制作モードに突入中

また新曲よろしくね。



SMK Demo Tape #1


https://soundcloud.com/mimisemi/smk-demo-1



SMK Demo Tape #2


https://soundcloud.com/mimisemi/smk-demo-2


Abandoned Souls


https://soundcloud.com/mimisemi/abandoned-spirit


最近また今年の初めみたいなSMK始めたころみたいなモードになって色々と作ってるけどなんか今年ももう10月末とか思いつつ飛ばしまくりだったよねーっていうか一年通して割と調子が良いというかそれはメンタル面ということではなくて色々なものが勝手に繋がっていって色々と認識なりアウトプットなりを形成していくっていう健全な流れってのが何かに疎外されることなく続けることができたって意味で凄まじく有意義な一年でしたねってもう一年振り返るのかよ!って話だけど(笑)


でもまぁこれって精神的な状態とかじゃないんだよね。調子良くても何やっていいかわからないとかなんか色々と興味が失せてるとかっていう言わばlostすることってあると思うんだけど今年はなんか色々とコンセプチュアルに明確でずーっとアクセル踏みっぱなしみたいな感じだったんだよね。ただまぁこれもさ、インプットしてアウトプットしてもまぁそれ自体はもう終わるしそのインプットに関してはまぁ精度の問題とか色々あるにせよ終わるじゃん?だからまぁどんどん次を見つけていくとかより何かを深めていくとかっていう自分でディレクションを作らないといけないんだよね。それについて常に考えてなきゃいけない。まぁそれは疲れるんだけど得るものは大きいよね。


そういう流れの中で書きたいことやら概念やら音楽やらってのが出てくるんだよね。まぁようは停滞してるとダメなんだよねっつっても常に出し続けるのは無理だからまぁだからやっぱ日ごろから膨大なインプットしてないとダメなんだよね。でも別にそれってアウトプットのためにやるわけではないんだけどまぁ結果的にアウトプットとして出ることもあるみたいな感じだよね。まぁSMKに関しても半年ぐらい何も作ってなかったからそろそろ新曲欲しいなーとはずーっと思ってたんだけどなんかこうやってスイッチが入ると逆にちょっとやり過ぎじゃない?ってぐらいできるんだよね。


まぁだからあれなんだよな、コンスタントってのは無理なんだよな。いきなりなんか来てそれがきっかけで色々とできることがあったりするんだけどまぁ日々の生活を考えれば何も浮かばないってのが大半だし「よし作ろう」とかって思って作るような感じじゃないからね。まぁそれは書くことも一緒なんだけども。でも結局このインプットとアウトプットっていうこの一連のプロセス自体が好きなんだよね。最高の快楽だよね。あとまぁメタリアル路線に関してもまぁようは何がリアルか?とかヴァーチャルか?ということではなくて何が自分にとってアクチュアルか?っていうことがリアルを規定するんだよね。そういう意味で自分はリアルを選んだとかってことでもないしヴァーチャルに逃げるのをやめたってことでもなくてただアクチュアルなものを選んでるっていう感じだよね。あとまぁヴァーチャルに関しては言うまでもなくインターフェースがえげつないぐらいどんどん出てくるし進歩するから完全にリアルと同化するよねっていうかリアルの一部になるんだよねってのはまぁ散々書いたからいいけどね。


ただまぁそこであれなんだよな、なんでヴァーチャルじゃないか?っていうとまぁやってることはヴァーチャルっぽいことであってもようは何かをアウトプットとして出したい!とか常に刺激が欲しいからだから海辺でパラソル開いてカクテルでも飲みながら昼寝・・・みたいなことをしないということだけだよね。まぁヴァーチャルってこれなんだよね。まぁそういう意味で別にそれがリアルの浜辺だろうがヴァーチャルの浜辺だろうが全然それはどうでもいい話なんだよね。そういうオントロジーの次元じゃなくなってるんだよね。オントロジー自体がね。



あとまぁあれだよね、色々と没頭してるから自然にプチオナ禁状態みたいになってるわけだけど気になって調べたらまぁオナ禁ってのがこんなにホットな話題だとは思わなかったしある種の宗教みたいになってるのが面白いなって思ったんだけどようは何がダメか?ってポルノ中毒なんだよね。とりあえずなんか暇だったらアダルトサイト見て刺激を得るってのがようは頭のrewardシステムを常に刺激するみたいな電子ジャンキー状態を生み出すっていう意味で脳のエネルギーとか意志自体がそっちにスポイルされるっていうことだよね。だからまぁ本文でも色々と書いてるけどある種のリビドー的なものを性的なものではなく何か創造的なものに使えるということでカタルシスを得られれば一番いいしそれが一番の快楽だろうっていうことなんだよね。


で、まぁ重要なのがそのrewardをすぐ刺激を得られるゲームとかポルノとかドラッグとかアルコールに求めるんじゃなくて何かをアウトプットした際に凄く満足できるものができたりしたときに「よっしゃ!」って思う時ってのがまぁようはリアルかヴァーチャルかってのを超越しているアクチュアルな快楽なんだよね。だからそういうものでしか快楽を得られないという状況に自分を追い込むってことだよね。それが結果的にオナ禁とかゲームやらないとか短絡的な快楽だけの行為全般をやめるっていうことになるんだよね。それは禁欲なんじゃなくてより高い次元で快楽を得るための低い次元の快楽の禁止ってことなんだよね。


実際にそう気が付いてからっていうかまぁこのメタリアル路線になってからってことなんだけど実際に調子が良いからね。まぁそりゃ別に色んな症状が無くなるというわけではないんだけど「これだよね」っていうまさにアクチュアルな感じってのに乗っているという感じがあるんだよね。ファッションとかについても短絡的な買い物ジャンキーみたいな快楽を求めるんじゃなくてストイックに求道的に「これだ!」と思うものを探し続けてそれを極める!みたいなさ、それもアウトプットとしてのコーデってことになるんだよね。まぁそういうのを面倒だと思う人もいるんだけど俺はそれがすげー好きなんだ!ってのに気が付いたのは大きいよね。ようはプロセス的に何かを読んで何かを考えて書くとか何か聞いたり見たりしてなんかイメージが浮かんでそれが音として出るとかってのと同じ創造的なプロセスとしてファッションもあるってことなんだよね。


それが結果的に短絡的なストレス解消のために散在するとか前にも散々書いたけど買い物した後に気持ちが良いっていうそういう快楽のために買うとかっていうそういう要素を一切排除するっていうことだよね。そうじゃなくて求道的に「これだ!」と思うものを見つけるのと身に着けるってことだよね。まぁそういう意味でレコード掘りと似てるし音作りとも似てるんだよね。まぁ何が良いか?って一番怖いただ買い物するだけっていう脳死状態みたいなさ、短絡的な快楽のために消費をしたりインプットしなくなるっていうことなんだよね。結果的にまぁ無駄遣いが減るっつーのかな。いや、金は使うんだけどね、ただすげー考えて使うってのとまぁすげーシリアスなんだよね。「まぁいいや」とかではなくてすんげー真剣なプロジェクトの一環なわけだからすんげー真剣に悩むわけよね。


なんかその一連のプロセスが短絡的な消費をするだけみたいなダメな感じの抑止になってると同時に常に意識的にお金を使うというかプラクティカルにお金を使うってことになるんだよね。まぁお金だけじゃなくて時間とか労力とかもそうなんだけどね。だからまぁ本とかも無難な自分が好きなテーマのやつばっか読むんじゃなくて色々なもんに挑戦してみるってことなんだよね。というまぁ一連の流れがあってそれが凄く強度に繋がってるわけなんだよね。この強度ほどの実益は無いでしょう。マジで。実益というとお金かお金に絡んだものばかりを連想しがちだけどまぁそれもそりゃ実益としてあればいいけどやっぱり一番のものは強度だよね。で、これの良いところは今の自分の地位とか経済状況とかに制約されないというところだよね。今の自分のスタンドポイントを客観的に理解してそこでいかに強度を得るか?とかより高いステイトに上がってより良い強度を得ることができるようになるっていうような過去に縛られないっていう意味でのプラグマティックなマインドセットの在り方だよね。


まぁでもそれは常にディレクションの舵を取るということとある種常にコンセプチュアルに生きるっていうまぁ観念的という意味ではなくて良い意味で抽象的に生きるっていうことだよね。これは恐らく実存の抽象化ということなんだと思ってるんだけどまぁ還元主義的になる必要はないけど西田の絶対矛盾的自己同一とかはかなり近いかもしれないね。あとまぁかなりヘーゲリアンチックではあるけどまさに今書いていた色んな意味での「これだ!」というものを求め続ける精神っつーのかね、それが可能か?とかあるのか?とかやれるのか?とか関係なく渇望することだよね。で、徐々に実現していったりどんどん近づいていくっていうことだよね。下手するとロマン主義的になりがちなんだけどそこはまぁ求道的な鍛錬というかさ、概念的なユートピアなんじゃなくて鍛錬の場としての実存という場っていうことだよね。ルーマン関係の本を色々と読んでて思ったってのもあるんだけどようはそれが論理的にどうか?とかいうことではなくて何かを発見するとかより進歩するとかより高度な強度を得るとかっていうそういう色んな目的のためのツールとしての概念っていうことなんだよね。


でもそれが公理的になるわけではないし常に何かあって原理を見直して原理的にこうだから・・・みたいに考えるんじゃなくてあくまで考える主体とかアクション自体をするっていうことを自分が主体的にやるしインプロヴァイズして一回性のものを作るとかその一回性ということに注目してその場を原理的に考えるのではなくてジャズのセッションみたいに考えるっていうことだよね。そこでもちろんイディオムやら理論やらに逃げることもできるけどそればっかやってたら上達しないわけでだからまぁ色々と挑戦するわけだよね。で、まぁチャーリーパーカーみたいに永遠と吹き続けられたら最高なんだけどまぁあんな神みたいなレベルじゃなくてもいいんだよね。かといってもイディオムとか理論とか基礎ってのを軽蔑するわけじゃなくて常にそれは基礎として磨くっていう自明なものとしてあるんだけどそれだけではないインプロヴィゼーションってのもやっていくっていうことだよね。


もちろんそこで何をもってインプロとするのか?っていうことになるんだけどそれが音楽的な話になるとデレクベイリーみたいに難しくなっちゃうけどあくまでまぁアナロジーとして実存の場をそういうセッションの場だっていう風に考えてみるっていうことがまぁようは当たり前なんだけど自分はそこでプレイヤーで何かを生み出さないといけないっていう必要性に迫られてるっていうことなんだよね。別に誰に頼まれているわけでもないし別にそれで金がもらえるとかそういうことではなくて精神的にそれが必須の必要性として存在するっていうことなんだよね。それが結局まぁレゾンデトールそのものになるっていうかさ、存在と意味との間が無くなって存在自体が運動になるから常に時間軸といつでもアクションしているっていうところがあるから微分的に「ここです」と今の自分は指せるけど常に運動しているからあくまでそれはその時点での微分でしかないっていうことだよね。


そこで存在を語ろうと思ったときにそれはstaticなものではないから語ろうとするときに一旦staticなものとして考えざるを得ないというかさ、でもそれがディスコースになってそれ自体がオントロジーを規定しちゃったりするわけじゃん?だから常にそれはただの微分なんであって存在は常に運動してるからまぁ大まかな自己規定とかはできるけどオントロジーそのものを語ることはできなくて常にそれは運動体として語られないといけないということになるよね。まぁかなりドゥルーズチックかもね。街自体をエクリチュールのように読むってのがベンヤミン的といっていいかどうかわからないけどまぁ前に書いたようにエクリチュール的に理解するとか分析するっていう方法論があるわけじゃない?


で、それは自分の存在についても言えるってことなんだよね。まぁ下手するとスピリチュアルにもなりがちだけど例えばまぁ最近寝つきが悪くて薬もあんま効かないってことで酒とちゃんぽんして薬飲んで寝てるけどヤバいのは分かってるけどまぁそれで寝れるなら・・・って思ってウィスキー注文したら配達の最中に割れたっつって再配達になったんだけどその「割れた」ということをシンボリックに捉えるということだよね。スピリチュアルに言えば守護霊だの神からの警告とかってことになるんだけどさ、でもなんかあるわけじゃないそれって。虫の知らせというかさ、ヤバいなーと思いつつやっちゃっててちょっと「え?」って思うことがあってそれで考えが改まるみたいなね、まぁ今は日本酒と一緒に飲んでるけどまぁなるべくやめたほうがいいしまぁ実際調べててもまぁずーっとやってたら別にまぁその大量に飲まない限り脳幹が止まるみたいなことはないんだけど長年の蓄積として肝臓がダメになるっていうことがあるわけよね。実際にかなり量飲んだ次の日とか体がアンモニア臭くなっててさ(笑)


んで調べたらまぁようは肝機能が低下しててアンモニアが分解されないで血液中に留まっちゃっててそれが汗として出たりもするからアンモニア臭くなるっていうさ、まぁこれはリアルな警告ですよね。「割れた」というのはスピリチュアルでアンモニア臭ってのはリアルな警告としてあるっていうかまぁそれ自体が象徴化するものが「ヤバいっすよ」っていうことなわけじゃん?長生きしようとは思わないけど肝硬変とか肝臓がんとかそんなのは絶対嫌だし健康のためだったらなんだってしますよね(笑)でも結果的にそれをエクリチュール的に見るとウィスキーが配送中に割れたということも体からアンモニア臭がしたということも両方とも警告として見れるわけだよね。もちろんそれは解釈に依存するわけだけどもそもそもコンテキストは自分なわけで自分しか解釈する人がいないわけじゃん?だからまぁどの道シンボリックなレベルだろうがアクチュアルなレベルだろうがどの道ヤバいわけだからなんとかしようと思うわけだよね。


ここが面白いところなんだよね。エクリチュール的に見るとあたかも警告のように見える「割れた」ということがあくまで主観的にはただの配送ミスに見えるっていうさ、そこにシンボリックなものもなにもないんだけどただ「ヤバいよな」という後ろめたさがある中でそれがあって自ずとシンボリックな意味合いを帯びたというところにすでに意味論が存在してるんだよね。もちろんそれを意味として捉えるかどうか?は本人次第なんだけどまぁそこで身体からアンモニア臭も相まって余計に「ヤバいからやめよう」って思うに至ったわけだけどでも結果的にそれは単体の体からアンモニア臭ということではない前触れとしての瓶が配送中に割れたということがあるわけだよね。


だからなんだろう、まぁそれでも寝れないときはちょっと飲むかもしれないけど今はコンビニで買ってきた日本酒だけどそれが無くなったらウィスキーになって・・・・っつってまぁどんどん度が上がっていって泥沼化するのは目に見えてますよね。だからまぁせいぜいその日本酒をちょびっと飲むかんでまぁ無くなったらもうちゃんぽんはやめるってことにしてあとまぁそれは「神からのメッセージなのだ!」と受け止めて是が非でもウィスキーには手を出さないとかね、その場合、それを大きいシンボリックなこととして捉えるということが結果的にシンボリックな意味合いを強化するものになるんだよね。で、変な話、「自分が絶対寝酒だけはしない理由」みたいになったりもするわけじゃん?


まぁなんかバルトとかクリスティヴァとか読んでて記号論的なものに惹かれているというのはあるかもしれないけどなんかこのあえてスピリチュアルにいくっていう感じって悪くないんだよね(笑)それが霊感商法だのネガティブなものに直結するような悪用されるようなもんだったらともかく自分にプラスになるもんだったらスピリチュアルだろうがなんだろうが関係ないっていうattitudeですよね。こういうのって無神論の人でもなんかの偶然が重なってあたかもそれがそうなるかのようになったかのようだ!っつってそれが強く心象に刻まれるっていうことはすでにもうそれがシンボライズされているということなんだよね。そういう意味でシンボルって刻印なんだよね。スピリチュアル云々別として「こんな話があってさ・・・で、こう思うようになったんだよね」みたいなことの論理っていうのは飛躍してたりするんだよね。


その偶然を大きくとらえすぎだろうってことになるんだけどそれはその人の考え方なわけで他の人には関係ないじゃん?でもその人は普段はちょっと偶然が重なったぐらいで「神の思し召しだ!」なんて思わないんだけどその「こう思うようになったんだよね・・・」っていう出来事に関しては何らかの超自然的なものの介在を自ずと認めてるかグレーとして捉えてるみたいな感じなんだよね。


でもそれはシンボリックに心象に刻印されているという意味でもはや何を信じるか信じないか?に関係なくシンボルは存在するっていうことになるよね。そこはスピリチュアルにではなくてなぜそれがシンボリックな作用を生み出すのか?っていうそっちのメカニズムに興味があるよね。


っつーかそろそろいいかな。まぁ次はまた続き貼ると思うんで。んじゃまた。


PS


あと書き忘れたけど寝れないのはハイパーモードになってるからってのはあるよね。ただいつものパターンでそれが一時的でもこういうときに多く薬を飲んじゃって耐性できちゃうっていうパターンだからまぁどのみち気を付けないといけないんですよね。