池田亮司について。

池田亮司って昔から違和感を感じてたんだけどっつーかまぁ凄く高く評価されてるアーティストだからこそ批判するみたいなさ、そんなことをするつもりはないんだけど、まぁなんつーか思うことを書くわ。


いや、俺が正直激しく嫌いなところなのがさ、ああいう思わせぶりなタイトルとかコンセプトとかなんだよね。曲名がコードネームみたいな感じだったりさ、まぁそれはそれでいいんだけど、んでもやってることは別にテクノじゃん?人間が作り出したリズムとか既存のありふれたシーケンスをサイン波とかホワイトノイズで鳴らしてるってだけで別にそれ自体が凄いことはないよね。それこそ細かいリズムが刻まれているmidiデータのリズムトラックの音色のところをサイン波とかホワイトノイズにアサインすればまぁあんな感じの音は出るよね。それこそテクノイズ的なプリセットなんてReaktorとかに腐るほど入ってるからね。いや、誰でもできるからたいしたことないとかっていうつもりはないしね、まぁかといっても誰にでもできるとは思わないけど、でもやってることはホントテクノなんだよなぁー。コンセプト的にすげー数学とかデジタルの深遠な哲学が展開されてそうな雰囲気があるんだけど、んでも中身見てみるとただのリズムパターンの羅列だけみたいな感じじゃん?


俺はむしろそれこそデータみたいなことで惹かれるコンセプトは昔カルちゃんとあと名前がややこしくて覚えてないやつのコラボでdatestreamってのがあったんだけどさ、ORから出てたやつでまぁ全然出回ってなくて持ってないんだけどまぁようはあれね、刀根と一緒っつーかまぁデータを聞こうってことなんだよね。ワードかなんかで用意されたデータを無理矢理なんかで読み込んでデジタルノイズ発生させてるっていう。まぁ俺もこれはやった経験があるけど、んでもデータを聞くってこういうことだよね。池田亮司がやってるのって人々が思い描くデジタルっぽいイメージとか数学の無限のイメージっつーかデータが永遠に連結してるみたいなまぁそれこそマトリックス的なイメージを喚起させるというような、そういうまぁなんつーかある種のモンドなんだよね。


実際のジャングルの音とかなんてまぁ音楽なんて無いかまぁ土着民の音楽とかなんだろうけど、でもレスバクスターとかがジャングルっぽい感じのエキゾとか作っちゃう感じでさ、池田亮司のやつも「イメージの音楽」が洗練されただけって感じがするんだよね。前にも書いたけどモンドってまぁ宇宙とかジャングルとかさ、なんつーか未知な感じのものに思いを馳せてんでイメージして勝手に音を作っちゃうっていうさ、スペーシーな音とかってあるじゃん?でも別に実際の宇宙とそれって関係無いからね。スペーシーな音っていう人間がイメージする宇宙をイメージした音がスペーシーな音なんであってさ、まぁそれはエキゾとかもそうなんだけどね、池田亮司も結局まぁなんつーかこのエキゾとか宇宙の部分がデジタルに変わっただけなんじゃないの?って思うんだよね。


俺は池田亮司の展示とかまぁ行ったことないけど、まぁ作品とか聞いてても全然あれがデジタルを体現してるとは思わないんだよね。あくまでそこにあるのはデジタルっぽさなんであってさ、それはエキゾとかと一緒だよね。エキゾはまぁジャングルとか未開の地とかをイメージしてさ、土着っぽい打楽器とか木琴みたいなのを混ぜながらあくまでまぁ西洋音楽的なフォーマットでエキゾっぽさを演出しようとするじゃん?まぁそれがいいんだけどね。エキゾは。ありもしないようなものを勝手にイメージで作っちゃうのが面白いわけで。


で、池田亮司も一緒だよね。ジャケとかをデジタルっぽくしてまぁ無機質っつーか幾何っぽいっつーかさ、すげーデータっぽい感じにしてるんだけど、中身はモロに人力プログラミングテクノじゃん?モンドの中身と一緒だよね。人間が介在してないような無機質な感じとかもまぁ演出ってことだよね。で、それらしさのおかげでデジタルのかっこいいイメージでだまされちゃうみたいな。まぁだまされるって言い方は悪いか。いや、でもホント、過去にね、だまされたなぁーって思ったんだよね。始めて池田亮司のCDを聞いた時にさ、ずーっとパツパツいっててなんかやりたいことは分かったけど最後のほうにモロに人為的なテクノっぽいリズムとか入ってきて興ざめしたんだよね。なんだ結局この人テクノやってるだけじゃん!ノイズの音色で、って思ったわけ。


まぁそれでもカットアップのやつとかアンビエントっぽいやつとかあとはまぁパツパツいってるサイン波とかのリズム系のやつもたまにいいのもあるけど、でもまぁアルバム全体で見ると本当に退屈なのばっかりだと思うんだよね。退屈なんだったらやっぱコンセプトで勝負しないといけないよね。これはなんかの函数アルゴリズムがどうので・・・・みたいな感じで完全にデータを音として抽出したものですみたいなさ、あとはまぁ函数がどうのでアルゴリズムがどうのっていうのが動いている様子が音になって聞けますみたいなさ、これがようはデジタルのイメージだよね。恐らく。分からんけど。まぁそんなの音にしても聞けたもんじゃないと思うんだけど、んでもそれをまぁ再現しようとしてるのが池田亮司っつーかさ、でもまぁ再現っつーかデジタルっぽいっていうまぁそれこそエキゾっぽいっていうあくまでそれらしさでしかないんだよね。別にだからそれが本当のデジタルのランダム性とかを表しているわけでもないしさ、そもそもランダムなんかにしたらそれこそただのノイズだからね。


だからまぁなんつーか繰り返しになるけどデジタルっつーイメージを乱用した音楽なんだよね。だから悪く言えば凄く衒学的なわけ。すげー知的に見せてるテクノみたいな感じだよね。クラフトワークぐらいの潔さなんてないし、そもそもデジタル芸術みたいな感じで美術館とかでやっちゃうんだからさ、それはホントにエキゾ芸術と同じだよねっていう。何かを表してるっつってさ、それでまぁすげー深遠な数学理論とかがあればなんかそれらしいと思うんだよね。別にそうじゃなきゃいけないとは言わないけど、池田亮司がやってるのって徹底的にデジタルのイメージなんだよね。


ランダムの数字をプロジェクターで映したりとかさ、ホワイトノイズだったらテレビの砂嵐を使ってみたりとかさ、いや、それがテレビである必要はないんだけど、まぁ言ってる意味分かるでしょ?で、仮にデジタルっつーか数理的な芸術なんてのがあればさ、まぁそれは俺的に言わせてもらえばそれは数式とかの美しさだよね。それこそ数学にハマる多くの人が見るであろう数学的な美ってのを数学自体に感じるんだよね。でもそれは主観的なものであってさ、その美を展示したりとかっていうそういう美ではないんだよね。まぁハーディーが言ってるような数学の美ってことね。


別にその美は数式を展示すればいいわけでもなければ、ランダム性を表す数式をプロジェクターに映せばいいわけでもないじゃん?別に数字なんて数字なんだからさ、視覚的にイメージとして入ってくる数字のイメージなんてそれこそサマーウォーズとかで出てくるようなさ、数学の意味不明さじゃん?何を解いたのかさっぱり分からんし、ただの文字の羅列なんだけど何かの意味があってそれが凄く重要だったりさ、鼻血出しながら尋常じゃないスピードでキーボード叩いてたりってまぁああいうのって実世界ではありえないからね。まぁサマーウォーズはファンタジーとしてやってるからいいんだけどさ、所謂、まぁキャラ的な天才キャラっつーかなんつーか。


で、池田亮司ってそのサマーウォーズ的なデジタルな感じをそのまま芸術として出しちゃってるような感があるんだよね。そういうところに凄く違和感を感じるんだよな。大半の人は数学なんて分からないからランダム性を表してるとかさ、これが0と1の間の無限性なんですとかさ、そんなことを言われつつ目の前にわけのわからない数字とかデジタルっぽいイメージが広がってたら「すげー!これが無限の世界かぁ」なんて思っちゃうじゃん?でも別に0と1の無限なんて高校数学でやるレベルのことだしさ、別になんら新しいこともなければむしろそんぐらいのレベルの数学的コンセプトみたいなのを全面に出すとかってみっともない感じがするんだよね。俺だったら絶対そんなのやろうと思わないもん。0と1の間に無限があるなんて数学的には自明なことだしさ、いや、まぁ算数に比べたらそれは哲学的な雰囲気はあるけど、んでもまぁ本当に高校数学だからね。


なんかだからね、いや、俺が言いたいのはね、ホントにモンドと同じってことなんだよ。ジャングルっぽいエキゾな音楽を聴かされればジャングルをイメージするだろうし、ましてや曲名がジャングルなんたらとかさ、ジャケがエキゾだったりしたらイメージするじゃん?でもホント、それってイメージアルバムじゃん?池田亮司もそうなのよ。デジタルのイメージアルバムなのね。エキゾが実際の未開の地の音楽を再現していないように、池田亮司のデジタルもまた同じなんだよね。まぁそれでいいならそれでいいんだけど、「これがデジタルの表現か!」とかさ「データのマトリックスを俺は今、聞いてるんだ!」みたいなのってまぁそれこそスペースエイジ・バチェラーパッド・ミュージックならぬデジタルエイジ・バチェラーパッド・ミュージックだよね。


スペースエイジもまぁ戦後の裕福なアメリカの独身とかが良いオーディオシステムでねつ造されたジャングルの音とか宇宙の音をハイファイで聞いてきたように、今のデジタルエイジのバチェラー達も良いオーディオシステムでデジタルの音を超ハイファイで聞いてるんだよね。ただそれだけなんだよな。カールスティン・ニコライのアレフワンなんかも無限がコンセプトになってるらしいけど、でもそんなのそれこそニコライが勝手に感じて表現した無限性だよね。これはだからまぁ無限のイメージアルバムだよね。よってまぁ構造的にはモンドと同じなわけだ。


そこをまぁ音楽ライターとかがさ、宇宙が数学で聞こえるとか数理的/幾何的抽象の音の粒子だのなんだのとかって言うから余計にイメージが増幅されるんだよね。分からない人達がそれ信じて買っちゃうみたいな。でもモンドですからね。モンドのレコードの裏の文章読めば分かるようにさ「これぞ未開の地の音!」とかさ「ジャングルをボートで渡っているかのようなスリリングさ!」とかさ、まぁそんなようなことが書いてあるじゃん?いや、で、それをデジタルとか数学みたいなコンセプトでやってるだけなんだって。マジで。数学を聞くなんつったらそれこそ加藤和也先生は素数の歌が聞こえるみたいなさ、そういうレベルの話で凡人には無理なのよ。数学の音を聞くなんて。それこそ抽象的すぎるわけで。


アレフワンは聞いてみればいいけどまぁ驚くほど普通の作品だからね。いや、最悪とは言いたくないんだよな。それは池田亮司然り。彼らは別に作品としてはそこまで酷いのは出していないし、それこそ然るべきシステムとかで聞いたらすげーいいのかもしれないよね。別に全然音楽的にレベルが低いなんて言うつもりはないんだよね。ただコンセプトが稚拙でそれを持ち上げてる連中って何なの?ってことがまぁ俺には疑問なのよね。


ましてや浅田彰とか坂本龍一とかああいうタイプのインテリが喜ぶような音楽だから分かるでしょ?その衒学性。あとは佐々木敦か。なんか俺はちょっとね、ソーカルが批判してたような数学とか科学のコンセプトを哲学でデタラメに展開するみたいな衒学性を池田亮司とかカールスティン・ニコライに感じるわけね。彼らは数学とかデジタルみたいなイメージを音楽の世界で乱用してるって感じがするんだよね。


ところで数学で音楽と言えばミルトン・バビットだろうな。あれこそまさしく数学を聞いてるような感じなんだろうけどまぁ聞けたもんじゃないよね。でもまぁ数学的理論が背景にある音楽を聴くなんてまぁそんなもんだよ。まぁバビットの作品でも個人的に好きなやつはあるけどね。あとはまぁクセナキスが煙の流れだったかなんだったかを解析してオーケストラ作品だかにしたってメタスタシスだったかな?忘れたけどまぁそういうのあったじゃん?まぁこれこそが実は本当の数理的音楽だよね。クセナキスの数学的なオーケストラ作品とかこれまた聞けたもんじゃないのが多いけどね、でもあの人はガチで理論的に数学とかやってる人っとか建築やってた人だったんだよね。建築学かな。まぁとにかくバビットもクセナキスも数理って意味だと数理で彼らは乱用はしてないよね。むしろそれは音楽に応用してるっつーか音楽を数理的に捉えているっていうか、それこそがまぁ数理的な音楽なんじゃないかな?まぁ作品からは数理っぽい感じは聞き取れないけどね。なんじゃこりゃ?ってなるのが多いけど。


それに比べて池田亮司とかニコライとかってそれっぽい音色を使って別にテクノのリズムでやってるだけみたいな感じのが多くてさ、んでクセナキスとかバビットとかと違ってそれらしい数理っぽい感じとかデジタルっぽい音を使ってるからイメージと合致するんだよね。それこそモンドじゃん!っていう。イメージの音楽だよね。


ちょっと批判し過ぎたかな。いや、どうもなんであんなに評価されるのかがさっぱり分からなくてね。数学音痴なインテリが持ち上げてるだけとしか思えないんだよなぁ。かつてクセナキスっぽい作曲をしようとして挫折した坂本龍一とかが評価してたりさ、それこそニコライとコラボとかやっちゃうとかさ、なんだかなぁーって感じだよね。まぁ音楽的にチルな感じだから寝る前とか聞いてたけどね。昔。あ、教授とニコライのコラボのやつね。だからまぁ全然音楽的には文句は無いんですよね。別に最高傑作でもないけど、でもまぁ普通よりかは池田亮司にしてもニコライにしても質が高いのを出してるからさ、だからまぁそういう意味では全然文句は無いんだけどね。まぁ俺が言いたいのは「デジタルエイジのモンドですよ」ってことだね。はい。それだけです。


最後のしつこいようだけど補足をしておくとだな、あれなんだよ、クセナキスのなんだったかは忘れたけど、物理現象を解析してそれを譜面にしてオーケストラで演奏したらさ、それは物理現象を聞いてるってことになるっつーかまぁオーケストラ編成にはなってるけど、でもそれは音楽的な理由からじゃん?でも聞こえてくる音はカオスそのもので、まぁそれが物理現象を譜面に起こしたものなんだなんてまぁ分からんよね。で、それに比べて池田亮司とかニコライのやつはジャケとか音とか曲名とかがそれっぽいからそれっぽく聞こえてるけど、でも別にそれがデジタルの何を表してるのか?なんて説明されてないだろうし、まぁ無いのかもしれないしさ、まぁそれは俺の知識不足かもしれんけど、でも俺の印象としてはデジタルっぽく感じる音の質感のものを音色として使っているだけっていう気がするってことなのね。なんか今日はあんまり調子が良くないから上手く書けないっつーか繰り返しが多くなっちゃうけど、まぁでも言いたいこと分かるでしょ?


ちなみにデスメタルとかも同じだよね。別にやってることはロックバンド編成のメタルなんだけど、悪魔の音楽とかさ、地獄の音楽とか死霊が奏でる音楽みたいなことを言うじゃん?これもまたモンドと構造が一緒だよね。ブラックメタルとかだと特に不気味な風の音とかが入ってたりさ、まぁ陳腐な効果音ばっかなんだけど、そういうので演出してるわけじゃん?で、別にやってることはロックバンド編成のメタルなんだけど、でも悪魔の音楽っつーコンセプトでやってるからまぁ格好とかさ、ジャケとかまぁすげーイメージに配慮をするわけだよね。デスメタルとかブラックメタルとかの場合はまぁそのイメージ対象が悪魔とか死とかゴアとか殺人とかアンチクライストとかだよね。まぁ歌詞が入るからイメージはもっと作りやすいんだけど。


まぁそんな感じですね。音そのものが悪魔だの死だの殺人だのデジタルだの無限だの数学だの宇宙だのを表すのは無理なわけですよ。だから人がイメージして作り上げるしか無い。そのイメージの構造を俺はまぁ一貫してモンドだって言ってるわけね。まぁ構図がモンドと一緒ってだけで、別にそれによって池田亮司がモンド音楽になるわけでもないし、それはデスメタル然りなんだけどね。


ってことで今日はこの辺で。