レジャーの必要性。その10。

では続きを。


でもなんか街とかで言うと浄化とかされちゃって渋谷とか新宿とかにしてもずいぶん見栄えが良くなっちゃったけど90年代とかのほうがよっぽどヒップホップっぽい街並みだったと思うんだけどでも如何せんヒップホップ側が追い付いてなかった感はあるんだよね。中流がストリートぶってるみたいなのが多かったんだけど浄化が進んで街がファスト化していく中で逆に街の見栄えはいいんだけど状況はストリートみたいな人たちが増えてるわけじゃん?ようは90年代って俺たちはストリートで成り上がってやる!とかさ、俺たちに明日はないんだ!みたいなこと言っててもまだ経済が上に行くみたいな希望がまだ残ってたわけじゃん?


でもロスジェネ世代とかに見られるようにもう完全にそんなのないどころか永遠と不景気が続くし音楽もマジで売れなくなるんだってのがリアルになってからのそういうリアルをリリックにするヒップホップだよね。思うにこういうリアルな状況がリアルな日本のヒップホップを逆説的に生み出したと思うんだよね。俺たちに明日は無いってマジでそうだし将来どうなるか分からないし景気も悪いし音楽自体が金にならないしゲットーってほどじゃないにしてもまぁ貧困層って増えてるわけだしさ、そんな中だからこそ「成り上がる」みたいなのが本当にリアルな体感として必要なものとしてある半面、そんなの無理じゃね?とかそんな欲張らなくてもねぇーっていう諦めがあったりとかさ、まぁそういうところもリアルの内だよね。


そういう諦めとか絶望とか世間の白けムードとかね、んでもそんなの関係ねぇーぜ俺は成り上がってやるぜ!ってのが実は実家が金持ちな中流とかがスタイルでやってるんじゃなくて一人の若者の叫びとしてリアルなものになったんだよね。ようはヒップホップと日本のリアルってのがシンクロしたってことだよね。


ヒップホップでmake moneyしなくても諦めて就職すればそこそこ稼げるって状況じゃなくなってるからこそヒップホップドリームみたいなのが本当にリアルになってんのよね。で、日本のラップも認知され始めてるからサクセスすればリアルにmake moneyできるようにもなってるしそういう意味でまぁ閉塞感感じてる人も多いわけでそれこそあとはさすがに今は流行らないにしてもパンクとかにしてもまぁムーヴメントが起こったのってイギリスが閉塞してた頃じゃん?まぁだから今の日本ってパンクとかの土壌があるんだよね。まぁパンクスが街を徘徊したりスクワットしたりっていう環境は無いんだけど状況としてはパンクスが社会にfuck!っていうべき状況なんだけどね。まぁでも本当にそういう意味で暗いよね。


何もかもがファスト化して何がオリジナルかコピーなんだかも分からくなっていてんでも経済的に疲弊してるしそんなカルチャー楽しんでる余裕もないからそりゃ安いものにみんな群がるようになるよねーってことにもなるしんで疲弊してるからっつって鬱屈したのが溜まってるパワーってのがなんかのムーヴメントを起こすかもしれない!っつーよりかは見える範囲としては排他主義とか悪い意味でのルサンチマンベースの右傾化とかヘイトスピーチとかだよね。まぁそこで鬱屈したものを音楽とか歌詞に昇華できる人ってやっぱセンスが無いと無理なんだけどそういうセンスも政治的センスもない人がヘイトスピーチするようなやつを応援してたりするのよね。最悪だよね。


まぁ別にそんなムーヴメントになんて期待するような時代じゃないし期待もしないけどさ、ただまぁ順応しちゃダメだよね。明らかにfuckな状況なのにこれが現実だ・・・って認めちゃうとそれがデフォになるじゃん?だから問題意識持てなくなっちゃうからね。ただまぁそういう意味でさ、ファストファッションに話を戻すとその病理って第三国での搾取よりもコピーなんだよね。まぁ「よりも」っていうと政治的に問題があるけど第三国での搾取ってのはデザインが仮に一流のブランドのオリジナルだろうがやってるところはやってるからね。それはもう産業の病理だから。でもそこでファストファッションってダブルなんだよね。そういうデフォの搾取もさることながらデザインもパクってるっていうさ、そりゃ合理性から言えばそれがベストなんだけど倫理的に大いに問題ありだよね。


でもそれで言うと全く別の倫理という意味で古い話題だけどジョン・ガリアーノの不適切発言とかドルガバにしてもそうだけどある特定のブランドを贔屓にするってこれ自体がリスクだよね。まぁこんなグレードのは買わないにしてもちょっと好きなちょい高めのブランドなんつってもそれって音楽とかと違って身に着けるものだからさ、そこでまぁ身体性ってのが関わってくるんだけど好きで聞いてたけどパクリだらけって分かって聴くのやめたとか買うのやめたってのは音楽とか映画では可能だけど洋服となると物凄いよね。


まぁ値段にもよるけどまぁ大抵CDとかDVDより高いわけでしょう。んでも身に着けるものなわけでさ、どんだけデザインが良くても「ヒトラー大好き」って言うようなやつがデザインした服を着たいとは思わないでしょう。そこがまぁ今書いた身体性ってことなんだけどヒトラー大好きって言うやつが作った映画は狂った映画として見れたり悪い意味での悪趣味なフェイバリットにはなりうるかもしれないけど洋服となるとさ、別にナチズム全開のデザインということではないし全くそれはデザイン性とは関係ないにしてもやっぱまぁレイシストが作ったものなんて身につけたくないよね。でもまぁそれって何にしてもそのデザイナーなり作曲者なりが正しい政治性を持ってるか?なんて分からないわけだよね。特にそういうことに発言が無いということはまぁとりあえずまともなんだろうっていう勝手な想像をしちゃいがちだけどそいつが何考えてるか?なんて分からないからね。


まぁだからそんなことを気にするとキリがないしそんなこと気にしてまで音楽を聴こうと思わないし服も着ようと思わないってことになるよね。まぁさすがにでも身に着けるものだとある意味で体の一部になるわけだからやっぱ音楽鑑賞とか映画鑑賞とは全然テイストが違うよね。あとまぁあれだわ、今の時代さ、なんでもSNSだのツイッターだのっつーんでまぁ最近ずーっと書いてるけど簡単なことで自爆しやすいわけじゃん?まぁドルガバなんかもツイッターだったっけな。で、まぁ広まるのもツイッターで著名人からの抗議もツイッターやらSNSでっていうさ、別な意味でブランドの価値が失墜してるよね。


ブランドっつってもデザインなんつってじゃあオリジナルは?って言い出すとキリがないっつーか何をもってオリジナルとするか?っていうところでまぁ永遠と長い話になるじゃん?じゃあステータスとして着るのか?っていうとそれはそれであってもデザイナーが不適切発言とかすると一気に処分したくなったり身に着けてるのがみっともない感じにもなるよね。どんだけデザインが気に入っててもやっぱりイメージってのがあるわけであまりにもダメな発言をした人がデザインしたものを着ようとは思わないよね。あとまぁ風評被害だよね。


それは別にそれとしてあるんだけど日本だとホストとか水商売関係の人たちの御用達になっちゃってパブリックイメージが悪いものとかさ、あとまぁだんだんそういうあんまり好ましくないような人たちが着るようになって陳腐化しちゃうブランドとかもあるわけだよね。それこそ一時期のギャル男御用達になって普通の人たちがあんま着なくなったとかさ、いくらデザインとは言えばやっぱこういうイメージってのがすげー影響を及ぼすんだよねっていうところでまぁラカン的な意味でのシニフィアンシニフィエの話を出さずにはいられなくなりつつも(笑)結局ファッションは自己満足と言いつつも当然この世の中に自分以外いなくなったら恐らくそんなにファッションを気にするようにはならないようにやっぱまぁ他者からのまなざしって意味でのシニフィアンですよね。


ってことで続きますんでよろしくねー。ではまた。