数学の美しさについて。

ストリング理論は科学か?って本をさ、二年前ぐらいに買ってたんだけどあまりにも理解不能だったから放置民状態になってたんだけど、何を思ったのかちょっと読もうと思ってね、で、読みだしたら結構理解できるじゃん!ってやっぱりそれは数学やってるからだよねぇー。物理の超詳しいことまでは分からないけど、数学のことがある程度わかってるとフォローできるんで読めるんだよね。で、難解な数式とかは一切使ってなくて、んでも難解なことが本の性質上必要なので言葉で説明されてるんだよね。んでまぁ本の内容なんだけどさ、ストリング理論に懐疑的な内容だってのはそりゃータイトルからわかるけどさ、どういう意味で科学とは言えないのか?ってのがまぁあれなんだよね、それは内容をある程度理解しないと分からないわけで、ようやく俺にもわかる時が来たって感じなんだけど、本を読んでいる限り、ストリング理論とかその辺の分野ってのは超理論的過ぎて難解になりまくってるってことでよく言われるようなエレガントさなんてのは皆無だってことなんだよね。


これにはハッとさせられたよねぇー。ようはね、この理論が本当なら現象はすごく美しいし色々と説明できるようになる!ってことなんだけどこれが全く逆でさ、理論的にエレガントか?っていうと逆ソーカル事件みたいなのがあるぐらい意味不明なポストモダンみたいな感じで、結局は何について述べているのかさっぱり分からないってのが現状なんだそうで、騒いでるのは天才といわれるウィッティンのカリスマ性っつーか、天才がそう言っているんだから間違いないぞ!的な感じで信じられている一種のカルトみたいになってるんだそうでさ、まぁ別にこれ自体が科学だといわれているわけではない数学的な仮説だからしょうがないにしても、さっきも書いたけど驚いたことにね、理論自体の美しさなんて複雑すぎて全然ないらしいのよ。なのになぜか一般的には美しいとされているけどそれはその理論が合っていたときの万物の現象の仕組みや力学ってのが概念的に美しいんであって理論で言えばごちゃごちゃで意味不明らしいんだよね。だからウィッティンみたいな一部の天才が仕事をしていたりするんだけど、ウィッティンが言うんだから間違いない!的な、理論的に絶対合っているでしょ?これ?みたいなね、他人を納得させられるような根拠ってのは全くないらしいんだわ。


その万物の構造とか力学がこのモデルなら美しい!ってのをどうしても立証したくて必死になって色々と整合性を保ってきた結果、つぎはぎだらけの理論的なフランケンシュタインみたいな状態になってるっていう印象を受けたよね。俺のイメージとしては色々な理論が投入されてるけどその原理がすごくシンプルで数学的に美しいからみんなそれを信じたいって思ってるんだって勝手に思ってたけど、それはまずないし、この本を読んだだけでもとりあえず理論的に美しいなんてことはないなってのはすぐわかったよね。とにかく複雑煩雑を極める理論でそれがどう動いているのか?というのを視覚化するとすごくエレガントなんだけど数式を見るとごちゃごちゃのほぼカオスっていうそういう感じなんだよね。俺はてっきり理論的に美しいのかと思ってたんだよね。んでもまぁそれだったら数学者が飛びついてるよね。


いや、あれだよね、ディラック方程式とかでしょ。あとまぁこれは数学だけどオイラーの公式とかさ、まぁあの例のパイと虚数のやつね。でもあれはあれなんだよな、ただの数式のおさまりの良さなんであって理論的に何か深い意味とか哲学的な意味合いとかがあるわけじゃないどころか、本当に凄くて深淵でエレガントな公式から比べると内容的には薄っぺらいんだよね。ただもの凄くおさまりが良いからキャッチーに見えるってだけで。数学の美しさってこういうことじゃないんだよね。多分一般的に言われる美しさってこうなんだろうけど、別に大したことじゃないっつーのがたまたまおさまりの良い数式で表せるっていうことは美しさじゃないと思うしっつーかそれはあれなんだよね、数式のエレガントさと理論の深さってのが一致したときに美しくなると思うんだよね。ディティールを書くとややこしいんだが、んでもとりあえずこういうことがこういう式だけで表せる的なのがそういうのだと思うのよ。圏論とかトポスとかホモロジーとかはそういうものの宝庫なんだよねっつーかそもそも当たり前のことしか言ってないんだけど、でも理論的にはややこしいってのが結局はこういうコンパクトな形で表せるみたいなさ、んでもそれはなんつーか具体的な数というよりかは数学的な構造とか型そのものの性質を述べているやつってのはエレガントな傾向にあるんだよね。で、それはすごく原理的であればあるほどエレガントさが増すっていうかさ、まぁ結局は突き詰めれば小学校とか中学校レベルの数学の基礎の部分を高次で定義しているみたいなさ、結局すっきり感だと結局はそれは原理的なものだから必然的にそれはシンプルで、でも美しい!と思わせるのはある程度理論が高度だからだと思うんだよねっつっても高度過ぎずに高校数学が分かってればまぁ理解できなくもないレベルっつーかなんつーか。


基本的に代数ってそうなんだよね。構造はもうあって数がどう振る舞うか?ってことなんだけど振る舞いのルールがあるから複雑になっているように見えても実際はすごくシンプルなことしか述べてなかったりするんだよね。まぁだから俺は代数的整数論が大好きなんだけどね。まぁあとは代数的トポロジーとか。でもさ、まぁモノにもよるけどさ、例えばまぁ数学と一緒にするのはあれだけど経済学で使われる数学の公式とかさ、あとは計算をするための公式とかさ、まぁようは工学的なやつってすっきりしてないのが多いよねってまぁそりゃー当たり前なんだよね。こっちは構造がどうのっつーよりかは値を出すためのツールだったりするわけで汚くなるのは必然的なんだよね。


で、ストリング理論に戻るとさ、ストリング理論って理念的にそのね、すっきりしたエレガントな純粋数学的なモチベーションから生まれた理論だと思ってたわけじゃん?でも実際は色々なものを計算可能にしたり矛盾を出さないために無理やり工夫して数式を加工してこしらえたってことで暫定的に一応は整合性を持って説明されているってものがあるんだけど、それがようはさ、自然に出来上がった崖とかね、まぁ岩肌の感じとかなんでもいいんだけど、そういう感じではなくて人間が無理やり人工的に作り上げたっていう感じが凄まじくするものなんだよね。理論的過ぎて人工的になりすぎているってことでそんなもんがむしろ万物を表してたらカオスじゃん!とかって思うんだけど、でもそれを現象としてとらえた場合、エレガントですってことなわけだよね。でもなんか結局、何も立証できないってことになってるんでその理論的な複雑さが批判を呼ぶっつーかさ、いや、でも実際の万物の振る舞いなんて数式で表せば人間に処理できるような代物じゃないだろって思うほうが妥当なんだけどさ、これで説明できればエレガントであるといわれている理論の数学的な中身がごちゃごちゃじゃなんとも言えないよねっつーかむしろそれが煩雑を極めるものでも現象なんて簡単な数式で表せるほどシンプルではないってことでむしろ煩雑なほうが説得力があるみたいなことになってるのかもしれないね。なんかでもこれって行き着くとただのポストモダン哲学だよなぁ。何かすごいことが書いてあるに違いない!みたいなさ、哲学で言えばハイデガーが教祖でフォロワーがデリダみたいなさ、そのハイデガーにあたる人が今はウィッティンになってるみたいな印象を受けたよね。


あとまぁさ、複雑でも物理学的にそうとしか言いようがない!ぐらい明らかなことだったらわかるんだけど、さっきも書いたように全然それが原理的じゃなくてさ、すげー条件が細かかったりとても一般化できないような理論でその場しのぎをしてたりさ、まぁ今書いたようなポストモダン云々もとにかくそれが物理学として成立してればまぁ文句はないよね。でも問題はその肝心な理論の部分がガタガタってことなんだよね。それがさっき書いたフランケンシュタイン状の理論ってことなんだけど。もっと確固たるぐらいの理論的な整合性があるのかと思ったらめちゃめちゃ無理やりなんだよね。あとはそれありきでその仮説なり条件を成立させるための理論とかを人間が作り出してるって感じになっちゃってるんだよね。万物がエレガントにできている!ってのを証明しようとして、その証明が人工的なフランケンシュタインみたいな醜いガタガタの異形の継ぎ接ぎになっちゃってるっていう。まぁ俺は今の自分がやってる数学の流れでK理論とかコンヌの非可換幾何とかには行く予定になってるからややこしくてわけが分からないM理論なんかもちょっとは理論的に理解できるようになるかもしれない。まぁ具体的な文句を言うのはそれからだよね。


ただでもまぁ具体的な文句は理論を分かっている人からも結構出ているってことで難解で誰も分からないから手の付けようがないものになっているっていう感じではないんだよね。ただやってる側が整合性を保ってるから一応矛盾はないってことで成立しているように見えてるだけなんだよね。凄いパラドックスだよね。これが美しい!と証明しようとしている美のイデアがあって、それを色々な理論をひっぱり出してきて説明したはいいけど膨大な量になっちゃってて、しかもそれだけ見ると醜いフランケンシュタインにしか見えないっていう。でも数式の部分はフランケンシュタインでも正しいと証明されればそれがイデア現実界の言語で反映している確固たるものになるわけで、理論的な醜さとかは関係なく、ただほとんどの人がなんでそうなっているのか?ってのが理論的には分からないんだけども、でも構造や成り立ちや力学はこうなってますよって言われてそれが定説ですって言われることで見えない美を信じるということができるようになるっていう。


いや、実験が伴ってたら全然話は違うよ。イデア云々じゃなくなる。でもストリング理論は数学にイデア界が存在するって証明するような理論としては科学の形式を持ってないものってことになってるんだよね。それこそ分からない人が見ればアストラル界の話とか霊界の話とかアカシックレコードの存在みたいな、そんなのと大差ないような一部の物理学者が信じるような数学のイデアの話になってるんだよね。まぁ別にでも研究は進めればいいと思うけど本当に一流しかいらない世界だよなぁ。複雑すぎて。だから各国の超一流の人たちが取り組んでるってことになるのか。ちなみに一部の数学者が信じる数学のイデアはあんなカオスじゃないと思うけどね。すげーシンプルで美しいもので構成されてるってイメージだと思うので。それとストリング理論は正反対なんだよね。でも本当だって立証されれば万物の現象としてはエレガントになるっていうことだよね。


なんかさぁーだからやっぱり腑に落ちないんだよねぇー。こんだけシンプルで美しい構造があるのだ!ってそれが数学的に美しいなら俺も信じる側になるけども数学的には最悪なぐらい醜悪なんだったらそれは信じる理由にならないよなぁ。まぁ現象が美しいわけでその美しさは数学の美しさとは違うんだって言われればそれまでだけどさ、なんかでも仮に多くの理論家達が理論の美しさを根拠に研究するということなんだったらそれは激しく疑問だよね。まぁ美しさもあるってことなんだろうけど、あまりに俺が予想していた美しさと違っていて唖然としたよね。むしろあんな風であってはほしくないって思うぐらいひどいなぁーって思ったんだけどね。人間側の便宜性によって自然科学が没落しているようにしか見えなかったね。だからなんつーかやっぱり実験物理学をメインにやってほしいよね。まぁストリング理論もあっていいと思うけどやっぱメインは実験でしょうっていう。


なんかとにかく理論物理学というのがすごく嫌いになったよね。うん。「理論」というところを根拠にしてやってるんでなんとも言えない人間側のエゴが出ちゃってるっていう。理論が暴走してる感じだよね。誰も収拾つけられなくなってるっていう。まぁでもこれで論文とか書いたり研究できるからある意味での公認の公共事業みたいになってるところはあるよね。意味があろうがなかろうがとりあえずお金が動いてて雇用も生まれてるってことで別に社会的にそこまで害悪じゃないっていう。まぁでもストリング理論に支配されたら終わりだよね。だからそういう意味でやっぱり実験とかのさ、実験可能なパラダイムで仮説を入れていくっていう、そういう地に足がついた物理学をやってほしいよね。ストリング理論は今のところはただの超難解な数理形而上学だもんね。それが数学的にエレガントならいいけど超汚いっていう。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。