魂のゆくえ。その18。

霊性を高めるための実践をしてるっていつも書いてると思うけどっつーか、色々と分かったのはこれも書いたかもしれないけど全てを脳に還元すると凄まじい勘違いが起こっちゃうんだよね。

 

今はこれも前に書いたかもしれんがって前に書いたかもって書きすぎだけどまぁいいや、その修験道とか古神道とかヨガとか東西南北の霊的修行の記録とか実践法みたいなのが書いてあるまぁその辺の本屋で売ってないようなのを読んでるんだけど、色々と実践しててというか、あとまぁ実践できているというより実践していきたい!っていう気持ちがあるし、日々の生活=行にしたいって前に書いたけど、一番の難しさは日常生活を維持しつつ高い霊性と行を保つってことなんだよね。

 

瞑想センターとかに泊りがけで人工的に隔離された場所を作るのではなく、日常を生きている限りそれは無理なんで、自閉的にならない程度にそういった行に打ち込めるようにしなきゃいけないんだけど、やっぱりいろんな情報って入ってくるじゃん?

 


いや、ネットとかじゃなくて五感的な情報ね。入れる情報はひたすら本ばっかでそれはいいんだけど、最近分かったのは触れるものや情報すらも選ばないと本当に危険だということね。まぁスピ的になってしまうが、でも別にスピリチュアル云々は別としてヨガでも密教でも神道でも修験道でも同じことが言われていて、あと道教とか仙術とかでも基本やっぱ体なんだよね。

 


清い魂が宿る体を整えなきゃいけない。だから食べるものとかちゃんと寝るとか不摂生をしないとかって基本になってくるんだけど、この辺はコミットメントの具合で、特に俺みたいにやろうと思ったら絶対やる!ってタイプはこの辺の実践の敷居は低いと思うんだけど、つまりは難しいのは身体というより身体に宿っている魂が何と触れるか?というところで、ようは自分は完全な霊体じゃなくて人間だから(笑)コントロールしようがない「入ってきてしまうもの」ってのがあるんだよね。

 


もちろんそういうのって瞑想とかでなんとかするものなんだけど、これがなかなか難しいよね。感性と霊性を研ぎ澄ませるような生活をすればするほどそういったものに敏感になってきちゃう。皮剥けてない頃の亀頭みたいな敏感さだよね(笑)

 


かといって過去の一時期の自分みたいに鈍化させると当然霊性は低くなりがちでどうしようもない自堕落な生活になっちゃったりするんだけど精神的にはそのほうが楽だったりするんだよね。もちろん知的活動はしているのだけど、霊性には配慮しないっていうね。

 


でも霊性への配慮=健康とかメンタルヘルスってことを考えると趣味でやる行というよりやらなきゃ生きていけないものになってるんだよね。「そうだったのか!」っていう気付きはあるんだけど、それと同時に感覚が鋭くなる分、受けるダメージも大きくなっちゃう。いや、ストレスがあるわけじゃないんですよ。ただほんの些細なことでも反応するようになっちゃうんだよね。

 


かといっても精神が張りつめているというわけではなくて、それこそ太極拳の上虚下実のように気は丹田に落としておくか、うちの師父の教えの場合、地面にまで落とすというやり方なのでそれをやっているから気が上がることで感情的になることはないんだけど勘効くようになる分、凄く情報を受けやすいとか、ようは元々の高い感受性をむき出しにすることなく生活する術というのを覚えたんだけど、それをフォーマットする感じだよね。

 


その剥きだし状態で生きていく感じだよね。だからそこでの色々な外界からの情報も含めた、色々なものに晒されても言い方は色々あるけど不動心とか平常心とかってのが重要になってくるんだよね。あと仮に凄く低いレベルの次元の情報があったりエネルギーがあってもそれに付き合わないという一瞬のシャットダウン術というのも必要になってくるんだけど、これまたなかなか難しいよね。

 


でもこんなのってそれこそ昔から僧侶とかがガッチガチに何十年も修行してやっていくものだからそんなすぐにできたら全然苦労しないよって話ではあるんだけど、でも過度な繊細さを先鋭化させていくって諸刃の剣だけど、俺はやっていこうと思うんだよね。んでまぁ行を進めていけば防御力も上がってくるのと、そういった霊性を高める行が中心の生活というのがデフォになるから、「行だ!」というスイッチを入れなくても勝手にスイッチが入るようになるんだよね。

 


でも生まれてきてからの習慣とかデフォのマインドって凄い力があるよね。何十年分もの思考や脳の癖ってのがある。それを修正していくってのはすげー大変だわなってやってて思うよね。でもこれって毎日の積み重ねなんだよね。とにかく三日坊主にやらず万年坊主のように永遠と高僧のようなマインドを維持しようと努力することが大事だよね。

 


傍から見れば何かをやっている風には見えないんだけどマインドワークってのは凄いもんがあるよね。自分の悪い世俗的な感覚とか執着だとかレベルの低い感情的な反応とかをコントロールというか、顕在化させないようにするって本当に大変だよね。

 


まぁだからあれなんだよね、例えばそういう闘争心みたいなのをProvokeさせるものとして例えばFPSのネット対戦だとかがあるけどさ、まぁ禅みたいな境地でやってる人もいるかもしれないけど(笑)とにかくまぁやらないほうがいいんだよね。あと気が散っちゃうようなものもやらないほうがいいからっつっても行ばかりしていても疲れるということはないけどたまには息抜きも必要でしょってことで良い息抜きの方法というのも開拓していかないといけない。

 


あとまぁ霊的な意味でアドバイスをくださっている先生から前にも書いたけどおどろおどろしいものとか無駄に悪霊とか出てくるものとか暴力が出てくるようなものと接しないってのも元々そういうのが大好きなもんだし俺的にエンタメのすんげー大きなウェイトを占めてるんだなって禁止すると気づくわけよ(笑)ダメなの多いなという。

 


でもストレスにはならんのだよね。闇系断ちしてからの光や聖なるものへの憧憬とか向かおうとする心というのがどんどん加速していく感じで、それにフォーカスするというよりそれしか考えられなくなる。本当はもっと将来のこととか考えなきゃいけないんだろうけど(笑)そこはぶっちゃけもういいかなと思ってるんだよね。

 


ホリエモンとかもいいことを言っててさ、とにかくハマれ!なんだよね。人間先のことを考えると悲観的になるのがデフォだから先のことをプランという意味ではなく今にフォーカスせずにそっちばっかり考えるって今を犠牲にするということでもあるから、今やっていることが仮に一銭にもならないようなことでもハマればなんとかなるんだよね。保証はないけど(笑)ただハマっているときの人生の強度は金に代えがたいでしょう。

 


前の俺みたいに色々買えなくはないけど買いつくしたりやりつくしたからつまんねーって感じてるクソみたいな精神状態より今の精神状態のほうがよっぽど日々楽しいし充実してるよね。あと当然行をしているわけだから身体を整えるということが当たり前になってるから常に頭は冴えているし、まぁここは感覚を研ぎ澄ませるということの利点だと思うね。とにかく頭が冴えまくるよね。前は調子が悪い時はモヤがかかったような感じがする精神の状態ってのが霊山とかの空気の如く冴えわたってるんだよね。

 


これを維持し続ければいける気はするけど今後誘惑やら俺特有の堕落はあると思うので(笑)そういうところへの対処だよね。もう俗人ではなく聖職者になったんだ!ぐらいの覚悟が必要なんだと思う。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。