウンドエフェクトのようなものをループさせているだけなので、全く労力もなければ気苦労もない。テクニックも全く必要ない。前は一時間近く鐘の音だけを鳴らしていたこともあった。

 

対バンする連中はどうしようもないワナビーか、コンセプトがよく分からないバンドが大半だった。特に印象的だったのが、これから演奏をするというのにずいぶんと洋服を着こんで毛皮のコートのようなものを着た女性一人と、同じくずいぶんとめかし込んだ女性一人がボーカルで、ドラムはスキンヘッドの一昔前のパンクバンドとかをやっていそうな、いかにもという感じのバンドマンで、その横によく分からない冴えない大学生のような風貌の男が電子ヴァイオリンを弾くという構成になっていた。ギターとベースもいた気がするが、この4人の印象が強すぎてよく覚えていない。

 

どれも「誰がこんなのを聴くのだ?」というような内容のものばかりで、逆にド下手くそだったりすればまだ面白いのに下手に上手くて曲も無難で全く何を目指してバンドをやっているのか分からないような連中ばっかりだった。そんな連中もさすがにデンタタの姿を見ると「ぎゃあ!」という声を上げたりすることが多かったが、デンタタが見かけによらず紳士的なので、最終的には驚いたほかのバンドの連中とも打ち解けていることが多かった。

 

相変わらず人間嫌いで人とあまり話したくないので、バンド同士のどうでもいい会話のほとんどはデンタタが行っていた。バンドの名前はヴァギナ・デンタタ・オルガン。略してVDOである。ちなみにJordi Vallsによる同じ名前の一人ユニットとは何の関係もない。何しろオルガン違いだ。あちらはヴァギナ・デンタタというよりもデンタータという感じだし、オルガンは臓器を意味するオルガンだ。しかしユニットはサン・ラを模倣した楽器のオルガンだ

 

バンドが出演する際には自分でチケットを買わないといけない。ようはライブハウスというレンタルスペースの料金をチケットという形で買うことになり、それを人に売ることができるのだが、知り合いがほとんどいないのにチケットをさばくなんていうことは不可能だし、デンタタに至っては人間ではないのでチケット以前の問題である。

 

お金の話は一切しなかったが、基本的に全部デンタタが払っていた。出演したライブハウスの場所はワナビーやプロになれない連中の掃きだめのような場所ばかりで、荻久保、高円寺、下北沢といった一昔前のサブカル文化ではお馴染みの街が多かった。

 

それは荻久保のライブハウスに出演したときのことだった。例の意味不明の編成の、繰り返すと異様に着込んだ女性二人と電子バイオリンと全く繋がりがなさそうないかついスキンヘッドの兄さんと記憶が定かではないギターとベースによるバンドが対バンだった時のことだ。

 

そのスキンヘッドの兄さんがバンドを掛け持ちしており、ユニットが演奏する前にステージで緊縛ショーをやりながら後ろでスキンヘッドの兄さんがドラムを叩きまくるという、意味不明の詩を朗読して後ろでアングラサブカル臭いギターのやつがノイズを出すといったような、一昔前のサブカルチャーではお馴染みの光景がそこに繰り広げられていた。

 

緊縛自体はそんなに珍しいものではなかった。昔に緊縛にハマりまくっていたので、もっとハードなものを色々と見ていた時期があったので、この時の緊縛は地味に感じられた。しかし印象深かったのが緊縛師が宙づりにされた女の子を責め終わった後に挨拶をして舞台からはけるという場面があったのだが、楽屋に繋がるドアが開かなくなっており、緊縛師はステージ上からはけられないまま、宙づりにされた女の子と、いかついスキンヘッドのドラムの兄ちゃんのドラムが響き渡るというのが永遠と続いて、こちらは凄くシュールで良かった。

 

これが現代音楽の場合、緊縛師がステージ上からはけようとするものの、楽屋のドアが開かずにあたふたしてしまうというようなことすらもが楽譜の中に指示として書かれていたりするので、フルクサス的なハプニングだったとも言えるかもしれない。何しろ相方はデンタタだし、緊縛を見ているときはデンタタとの距離が近かったのでデンタタの魚臭さのほうが印象に残っていた。

 

楽屋に入れない緊縛師をヘルプしようかどうかあたふたしているデンタタの様子が非常に滑稽で、それも含めてのステージだと思えば、VDOと緊縛師と女の子とスキンヘッドの兄ちゃんのコラボだったとも言えるだろう。どこから情報を得るのか分からないのだが、緊縛ショーだけ見に来た綺麗目なアル中のホームレスみたいな連中が数人いたのも良かった。緊縛師も戻る場所がなくてホームレスであったし、デンタタに至っては人間じゃないし、この世に存在価値を見出せないホームレスのようなものだ。

 

そんなホームレスは天気に固執して、底なしの池が光っている。彼はホームレスだが非凡だ。並外れている。駅が見えた。水しぶきの上がる渦巻きで、均等に縫製された剥製から、多分、後ろに袋などを必然的に作るらしく、その他のことと言えば、全てを書ききれないのだが、犬は多分、後ろに、というより森に行くらしい。

 

あとは駅への道などの感じをどのような用語を通じて知ることができるのかを事前に調べておくことが重要だ。何しろその駅は沼に面しているため。泳がなければいけない可能性が相当高い。それは庭でいくつか検知されたもので、駅ではスルーしていても、自転車からの後にプラットフォームに佇む彼らが教科書の草原の池のような、もしくはニューススタンドの信号係のレジだったと聞いていたが、かろうじて不正確な経路上にあるべきである電車が彼の叫びを聞いて呼ばれるかもしれないとのことだった。

 

その絵があれば、存在しないような普通の手も波は逆であって、芝生の後だから、実験でも照明された道路で飲むビールでも、それぞれが役割の魅力を感じるようになっているのである。

 

僕は今、問題なく明るく飲んでいるのです。そして食堂が軋みだす。風が立っているのを聞いて、夕方の章の輝きがあった。そこでも底なしの池が光っている。そして列車が飲んだ跡はバドミントンをしているような音がしたから、夕暮れ時、駅でクスクス笑っていたんですね。その中で演奏されないのですか?駅が夕焼けだったのを覗き込んで生きてきたんだ。夕焼け。そして、木は軋む。