ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ポストモダン代数学。

geometric representation theorems for the syntax of higher-dimensional categories are examples of what Street and others have begun calling ‘post-modern algebra’… In post-modern algebra, the abstract algebraic notions are very much alive, but the syntax of their operations is often represented by concrete structures drawn from outside algebra, typically geometric or topological in nature. (McIntyre and Trimble) Corfield (2003) (p.254)



ってことなんだよな。構造主義的アプローチはただの方法論だけど凄く優れているっていうのがつまりはこういうことなんだ。久賀道郎の「ガロアの夢」って本があって一般的に名著とされているけど、前半を除いては時代遅れなのはつまりはこういうことなんだよね。なんつーかな?古い方法って大きい構造のようなもので記述できるものを微分方程式とか細かい解析的手法で表すっていう野暮ったい感じなんだよね。もの凄い細部を記述できてはいるんだけどあまりにcomputationalで機械が作業するような類いの数式が永遠と続くようなさ、で、こういうのってやってると分からなくなるっつーか「ただ計算がワークしている」っていうことでしか自明性が保たれなくなるんだよね。で、どんどんと直感から離れていって何が起こってるのか分からなくなるけど一応証明は出来たみたいなさ、これってまぁ糞ですよね。例えばっつーか持ってないんだけどさ(笑)Jean-Pierre Serreの「Galois Cohomology」って本があるんだけど、こういうのがまぁ現代数学的なガロワ理論の説明なんだよね。コホモロジーっつ抽象的なトポロジーとか代数構造における数学の記述の方法なんだよね。


全てをブルバキ的な構造主義として捉えるかどうかはともかくとして、「ポストモダン代数」的な方法論ってのはつまりは端的に現代数学の手法全般を示すもんだと思うわけよ。言語は圏論がメインで構造そのものを扱うっていう。だからといって細部の表現が疎かになるのか?っていうと凄くシンプルになって分かりやすくなるっていう。俺が数学を理解できるようになったのはズバリこういった現代数学パラダイムのおかげなんだよね。んでもこのパラダイムって新しくて大体あれなんだよね、60年代後半ぐらいなんだよね。割と理論として固まってきたのは。もちろん理論として理解されて使われるようになるのはもっと後のことだから一般化してからそんなに時間が経ってないもんなんだよね。イメージ的にはシンセサイザーって感じがするんだよね。


シンセサイザーが作られた当時、冨田勲シンセサイザーにハマったのも「いや、これだったらどんな音でも出せるじゃないか!」っていうさ、元々はオーケストラ編成の曲とかを書いてたんだけど、本人曰く、結局はそれってオーケストラ編成の楽器に音が依存してしまうってことになるんだよね。もちろん現代音楽だとオーケストラ編成の曲で変な音を出したり変な構成をするってことがトライされてて、まぁクセナキスとかが典型だと思うんだけど、んでもクセナキスってそれこそキングオブコンクレートだしキングオブノイズの人じゃないですか?エレクトリックなものでの表現にも長けてたわけ。まぁ印象としてはエレクトリックなものの天才って感じだけどね。そっちがメインでアナログなものとしてオーケストラのものもあったみたいな、まぁそれは見方によるんだけどさ、まぁそれはともかく電子音楽の自由性ってこれじゃないですか?


ようは冨田勲が音の自由性を感じたのは任意のパラメーターをいじくることで音を変化させることが出来るっていうことだったわけじゃん?シンセサイザーってそもそもモジュール構造じゃないですか?ReaktorやMax/MSPみたいなソフトでシンセを作れるってのもまぁそういうことですよね。この構造って数学のモジュール構造と同じなんだよね。凄くおおざっぱに言うと生成系のモジュールとかプロセス系のモジュールっていう風に分かれてて、んでもモジュール構造が分かるのでどこがどこに対応してどういう音が出ているのか?ってのが分かるんだよね。言わば関数的対応が明白なのでどこをどういじればどうなるということが構造的に理解されやすくなってると言えるよね。


数学も同じでモジュール構造だとどこがどこに対応してるからこんな風になっているっていうことが分かりやすくなるわけだ。それを極端に原子のレベルまで分解してモジュール構造にしてやろう!っていう数学全体の書き換えを行おうとしたのがブルバキじゃないですか?で、この方法論ってやっぱ凄いのよ。っつーか面白いことに哲学の構造主義的アプローチとに影響を与えたのってブルバキなんだよね。それって哲学の構造主義と同じじゃん!っつーよりかはオリジンがブルバキっていう。で、ブルバキがなんでそれをやろうとしたか?っていうと彼らはめちゃめちゃ頭が良い人たちの集団だったので学校でやらされるような数学とか特にテキストが凄まじく糞だってことに不満を持ってたんだよね。すんげー古い化石みたいな連中達が死んだ数学を記述してそれを学校で教えてるなんて由々しき事態だ!と。んだったら俺たちで数学の教科書を書き換えちゃわない?っつーのが動機だったんだよね。かっこ良過ぎるよね!フランスらしい革命精神と反骨精神っつーのかな?


またメンバーがイケメン揃いで絵になるんだよなー。ダダイストの集団みたいなアーティスティックなかっこよさを持っている反骨精神の塊みたいな集団なんだよね。そういった革命精神の結果がブルバキの教科書の書き換えという方法論を生み出したってやっぱロマンなのよっつってもみんながそれを真似し出して、しかもブルバキより上手くやるようになって途中から別に構造主義的アプローチはブルバキの特権というわけではなくなって影響力は少なくなるんだけど、やっぱでもそれって上辺のことで根本の思想があるわけじゃん?ずばりそれは反骨精神とさ、「教科書が糞だから書き換えちゃわない?」っていうような精神だよね。若さ故というのはあったにせよ「俺らはあんな腐れ教師どもよりも数学を理解している」っていう自負があったわけじゃん?まぁ実際凄まじいエリート集団だったんでこれは本当だったんだけどさ、まぁそういう思想に共感する人たちが多かったんだよね。変な言い方をすると数学的左派っつのかな?


で、抽象的な現代数学ってオリジンがやっぱこの辺だと思うのよっつーかガロワなんか革命家だったわけじゃん?すんげー味気ないただの論証のみを持ってやる数学を保守的な数学と位置づけるなら、ガロワやアーベルに見られるような概念的な数学は凄く革命的な左翼的な数学みたいな感じがするんだよね。既成概念をぶっ壊してより新しい柔軟性がある数学を目指すっつーさ、なんかそういう革命的精神ってすげー数学に必要だよね。それとほど遠いのが日本の数学なんだけど(笑)ほとんど保守のみでしょう。受験数学なんて極右の代物ですよ(笑)そんな思想を義務教育で植えつけられてるんだからこりゃかなわんわな。「いやー数学つまらねぇー」ってなるのは健康なリアクションとしても、東大目指すんだ!なんつってガリ勉になっちゃったら最悪だよね。それを頑張るということが努力ってことになってつまりは学業になるんだから将来に繋がるみたいなさ、そんなもんに成り下がってるわけじゃん?だから義務教育化での秀才ほどタチの悪いものはないってことだよね。数学的にはそういうのからドロップアウトして革命的数学精神に則った概念的現代数学を学んだ方がいいわけじゃん?


っつーか前にも散々書いたけどなんでもうほぼ2014年っつー一昔前の時代から見ればほぼ近未来みたいな時代に解析概論みたいな本を有り難がって読んでるのか?って話じゃないですか?日本の教育や学生のレベルの低さって単純にシステムの古さだよね。だから日本の学生が特に馬鹿だとは思わないんだよね。変な古いメソッドとかそれこそ受験みたいなシステムがあったりして、ほとんど意味がない詰め込み教育をやらされてるからそりゃレベルは低いままでしょう。抽象力なんて鍛えられるわけがない。だからなんつーか数学に限らずなんだけど教育システムが糞過ぎるからドロップアウトって日本に限って言えば知的に健全なことだよね。むしろあんな異常なもんにアダプトして頑張るほうがどうかしてるわけで。「いや、これっておかしくないか?」って気がつかないのがマズいよね。でも変なパラダイムの数学しか教わらなかったらそれが全部みたいな世界観になっちゃうから疑いを持ち辛いってのはあるよね。だからまぁドロップアウトして数学的左翼になったほうがいいわけだ。


んでもあれなんだ、フォローすると高木貞治にしても久賀道郎にしてもそりゃ時代の産物ですよ。そういう抽象の世界がまだなかった時代に書かれた本だから古くて当然でそりゃ今の観点から見れば数学的右派に分類されるけどそりゃしょうがないわけだ。問題はそういう古い本を未だに有り難がって読んでたり薦めたり風習で「解析概論を読めたら凄い」みたいな信念があったりすることだよね。


で、最近やり取りをしたfoobarhogeさんも言ってたけど日本の教科書とか数学所全般が概念ベースのものってのが異様に少ないんだよね。言わば右派の本ばかりということになるんだよね。あまりに糞過ぎるから洋書にいくしかないっつって洋書に行ける人はまだいいけど英語っていう壁がある人たちにとってはどうすればいいのか?って話になるじゃん?俺はたまたま成り行きで英語を読めたからいきなり洋書を読めたけどさ、洋書を読めるようになるまでって大変じゃないっすか?そこでなんつーか数学をやろう!って思った人が右翼的な糞みたいな数学書に行き着いちゃうとさ、くだらない数学のやり方が染み付いちゃったり数学はこういうもんなんだ!って思っちゃったりするじゃん?まぁようはドグマですよね。もちろん和書にも良書はあるけど残念ながら古いのが多いんだよね。21世紀のスタンダードと言えるようなものがない。


なんかもっと啓蒙書とか一般書っつーレベルで概念ベースで数学を包括的に説明する本って必要だと思うんだよなー。最終的に洋書に行くにしてもまず取っ掛かりとしてそういう本から入れればいいじゃないですか?日本の環境だとゲートウェイが右寄りだから概念的思考をする人が躓いたり「つまんねーな」って思ったりしちゃうよね。特になんかガロワ系の本ってすげー右派のが多いよね。オリジナルはアメリカ独立宣言並のものなのに。久賀道郎の本も当時はいいけど今から見れば悪書でしょう。中盤から後半が酷過ぎるよねっつってもまぁ68年の本だからしょうがないんだけどね。だからそういう意味で別に高木貞治なんかも責めてもしょうがないんだよね。何回もフォローするようだけどそういう時代のものだったんだからしょうがないっていう。


もうさ、あれですよ、現代数学って超エレガントな世界ですよ。本当に。耽美的過ぎて永遠とドップリ使っていられるような極楽みたいな世界なのよ。もう本当に努力とか積み重ねとは無縁の世界ね。いや、こういうアプローチが出来たらこれも分かるようになるかもしれないな!っていう希望だらけなのよ。まぁ本当にだから抽象の極みからのトップダウン理解ですよね。変な話、めちゃめちゃ抽象的な数学を勉強してから学部レベルの数学書とか読んだら頭の中の抽象補正によって理解が深まると思うんだよね。ブルバキが抽象を進めたのもこういう理由もあると思うんですよ。でも抽象的になり過ぎるってやっぱり反対意見も多いんだよね。いや、どんどん知的マスターベーションの世界になるじゃないか!的な意見が右派からあるんだけど、プラクティカルな理由としては抽象によるトップダウン理解ということがあるわけなんだから有用じゃないですか?あ、今は抽象に対して批判が多いかどうかはともかくとしてブルバキが活躍してた時代は多かったらしいんだよね。


あ、んでもね、ブルバキっつってもブルバキの一連の著書がそれに成功していたかどうかは別の話ね。難点も多いわけだし完璧だったとは言えないんだけど、でも肝心なのはその「思想」なんですよ!だからなんつーのかな?ポストモダン代数っつーパラダイムを作ったのはブルバキなんですよね。今は特にそんなファンシーな名前で呼ばなくても当たり前に使われることでも歴史的に見ればブルバキがオリジンでなおかつ反骨精神に溢れた「糞みたいな内容の教科書を書き換える」っていう動機付けがあったわけで、そういう歴史の上に現代の抽象的な数学というのは成り立っているんだなって思うとなんか革命家達が築いてきた知的財産を利用させてもらっているっていう凄くその先人へのリスペクトってのが生まれるよね。俺がブルバキを過大評価と言えるぐらい評価するのはそういうところなのよ。


でもこれって多分、科学全般に言えることなんじゃないかな?って思うわけ。既成概念に捕われずに自由な発想で新しいパラダイムを生み出すって論理的なプロセスじゃなくて概念的プロセスでそれって芸術全般と同じだと思うんだよね。でもそれには感性と抽象力が必要なんだけど、日本の数学教育っつーかまぁ教育全般そうなんだけど、感性を磨けるような教育を目指すべき!なんて言うつもりはないのよ。それは恐らく無理だし相当な根本的変革が必要だから話が大き過ぎるんだけど、ようは感性と抽象力を鈍化させるような論理と計算にのみ特化させるような数学右翼的ドグマを勝手に植えつけないでくれ!ってことになるんだよね。論理と数学って奴隷がやるもんですからね。人間がやる数学は抽象によるものなんだよ。つまりは機械には出来ない人間にしか出来ないものを人間がやるってことなんだよ。それがようは計算とかではない感性とか心の世界の話でしょ?ってことになるわけですよ。

Mastery of algebra makes it easier to study other mathematical disciplines. Familiar structures reappear, while unfamiliar ones are often best approached by the extent to which they differ from similar known ones. A good knowledge of algebraic concepts enables one to avoid excessive computations, and to reduce unavoidable computations to a minimum. (from Post-Modern Algebra
Jonathan D. H. Smith, Anna B. Romanowska p.3)


ってことでまぁ今日はこの辺でいいかな。とりあえず思いついたブルバキ関係の本と、洋書だけど特に美しく書かれた数学書のいくつかを貼っておくわ。









あと以下は初学者向けではないんだけど抽象の素晴らしさと美しさが見事に表現されている特筆すべき本としていくつか貼っておくね。いや貼り出したらキリがないので、俺の中でのバイブルレベルのものをいくつか。





Jacob Lurieは勝手に俺の師匠だと思ってる(笑)っつーのも俺がやりたい数学ってまさしくLurieがやってるような数学なんすよ。