自己責任とか言う前にまずは人権を守れって話なわけよ。

mimisemi2009-08-19

で、あれだ、こないだっつーか昨日、派遣切り系の貧困系の動画をユーチューブで見てたんだけど、まぁさ、ユーチューブのコメント欄が2ちゃんクオリティなのは分かるよ。何かと言えば在日だのチョンだのさ、なんつーか公共性もへったくれもないクオリティのモブ共の衆愚地帯と化しているのは日本のネットの特徴だけど、それはさておき、日本人のネットユーザーっつーか散見されるような書き込みの類のクオリティがやたら低いっつーのはあるにしても、まぁルソー的な一般意志とまでは言わないけど、無知蒙昧なモブ共の意見を見てみると例えば社会保障とかに関しては相当シビアなんだよね。ようは「なんでこんな女が生活保護受けてるわけ?」とかさ、「学びたいんだったら高校辞めるなよな」とかさ、すんげー冷たい書き込みが多いのね。ああいうのもまぁ民意の一種なんだろうなとは思うよ。


うちの親父もかつては似たようなことを言っていたし、まぁさすがに職を失ってハロワに通うことになるとは思ってなかっただろうから、今は考えは変わったと思うけどさ、でも確かにセーフティーネットって微妙ではあるよね。俺はもちろん議論無しにセーフティーネットは断固として引くべきだとは思うんだけど、なんつーかさ、生活保護受けてる人の中にはさ、ポリティカルコレクトネスっつーかこれからもう略語でPCって書くけどさ、PCゼロ発言にはなるけどなんつーか知性的に微妙な人が多い印象はあるよね。訓練と言っても地頭が悪過ぎてどうにもならないっていう。で、2ちゃんねらーみたいな意見を持ったやつが「なんであんなやつらに血税を使わなきゃいけないわけ?」って言うんだよね。2ちゃんねる用語で言う池沼ならともかくとしてっつーかまぁ俺はそんな言い方はしないけどさ、若干劣ってることで社会からはみ出しちゃった人達の面倒をなんで俺らが見なきゃいけないの?っていうのは分からなくもないんだよね。いや、今はそういうのに関係なくまともな人ですらろくな生活が出来ないっていう風になってるからまぁ問題外なんだけど、まぁね、生活保護に話を戻すとさ、例えばバカで高校すら卒業出来ないやつがいたとするじゃん?


で、バイトを転々としてきたんだけど、結局、日雇いぐらいしか無くなっちゃって生活が不安定になってさ、んで定職求めるっつっても学が無いとか技術が無いとかパソコン分からないとかさ、で、もちろんそういう人のために公的な支援っていうのは必要なんだよね。ようは再教育っつーかさ、職業訓練施設みたいなのを公的支援で通えるみたいなね、そういうのはあるべきだとは思うんだけど、意見としてさ、「なんであいつらの面倒を俺らが見なきゃいけないの?」ってあるじゃん?これが民意の総体だとは思わないけど、でもまぁこういう風に考える人はいるわけよね。


で、一気にPCは戻るけどちょー正論を言えばさ、人間って生まれてきたからには最低限の衣食住が保証された生活ってのを送れる権利があるわけね。Habeas Corpusみたいなもんでさ、基本的に人としての体を保全する権利があるんだよね。で、それは恣意的な国家権力によって脅かされたりするもんじゃないっていうね、たださ、ふつーに生きてたらホームレスみたいになっちゃったっつーんだったらそれはさ、一応近代国家的にはそういう人達に生活保護を受けさせないといけないんだよね。それは人権保護なんだよね。今の日本ってホームレスに陥るような人が多いように出来てるじゃん?最悪のシステムだと思うんだけど、それってまぁある意味で国家の横暴と言えるんだよ。だってそういう状況を放置してさ、まだ派遣とかも完全には規制されてないとかさ、規制しないにしても派遣なら派遣なりのまともな生活が送れるような生活を確保出来るような法案とか通ってないじゃん?分からんけど通ってなさげだよね?


まぁいかに政治家とか官僚が国民の生活を気にしてないかっつーのが露呈してるわけだけど、やっぱ近代法っつーかさ、近代国家では「なんでこいつが」って思うようなやつでも資格があったらそれは受給できなきゃいけないのよ。知的障害まではいかないけど、まぁ比較的ノロマなやつでも生きる権利はあるわけだからさ、「こんなバカに金を支払う必要は無い」なんて言えないのね。でも日本って自己責任論好きじゃん?資格とか学校とかも全部自分で行けみたいなさ、それって結局、今までの日本がそういう風にやってきたんでさ、それが近代法とかを踏みにじるものであっても「国がこうなっています」っつー理由で愚民共はそれに同意しちゃってさ、「世の中はこういうもんだよ」なんて言い始めたりするんだよね。


で、俺が思うにこういうのがさ、エートスになったりするわけ。ようはありえないようなシステムでもそれがデフォルト設定だと人々がそのデフォルト設定の中で動くようになるからそれがエートスになっちゃうんだよね。これが当たり前なのだって思っちゃうわけ。企業の荒々しい人使いとかもそうじゃん?アメリカじゃありえないようなサービス残業とかさ、契約違反とか平気でやるじゃん?で、泣き寝入りするしか無いとか、具体的に法的なものが介入してきてそういうのを裁かないみたいなグダグダな風潮が出てきちゃってさ、んでそれがデフォルトになって最終的にそれがエートスになるんだよね。だから企業の経営術としてそういった違法行為がデフォルトで内在化されるってことなのね。


だからこそ社会を規定する法とかシステムって重要なわけ。不正を容認するような社会では人々が不正を容認したりそれを悪用したりするようになってそれがエートスになっちゃうんだよね。日本はある意味でもう手遅れだけど、今の親父のもう多分辞める会社で言えばさ、最初はすんげーニコニコな感じで社会貢献する会社ですみたいなことを言っておいて、んで入ってからは目つきの悪い社長のワンマン経営についていくしかなくなるんだよね。明らかにおかしいっつーか非倫理的なこともするんだけど、それに異を唱えるとイエスマンで固められた腐敗した経営陣がその異を唱える人を徹底的に潰しにかかるんだよね。で、会社側としてはちょっとキャリアのあるやつとかを技術のあるやつとかを雇用してはノウハウだけ盗んで、んであとは捨てるみたいなのを永遠と続けてるような会社なんだよね。で、異を唱えるようなやつは社長とイエスマン共に徹底的にいじめられて、んで最終的に精神的にダメになって鬱とかになって会社を辞める人が多いらしいんだよね。親父の場合、ああいう年齢でハロワでようやく探した仕事だったからさ、俺が前に一日だけやった出会い系のサクラみたいなもんでさ、「よっしゃ!あった!」って思ったらロクでもないところってのが多いんだよね。悪条件の中では。ようはそんなに都合の良い仕事は無いってことね。美味しい仕事とかちゃんとした仕事なんてそういう人達だけで回ってるだけでさ、ある意味で落ちぶれたような人達に開かれてる会社なんてロクでもないようなところが多いんだよね。恐らく。


ようは馬車馬のように働かされるっつーの?でもさ、本当に不健全だよね。社長に従わないやつをいじめで追いつめて退職させるとかありえないよね。こういう事実が露呈してるっつーかうちの親父もそうだから子供の代にそういう話が受け継がれていくとさ、会社なんてもう入りたくないって思うようになっちゃうんだよね。日本の会社の体質が不健全過ぎて入りたくなくなっちゃうんだよ。入った世代がロクなことになってなかったりするとさ、もうそりゃー入る気無くすよね。もしくは入ってもクビになるのが怖いからイエスマンになるしかないっつーかロボットになるしかないみたいなね、なんかもう最悪だよね。それでも生活のためっつってさ、ちょーストレスフルな環境に身を置くのってそれでまぁ生活はなんとかなるかもしれないけど、精神的にどんどん病んでいくよね。で、最終的にもう完全にダメになって、んでその後はもうずーっと鬱状態で就職どころじゃないみたいになっちゃうとかさ、なんなんだろうね?日本の企業。


入っても地獄みたいな日々で入らなければ日雇いで不安定な日々でさ、仕事しなきゃホームレスでしょ?もう希望無いよね。こんな環境で向上心だの夢だのなんてそれこそ絵空事みたいな話になっちゃうよね。日々の生活を保全していくだけが目的になっちゃってその先なんて見えないし勉強とかもやってる暇無いんだもんね。前に書いたけど苫米地の成功本とかがさ、こういう人達にワークすれば俺は凄いなと思うのね。でも絶対無理じゃん?到達不可能な夢を設定するとかさ、普通の夢すらも設定不可能なのに観念的な夢なんてもっと設定不可能だよね。成功本とか自己啓発本とかってある程度のさ、中流の学生とかそこそこ収入があるサラリーマンとかさ、ある程度の生活基盤が無いと受け入れられないよね。貧困層は無理だよね。そんな余裕無いっつーかなんつーか。一万円を破ってみてくださいとかさ、日雇いで生活してる人達に出来るわけないよね。


だからなんつーかさ、ある程度は認めつつも自己啓発本とか成功本とかって疑わしいっつーとアレだけど、ある程度の人じゃないとそんなの無理じゃんって話でターゲットを大衆に向けているようで実は違うんだよね。大衆なんて9割ぐらいが実行不可能なことばかり書いてあるじゃん?だから自己啓発本とかって永遠に出て似たようなのが永遠に売れるのね。みんな実行不可能でさ、だからといって事故開発をしたいからっつって似たような本をいっぱい買うわけ。うちの親父がそんな感じでちょっと惨めだなって思っちゃったね。凄く可哀想だった。本人は逆境でも向上意欲があるんで良いんだけどさ、でもなんか藁をもすがる思いで自己開発の本とかばっか読んでるのを見ると痛々しいよね。ああいうのって弱い人が買うんだよね。書かれてることは大体一緒だからさ、それこそワトルズのやつみたいなのが1冊あれば十分なのに他のもいっぱい買っちゃうんだよね。で、大体実行出来てないっていう。だから自己啓発本とかって売れ続けるんだよね。みーんな実行出来ないから似たようなのが永遠と売れる。


俺は前にも書いたように「どんなことが書かれてるわけ?」っていう好奇心から色々と買って読んだけど基本的に書いてること一緒だよね。ほとんどがワトルズとかの原型の応用編なのね。金持ちになる方法っつって凡人じゃ実行不可能な方法論とかパラダイムじゃ全然意味ないってことなんだけど、著者達に言わせるとそれを出来るか出来ないかが成功者とそうじゃないものの違いだみたいに書いてるけどまぁ俺はそうは思わないんだけどね。思っていることは実現するというのは事実だけど、思うも何も地獄を味わってる人がどう夢を描くか?ってさ、そういう処方箋って自己啓発本とかって提示できないんだよね。自己啓発本とかの弱みってそこだよね。弱者とかにはワークしないんだよね。


いや、親父の批判とかじゃなくてね、ようは自己啓発本とかってツールですがるものじゃないってことだよね。自明なことなんだけどなんつーか日本の自己啓発本とか成功本ブームって明らかに不景気があると思うね。まぁ不景気っつーとあれだけど、暗い社会ね。自己啓発本みたいなのにすがっちゃうとそれはもう新興宗教とかと変わらなくなるよね。その人が言っていることがありがたくて、セミナーとかもすんげーありがたいものになってんで個人崇拝みたいなのが生まれるんだよね。そんな感じでカリスマ化した著者って結構いるじゃん?自己啓発本が売れるってさ、ちょっと枠組み変えればさ、不幸な状況にいる人が新興宗教に走るのと一緒なんだよね。それは自己啓発本が悪いんじゃなくて受け手の問題ね。それに助けを求めるようじゃ末人もいいところだよってことね。


あ、んで書き忘れてたけどさ、なんつーかあれだよね。生まれてきたからには社会にコントリビュートしなきゃいけないってのがデフォルトになってるって恐ろしいよね。生まれてきたからにはその人に自由があるはずなのになんつーか人並みに税金を納めるとかさ、消費をするとかさ、そういうのがデフォルト設定になってるって凄いよね。日本ってそういう意味でマインドとかエートスが究極的に全体主義的なんだよね。共産主義とかを嫌う人達ですらさ、まともに働いて税金納めなさいみたいなこと言うじゃん?都合の良いところで自己責任の割にさ、なぜかデフォルトが社会に尽くすとか国家に尽くすことなんだよね。そんなのインポーズされるもんじゃないっつーのにさ、でもそういうのインポーズしたいなら社会主義国家しかないよね。消費税20パーセントとかでセーフティーネットバリバリで痛みをみんなで分かち合うみたいなね、そういう国家じゃないとダメね。社会主義的な政策を批判しつつ自己責任論を唱える人って究極的に矛盾してるんだよね。例えば金美齢みたいなのが湯浅誠さんを批判するのとかを見るとさ、本当に頭に来るんだよね。金美齢みたいなのが言うのって自己責任論の最たるもんじゃん?かなりアーキタイプ的っつーかベタな自己責任論じゃん?なのにこういうやつが言うのってさ、自分の力で頑張って社会にコントリビュートしろみたいなこと言うじゃない?おかしいよね。


国民をデフォルトで社会の構成員と考えるのならそれこそ社会主義的国家が必要でさ、教育とか福祉とか人材をガンガン国が育成するっつー体制でいないとダメなんだよね。社会でやっていきたいなら国から手厚いサポートを受けられますっていうのじゃないとダメじゃん?自己責任論がワークするのはさ、例えば二者択一でさ、構成員であることを選ばなかった場合はなんのサポートも国から受けられないし、金が続かなかったらのたれ死にますよって話でさ、こういう人達が自己責任でリスキーだけど自由な生き方を謳歌するならいいんだよね。金美齢的な批判もこういう連中にはワークするわけよ。でも構成員も自由人も一緒くたにしてさ、全部自己責任でやって這い上がってこいってそりゃー無いよね。そんなのリソースがあるやつが勝つ社会に決まってんじゃん。俺で言えばさ、親の年収は激減したけど、でも激減する前にこっちに来れたしさ、こんな年齢で親の同意のもとに留学を許されてるってやっぱリソースが物を言ってるわけじゃん?どんだけ親が息子をアメリカに行かせたくでも無理って家は無理じゃん?でもうちは少なくとも今まではそれが出来てたんだよね。んじゃあそのさ、親のサポートが得られるやつと得られないやつの差って何?っつーと半ば生得的なさ、その家のリソースじゃん?金があれば留学出来て金が無いと無理になったりさ、あとはローンに頼るしかないってことであまりの長期留学は無理ってことになるじゃん?


全員とは言わないけど私立の英語学校通ってた時には本当にこれを感じたよね。そいつが別に格別英語が出来るわけでも頭がいいわけでもないのにさ、留学生活を謳歌できてるのって完全に親のサポートがあるからなんだよね。それによってアメリカで生活出来て喋りとかが上手くなるってそれもリソース差じゃん?やりたくても出来ない人が多い中で恵まれたやつは留学ならぬ遊学出来るわけだからさ、そいつのやる気とかなんとかって問題じゃなくて経済的な問題になるよね。そういうのって。


仮に俺がさ、自分の力で這い上がったっつーとあれだけど、頑張って英語とかを磨いて割とマシな英語を喋れたり使えるようになった組みたいに分けられるとしたらさ、そりゃ大間違いでさ、8割ぐらいが親のサポートによるものだからね。そういう地盤があって自分の訓練とか勉強ができるんであってさ、地盤が無ければ何も始まらないわけ。まぁ少なくとも俺の場合そうだったね。これが自己責任論の最たるもんよ。自己責任論で言えば金がある家とか親のサポートを受けられる子息とかが有利な社会になってそれって最悪な社会なわけよ。じゃなくてさ、遊学してるやつらとかじゃなくてさ、本当にポテンシャルがあってやる気があるやつらが留学でもなんでも出来ないといけないんだよね。そこでまぁ社会へのコントリビュートってアイデアが生まれるよね。政府から助成金をもらってるんだから帰国して学んだ事を活かして仕事したり社会に貢献したい!みたいなモチベーションが生まれるじゃん?でもさ、なんのサポートも無くて自発的にボランティアで国家への貢献とかやるために留学するやつなんてほとんどいないよね。一部を除いて大抵が道楽的だと思うんだよね。ただ海外に行きたかったからとかさ、ヒップホップがやりたかったからとかさ、英語を喋れたらかっこいいからとかさ、そういうアホな理由でアメリカに来るボンボンが多いわけだよね。俺もまぁそんな中の一人だよね。今はずいぶんとモチベーションもプランも変わったけどさ、当初来た理由とかモチベーションってそれこそ「ヒップホップがやりたかったから」ぐらいのレベルとあまり変わらなかったと思うよね。


ようはさ、ヒップホップやりたいなら自己責任でさ、社会に出たいならそれは構成員としてもう国家に包括されてないといけないわけでさ、それに際してはやっぱりなんらかの国家の支援ってのが必要になるんだよね。別に留学しなくてもいいけどさ、教育にしたって奨学金をもっと出すとかさ、留学にしたってそうじゃん?それやんないと話にならないよね。で、構成員が失敗してもいつでも最スタートが出来るような社会っつーのかな?そうなるとまぁ結局、社会主義的になるのは当然だしさ、金美齢的な自己責任論プラス社会の構成員たれって議論は愚の骨頂だよね。なんつーかさ、今まではヒップホップやりたかったけどやっぱ無理だと思ったから社会に出るしかないって思ったらその時からそいつが公的な支援を教育という意味で受けられるとかさ、ようはそういうことだよね。自由人からさ、やっぱダメだと思って構成員になることだっていつからでも出来ないとダメよね。アメリカってそうじゃん?マイケル・ハートなんだけどさ、あの人って大学卒業してからバックパッカーだったらしいからね。で、エンジニアの会社に入ったんだか大学院に入ったんだか分からないけど、日本の感覚で言えば「空白の時間」と呼ばれてしまうような道を普通に取る事が出来るんだよね。ようはハートで言えばちょっとの間自由人を満喫してから企業に入ったり大学院に戻ったりしたわけじゃん?これってヒップホップから構成員への道じゃん?一回ヒップホップやろうとしたんでもうダメですっていうのが日本社会だよね。


リバタリアン的な自由主義を唱えるならさ、人生ももっと自由でアナーキスティックにしてほしいよね。すんげー国家主義的にしておきながらアイデアリバタリアン的な放置主義って最悪の組み合わせじゃん?ソ連じゃないけどさ、共産国って失業が無いっつーのがまぁ利点じゃん?自由があんま無い代わりに生活はある程度保証されてますって世の中じゃん?でもさ、共産国家で言えばさ、共産国家のくせにちょー貧乏な生活と失業を味わわなきゃいけないって最悪の組み合わせじゃない?共産である事の利点を得られずに難点しか受けられないっつーのかな?リバタリアン的なこと言うならさ、それなりにそれだったらもっと放置主義的な自由を味わわせてほしいよね。そういう自由が無くてさ、最初から構成員として国民が看做されてるくせにリバタリアン的な発想で物事を言うっておかしいよね。マジで。「あなたたちに自由はありません。社会に属することでしかあなたの実存は肯定されないのです。なので頑張って自分の力で這い上がって来てください」みたいなバカな考え方が金美齢的なマッドな発想だよね。完全に気違いの発想だよね。


今の日本みたいな感じだったらさ、自由なんていらないからとりあえず食わしてくれって人がいっぱいいるわけじゃん?ようは自由なんてものを謳歌する暇が無いからさ、構成員として組み込まれてもいいから社会の一員にならせてくれっつーか進んで構成員にでもなんでもなりますって人が多いわけじゃん?そういう人達をサポートしないで奴隷にしておいていいのか?って話だよね。こんなもん人権侵害だよ。日本はさ、平和主義っつーか反核とかさ、そういうこと言ってる割に核の傘の下で何やら物事を言うしさ、平和の尊さみたいなのを核の傘の下で説くしさ、平和の国とか言っておきながら国家は独裁の発展途上国並に人権侵害をしてるんだよね。法治国家ならぬ放置国家だよ。そういう意味ですげーアナーキーだね。やたら自由とか生き方とかを制限するバインドがあるくせにサポートが一切無いみたいなね、もう最低の国家だね。ソーシャリズムにすんのかアナルコ・キャピタリズムにするのかはっきりしろ!って話だよね。やりすぎるとホリエモンみたいに吊るされてさ、色んな規制が出来る割にモラル主義とかじゃないんだよね。矛盾し過ぎだよ。放置するなら徹底的に放置しないとダメだよね。日本って具体的な政策とかさ、国の体制のあり方みたいなのが無くてさ、全部が恣意的だからダメなんだよね。だからどの政党も差がないしどの首相でも何も変わらないわけね。これじゃあ脱政治的な日本人が余計にノンポリになるよね。


ってことでまぁあれなんだけどね、こんな世の中なのに湯浅さんが批判されたりするってマジでありえないって思うわけよね。彼なんてヒーローじゃん?左翼的かもしれないけど時代性を考えれば党派制なんて越えて支持されるべき人だし、彼がやってるのって素晴らしい運動じゃない?それを批判ってもう完全に頭がおかしいよね。人間をなんだと思ってるんだか。日本って人権の概念が希薄だよね。本当に。人は基本的に生きる権利があるっつー考え方が全然行き渡ってないと思うね。だから体制側も権利を守らないし国民を権利を行使しないんだよね。こういうのがまた放置プレーを生み出すわけよ。


まぁいいや。今日はこんなところで。

ヴィカルパ

ヴィカルパ