派遣労働と奴隷制。そのに。

mimisemi2008-12-14

はい。では続きです。


奴隷達に建前だけの人権と投票権を持たせて市民扱いをすることで彼らの奴隷としてのステータスを隠しながら形だけの民主主義を持続させながら非人道的なやり方を政府も企業も続けるなんて最低だよね。下手に人権持たされている奴隷は彼らの立場が違法ではないんで文句も言えないし、結局は自己責任として片付けるしかなくなっちゃう。で、どうにもこうにも行かなくなって自殺したりとかね、もう悪夢だよね。これが俺がここ最近ずーっと批判している民主主義の実体なんだよ。今日はちょっと違う切り口だけどね。いつもは反民主主義者として衆愚政治の恐ろしさばかりを述べているけど、これの場合は民主主義という擬制がもたらす虚偽意識とドミナントイデオロギーだよね。民主主義じゃないのに民主主義だと思わされてるんで問題意識が生まれないっつー究極的な監獄の制度なのよ。これって。まだね、囚人とかが明らかに囚人って立場でイライラしてたほうが変な言い方になるけど健全なんだよ。だって彼らはなんで
イライラするのか?ってのが分かってるでしょ?


でも普通の人っつーか奴隷制がベースになっている名ばかりの民主主義の中に生きる国民やら市民って彼らのイライラがどこから来るのか分からなくなっちゃうんだよね。で、その怒りの矛先が関係ない人達に向けられちゃったりね、まぁようはアノミーって話なんだが、ある意味でアノミーは被害者意識がはっきりしていれば起こらないかもしれないね。自分は普通なのにどうしようもなくなっているっていうような八方塞がりな状況がアノミーを生むわけだから、そのアノミーの背後にやはり虚偽意識があるよね。自分が搾取されている労働者だの、派遣労働者とかして使い捨てられているという奴隷だのっていうような、自分がそういう階級なり存在だっていう風に気がつけないままそれを続けちゃう悲劇ね。そういった意図的なコントロールを生み出すのが民主主義なんだよ。これは前の建前の平等の話にも通じるんだけど、我々は民主主義で平等な社会に生きていますってアナウンスされることで問題をはぐらかされるわけね。それはもう子供の頃からの思想教育なんで民主主義という名の悪政を素晴らしいものだと信じさせられる洗脳をされているようなもんだよね。


だからそういう意味だと中国とか北朝鮮とかと実質的にはあんまり変わらないね。本当の民主主義なり平等なりが保全されていない状態なのにも関わらず、それはありますって思い込まされることの悲劇が諸先進国の悲劇ですよ。ポピュリズムの横行、不安定な社会がもたらす人々の不安から吹き上がる負のナショナリズム、そして妙な内に向かってしまう国民意識と排他的態度ね。今の日本のナショナリズムの大半がこれだといっても過言ではない。なにしろ何もかもが上手くいってたら国の話なんてしないからね。今の自分の状態もヤバいし、社会もヤバいっつーんで不安なんで大いなる父みたいなのにすがりたくなる頭の弱い連中がプチナショナリストになったりして戦争論とかを読んで納得しちゃったりするんだよね。だから右翼ってのは頭が悪い人が多くなっちゃう。右翼のイデオローグは別なんだが、フォロワーは頭が悪いのが多い。っつーのはそういった単純な思考で右翼思想に傾倒するからなんだよね。それはアメリカの福音派みたいなのを見ても分かるように頭が悪い連中が大いなる父にすがっているような典型でしょ。頭の悪い白人の典型という感じだよね。あんなものは社会の癌でしかない。


だからこそ今みたいな状況に必要なのはナショナリズムじゃなくて階級闘争なんだよ。あ、ダメだ。左翼味になってきたんでやめよう。味とテイストとアジテーションの三つがかかっています。なんでそこで怒りが不安定な雇用を生み出している政府とか企業に行かないのか本当に理解に苦しむんだよね。まぁ雨宮りんかって漢字が分からないから変化しないけど、ああいう運動でしょう。今必要なのは。ナショナリズムなんかじゃないよ。マジで。それが無理だったらね、俺のいつもの反民主主義的な物言いになるんだけど、もうパンピーに何かを求めるのは無理だからエリート育成して、そういう人達だけで政治を回せばっていう風になっちゃう。パンピーにまだ何かの可能性があるならそこに何かを求められるけど、民度が低いんじゃもうどうしようもないからね。エリートに任せなさいってことになる。ちなみに小室直樹も「アマチュアが政治をやるとロクなことにならない」とかって書いてるけどまさしくその通りなんだよね。まぁ小室直樹ってそういう意味だとあんま評判良くないのかな?「悪の民主主義」って本なんてアマゾンのマーケットプレイスで10円で売ってたからね。内容は素晴らしかったけど。興味がある人は読んでみるといいよ。凄く良い本だから。本当のことを書きすぎると評判が付いてこないっていうような典型なのかな。小室直樹ってむしろ天才に近いような人だと思うんだけど過大評価し過ぎかな?


どう思う?奴隷に君らは奴隷じゃないんだよって虚偽意識を埋め込むことで回ってる社会ってどうなの?いや、君たちには人権や投票権があるでしょう?って虚偽意識を植え込むことでありもしない民主主義を信じさせられるってどう思う?仮に民主主義が達成されればいいけど、パンピーに政治なんて扱えないってのが自明なんだから、そんなのやめちゃえばいいんだよ。マジで。色んな学者もそうだけど、民主主義ってのを目標に措定してるからダメなんだよな。だって民主主義自体がありえない話なんだからさ、そもそも不可能なことを措定してあーだこーだ言ってるんじゃ決着がつくわけないよね。まぁムフとかラクラウとかは不可能性ってのを十分承知で、来るべきものとしてそれを社会的規範として置くことでそれに向かい続けるみたいなね、まぁ言えてなくもないんだけど、ちょっとナイーブ過ぎると思うんだよな。


特に日本みたいな独裁政治が50年ぐらい続いてる国みたいな話になると、こういう話はナイーブ過ぎるしワークしないと思うんだよね。だって民主主義に向かい続けるっていうようなことも市民の一人一人が真の民主主義への向かうような政治的主体じゃないと成立しない話なわけじゃない?で、そこで民度が低くて独裁が続いてる国とかだともう無理だよね。それは。むしろ支配されることでしか生きて行けないような人が多い国ではそんな高尚な話は無理なんだよ。だから政治エリートを育成しましょうって話になっちゃう。民度の底上げってのもグラムシ的陣地戦で俺は基本的にこれをサポートするけど、でもやっぱその底上げの前にまずはちゃんとした政治を行える人達が政権を握る必要があるよね。つまりは真の民主主義に至までのステップとしてのエリート独裁の期間があるってことなのよ。そこでまたそのエリート達も政体という構造的な要素がもう腐敗を及ぼしてしまうようなものに犯されて結局、自民党に多いようなダメ政治家みたいに成り果てちゃったらもう政治は不可能ってことになるよね。


そうなるともうアナーキズムしか無いよねってことになるわけ。政府がゲバルトを独占しているという点では独裁的な政府は存在するんだが、むしろそんなものは放っておいて市民は市民で勝手に相互扶助のシステムなり中間団体を色々作って勝手にやってきますよってのがベストになる。まぁこれにも高い民度が必要なんだけど、ここに必要なのは政治エリートじゃなくて市民エリートなんだよね。つまりはオーガニックインテレクチュアルみたいな人達が中間団体の組織や運営を促して、国民が政治の腐敗とかにもあんま関係なく自立して暮らして行けるような成熟した社会を自分たちの手で作っていくみたいなね、まさしくまぁアナルコ・サンディカリズムの思想なんだけど、これがベストってことにならないかしら?俺はこういうプロセスを経てアナーキストを自称しているわけだけど、どうなんだろうね?だから俺はアナーキストであると同時に反民主主義者でもあるわけね。それは政体がばらまく虚偽意識としての民主主義というのを抑止するっていう意味でもそうだし、馬鹿な連中が巻き込まれて成り立つポピュリズムの横行を防ぐという意味でも反民主主義なのね。だから最初から政府や国家なんかに期待を抱かないで自分たちでやっていくのが一番ってことにならないかしらね?俺のポリティカルコレクトネスって相当正しいと思うよ。まぁ普通の観点から言えばトンデモな感じだけどね。


メディアの崩壊が象徴的なように、もう政府の根回しの機関なんてワークしなくなってるわけ。だからもっと市民が政府とは関係ないところで生活を営む必要があると思うね。社会に生きるってことが資本主義に生きて行くということを意味しちゃって、それがつまりは間接的に諸機関の利益作りに繋がっちゃうんだとしたらさ、もうそういうゲームを降りちゃえばいいんだよね。かといって一人で降りるとホームレスになるんで、みんなで降りちゃえばいいんだよ。その政府を信じないムーブメントが長く続けばある程度の独立した中間団体がたくさんあるような市民社会ってのが可能なんじゃないかな?もちろんそこには生活のストイシズムの要求があるんでまぁ結局ユートピア思想みたいになっちゃうんだけどね。大きなものにすがれないで自立するってことはまぁみんな平均的に貧乏になるってことだからね。貧乏っつーとあれかな。まぁ生活が質素になるってことだね。でも自由時間とか多いだろうから生活自体はやりようによっては企業でバリバリやってる頃より充実した生活が送れなくもないと思うんだけどな。一等地に家を買って車を買って・・・みたいな中流の幻想を持っている人はそのイリュージョナルなゲームを続ければいいけど、そうじゃないって人がいてもいいし、むしろそうじゃない人達が大衆化すればそれって素晴らしいことだと思うんだよね。


「金儲け?ケっ!」っていうような人達が増えればいいと思うんだけどなぁー。生活していけるだけの金さえあればいいって人増えてるとは思うけどね。勝ち組・負け組の二項対立が勝ち組・アナーキストみたいな二項対立になればナイスだよね。負け組は負けているのではなく資本主義というゲームに見切りをつけて自活をしている人達ですみたいなね。いや、そこで一気にヒッピーみたいなコミューン生活とかを推奨するわけじゃないんだよ。ただなんつーかさ、NPOとかNGOとかってあるわけじゃない?アメリカみたいにそういうところに勤めるのが素晴らしいっつーかかっこいいことだみたいな認知って日本じゃないよね。でもアメリカだと凄いんだよ。超一流大学を出た人がウハウハな給料の大企業に勤めるか、たいした給料が出ないけど社会貢献できるNPOだのNGOに勤めるか?みたいな選択肢で迷うんだから。ここがアメリカの凄いところなんだよね。エリートがちゃんとしたエリートなんだよね。日本のエリートって中途半端なんだよな。世界水準じゃなくて日本水準のエリートばっかなんだもん。だからそういう意味でも本当のエリート教育が必要だと思うんだけどね。


はい。ってことで終わり。


西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

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