Meditativeな感じ。

ギター届いたんだけどBadass過ぎてもうやめらんない。っつーかピックアップ半端じゃない。Rocksmith楽しすぎ!ってことなんですけどね。ようは。ギターの音の揺らぎの良さにハマったっていうか単音だと自然数みたいな感じじゃん?でもギターってミスタッチとか音と音の間とかも含めて実数っぽいんだよね。その隙間の揺らぎがたまらなくてやっていくうちに感覚がどんどん研ぎ澄まされていく感じがするのと手の動きと出す音とのone to one correspondenceみたいなのが認識的に確立されていくのをリアルタイムに感じるんだよね。凄く脳がとろけるような体験だね。まさに至高体験というやつだね。「イエーイ!ロッケンロール!」っていうノリノリの感じじゃなくてmeditativeな感じなのね。そこはやっぱ俺が元々ロックじゃなくて音響寄りの人間だからってのはあるんだろうけど音への取り組み方とか出し方とか聞き方ってのがより研ぎ澄まされていくんだよね。作曲してると曲の聞き方って変わってくるけどそれはまぁやり始めたのが早いからそういう感覚は10代の頃からあったけどギターに関しての志向性ってのはまぁ5年前ぐらいに例のアートリンゼイをきっかけに色々といじり始めたってのがあるにせよそっから断絶があってんで今に至るんだけど今はノイズというよりかは純音楽的な取り組み方をしてるから取り組む感覚が違うんだよね。それを凄く感じる。


弾いてるときに「イエーイ!」なんじゃなくて瞑想してるかのようなすべてがとろけていくような感覚を覚えるんだよね。興奮しながらも凄く落ち着いててそれこそ世界が全てvibrationの響きとsuperstringのvibrationで成り立っているみたいな世界を俯瞰するような感覚を覚えるのね。これはなんか意外だったね。もっと「ロッケンロール!」って感じになると思ったんだけどね、まぁ意外で凄く良かった。あ、んでデレクベイリーと高柳とかだと目標が高すぎるからっつっても別にそれより低いというわけじゃないんだけど憧れの存在っつーかあとまぁ模倣したりとにかく「こんな感じになる!」っていう目標がソニーシャーロックとMelt BananaのAgataですね。


ってことで練習に戻るんでんじゃまた。




なんつーかまさに俺が追求している身体性と認識の合一だよね。認識だけで頭でっかちになるのではなくてむしろ理性とかはただの論理的基盤のようなもので重要なのは論理とかを超えた超越性に関わる感性なんだよね。そういうのを頭だけで考えるのではなく中国拳法や居合や気功やギターなんかを通して身体的に考えるってことだよね。そういう感覚と感性の涵養をしていきたいよね。凄く俺の中でそういうのが重要になってるのね。まぁ感性を重視するってのは結構前からそうなってたけど色々と結実してる感じなんだよね。それが日々の活動というか生きるということになってるんだよね。