お盆ということもあってか、まぁフォーマルに母方の故郷と同時に鳥居みゆきの故郷でもある秋田に帰るというと変だけど、まぁついて行ったわけだ。当初は行く予定じゃなかったんだけど、スタバで読書じゃないけど、何らかの事柄をやったりこなすことが必ずしも自分の人生にとって良いものではないと同じようにまた、秋田に用事が無くても行くということが必ずしも無駄ではないというような、日々の生活の中で見据える視点を事柄から強度に変えることによって生まれてきた新しい価値観というのがベースになったりして、まぁ秋田に行ったんだよね。詳細は省くとして、まぁ本当に良かった。というか母方の田舎自体は過疎化もいいところで、寂れまくってて、んで下手な開発が行われたことで昔の町並みというのが破壊されたりなんかして、自分の記憶の中にある幼少の頃の実存というのが壊されたような錯覚に陥ったりなんかしたんだけど、でもまぁ強ち錯覚でもなさそうでまぁ微妙だったね。自殺者が多いのも頷ける町並みと寂れ具合だからね。
まぁいいや。ゴーストタウンの話はともかくとして、まぁ今回書きたいことはね、ずーっとスルーしてた10万アクセス記念とね、あとまぁ秋田に行ってっつーか秋田は関係ないんだけど、宿泊先でちょっと思ったことがあるんで、まぁその覚書を書こうと思ったり思わなかったり。
んじゃあまずその覚書からね。あれなのね、母方の母っつーか自分のおばあちゃんの家は色々あってまぁそんなに広くないわけっつーかまぁもっと広い家に住めるはずだったんだけど、まぁそれはともかくとして、俺のおじさんと俺はおばあちゃんの弟の家っつーとまぁ俺から言うとどういう言い方になるのか分からないんだけど、何おじいさんっつーんだろうね?間接的祖父とか?まぁその間接的祖父の家がデカくてね、まぁー下手な民宿なんかよりよっぽどデカイ家なんだがね、まぁ広くて怖かったっつーかね、最初の日は良かったんだよ。広いしさ、なんかいつもと全く違う雰囲気の中で本とか読みながらだだっ広い部屋で寝てるんだからさ、それはよかったさ。ただ滞在二日目に気がついたことがあって、それってーのはね、俺の泊まってた部屋に自家製の御札が貼ってあったのね。四方八方に。で、それが「八方除」みたいなベタなやつじゃなくてなんかの象形文字みたいなさ、全然読めないような、安倍晴明とかが使ってそうな文字が書いてあるお札でさ、すげー怖かったのね。「この部屋で過去に何かが起きたのか?」とかさ、「誰かが首吊りテープスでも立ち上げたんだろうか?」とかさ、色々考えるわけじゃない?そういうのを考えるとさ、まぁ場所が田舎っつーのもあるし、だだっ広い家だから怖くなるのね。都会みたいに車の音とか人の声みたいな環境音が常に鳴っているわけでもなくさ、すげー静かでずーっと虫の鳴き声のみが聞こえているようなサウンドスケープなわけ。それがアンビエント的にワークすればいいんだけど、少なくともこの日には恐怖でしかなかったわけね。俺にとってはね。で、怖くなりながらもまぁ他の部屋で寝てるおじさんのいびきっつーのが凄くてさ、で、まぁ耳栓してたんだけど、誰かの存在を感じたいがために耳栓を外しておじさんのいびきを聞きながら安心したりしてたんだけど、次の日に寝るときに気がついたことってのがあってさ、ってーのはね、母の話によるとこの母から見たところのおじさんというのは物凄く熱心な仏教徒らしくてね、で、なんだかっていうちょっと特殊な宗派らしくて、まぁ普通の宗派っつーかありがちな仏教とは違うようなところがいっぱいあるんだけど、この二日目に思い出したっつーのが方角の話なのね。方角なんかも凄く気にするらしいんだわ。この宗派が。いや、全然カルトとかじゃないのよ。なんだったか忘れたけど、割と庶民派の仏教らしいんだけどね、で、その方角ってキーワードを思い出してさ、御札のことが主観的にメイクセンスしたってのは恐らく俺が寝ていた部屋というのが風水で言うところの鬼門にあたるんじゃないかな?って勝手に思ったりしたのね。平安京を出すまでも無く鬼門がある方向には厄除けじゃないけど、まぁ邪悪な何かを遠ざけるような仕掛けがしてあるわけじゃない?ってことでまぁ方角だなとかって思ってね、「なーんだ、そうだったのかぁー」なんつって勝手に納得した途端に一気にこれまで俺を覆ってた恐怖が無くなったんだよね。
まぁ自殺とか殺人とかがあるわけじゃないんだけど、でもまぁ何か分からない御札が部屋に貼ってるなんて怖いじゃない?で、真実が何かはともかくとして、自分で勝手にその御札が貼ってある理由に納得した途端、その分からないことから来る不安というのが無くなったんだよね。それは人間が本来的に未知のものというか、分からないものに興味を抱くと同時にまぁものによっちゃー警戒したり恐怖するっつーのがあるわけじゃない?それがまぁこの時の場合、勝手な納得でその不透明性というのが消えたことで恐怖が無くなったわけだけど、何が言いたいのかっつーと常に恐怖というのは主観的に起こるってことね。その人が恐怖に思うというのはあくまでその人の主観で行われるもので、そこに物理的な要因というのは無かったりするんだよね。物理的な要因で起こる恐怖は恐怖というよりかは脅威なんだよね。例えば暴走した車がこっちに向かってジグザグに向かってきたとかさ、刃物を持ったシャブ中のおっさんが叫びながらこっちに向かってきたとかね、これはもう防衛本能から来る恐怖なわけだけど、観念的な恐怖というのはその人の考え方とかものの捉え方という要素から生成されるものであって、その人が感じている主観的な恐怖が果たして他の人にとっての恐怖か?というとそれは場合によっちゃー違ったりするわけだよね。だから例えばこの家の主である間接的祖父にとって、この御札が貼ってある理由というのは明確であるっつーかそりゃ恐らく本人が貼ったもんなんだろうから当たり前なんだけど、まぁその御札が恐怖に繋がらないわけだよね。ただ言うまでも無く俺にとってはそれは未知なるもので不気味なものだから色々と考えちゃうわけ。で、その結果、微妙な恐怖ってのが生まれるんだよね。ただここで仮説的な御札が貼ってある理由ってのをまぁ半ば自分の恐怖を紛らわすように出すことでその御札に対する自分の態度というのはその間接的祖父のものと近いものになるんだよね。まぁ近いっつーか怖くないってことね。これってまぁ「これはこうだからこうなんだ。うん」って怖がりたくないからそう思い込むことによって恐怖を消すっていう怖がりなやつがやりそうなことなんだけど、今回の場合は自分の仮説に妙な根拠があったんで勝手に納得できたのね。で、まぁ帰結としてはね、服部半蔵が綱渡りだか標高が凄まじい山の上の落ちたら死ぬような細い道をあたかも普通の細い道を歩くように歩けるって言ってたようなのと一緒でね、主体の捉え方によって恐怖とか不安っていうものが生まれるんであって、必ずしもその抱えている不安や恐怖というのに何らかの合理的理由があるかどうかなんてのは分からないってことね。だから捉えようによっては恐怖と感じられていたものが恐怖ではなくなったりするわけね。で、さっき書いた合理的理由っていうのは変な言い方だけど、まぁ俺が言いたいのはさっき書いた暴走車のようなものからもたらされる脅威的な恐怖ということね。
だからね、なんつーか今回感じたのは恐怖とか不安っつーのは過去や未来の固有の環境とか事柄から隔絶されて宙ぶらりんになった状態によってもたらされる主観的な感覚なんじゃないかなって思ったりしたのね。まぁかといってその原因が分かったからといって恐怖や不安が無くなるとは限らないんだけど、まぁでも分からない恐怖というのは本当に強烈な恐怖だよね。だからあれだね、俺みたいな神経質なやつが合理・論理的思考法を携えてないとその人生はただその主観からもたらされる未規定的恐怖や不安に多い尽くされるってことだね。脳って恐怖とか不安に耐えられないらしいからさ、恐怖や不安に耐えられる脳っていうのは物理的な脳という意味ではなく、その思考法ってことだよね。
まぁいいや、そんな感じでウォール伝10万アクセス記念は我らがDJ Little Dickがルサンチマンという名の精液を放出しまくるDJ Mixシリーズの11番目なわけだけど、これってのがね、今の一時的に滞在している実家の俺の部屋のCDRコレクションの中にボツミックスとして残されていたやつでね、まぁ今聞くとそこまで悪くないしこれを10万記念にしちゃえば楽だからこれにしたわけね。ボッサ縛りっつーかボッサ緊縛っつーコンセプトで作ったんだろうけどまぁまぁかな。英語で言うとそーそーなんだけど、そーそーなんていうのをまともに使ってるアメリカ人を見たことがないし、イギリス人はそーそーなんて言葉は使わないらしい。日本の英語の教師って適当な英語を教えるから困ったもんだよな。ってことで今日はこの辺で。
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左翼必読書。
オルガンが五臓六腑に染み渡るね。