相対的・主観的。その5。

ってことで続きです。

 

というかまぁ幻想が良い意味でないわけだ。心の成長ではあるんだけどその結果、現実と自分と真っ向から向き合うことになるんで誤魔化しが効かないんだよね。色んな本で言われるような空虚感の原因とされる自己実現的なやりたいことがやれていないことからくる不満とかとも違うじゃん?

 

何がタチが悪いって不満が無いことなんだよね。そりゃもっと金ありゃいいとは思うけど金が根本的な解決に繋がらない以上、まぁもしくは「もっと金があれば・・・」って金に幻想を抱いていればいいのかもしれないけどそれも幻想だと分かり切ってるからね。それは恋愛と一緒だわ。恋愛とか金とか承認欲求みたいなモロいものを軸にしてるとその軸にしてるときの時間が勿体ないからね。砂上の楼閣を求めてさまよっている時間が無駄とは言わないけどそれは脱しないといけないよね。ただまぁ脱してる人が若い人にも結構いてだからこそアパシーみたいなのが蔓延してるってのはあるかもしれないけどね。

 

でもそこで俺はニーチェの徒でもあるのでアパシーには至らないんだよね。むしろ力への意志が欠乏したりエネルギッシュに生きられないことにフラストレーションを感じるんだよね。あとまぁ現状の自分に満足しているということがありえないからステップアップしたいと思うんだけどぶっちゃけ何をしていいのか分からないっていうまぁ今はフィジカル面ではだいぶステップアップしてるしおっさん年齢に差し掛かる時の問題である運動不足とか腹が出てくるみたいなのもクリアできたんでフィジカル的な悩みはないんだけどっていうか色々クリアしてくからこそラスボスである空虚感と対峙せざるを得ないんだよね。

 

結局今まではそのラスボスを倒せないまま色々なことに没頭してそれから逃げてきたというのもあるし素で没頭してたってのはいいことなんだけどラスボスに行けなくて没頭するしかなかったというのもあっていつも書くけどラスボス攻略を先延ばしにしてきたんだよね。でも色々な誤魔化しの策が尽きて同じ策を使っても誤魔化せなくなってるってのがあって今みたいな状態になってるんだよね。

 

もしくはラスボスは「誤魔化し」を養分にしてどんどんデカくなってるかもしれないよね。逃げれば逃げるほどデカくなるし誤魔化せば誤魔化すほどそれは養分になるっていうね、だからゲームやるにしろ映画見るにしろ純粋な娯楽じゃないといけないわけだ。ラスボスから逃げる方法だったり現実逃避の手段だったりするとマズいんだよね。

 

まぁただストレスがマックスアウトして一時的なシェルターが必要なこととかはあるからそういうエマージェンシー用の逃げはありだと思うけど四六時中逃げてばっかだとダメだよね。ラスボスを倒すのか共存するのか分からないけどとりあえずそれをクリアしないことにはどうにもならないわけでね。

 

まぁスピ風に言えばこの虚無感は実はそれを乗り越えるステージに達したということかもしれないわけで例えば我慢して物欲を消すのではなくて消費して金使いまくって旨いもん食いまくって趣味に金を使いまくってっていうプロセスの末の虚無感は今までの虚無感とは違う!みたいな感じでってああこれは前に書いたか。飽和を重要なプロセスと考えるってことだよね。

 

で、俺が危機感を感じるのは「このままでは生きていけない!」という恐怖でだから娯楽に耽ることはあっても常にそれと対峙するというかね、あとまぁ耽ることができる娯楽も無くなってるから向かわざるを得なくなってるんだよね。じゃないと死ぬっていうね。

 

まぁお金の心配がなければコロナ禍とか経済停滞とかには不安を感じなくなるのかもしれないけど別に億万長者になったところで不安要素は消せても空虚さというのは消せないからね。ぶっちゃけ不安要素は金でなんとかなるけど実存的要素ってのは金じゃどうにもならないか金を使うことで誤魔化すという先延ばししかできないよね。

 

というか金が軸の考え方から脱却したいわけじゃん?ミニマリストの本とか読んでても基本軸は金だもんね。無駄金を使わずに貯めよう!っていう思想でその先が無いよね。別にいいんだけどさ、買ったら買ったで帳簿を必ずつけるとかね、このシャツいいな!と思っても家にどんぐらいのシャツがあるかを考え直してから買うとかまぁぶっちゃけ常識的なことしか書いてないよね。マテリアリスティックな充足から得られるものは限られているから色々なものをエコノマイズしたり捨てたりしてスッキリさせて本当の自分を見つけよう!ってのもカルト宗教がかってるよね。

 

全部捨ててミニマリストになればあなたを肯定してくれる世界観が待っている!みたいな、そんなのまやかしですよね。物質世界から解放されれば精神が解放されるなんて幻想ですよ。そもそものその物質世界と精神世界を分けている時点ですでに差別しているというか、何が本当の精神的満足感を得られるか?っていうような主観的価値観における絶対的なものが重要なんだから例えば病的な収集癖と言われようがアイドルグッズとかアニメグッズを集めるのに何百万も使ってきたといっても本人が心の底から望んでればそれはそれでいいんだよねっていうか何にもねーなってボヤいている人よりよっぽどいいわけだ。あと究極的に言えば金使ってるから正義よね。

 

ミニマリスト本とかで提唱されているエセミニマリズムが嫌いなのはどこか我慢してるところと貧乏くさいところだよね。それって金無いからエコノマイズするわけであったら使うわけでしょ?っていうさ、あってもミニマリストになるってのが真のミニマリストじゃん?最初から無いのはただないだけでミニマルでもなんでもないですよ。

 

いつも書くように億万長者がやりたいことやり尽くしてミニマリストになるとかっていうようなことだよね。ブッダの悟りのプロセスと似てるよね。最初から貧乏なんじゃなくてボンボンで何もかもが可能な中でそれに飽きて瞑想に耽るというね。

 

んで挙句の果てにいかに金を使わないで生活するか?というのが目標になってて本なら図書館を利用しましょう!とかさ、最近ではDVDとか特に名作映画とか音楽なら全部タダで聞けます!とかさ、みんなそれやったら金回らなくなるんですけど・・・?っていうね、深夜アニメとかもDVDを買う層がいるから成り立っているという面があるように一定のファンがそれに価値を見出して金を使わなくなったら無くなるカルチャーって多いですよね。本も全部図書館っつーのもなんだかね、買うのがデフォな人間としてみればその感覚がさっぱり分からんね。まぁ専門書みたいな金がかかり過ぎるのを借りるというのはいいけど普通の本ぐらいなら買えよって思っちゃうよね。

 

ただ一般的に言われる中年危機みたいなのと俺の危機が違うのって「これでよかったのだろうか?」とか「もっと他の人生が歩めたのではないか?」みたいなものが一切ないってことだよね。やってきたことに満足しているし選択も何もやりたいことだけを選択することを許されてきたからそんな葛藤は一切ないんだよね。あとまぁ恋愛とかについてのことで書いたけど空虚なのは彼女が居ないからだ!とかっていうような、足りないと思うものがあるからそれを埋め合わせれば空虚感が無くなるというようなことなんだけどそれもないからね。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。