魂のゆくえ。その19。

最近は霊性という意味で今までまともだとは考えてこなかった人智学とかスウェーデンボルグとかも読んでるんだけど、一旦まず分からない世界とか朧気ながら感じてきた世界があるなっていう前提で考えるとまず認識が変わるよね。

 

「霊魂が抜け出して・・・」って記述があるだけでトンデモっていう扱いをしがちだけど、そもそも霊魂を扱ってない宗教ってないわけで、矛盾してるんだよねっつーのが学術的に研究する神学とか宗教学はそういう所謂、スピリチュアルとかオカルトっぽい領域のものを無視するか合理化させて科学とか常識との整合性を保とうとするんだけど、人智学あたりのムーヴメントってヴォルテールとかの時期ぐらいから始まったっつーかまぁようは「科学がデフォっしょ」っつー知的態度が生まれてきてからあまりにぶっ飛んでいるものとかは「ありえねーよな」って考えるようになってから色々なものの脱神秘化とか脱呪術化が進んでた感じがするんだけど、人智学とかって結構それへのカウンターで「いや、宗教から神秘性抜いたら抜け殻になるっしょ」みたいな考えが根本にあるよね。

 

そういう神秘を科学の名で切り捨てないっていうような感じだよね。ただ面白いのがさ、批判としてニューエイジに影響を与えたとかっていうけどだからなんなの?って感じだよね(笑)それがオウムとかにも繋がってるっつってもそれ言い出すとそもそもの密教とか宗教自体が源泉なわけで「繋がった」ってことだけを見たらそんなもんソースは宗教ですよね。

 

安易なオカルティズムとか陰謀論紛いのスピリチュアリズムとかのオリジネーターっつっても元を読んでみると霊性とかスピリチュアル的な観点を排除しないで聖典とかの教えを再解釈したり場合によってはチャネリング的なことで降ろしたりして(笑)みたりしてるのもあるんだけど偏見をなくすと単純に面白いんだよね。

 

なんつーか重要なのは結果だよね。それがチャネリングであれスウェーデンボルグのように霊界に行っちゃったってことであれ、思想や教えってのが有用だったり含蓄があるものかどうか?ってところが重要で、それ言い出すとイスラムだってようはムハンマドがジブリエルから得たメッセージだったわけだし、キリストだって神から直接啓示を受けたっていう記述はそんなにないと思うけどまぁ似たようなものでしょっつってもキリストはまただいぶ特殊で違うんだけどね。

 

でもなんでそれを現代か近代でやるとトンデモ扱いされるのか?ってことだよね。そもそも宗教の大本が神との交信か啓示か何かっつーものだったりするわけで、本当かどうかはともかくとしてまずそれを括弧に入れちゃってそれでどうなったのか?っていうのを見るわけじゃん?

 

まぁんで例えばキリストが降りてきて現代のキリスト教の形骸化と霊性の無さと教会が宗教を独占するみたいなことをキリストが嘆いているみたいなことを言っていたとして、それがキリストが実際に降りてきたかどうかはともかくとして偏見をなくしてそのアウトプットを読むべきよね。

 

結局理にかなってたらそれは立派な宗教思想なわけでさ、そこにニューエイジもスピリチュアルも人智学も何もないんだよね。だからとりわけこういう宗教っていう神秘性とは切っても切り離せないものにおいては学術的にそれを扱おうとするあまりに神秘性が失われてしまうとか、それを比喩として解釈するということで生まれてしまう誤謬とかね、かといってもそれをそのものとして理解するのは難しいっつってもそれってまぁブッダの教えは頭だけで理解できないのと一緒でさ、まぁ行をやったりして悟れるかどうかはともかくして頑張るわけじゃん?

 

そういう身体性とか霊性とセットなものなんだよね。だから頭しか動かさない理屈の話じゃないんだよな。それが真っ当に学術的に評価されてるかどうか?っていうのが基準ってのは少なくとも宗教に関してはおかしいよね。むしろ宗教なんてガチガチに修行して悟りを得たとかそれに近いものを得たとか神秘体験をした人とかの話のほうが重要だよね。

 

文献だけで色々やってるものと実際の行をしている人の言葉とどっちが重要なのか?ってまぁどっちって選ぶ必要はないんだけど、別に読めればどっちでもいいんだけど仏教に関しては坊さんが凄く理知的な著作を書いたりするから文献に恵まれてる感じがするけどキリスト教って一般的にはあんま行ってのがないっつーか実際はあるんだけど行をした末にたどり着いた思想とかっつーよりかはやっぱり学術的な神学をベースにしたものになりがちだよね。

 

でも人智学あたりの時代のある種の神秘主義には面白い体験をしたのちに書いたものだとか、全く信仰とかキリスト教に帰依してたわけじゃないのに天使が現れた話とかさ、結構そういうのってあるんだよね。まぁ多くはないだろうけどね。でも体系的な神学ってそういう話は扱わないでしょ。でもおかしいよね。聖書って天使の話とか面白い体験の話とかの宝庫なわけでメインストリームってそっちなんじゃねーの?ってところだよね。

 

だからバランスが良いと思うのはシュタイナーみたいな哲学を修めていながら霊性とかスピリチュアリズムにも思想が開けてるっていうようなバランスがあるものだよね。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。