Meditations on The Train。その3。

ファッション関係の本読んでるっつってまぁ必然的に行きついたっつーかコムデギャルソンをスピヴァクが批判してるっつーんで「ポストコロニアル理性批判」を読んでるんだけど逆にギャルソン経由じゃなかったらスピヴァクなんて読まなかっただろうなって思いつつ簡単なノリでサラッと読もうと思ったら読みづらくて笑っちゃうんだけどさ(笑)まぁでもすげーあれよ、よかったなって感じなのよね。いや、凄く得ているものがあるということね。まぁそれはまた読んで色々と考えてまた書くけどあと社会学も基礎からちゃんとやろうかなって思ったって書いたと思うんだけど社会学関係の本とルーマンの「社会の社会」を読んでるんだけどこれまた面白いんですよね。


メンズノンノとかノンノを読みつつ一方でハイブローな本も読むっていうね、現代音楽とパンクを同時に聴くkasper toeplitzのような感じだけどまぁ暗黙になんで社会学とか哲学と比べてファッションはローブローっていうか俗っぽい感じがするわけ?っていうところも含めた概念的なことだよね。ディスクール的なこととか記号的なこととか社会的なことだよね。まぁ結局そこなんだよね。俺は浮気しない一途なタイプなので(笑)やっぱり根源的な関心とか気になるところとかのコアの部分ってのがあるんだよね。ナンパだの次はファッションだの色々と浮ついてるように見えるかもしれないけどそんなことないんですよ。凄まじい哲学的厳密性があってのことなんですよね。ええ。でもまぁ本当にそれはメタリアル路線ありきのことなんだよね。色んなもんが相互的に作用しあって認識というのが形成されるっていうまぁ似たようなことがルーマンの本に書いてあって驚異のシンクロ率に驚きですよね。


ってことで続きね。


でもまぁ結局それに全力で行く!ってことになるとよりおしゃれになりそうなもんなんだけどそのベクトルが違うんだよね。どんどんモンドにならなきゃダメなんであってさ、ね?そこで別にロランバルトを出すまでもなく自分が思うモンドがロランバルトが言うようなダンディズムに繋がっちゃうんだよね。でもそれはカッコつけるとか見た目がどうってことではないんだよね。ダンディズムを極めるとかそういう俗っぽいことでもない。


自分の世界を極めるっていう俺の本来の人生自体のコンセプトのラインに乗っている意味でのファッションだよね。そこはなんだろう、スニーカーで言うと分かりやすいよね。俺はまぁジョーダンが大好きでってのはもう言うまでもないけどこれは別に世の中的にレア度がどうのとかまた最近スニーカーが流行ってるとかってのと全く関係なくジョーダンが好きなだけなんだよね。だからまぁ靴を他で買うってことが無いよね。基本ジョーダンに合わないものは着ないっていうかまず選択肢に入らないしっつっても別にジョーダンが軸というわけでもなくて・・・そこがまぁ眼鏡と似てるわけなんですよ。


スニーカーとか眼鏡はガジェット感が強いからおしゃれシーンに殴り込みをかけるみたいな間違ったベクトルにいき辛いんだよねっていうのがただ本当にそれが好きなんですねっていう人がいる世界だし別にスニーカー大量に持っているとか眼鏡を多く持っているってことが別にそのままおしゃれに繋がるわけでもないからね。で、そこは洋服も一緒なんですよ。でも洋服の場合、シーンに入るような感じがスニーカーとか眼鏡に比べて多いんだよね(笑)店員と顔見知りになるみたいなのがスノッブ丸出しなステータスに繋がるとかさ、そのショップのバッグを持って街を歩くのがなんかかっこいい!みたいなね、「買ったぜ!」みたいな感じとかどうしても出てきちゃうじゃん?そこはやっぱスノッブなところは俺もあるわけよね。ついついその場のノリでそんな風になることもあるっていうのに帰宅してから激しく嫌悪感を持つことがあるんですよ。いや、マジで。


だからおしゃれに目覚めた!とかではないしそんな風に自分でも勘違いすんなよってところなんですよね。あくまでしょうもない独身貴族の道楽の極みっていうその道楽なんだよっていうところを自分にも言い聞かせたいんだよね。だから決しておしゃれになるとかモテるとか自分を磨くみたいなことを考えるな!っていうところだよね。まぁんで逆説的にね、そうやってストイックに邪念なく道楽を極めることってのが結果的にこれ以上に無い自分磨きに繋がるっていうことなんだけどでもそれは意識的な自分磨きなんてところからは深みは生まれないんだよね。前にまだ終わってないシリーズで「深みの外出」って書いてるけどまさにその「深み」とはこのことなんだよね。ナンパもそういう深みの一環なわけですよ。まぁかなりプライオリティは下がったけどね(笑)


あとまぁ書いてなかったかもしれないけど女の子とヤルためにも勃起不全なんてもってのほか!ってことでリフレックスをメインでやっていきます!っていう風に書いたけどやっぱまぁダメで結局まぁサインバルタに戻ったんですよね。しかもまぁ元の量ですよ。マックスね(笑)カリフォルニアロケットを限界まで飛ばし続けるスペースエイジバチェラーとはこの俺のことですよ。飛ばし過ぎて宇宙まで行っちゃってるっていうね、その最果てまで行くことにこそ人生の意義があるしまさに俺のレゾンデトールってそれなんですよね。まさにそういう深みでやるからこそ「ありがとうございました!」って店員から丁重に扱われてあたかもその店のVIPにでもなったかのような一時的な錯覚感とか買い物自体でもたらされる多幸感とかに飲まれちゃいけないしそれは本当にダメなタイプのトリップだぜ?っていうね、ハーブはいいけどケミカルはダメよ!っていうそれに通じるものがありますよね。ええ。


だからこそまぁこういう買い物をする自分とか洋服屋を梯子する自分とかってのに意識的でなおかつなんで買い物はこんなに気持ちいいのか?っていうところにも分析的なんだよね。逆にそれに飲まれると何も達成されないしただのジャンキーになるっていうね、だからこそ道楽を極めるっていうバチェラー的なある種の求道的ですらもある信念ってのが無いといけないよねっつってもバロウズだったっけ?信念ってのが知識の敵だって言ってたのは。あとまぁそんな道楽をストイックに極めている俺かっこいい!っていうナルシシズムね。これにも陥ったら完全に終わりっていうか人間的に完全にオワコンになるよね。


まぁこんだけ分析的に何が重要で何が仮に気持ちいいものであってもダメなのもかってのが分かってるからそりゃ絶対大丈夫なんだけどね、ただまぁだからそういう意味でまさにメタリアル路線になったからこその結果なんであって「そうだ!おしゃれだ!洋服だ!」みたいな恣意的な消費的で浪費的なものではないというか仮にそうだとしたらそれはすぐにやめろ!ってことなんですよね。まぁ別に一般的にはそれはいいですよ。ただ自分の中の人生のコンセプトにそんなもんはいらないわけよね。


でもまぁ結構いると思うんだよね。洋服そのものは好きだったりそれはスニーカーとか眼鏡とかもそうなんだけどおしゃれカルチャーとか何かを形成しているファッションカルチャーは嫌いっていうね、そこはやっぱりまぁまだ色々と分析の余地はあるけどやっぱり俺みたいな超左翼だと明らかに金を浪費させるための資本主義的なロジックとイデオロギーが背後にあるからだと思うよね。そんなものはもう古い!今はこれです!今これを買わなくてどうするんですか!的な扇動的な感じね。それは仮にすげーいいな!って思うようなものが置いてあるショップでもそれは別に資本主義のロジックでそれはやってるかもしれないわけだしそういう意味で完全に自分と合致するようなものなんてないですよ。だからこそ洋服に着られたり扇動されて買わされるのではなくて能動的に着るっていうことなんですよね。消費するのではなくそれを心底愛して買うわけだし着るわけだよね。まぁ結果的にアンチファストファッションになってるよね。


まぁでも原宿歩いてて楽しいのはまぁそんなに詳しいわけじゃないけどまぁもっぱら見るのは女子だけど女の子の工夫が凄いよね。ファッションに命をかけてます!とかめちゃめちゃ金を使ってます!ということではない創意工夫だよね。すげーポリシー持ってそうなその子自体がイズムを発揮してるように感じられるものが多くてだから世界的にも注目されるんだよなって改めて思うよね。やっぱりまぁあと「うわ!かっこいい!」とか「めっちゃおしゃれ!」って思うのってやっぱりオリジナリティっつーと変だけどファッション雑誌のテンプレそのままコピーしましたみたいなものからはアウラは感じないわけだよね。やっぱその子の創意工夫ってのがすげー出てるってのに良いヴァイブスを感じるよね。まぁそんな子とセックスできたらこれ以上のもんは無いだろうって思ってるわけなんですけどね(笑)


ただまぁ一応ナンパモードになって何か月か経つわけだけどナンパしてるやつとか結構分かるようになるよね。それはやっぱナンパ目線になったからこそ培われた感覚とか眼力なんだなとは思うよね。あ、ただちょっと話を戻すとそのアウラなんだけどさ、まぁもちろんそりゃヤレれば最高だけどそういう性的対象として見る目線ってのはファッションを見る目線としては不純だよね。やっぱり。それも結局はその子のイズムを感じるな!っていう良いヴァイブスを感じるというところは自分自身と向き合うというさっき書いた意味での「自分自身」との関係なんであってその関係性で見ないといけないよね。だからまぁそれはようは抜いて賢者モードになったら何も感じなくなったみたいなものじゃダメで抜きとか関係なく「かっこいいな!」って思えるものだよね。なんかもうそれに尽きるよね。


まぁ言うまでもなく女の子とファッションを見る目はニューヨークで培われてるわけですよ。で、そんなおしゃれの聖地ニューヨークを経た俺の目からしてもやっぱりおしゃれなんだよね。日本の女子は。そこは本当に凄いと思うよね。まぁ圧倒的に原宿におしゃれな子が多いのはニューヨークではやっぱSOHOあたりをウロウロしてればおしゃれな女の子や女性と遭遇する率が高いっていうのと同じだよね。で、なんであんなに原宿に行くと心が晴れるのか?ってのがまぁだいぶ前に書いたけどニューヨークの街を歩いているときの感覚みたいな感じになるからっていうまぁなんだろうね、それが良いのか悪いのかは別としてまぁノスタルジーっつーと後ろ向き過ぎるけど街のヴァイブスが似てるんだよね。


外人も多いから余計にそうなのかもしれないけど。まぁんで個人的な体験としてまぁニューヨークに居たころって楽しかったっつーかまぁ今思えばつらいことだらけだったけどなんかまぁ凄く街にアゲられる自分ってのが居てさ、だからまぁ好きだったんだよね。で、まぁそれは原宿は見た目とかが竹下通りはイーストヴィレッジを思い出すとか前に書いたけど(笑)まぁでもヴァイブレーションは似てるよね。本当に。