パターン化認識が多元主義の鍵なんですかい?

mimisemi2009-03-25

例によってネットに繋がらなくてさ、先週の木曜っつーか金曜ぐらいから。でもウォール伝は書いてたんだよね。で、まぁいつにも増して壮大な量になったんで、書き溜めていたやつを腐る前に何日かに分けて放出します。しばらくは膨大な量の書き溜め悪魔の放出が続くと思いますので覚悟したまえ。っつーかベライゾン不安定で悪名高いらしいよ。結局原因も分からずっつーかなんつーか。ところでネットがしばらく使えなかったって感覚だったけどたったの4日ぐらいなのね。いかに俺が依存してるかだね。lain思い出したよ。人はどこでも繋がってるんだよっていうさ、それこそ昔のショーペンハウエルだのルソーだのみたいな完全な孤独って今はもうありえないんだよね。テレビとか携帯とかネットがあるわけでさ、彼らが良くも悪くも味わっていた孤独って人為的にでも作らない限り特に先進国みたいな国ではありえないんだよね。まぁいいや。ってことでまぁしばらくは書き溜め悪魔が続きますよ。


学校のカフェテリアでマウンテンデューを飲みながらチップスを食べている時に思いついたことをナプキンに書いてたんだけど、そのナプキンメモからの思いつきを色々と書いてみますっつーかまとめてみます。


まずあれね、天文学のクラスのテストでさ、まぁいいや、それはいいんだけど、地動説と天動説ってあるじゃない?で、これを人に例えると地動説って独我論で天動説がまぁ唯物論的なんだよね。あーどっちなんだろう?現象学的とも言えるのかな?まぁどの道、地球に我々はいますってことを想定して天動説を考えているって意味ではまぁ現象学的なのかもしれない。で、被害妄想あるじゃない?俺の。睡眠不足のときとかあとカフェイン摂り過ぎの時とかに酷くなるんだけど、ある時ねっつーかこのチップスを食べていた日の行きの電車でさ、ウォークマンの電池がキレたんでなだめてたのね。で、キレた電池を寝かせて、新しい電池に変えたんだけどっつーかまぁ俺はウォークマンなのね。CDウォークマンね。MP3プレイヤーになんの魅力も感じないので。まぁそれはともかくだな、電池が切れたときにね、交換しているときってまぁ音楽が聞こえてないわけで、電車の音が丸聞こえじゃない?で、前に書いたけどリスニングが良くなってくると電車の中の他の連中のダベりとかも分かるようになるって書いたよね?それが悪影響するのが被害妄想ね。誰かがさ「いや、あいつの見た目は凄く変だよ。絶対変」みたいな話を永遠としているわけ。で、俺の事か?って俺はすぐ思うんだけど、でもさ、そんな話してたら他の人も気がつくじゃんっつーか他の人も俺の事か?って勘違いしたりするじゃない?え?しないの?俺はするんだよね。だからもうさ、鳥居みゆきがさ、電車で向かいのやつらが「こいつ白過ぎだよなー。絶対変!白過ぎー!」とかって笑ってたのを自分のことを言われてると思って「なんだこらー!」って組みかかっていったら実際はなんかのアニメだか漫画のキャラクターの話をしていたとかでさ、凄い勘違いでしたみたいな話があるけど、まぁとりみーがギャグで創作妄想夢芝居をしているのか実話なのか分からないけど、まぁ実話だとしたらもう俺はとりみーと同じだね。同じかそれ以上に被害妄想が酷い。だからとりみーの話ってメンヘラー的に理解できる事が多いんだよね。普通の人は笑うんだろうけど、俺にとってはあるあるネタみたいな。まぁそんなのが今回の電車でのことだったんだけど、まぁ確認する術は無いよね。論理学的に証明できたりするようなものでもないし。


で、思ったのが被害妄想の世界観ってさ、極めて独我論的なんだよね。自動説よ。自分を中心に世界が回っているという考え。まぁ前にパニック発作の分析についてのやつで散々書いた事なんだけど、自分の生活世界が自分の妄想世界に占領されるのね。だからさ、他の人の世界観なんて一切考えない世界なのね。まぁ独我論の定義にもよるんだけど、まぁネガティブなタームでの独我論って意味での独我論ね。被害妄想ってさ、相手の世界観考えてないもんね。「あいつは変だ」って言ってるやつは知り合いの話をしているのかもしれないしさ、ましてや俺がヘッドフォンをしているとは言え露骨に同じ車両にいる人のことを言ったりはしないだろうってふつーは思うよね。でもそう思わないのが被害妄想の凄いところなんだよなぁー。何しろ自動説だからね。自分が中心だから他人の顔色とか嫌そうな顔とかも全部自分に向けられたものだと思ってしまう。こりゃー酷いね。こういうのって一生ついてまわるんだろうけど、俺ってはっきり言ってさ、障害者なわけだよね。まぁ準障害者かな。


でもまぁ見た目は大丈夫っつーか身体的な障害は無いからあからさまな障害者な感じってのが無いよね?でも内面って分からないことだからね。例えば知的障害とかだったらまぁ分かるじゃない?動きがちょっと変だったり顔つきが変だったりさ、変って言い方は失礼だけど、まぁ分かるじゃない?でもメンタルディスオーダー系のね、あからさまな分裂病とかじゃない限りはさ、例えば俺みたいなね、慢性的な鬱とか気分障害とかパニック障害とかって障害としては見なされないんだよね。それが一過性のものであればさ、入院して治すとか休養して治すとかってのが出来るけど、俺の場合、もう脳がそうなってるわけじゃない?あと色々と考える癖があるから、そういうのがまた症状をより酷くしちゃってるのかもしれないんだけどさ、ところで家族がふえるよ!やったねたえちゃん!っつーなんかネットでググってはいけないワードとかで有名になった漫画があるよね?まぁ簡単に言えば孤児院に捨てられた小学生ぐらいの女の子が引き取り手の淫売の母親の兄貴に犯されて、んでその後も労働・性的奴隷になるっつー話なんだけどさ、これがググってはいけないワードってお笑いだよね。こんなこと世界のどこでも起こってるだろうよっていうさ、言い方は悪いけど、これを助けようが無いとか鬱になるとかって言ってる人の想像力を疑うね。ちょっとでも考えてみれば悲惨な話なんていくらでもあるしさ、ちょっと色々と考えれば助けようが無い話なんていくらでもあるよね?


俺は多感な時期にそういうのを見たり読んだりしすぎたりしつつ私生活もドラッグ・アルコール漬けの自殺未遂の毎日だったから絶望慣れしすぎたっつーのはあるかもしれないけど、それにしてもまぁなんつーかネットで騒いでる人達のお気楽加減に呆れたね。あれでググってはいけないって大げさ過ぎるだろうっていう。何が言いたいのか?っていうとさ、例えば俺みたいなやつが酷いメンタルステイトの時に考える被害妄想とかさ、最悪の人生のシナリオとかさ、なんかの酷い事件を見たきっかけで思いを馳せてしまって悲しくなったりするときとかさ、こういう俺の頭で生成される絶望物語っつーか絶望絵図とかに比べるとたえちゃんなんてチンカスみたいなもんなんだよね。俺は頭の中で日常的に酷く絶望的な光景が浮かんだりするから、例えばさ、既存の映画とか小説とか漫画とかで俺の絶望絵図を越えるようなものに出会った事が無いんだよね。だからこれで思ったのはさ、健全な人ってのはたえちゃんを読んで鬱になるんだなってことでさ、俺はまぁそういう意味で健全じゃないんだなってことだよね。いや、ホントに驚きだったもん。「これがたえちゃんか!」ってぐらいどーってことなかった。強がりでもなんでもなく。あれだったらウジガワイタの漫画のほうがもっと強烈だろう。もっと強烈なのはあれだよね、新書の「すべての経済はバブルに通じる」みたいなやつだよね。たえちゃんなんていう比じゃないぐらいの強烈なリアリティよ。架空のものや物語ではなく現実のリアリティってのが一番キツいよね。


あ、んで何が言いたいのか?っていうと俺は健常者じゃなくて異常者だし、障害者だからふつーの生活を送れるわけが無いって話なんだよね。かといって生活保護なんてのを受けられるわけでもないわけでさ、すんげー中途半端な障害者なんだよね。そんな障害者がどうやってやってくの?って話が俺の課題なんだよね。障害者なんだけどふつーの人としてやってくしかないってかなり大変なことだよね。本当に。


あ、話が逸れたね?だいぶ。だいぶん。あ、んでね、見られているって思う事が恣意的に解釈されるってことだけど、調子が悪い時は「あいつは俺の事を変だと思っている」って思うし、調子がいい時に女の子からチラチラ見られると「俺ってかっこいいのかな?」って思ったりするわけじゃない?これってのがさ、前者が被害妄想的で後者が誇大妄想的なんだよね。つまりは両方とも独我論的世界観で行われていることなわけ。あとあれ、多元化社会なんだけどね、プルーラリズムっつーかさ、まぁ前にも書いたけどニューヨークってパンクっつーかモヒカンみたいなのがいても目立たないっつーか目立つんだけど、人々は別に特に注目しないんだよねっつーのはさ、モヒカンとかパンクファッションとかニューヨークの奇抜な人達っつーコロラリーが出来ているから、ようは人々がそれをパターン化認識するんだよね。でも俺みたいなさ、例えば画家の藤田みたいな髪と眼鏡でいたりするとみんな見るわけだよね。これが意味をするんのはニューヨークは個人に寛大で色んな人がいる多用な社会ってことなんじゃなくて、単純にその色々な奇抜な人達もパターン化されて認識されているってだけなんだよね。ようは解釈の幅が広いってだけなの。だから俺みたいな識別不可能なやつは「なんだありゃ!」ってみんな驚くわけ。


ということはさ、究極的に言えばさ、多元化を進めるためには多様な認識のパターン化が必要ってことだよね。認識を個々の寛大さに依存させるのではなく、パターン化を進めて何もかもをパターン認識できるようにすればいいんじゃない?ってことなんだよね。あー獣姦好きな人もいるよねーゲイもいるよねぇーレズもいるよねぇーっていうさ、マイノリティグループがまぁ隠れないでそのまま生活すればいいんだよね。まぁ大っぴらに獣姦する必要は無いんだけど、でも色んな人がいるっつーのを漠然とではなく、具体的に把握することが必要ってことだよね。いや、パターン化認識ってのは多元的社会においては凄く重要だね。また同じようなことを書くけど、それは個々の需要の寛大さに依存するんではなく、ああいうやつらがいるよねって当たり前のこととして認識させるようにすることが重要ってことね。それをどうやればいいのか?っつーのはまぁまだ考えてないけど。性の認識も同じね。ロリコンとかショタコンとか変態趣味の人達を化け物扱いするんではなく、寛大にそれを性の一つの形態として認めないといけないのねっつってもロリコンっつって実際小学生を犯しちゃダメだけど、ロリコンっつーのはもうある程度の割合でどの国にでもいるわけだから、そういう人達がいるんだっつー前提で性について考えていかなきゃいけないよね。


それは例えばさ、児童ポルノダメ!とかって言うのってさ、基本的にロリコンとかショタコンの人達の性を排除した考え方だよね。性的に健全な人達のパラダイムで考えられた性の考えなんつーのはさ、マイノリティの意見を無視したマジョリティの合意みたいなもんでさ、それってダメなのよね。基本的に。かといって児童ポルノがいいってわけではないんだけど、問題はそういった解消しきれない性の問題を抱えた人達がどう性を昇華できるのか?っていうことを考えていかないといけないってことなんだよね。ズリネタがあれば少女誘拐が減るのであればズリネタ提供については検討するべきであろうし、ロリコン趣味のゲームとかで性的欲求を満たせることが出来る人達がいるなら、そういったゲームは批判されるべきではないよね。健常者の立場に立ったマジョリティの意見ほど危険なものはないよ。これは実際の独裁体制よりももっと悪質な独裁体制なんだよね。マジョリティのタイラニーね。多様性を認めないということはつまりはそれは人々によって構成されたマジョリティによるファシズムなのよ。「普通」という観点に立つ事が如何に危険なことなのか?っつーのは熟考の価値があることだと思うね。


あと暗記とテストなんだけど、天文学のテストでさ、テストがね、宿題で出された選択問題と全く同じものがランダムに選出されて出るっつーんでさ、それって回答暗記すれば100点じゃんとか思って珍しくテスト勉強っつーか回答暗記をしてたんだけど、実際のテストでは同じ内容ながらもちょっと数値が変わってたり言い方が変わってたりするのがあってさ、分からなかったところがちょっとあったんだけど、んでも基本的に回答の暗記でかなりの点数が稼げたね。これこそが受験勉強ってやつなんでしょ?概念の理解とか思考力なんて必要としない、例えばさ、1853という文字を覚えなさいっつって暗記してテストで1853って書けば正解っていうような世界だよね?馬鹿げてるよねぇー。俺としては天文学のクラスに関しては何一つ理解してないんでテストが心配だったんだけど、これは逆にこの馬鹿げた暗記で切り抜けれるってことで、こういう場合の暗記はまぁ使えるなとは思ったけど、教育全般がこうなっちゃってるから終わりなんだよね。もちろん思考力の問題以前に暗記する必要性のあるコンポーネンツっつーのはあるけどさ、でも基本的にリベラルアーツみたいなので色んな学科のことを表面的に暗記して、んで終わったら忘れるみたいなのってマジで時間の無駄だよね。とりみーが「勉強ってのは使い捨てだと思ってたので」みたいなことを言っていたことがあったけど、まさしくこれは正鵠を得た言い方だよね。笑っちゃうよね。テストの問いでは何を言っているのかが分からないんだけどそれに関しての回答を暗記してたんでスラスラっと解けるっていう。マジでテストって意味ないよな。教師が暗記を恐怖によって生徒に強要するわけだよね。暗記しなけりゃパスできないぞっていう。


まぁ暗記しなきゃ学問が始まらないやつにしたらそれは必要なんだろうけどさ、でもリベラルアーツのサイエンスリクワイアメントとかいってさ、それこそ条件を満たすためだけに暗記してパスして終わりなんて金と時間の無駄だよね。基本的に大学ってどこもそうなんだろうな。こればかりは先生を責められないな。もう学校がそういうシステムになっちゃってるんだから。だからね、俺は4大にも期待してないのね。まぁ今回のポリサイのクラスだとかさ、興味無いクラスでも可愛い子と出会えるかもしれないっていう意味だと凄く楽しみではあるんだけど、本質的なことに関しては自分で勉強するしか無いんだよね。哲学のフーコー先生にさ、もう去年になるのか。「現象学みたいなのを勉強できるのってどういう場所なんですか?」なんて馬鹿なことを聞いたんだけど、それに対して先生は滅多に見せない笑顔で「とにかく読むことだよ」って答えてくれたんだけど、これが凄く心に残ってるっつーか心に刻まれたんだよね。とりあえず読むしかないんだなって。だから正直ね、哲学をメジャーにしたかったんだけど哲学こそまさしく自分でやらないとなんにもならないことだし、まぁあとそれで学歴取っても意味ないっつーのもあって、だからまぁ哲学をメジャーにすることは諦めたのね。まぁそれは去年の話だけどね。でも政治学にしてもさ、結局やりたいのって政治理論と政治哲学なわけで、これって基本的に哲学とあんま変わらないよね?ムフ・ラクラウの理論をすんげー詳しく解説するクラスとかさ、グラムシを軸にヘゲモニーについて考えるクラスとかさ、そういうのがあったら参加したいと思うんだけど、そんなもん無いよね?だから結局自分でやるしかないってことになるわけよね。


今日はこの辺で一区切りつけるぜい。んじゃあネットが無事だったら明日ね。

On Populist Reason

On Populist Reason

動画は最近もう紹介するっつーかネタが切れてきたんでもうやめるわ。なんか気がついたのがあったら貼っておくけど、もうなんつーか過去に貼ったやつの繰り返しとかさ、なんか新しいの無いかな?って思うと考えちゃうんだよね。これはじめたころはいくらでもあったんだけど、今はもう出し尽くした感じ。商品の紹介はまぁまだ大丈夫かな?でもさ、ブログに移行したウォール伝ってもう始めて2年ぐらいになるわけでさ、それを考えると大体まぁ400以上の動画とか商品を貼り続けてきたってことだよね?そりゃーネタ切れるよ。