行方不明の象を探して。その250。

アシッドで頭がおかしくなったら、まぁすでにおかしいけど、その頃にリルウェインのハイプのように700曲ぐらいアシッド曲のストックがあったら未発表になっちゃうから家族に頭がおかしくなったあとはちゃんと音源をリリースするようにアシッド遺書みたいなのを書いたほうがいいかもよって馬頭観音様が言っていました。

 

人々は言う、アシッドって何なの?じゃああんごなギブユーアシッド。人々がアシッドって何なの?っていう世の中は最高過ぎますね。それだけアシッド探求心があるということでしょう。アシッドってヒップホップみたいなもので303だけを象徴するものではなくて文化とか芸術とか大枠でのカルチャーなんですよね。アシッドを感じるものとかってございますでしょう?一般的に「キテるなこれ」とかっていうまぁぶっ飛んでいるものにはアシッドも含まれますがぶっ飛んでいればアシッドか?というとそうでもない。そんな短絡的なものではない。

 

あとよくあるのが303を使っていても全くアシッドを感じないものもあるわけで逆もまた然り。303を使ってないのにすんげーアシッド臭がするやつとかがあってそういう観点からアシッドを広くとらえなおすとトランスとかもアシッドだよなとかって思うわけででもトランスでしかもアシッド臭い薬臭いトランスのレコードなんて滅多にないんですよね。ビヨビヨさせてればいいわけじゃなくて薬品臭いのがアシッドですね。理科室の臭いが鼻腔に突き刺さって尾行されているんじゃないか?なんて妄想が頭の中を支配し始めていたらフィルターバンクの電源切ったっけ?と思ったら電源が無かったって話だったりするわけで、そういうのもひっくるめてアシッド。

 

だからアシッドは認識論だから高尚な哲学とかになるとつまらなくなるけどもそいつがどんだけアシッドに深く埋没しているか?でアシッドが変わってくる。で、出てくるのはそいつを通したアシッドしか出てこないだろう。How to makeみたいなYoutubeをディグれば作り方が分かるようなアシッドはすでにアシッドじゃない。ハッキリ言って動画を見ながらなんか手が寂しいからっつって303クローンを適当にいじっている時の動画の音と303クローンの音が混じっている音とかが一番アシッドだったりするわけで、必ずしもアシッドってのはトラックという単位に還元されるものではないわけで。

 

トラックってのはアシッドの形態の一つに過ぎない。アウトプットが無いアシッドもあるし体験としてしかありえないアシッドってのもある。でもそこで「うわーアシッド・・・」って感じられるかどうか?で人生が変わってくる。そこでスマイリーがスマイルするかしないか?でそいつのアシッドの格ってのが決まる。俺みたいに常に上がり続けて狂気に至るものもいれば嗜む程度のものもいればスタイルとしてただ使うだけのやつもいる。やっぱりヒップホップと似ているよね。ヒップホップ風のトラックを作るのかヒップホップを体現して生きるのか。

 

ユーヤさんみたいに音楽的に全く才能に恵まれていなくてもめちゃめちゃロックって人がいるようにアシッドも何も音楽の才能に恵まれなくてもアシッド的感覚を持っていればアシッドを体現できるわけだから何もかもを音楽を軸に考える必要は全くない。

 

このアシッドの語りの部分は映像で言えば小説の話が展開していて関係なくナレーションみたいに入るイメージっていうかイメージじゃなくてそうなんだよね。でも映像じゃないからこうするしかないってわけで。

 

文学なんて最初からそうですよね。文字の世界から飛び出しています。でも音楽ってなんで音楽に還元されちゃうんだろうね?飛び出てもいいのにね。ギターが弾けなくても下手でもロックを体現できるのと一緒でアシッドを体現することだってできるわけだ。「あの人、なんつーか生き方がアシッドだよね」っていうのがアシッドだよね。ぱぶりっくえなみーみたいに首から303ぶら下げるってのもアリかもしれない。303ジュエリーってのはリアルにあるみたいだけどね。303のノブがついたリングとかあるらしいぜ。

 

とりあえずビヨビヨするものには神が宿っているのは間違いないね。だから人々を魅了するわけだ。そこには概念的には古いけどやっぱアウラがある。神社の写真を見るというよりやっぱ実機を触って音をいじらないと分からないアシッドってのがあるのと同じで神社もお参りしないと分からないヴァイブスがあるでしょう?

 

時折タバコを探し、フィルム缶の上に手を伸ばして灰皿にする。灰皿に手を伸ばし、淡々とページをめくっていた。突然、黒い表紙をぱたんと閉め、149ページに空のタバコの箱が突き刺さった。彼女がカーテンの向こうに消えると一緒に彼女の印象までが急にかすかに曖昧になる。彼はもう一度ゆっくり息を吸い込み、煙草の匂いや、男の体臭がしないことを確かめてから煙草に火をつける。

 

空き地の向こうにある闇の中から一軒の家が見えてくる。木造の平屋。瓦の一枚一枚が鈍く光って、白っぽくなっている。屋根から一本だけアンテナのようなものが突き出し、小刻みに揺れているが近くで見るとそれは瓦の隙間から生えた雑草だった。切妻屋根の下は白壁になっている。その中に窓があり、そして引き戸の玄関扉がある。木の枠が格子状に組まれ、ガラスがはめ込まれている。ガラスは黒々としている。その向こうは闇だった。暗がりが奥を占めており、上がり口の手前で少年が僕に、明かりはないの、と訊いた。

 

俺は何も答えなかった。結局、退屈してもともとだなという訳でビヤホールに入った。そしてそういう気持ちでいれば時間は結構過ぎていくものである。手持無沙汰にジョッキから飲んで行くうちに空になりまた一杯注文してそれが度重なるのが一種の調子に乗って別に苦にならなかった。バーでは酒の種類が色々あって選ぶのが面倒になるがビヤホールにはそれがない。飲むのはビールに決まっていて味もいつも同じであるから煙草を吸うよりももう少しコクがあるだけ、煙草を吸うよりもマシな方法で時間を潰すことになる。

 

そして喫茶店にはコーヒーを飲みにレストランには食事をしにいくという風に何か目的が付きまとうがビヤホールでビールを飲むというのは必ずしも一つの目的にならず、主に暇人が来る所という考えが今日でも残っているから他人に気兼ねしないですむ。それでも退屈するならば退屈がよほどひどくなっているのである。そうなってからだいぶ時間が経つ。退屈を拗らせたという認識があるだけまだ昔よりかはマシなのかもしれない。

 

それにしても昨日は酔っぱらっていたのに、どうやってこんな複雑極まる建物を歩いたのだろう。彼女はベロベロだったし、それなりに酔っていた。彼女を介抱するのに必死だったにせよ、どう部屋までたどり着いたのか全く覚えていない。もっと言えば彼女とセックスをしたのかも覚えていない。ただセックスをしたような雰囲気があっただけだったのかもしれない。こうして中に藪の中案件が一つ増えたのだった。

 

暑いと思って薄着でいると夜中になって寒くなって寝冷えする。そして朝になってまた暑くなって薄着でいると悪寒を感じて寒くなって、着込んで厚着でいると夜中に暑さで目覚めるというような自然の人間に対する虐待に耐えかねていた若干体調を崩していたものの、ここが勤め人ではないところの強みで、少し体がダルいだけで、栄養を取って普段通りの緩い読書をしていれば、いつの間にか風邪らしき症状は治っている。

 

風邪ではなかったのだろう。とにかく体調は万全だ。ちょっと体調を崩すと、元に戻った時の体調の良さを感じることができる。いつものバーの重い扉を背中で押し開けてから、エアコンのひにゃりとした空気を吸い込んだ。室内は室内で寒いことがある。これは人工的な人間への虐待だ。店の中にはたばことウィスキーとフライド・ポテトと腋の下と下水の匂いが、バウムクーヘンのようにきちんと重なり合って淀んでいる。

 

由香里は今日勤務なのかと思って見回したのだがいないようだ。ただマスターに「由香里ちゃんは?」なんて聞くのはいやだし、探している様子を観察されるのもいやなので、極力探している素振りを見せないようにした。

 

「由香里ちゃんのプレゼント、どうだった?」

 

マスターがニヤけながらもさりげなく聞いてくる。

 

「ああ、いや・・・なんていうか」

 

そもそもセックスしたのだろうか?色々なことが錯綜しているし、別れ際のプルーストのあたりとか、あれは夢だったんじゃないかと思えるぐらい頭が混乱していた。ただ由香里への愛のようなものは無くなっていたし、どのタイミングであの変な感じになったのか厳密には覚えていないが、変な感じになってからの由香里の態度は素っ気ないものだったし、喧嘩しているわけではないけど、何か気に障る余計なことを言ったらすぐ喧嘩しそうな雰囲気だったし、由香里も興味を持っていないのは明らかなので

 

「まぁ良かったよ」

 

と適当に答えた。アーンとかで浮かれてたのは何だったのか。でもまぁあの時は楽しかったんだからいいだろう。大体、一時の浮かれたような恋愛と勘違いしたような偽恋愛はこういう終わり方をすることが多い。そして圧倒的にあえて語ろうと思わなくなる。聞かれて困るほどではないのだが、あえてこちらから話そうとは思わない。今後、この店で由香里に会うことになってもまた前の他人同士の関係に戻るし、そもそも最初から他人同士だった。

 

しかしセックスや恋愛に限らず「虚」が「実」になる瞬間というのがある。AVでもAV撮影という前提でセックスをしているので、どういうものでも大抵は男優も女優も演技をしている。でもたまに「愛してるよ」なんて言いながらセックスをしていると、AVですらも一瞬そこに愛が生まれたように錯覚することがある。それは一瞬、実になってすぐに虚に戻る。理解では神的な愛以外は大体この虚の愛である。

 

ビールとコンビーフのサンドウィッチを注文してから本を取り出し、ゆっくりと象を待つことにした。象を待ちながら、自分の暇な文学活動のことを考えた。一冊の本の始まりと終わりが一つしかないというのは納得できないことだ。せめて3つぐらいの冒頭があって100個ぐらいのエンディングがあってもいいはずだ。あれ、つまりしつこいようだがロカンタンとキーンを足しで二で割ったあれは、こういう線形性を感じるときにもやってくる。

 

結局は一直線だった。色々と錯綜しているようでそれは見せかけだった。難解そうに見えて内容は一直線だった、など。伏線の回収も気持ち悪くなる。結局は構造に支配されてしまう。あるのは空虚なカタルシスだけだ。「楽しい」とか「面白い」と思っていることの大半は実は面白くない。かといってもつまらないわけではないし、楽しいとか面白いと感じないものの出来が悪いということではない。つまりはベクトルの問題なのだ。それが面白さに向かっているとほぼ100パーセントつまらなくなる。面白いというつまらなさに。

 

そういうものを読んだり見た場合は大抵泥酔して翌朝も酔っぱらって起きる。毎朝、目が覚めると、ベンゼドリン、サニシンを流し込んでいた。ベンゼドリン、サニシン、ホップをブラックコーヒーで流し込む。おまけにテキーラを一杯飲む。そして、横になって目を閉じて一昨日と昨日のことを思い出してみる。昼から空白になることもしばしばで、夢から覚めて夢から覚めて、「ああ、本当にやっていなかったんだ」と思うことがある。ブラックアウトの期間を再構築してみると「なんてこった。本当にやってしまったのか?」

 

「ちょっとしたお願いをしてもいいかな。いつもだったらお願いなんてしないんだけどさ」

 

スッと懐に入ってくるような雰囲気でマスターはそう言った。

 

「うん。なんでも言って」

 

いつもはフランクなマスターが珍しく黙ってそこに立っていた。

 

「たいしたことではないんだけど・・・」

 

彼はようやく口を開いた。

 

「ちょうどいま、うちで雇っているバイトがそろそろ来るころなんだけどね、その子は愛想の良い子だから、あんたも気に入ると思うんだけど・・・」

 

「また女の子を宛がうの?」

 

「いや、そうじゃなくて。彼女は決して美人ではないけど、結構魅力的な容姿をしていると思う。とっても良い子なんだけど、ちょっとした欠点があって・・・。というのは、恐らく育った環境のせいなのかもしれないけど、彼女はときどき何かにすっかり打ちのめされてしまうんだよね。たとえ自分の力で十分に対処できるようなときでも。何か小さな問題が出てくると、ちょっとした単純な解決策を講じればすむものを、そうしないで、ただただ悩んでいるだよ。そしていつの間にか問題が大きくなっていって、彼女の状況はひどくなって、絶望的な気分に陥ってしまう。でもすべては杞憂なんだよ」

 

ある種のモノローグより体感的に長く感じてしまった。あと言っている意味がよく分からない。

 

「で、どうしろと?」

 

「いま波留に何が起きているのか、はっきり見極めさえすれば、事態をしっかり把握できると思う。でも波留は・・・一回、ああいう風に落ち込んでしまうと、彼女らしさを取り戻すのに助けがいるんだよ。少しの間、波留の傍らに座って、物事をはっきりと見せれくれる方が必要なんだよ。本当の問題を見極めて、それを乗り越えるにはどうすればよいのかを知る手助けをしてもらう、それだけでいいんだ。楽しく話をして、支店を取り戻せるような何かを与えてやれば、あとは波留が自分で解決すると思う。そろそろ波留が来る頃だ。お願いできるかい?」

 

「具体的に何をすればいいのかが全く分からないけど、話し相手になればいいということですね。簡単に言えば」

 

「ザッツライト!」

 

「ういーっす」

 

豊胸したような胸がパッツンパッツンの20ぐらいの女が店に入ってきて隣に座り、やったのと同じように店の中をぐるりと見渡してからビールを注文した。

 

「この子が波留さん?バイトじゃないの?」

 

「バイトだよ」

 

「なんでビール頼んでるの?」

 

マスターは返事もせずに波留にビールを差し出した。彼女はビールを一口だけ飲んでから立ち上がり、うんざりするくらいの長電話をしていた。あ、なんか電話が終わったようで、ブランドものっぽいハンドバッグを抱えて便所に入っていった。

 

コカインでもやるのだろうか?それにしてもなんで女は不相応の高級ブランドのバッグを持っているのだろう?見栄なのだろうか?でもだとしたらそれは見栄がバレバレで見栄にならないだろう。本当に見栄を張りたいならトータルコーディネートが必要で、他が全部ファストファッションじゃ生地のチープさやデザインの薄っぺらさが全くバッグに合わなくて、子供の頃に通っていた精神科の山羊の時計の話を思い出してしまう。どの道、この女にもパンチラインがないんだろう。山羊は首から303をぶら下げていた気がする。気のせいかもしれないしそうじゃないかもしれない。