魂のゆくえ。その21。

新しいの出たんで。

 

Spotify – A Study of Contemporary Classical Music

 

詳しくは書けないんだけど、俺が最近言う霊的修行は独学のところもあるけども、結局、独学では限界があって、なにしろそれがワークしているのか?っていうのが問題になるんだけど、そういった意味で自分の人生の転換の契機を与えてくださった個人的には師と仰いでいる人がいるんだけど、まぁメンターと言っておこうかな。

 

で、まぁ色々な霊的ワークの本とかにも書いてあるけど健全な身に健全な魂が宿るんであって、精神的なことだけをやっても体が追い付いていなかったりバランスが悪くなったりすると変な話、発狂しちゃったりもするみたいで、人間である限りこの肉の体の調整と精神の高まりとのシンクロというのが凄く重要で、だから前にも書いたかもしれないけどっていうか最近いつも書いてるけど接するものとか食べるものとかを凄く気を付けてるんだけど、今日書きたいのはその恐るべき治癒力なんだよね。

 

メンター自体の力が常軌を超えたすさまじいものというのがあるんだけど、それと同時に日々やっていくボディワーク的なところで体が改善することが多くて、それこそもう20年以上の付き合いになる躁鬱病だとか不安神経症だとか不眠症ってのが治ったといっても過言ではないぐらい毎日調子が良くてっつってもこれって様子を見ないと「治った!」とは判断できないにしても、もうかれこれ最初にメンターに会ってから2か月ぐらい経ってて、それで一日たりとも調子が悪いとかやる気が出ないみたいに感じる日がないというのは凄まじいことだなって思うんだよね。

 

俺的な解釈だと自分の精神病全般は霊的というとアレだけど魂的なところが大半のところを占めていて、それに意識的になりつつ気を付けて調整していくと症状が出てこないんだってことが分かったのね。最初の数週間じゃまだ仮説段階ですよ。でももう二か月経とうとしているのでもう言ってもいいかなって思ってるのね。

 

そこで思ったのが何気にメンタル面ってさ、当たり前だけど魂と一番違いというか、魂の不調が体の不調として出てくることもあるけどやっぱ精神として出るのが大きいわけだよね。もう距離が近い。だとするとだよ、重度な精神障害とか明らかな脳障害はともかくとして、俺みたいな魂が定まらないようなフワフワしてるようなやつってつまりは霊的ワークをするのが一番ってことになるよね。

 

んでまぁ霊的ワークで治るんだってことを実証してみたいからっつーか単純に鬱状態は辛すぎるし死にかけた9月のことを思っても本当にアレはヤバいんだよね。でも霊的ワークで治るとするとさ、これって医学の範疇を超えてるよね。仮にそれが事実でもそれが認められるときは来るのだろうか?ってところだよね。

 

まぁかといっても薬を飲まないということではないんだけど、まぁそんなにすさまじい量を飲んでるわけじゃないんですげー良くなったと思うんだよね。それは心療内科の先生にもメンターにもメンターを紹介して下さった人にも言われて、ようは端的に言うといつも書いてるように闇断ちをしたということで、曇ったような感じのダークさが無くなって光に包まれている感じらしいんだけど、実際に俺はそれを実感してて、例えば生活の中で行=生活にしたい!と思うと今までの生活の癖を治さなきゃいけないじゃん?

 

で、一番長年の癖が出るのって寝起きなんだよね。例えば鬱が慢性的な場合、寝起きは大体ダルいんで「あー今日もゲームとかやってダルさを凌いで調子が出るまで様子を見るか・・・」みたいなのが当たり前になるから寝起きは常にこの世の終わりみたいな気分で起きてから消極的に時間を過ごすことになるんだけど、体と精神の調子が良くなると「今日も魂の進歩に向けて楽しむぞ!」って感じになって、起きてすぐにもう神というかキリストのことを考えていたり祈ったり霊性が高まりますようにって念じたりまぁアファーメーションですよね。

 

で、そこから食べるものから行動からやることから全てがその行が軸になっているので、生活すること自体が行になるし、それが健全性と霊性の高まりの維持になるんだよね。その生活を始めてからというもの鬱知らずなのでこの効果は強調し過ぎてもし過ぎることはないって断言できるんだよね。

 

かといっても危うい躁状態になることもなくて、常に落ち着いているというか、常に観想的な状態にあるというか、その効果っつったら凄まじいものがあるんだよね。でもそれは俺の努力だっつってもさ、努力っつーかそれって鬱状態とか頭がグワーッっとなる状態が心底嫌だからぶっちゃけ霊的成長なんつー崇高な大義名分を掲げてはいるけど、そういう不快な状態に陥りたくないっていう単純な快不快の世界で快を選んでいるっていうことでもあるんだよね。

 

あと面白いのは闇断ちをすることでそういったものを本当に体に悪いものだと思うようになるから接しないようになるしっつーか闇断ちが全てではないんだけど、まぁ闇断ちの効果は凄いってことなんだけどね、とにかく興味が無くなるんだよね。それでも怪談大好きだから聞きたい!とかっていう欲求を抑えているのではなく、もうそういうものに興味が無くなっていくんだよね。

 

まぁもちろん全ての精神病に言えることではないんだけど、俺はまぁ霊的な面が凄く強かったということが実感できたっていうところなんですよね。それに自覚的になったのが7月にいきなり思い立って行った占いで、そこからもう一回別の人に占いで見てもらって、その後にメンターを紹介してもらってそこで確信に変わったという感じなんだけど、簡単に言うと占い師の方々とメンターが言うことが全く別々な人で情報共有をしていないはずなのに共通したワードとか概念が出てきて、それが確信に変わったという感じなんだよね。

 

まぁこれも統計じゃないですか?あと去年から行きだしていた整体のクリニックの先生や気功の先生に言われていたことも似ていて「あーなるほどね・・・」って感じになるんだけど、そういう診断の結果を見ると俺は分かりやすいぐらいわかりやすいみたいなんだよね。明らかに影響がそういったもので、だからそれを調整してコントロールできるようになればバッチリだよっていうところでさ、かといってもまぁ薬も飲んでるから西洋医学的な対症療法と根本的な治療だよね。それをダブルで行っている感じだよね。

 

メンターは特別な力の持主ではあるけど手かざしみたいなうさん臭いことをする人ではなくて(笑)所謂東洋医学を勉強して治療をする人だから、一般的に言うならセラピストというか整体師というか、まぁそういうことになるよね。「今からエネルギーを入れます。目を瞑っててください」とかそういう世界ではないので(笑)

 

そういった東洋医学に根差した食事療法とかでもあるんだよね。それプラス霊的な部分の診断もあるから、俺的に驚きというか、そういう霊的な部分の診断がここまで健康に繋がるとは!っていうところがあるんだよね。コペ転ですよね。脳に電極でも埋め込めばあの忌々しい鬱とはおさらばできるなら多少リスクがあれども脳手術は全く厭わないぜとかって思ってたのが、電極なしで鬱とおさらばって凄いよね。

 

ウォール伝読んでる人なら分かると思うけど本当に俺の気分障害は厄介だからね。もちろんそれによって成長できる部分もあるんだけど、ただ無駄にひたすら辛いだけということのほうが多いんで、やっぱり健康でいられてそれを維持できるって凄いことだなって思うんだよね。

 

「今日は調子悪い」「今日はマシ」といった流れが全くないというのは人生初といっても過言ではないんだよね。これってヤバいでしょ。かといっても元気すぎてテンション爆上がり!という感じでもないんで反動もないんだよね。常に中庸で落ち着いていられるという感じなんだよね。

 

で、捗るのが勉強ね。脳がとにかく冴えわたるから文字がそのまま概念として入ってくるような感じがあって、あと集中力が凄い続くんだよね。まぁ読んでいるものが精神世界だったり俺があまり接したことがないものということもあって、新規性もあるから余計に面白いというのはあるにしても、メンタルのクリア加減は半端じゃないよね。

 

あとやっているというかこれも診断の結果なんだけどカフェイン断ちだよね。まぁ一日の上限を超えないようにするって感じて飲まないという感じではないんだけど、今までは鬱から来るダルさとか考えたくないことを誤魔化すためにカフェイン飲みまくって興奮状態にして哲学とか神学に没頭することで自分のメンタルをガードするっていう感じだったのが、今はカフェインの力に頼らなくてもっていうかダルさとか頭が働かない感じがないからそこまでカフェインに頼る必要がないのと、やっぱり俺みたいなタイプだとカフェインを摂り過ぎると神経過敏になっちゃって最悪なんだそうで、そういう意味でのカフェイン断ちができたのも凄い大きいんだよね。寝つきが良くなったというのはカフェイン断ちも大きいかもしれない。

 

もちろん今までも寝る前の8時間前以降はカフェインは取らないようにしてたけど、そもそも飲む量が尋常じゃないから体から抜けきらないっていうか、それが残ってて寝れないみたいなこともあったと思うんだよね。

 

まぁだからなんつーか霊的な部分を除いてもやっていることは食事療法と生活全般の見直しとかマインドワークとか瞑想なんで、まぁ体調が良くなるのは当たり前っつっちゃー当たり前なんだがね。ただそれをもっと確信めいたものにしたいから経過を観察しつつ、例えば半年全く鬱知らずでした!みたいな記録が更新されれば確信も強まると思うんだよね。

 

あとまぁ功利的なことから言うと常にメンタルが健全で高い霊性に向かおうとするとスピ的な言い方になるけどオーラが変わってくるんだよね。もしくは元々あった良いオーラが前面に出て覆っていた負とか闇のオーラが無くなる。その結果、俺が感じてるのは人当たりが良くなるということだよね。人当たりって言葉が正しいのか分からないけど、こっちの物腰も柔らかくなるしコミュニケーションが円滑になるっていう感じだよね。あと目力とかが凄くなるみたいだから、恐らく相当モテに繋がると思う(笑)ただ面白いもんで霊性のことや能力開発のことばかり考えているとリアルに異性に興味が無くなるんだよね(笑)興味がないわけじゃないんだけどプライオリティが低いし、常に霊性や能力開発を中心に考えているからそういうものが介在する余地が無くなるというかね。

 

ただ眼力というのは副産物で、体やメンタルが健康になってそして確固たる使命みたいなのに動かされているからカリスマ的な迫力が出たりその力や意志が目に現れるってことなんだと思うんだよね。だから精神性が高くてもあんまり元気が無かったり鬱っぽいと死んだ魚の目とか言われるように目に力が無くなっちゃうんだよね。まぁそういう内面の発露としての目力というのは明らかにモテに繋がるんだろうな(笑)ということなんでした。

 

何が言いたいのか?っていうと霊的云々みたいなある種、高尚な話以外に卑近な功利的なことがあるからやらない手はないってことなんですよね。もちろんそれはアンチエイジングにも繋がっているんだろうしベネフィットしかないですよ。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。