認識の過渡期ですかね。

いやーもう天晴なぐらい調子悪いよ。燃え尽き以来ゲームにのめり込むようになってまぁんでのめり込むのはいいんだけどやり過ぎで飽きるでしょ。んでまぁその熱中してる時とデフォの落差で気分悪くなったりまぁそれはしょうがないんだけどデフォのつまらなさに直面せざるを得ないというのかね、まぁここ半年はギターでそれが誤魔化せてたからね。ギターっつっても練習だけじゃなくて今まで聴いてこなかったようなのをギターっつー楽器中心に聴くようにしたりあとまぁロックとかのドキュメンタリー見たりとかね、ただまぁ消費が早いんだよね。

 

飽きたわけじゃないんだろうけど譜面にしても買いつくしたしその割に全然やってないんだけど(笑)あとまぁジャズギターのディスクガイドとかまぁこれまた消費が早いっつーか一瞬で聴きつくしちゃうよね。デジタルエイジですからまぁ一瞬で聴けるわけですよね。恐らく情報化する前の時代だったら5年は言い過ぎにしても2年ぐらいかかっただろうということを一瞬でやれるようになるっていうか消費しちゃうっていうかあとまぁ時間とか労力のコストが無いよね。

 

それこそディスクガイドとかで「どす黒いグルーヴ感の中にブルースとジャズをフリーを混ぜたような・・・」なんたらかんたらみたいなレビューを見てこれ聴きたい!って思っててもユニオンとかタワーはしごしたけど廃盤らしくて見つからないんだよねーっていう中でもう色んな中古屋巡るしかなくてんでやっとえ?ここで見つかったの?みたいなレコファンで見つけた!とかね、やっと見つけたぜ!っつってまぁ手に入れたときのテンションマックスなんだけど早く聞きてぇー!とか思いながらジャケット見ながら電車でニヤニヤしたりしてんでいざ聴いてみたら全然大したことなかったとか(笑)これってまぁ今で言えば検索してパッと聴いてそうでもねーなで終わるところをまぁ昔の場合、そのためだけにレコード屋はしごするみたいなまぁ時間とかフィジカルの労力半端じゃないよね。

 

電車の乗り継ぎやら徒歩やら普段行かないようなマイナーな中古屋見つけるとかまぁそれだけで楽しいんだけどかといってもまぁそういう時代に戻りたいか?っていうとそういうことではなくて何が言いたいのか?っていうと便利になったというそれに尽きるんだよね。


例えばその例のどす黒いなんとかっていうレコードでもCDでも探すということがエンタメになっていたりそれ自体がもう必然的に外出を促すものになるじゃん?よっしゃレコハンするぞ!っつーよりかはレコハンしたいけど金無いんだけどその例のどす黒いグルーヴの中に・・・のやつが欲しいからっつってそのレコード代しかないような所持金で店回ったりとかね、それでまぁ数日なり潰れるわけだよね。でもまぁフィジカルの運動の部分とか何しろ引きこもらないよね。家に居たいけど買いに行くしかないっていう動機づけがあったわけだよね。

 

なんかあれなんだよね、岡潔だったと思うんだけどコーヒーを買うためだけに普段は引きこもってるんだけどどこだか忘れたけどまぁある程度の都市に出かけてコーヒーを買って帰るみたいなのがあるんだけどまぁそれが立派な外出になってるっつーね、アマゾンでポチれば一瞬なのがまぁんでその電車に揺られながら考えてた数学のなんたらが・・・みたいなのがあったりしてっつってもまぁそんなの面倒過ぎて全然良いとは思わないけどね、ただまぁ色々と便利になることでいつも書くことだけど俺みたいに常にコンテンツ消費しまくってるような輩が消費し尽くすスピードが劇的に上がった結果、消費し尽くして無くなっちゃうっていうことなんだよね。

 

それこそ映画にしたってDVD化されてないとかもっと古いとVHSになってないっつーのを探したりとかね、いや、どう探すんだ?って話だけどそれに思いをはせるわけだよね。フィルムアート社のアート系シネマみたいな本を読みながら写真だけ見て映画の想像をするとかね、今だとまぁ大抵のもんは見れるでしょう。んでまぁ実際別に面白くなかったとかっていうのが大半なんだよね。まぁそれって大体そうじゃん?本とかでもこれは凄い!とかって思えるようなのって滅多にないよね。

 

なんかだからまぁーマジでないんだよね。ゲームはつまらなくないんですよ。進化してるから面白いしどんどんユーザーフレンドリーになるでしょう。そうじゃないとユーザーが怒って批判しまくるっつー時代だからゲームのやりやすさといったらないですよね。んでまぁそういう神ゲーみたいなのをデフォでやってるとそうでもないゲームのつまらなさが半端じゃなくなるよね。まぁまぁぐらいのがすげーつまらなく感じるっていうただまぁ先月から今月みたいなCODとBFとヒットマンとアサクリ一気に出ちゃうみたいな時期を越すとまたリリース待ちっつーか次はまぁディヴィジョン2ぐらいかな?みたいなね、あ、んでBF5やってますよ。

 

死ぬほどハマってまぁリーコン一筋でもうレベル14ぐらいになったのかな。ただやり過ぎて食傷気味というかそれ言い出すと俺の人生自体が食傷気味ですよ。限られたコンテンツがあるとすぐに飛びついて食らいつくすっていうハイエナですよね。で、食らいつくしても満腹感を得られないっていうある種の餓鬼というかさ、そんなにコンテンツ食らいつくせるっていうのは理想的って見えるかもしれないけど餓鬼になるとそれはそれで結構きついもんがあるよね。

 

ただ楽しさを求めない平凡な生活が送れない自分にとっては常に何かに飢えてるんだよね。まぁその飢えさえあればまだ大丈夫だろうとは思うんだけどね。一番ヤバいのって性欲も食欲も物欲も無くなって体が動かないみたいな最悪の鬱状態なんだけどまぁそれはサイクルとしてくる場合があるけど今はそうじゃないんだよね。かといっても元気でもなくてまぁ虚しさというかただこれって別にギター燃え尽きの前でも毎日練習だけの日々でつまらないなーって相当鬱気味だったとは思うんだけどね、ただまぁある程度セットされてたんですよ。もう半日はオキュパイドされていると。練習でね。

 

調子悪かろうがやる気なかろうがやらなきゃいけないっていうあんまhave toになるとダメなんだけどっていうかhave toになったのがダメになった原因かも?とかって思ったりするけどその時間ってまぁギターだけやってるんじゃなくてまぁ単純な運指練習とかだとなんか見ながらとかね、まぁそれでよく書いてたけどなんか見ながらで見るのが無くなるっていうね、普段見ないような映画まで見つくしちゃうっていうまぁ今考えればすげー毎日練習してたなって思うんだけど今はそれが崩れたっつーか無くなっちゃってあとはまぁサステイナブルじゃないよね。ありゃ続かないわっていう。

 

ただまぁ哲学なり数学が軸にあったときはずーっとそうだったんだよね。半日はそれがあって他はあとはエロかゲームっていう感じだから割と隙間が無いんだよね。でも今は本を読むことも無くなったしゲームもすぐやり尽くしちゃうし飽きるの早いしんじゃあどうすんのよ?っていう今までにない感じだよね。ただまぁそんな中でアイデンティティクライシスって言っていいか分からないけどってまぁ早すぎるミッドライフクライシスか?ってもう何年も同じようなこと言ってる気がするけどまぁそれのもっと深いバージョンっつーのかな。

 

鬱の典型的な日内変動とは違うものなんだよね。寝起きは地獄だから過ぎ去るのを待てばあとはまぁハイパーモードだっていうようなのすらないっていうか日内変動はあるにしてもハイパーモードが無いしハイパーになれるようなものがないんだよねってまぁあるか。まぁゲームですけどね、それもまぁやり尽くしちゃうじゃないですか。

 

まぁ廃人プレイヤーから見れば全然だけどBF5なんてぶっちゃけまだ正式リリース前だもんね。20日でしょ。その前に死ぬほどやり尽くすとか俺らしいっつっちゃー俺らしいんだけどあーリーコンのレベルもあと6上げればマックスなのかーっていうかまぁKar使いたいなーってのがあるんだけどそれ手に入れた後もうやることなくなるんだろうなって思うと寂しいから他の兵科やるかって思うんだけどつまらないんだよね。まぁ突撃とか強いのは分かるんだけどだからなんなの?っていう全然魅力を感じないんだよね。何しろフルオートの銃に飽きてるっつってもまぁセミのもあるけどまぁやっぱリーコンが一番合ってるっつーかそれしかやってないからそれやってるのが一番いいんだけどね。

 

格ゲーで言うマイキャラみたいなもんですわ。強い弱いあんま関係ないっていうね。まぁそれにしてもボルトスナイパーの威力の弱さは他のDMRに比べてっていうかDMRに比べるとDMRがぶっ壊れなのか?って思うぐらいボルトが弱いですよね。別にDMRぶっ壊れじゃないよね。BF1で言うところの看護のDMRなんか70Mまで二発キルの銃とか余裕であったわけだしね。

 

あ、まぁゲームの話はいいや。まぁんで日々のことなんだけどまぁ別にそういうもんでしょうっていう諦めしかないっていうかみんなって言い方あんま好きじゃないけど大体まぁそのつまらないデフォでやってるわけでその中で楽しみがあったりデフォのクソさを軽減する何かがあったりまぁ無い人も多いと思うけどまぁ普通そういうもんなんだよね。ただそれがそうだと受け止められないというかね、なんかあと飽きるのが早いよね。あとまぁいつも書くけど前はそれやってればとかそれ見てれば楽しかったっつーのが楽しくなくなってるっていうかそれはそれがつまらなくなったわけじゃなくて自分の内面がだいぶ変わってきてるから面白く感じなくなってるんだよね。

 

経年劣化なのか?っていう感性がどんどん鈍化してるのか?っていうとむしろ逆で感性はめっちゃ鋭くなってる結果、鈍いものとか中途半端なものに満足できなくなったりあとまぁ単純に接し過ぎて飽きたりとかっていうそういうのが圧倒的に多くなってるんだよね。


まぁでもあれか、なんかやべーなやることねーなっつってオンゲーに手を出したりとかってまぁオンラインRPGとかですけどね、まぁなんか常にやべーなって感じるときはあったんだけど何とかやり過ごせてたんだけどやり過ごし方がオンゲーかよ!っていう突っ込みどころ満載でなんかそういうごまかしはもうやめるべっていう感じになってるのはまぁ成長ですよね。動機づけが逃げみたいなのをもうやめるっていうかまぁあれですよ、憂さ晴らしのアルコールをやめるみたいなことだよね。

 

まぁでも俺みたいなタイプだとこれでアルコールとかドラッグに手を出すと完全にそれにやられるよねっつってもまぁ寝る前の薬とチャンポンってのを一時期ずーっとやっててまぁボケーっとしながらFallout4やってるのが良かったりしたけどまぁあれも逃げですからね。でもなんかあの頃とは違うんだよな。深刻さが違うというかね、もっとなんか根源的なんだよね。日々がつまらないとかっていうようなことではない大げさだけど人生っつー単位のことっていうかね。

 

これってのがまぁ環境とか不満に依存していないっていう例えば仮に自分が誰からも成功者と呼ばれるような人になろうが人からそう呼ばれなくても自分で勝手に思っているっていうレベルで満足していようがそういう所謂ステータス的なことが全く関係ないっていう、なんで自分はこんなにダメなんだろう?みたいなことではないニュートラルな空虚さっていうのかね、だから薬とかでどうにかなるもんでもないし調子が戻ればまた元に戻るっていうようなものでもなくてある意味認識のレベルが上がったわけだから不可逆なんだよね。まぁ成長ですよね。

 

以前はそれでよかったものに満足できないっていうか面白く感じなくなっているってことはまぁもっと次のレベルのことを考えたり模索できるってことになるんだけどなんかまぁぶっちゃけそのなんつーか青年期ぐらいにもこういうクライシス的なものってあると思うんだけどそういうのってハウトゥー的なものとか本を読んだり色んなことを学ぶと解決っていうか道が見えてきたりすることもあるんだけどこの中年期というにはちょっと早い気がするけどこの段階のやつだともう何にも載ってないよね。まぁなんか変な話、人生単位でここまでくる人がそんなにいないんじゃないか?って思ってるんだよね。

 

大体そんなことを考える暇がなかったり考える時間があっても例えばコンテンツにせよやりたいことにせよ限られた時間の中でやるから困ることが無いって言うか無くなるってことがないっていうかね、逆にコンテンツが多すぎてキャッチアップできないっていうほうが多いはずでそんな段階に至らないまでに日々に追われるっていうことが大半だと思うんだよね。まぁ日々に追われる中での空虚さってのもあるんだけどそれは仮に自由になっても違う空虚さがあるっていうまぁ違うっていっても根底は同じっていうかまぁふと虚しさがよぎるっつーのはどんだけコンテンツを消費したか?とか考えてきたか?とかあんま関係ないからね。

 

まぁだからなんつーのかな、不調で今みたいな気持ちになってるっつーならまぁただのメンタル面での問題とか脳のケミカル的なバランスのインバランスでしょってことで運動すれば?とか出かければ?とか友達を作れば?みたいなカウンセリングに行ったらまず進められそうなことでどうとでもなるんだけど認識的問題だと処方箋が無いよね。変なスピリチュアルとかまぁある種の仏教も含めたドグマとかに帰依するような解決法はあるけど素の解決法っていうかこう考えることにしたとかこういう考えになったっつーのは色々読んできた俺だけど読んだことないもんね。

 

大体虚しさとかについてっつーと心理学的アプローチかあとはもう実存系とか哲学用語を使いまくるようなロジカルに考えるみたいなあんま悩んで無さそうなやつとかね、まぁ逆に分からん、知らないだけで文学とかだとそういう虚しさとかがテーマになってるようなのってあるのかもしれないけどまぁでもこれが解決策です!なんてのはないよね。あとまぁ解決策です!的なことを謳った本とかセミナーみたいなのがあるけどまぁほぼ100%解決策じゃないよね。

 

まぁこれってすげーインディヴィジュアルなことでもあるんだけどその一方で普遍的でもあるっていうことなわけででもあらわれ方は千差万別で現れたものが同じ空虚さでもコンテキストによっても違うしそれまでの人生とか人生観とかイデオロギー的なことによっても違うでしょう。でもまぁ根底の空虚さということではまぁコモンインタレストっつーと変だけど同じなんだよね。

 

だからまぁこれってあれなんだよね、リッチになれば解決!とかモテまくれば解決!とかじゃないことだからね。まぁなんか明らかに成功してて全部持ってそうなのに自殺したりする人いるけど多分これが原因ってのも結構あると思うんだよね。何もかもを手に入れたはずなのになんなんだこの虚しさは!っていうね、逆にまぁ楽に生きるってある程度の思考停止が必要だから常に上昇志向がある人ほど上に行けば行くほど悩みは増えるのかもしれないよね。俺は別に上でも下でもないけど認識的には上のほうに行って悩んでる感じだよね。上下っつー比喩使うと上のほうが偉い感じがするけど別にそうじゃないんだよね。

 

まぁただもっと単純に考えれば歳を取れば当然という面もあるよね。若いころはパンクに夢中だったけどさすがに何十年も経つとその情熱も無くなるとか音楽の趣味変わってるとかさ、まぁ俺が言いたいのはそんな単純なことではないんだけどただまぁそういう経年による慣れとか食傷してしまう馴化が起こりやすくなるっていうのはまぁ年齢のせいもあるよね。

 

年の功っつーとポジティヴだけど楽しいことが無くなるって結構辛いよね。色々やってるやつほど経験済みってのが多くなるってのもね、例えばまぁ今アサクリのオデッセイやっててまぁオリジンをちゃんとクリアしてなかったからオリジン最初からやったりしてるんだけどまぁあのマトリックス的体験ってのがまぁ俺の言う例のギメルのやつって話なんだけどまぁそこでハイパーリアリズムって前に散々書いたけど例えばアサクリでDNA追体験してると現実にもそれがフィードバックしてアサシンの動きができるようになったりしてるじゃん?それの逆バージョンをアナログにやるっていうのを前に散々書いたよね。

 

例えば刀を使う場合、刀で切るっていうのはどういう感覚なのか?っていうのをリアルでやっちゃうとかまぁ弓もそうだけどね。んでそれをちょっと触っただけじゃなくてじっくりやるっていうかなり真面目にやった上でゲーム内で弓なり自分で扱ったことのある武器を使うと感覚が変わるでしょっていうかまぁ俺の場合変わるのよね。よりリアル体験になるっつーか逆にだからゲーム内のメカニクスがクソだと全然現実の体験がフィードバックしないんだけどまぁそれはいいか。

 

んで何が言いたいのか?っていうとそれもまぁやったんだよねっていうね、いや、時間かかるけどかなりやったよね。それも。まぁそのフィジカルなことね。やっぱりリーコンって役割はいいなーって思ってんじゃあリアルに勉強しようかっつってまぁだいぶ昔にスナイパーの本とかリーコンの本とかまぁ今はなくなっちゃったパラディンプレスから出てたやつとかで色々勉強したりゲームがきっかけっつーのでフックアップするようなものに関してはもう大体やり尽くしたよね。

 

あ、これリアルで勉強したりやってないなっていうのがあんまりないっていうかまぁできそうなものっていう限りの中ではだいぶやったっていうね、スナイパーライフルを撃つっていうのは現実的じゃないからやってないし仮にやろうと思っても海外行って銃買ってんでまた弾が高いじゃん?それをやるってのは非現実的だからやってないけどまぁそりゃスナイパーライフル撃てたら撃ちたいけどまぁそれは現実的に無理だから考えないよねっつってもスナイパーの勉強はしたんだけどねってこれはもうだいぶ前の話だけど。

 

そういうのも含めて本当に色々やってきたよね。まぁ全部実益が無いものばかりだけど(笑)あとはそういうタイプじゃないとかインドアだから出来ないだろうみたいな制約なしで一気に武道とかさ、フィジカルなものもやったしまぁそういう意味でやってみたいけどやってないっていうのがなかなかもう無いんだよね。まぁだからそれがギターなんですよ。でもまぁ燃え尽き以来モチベーションが下がりまくってるけどまぁ辞めるということはないけどね。ただなんだろうね、ゲームにハマってるとヴァーチャルからリアル路線になった俺としては結局ゲーム内での体験が面白い!ってことになると現実がヴァーチャルに負けてんじゃん!ってことで嫌になるんだよね。

 

だからギターってすんげーカウンターなんだよね。超現実じゃん?めっちゃリアルだよね。フィジカルで泥臭い人間の歴史があってまぁそれこそルーツを辿ればブルースってのがあって・・・っていう最高にヒューマニズム的なものでさ、だからギターにハマると他のことにフォーカスできなくても現実に立脚してるからなんか気分がいいんだよね。でもゲームの場合、現実が置き去りになってるっていうか結局現実をクソだと決めつけて諦めてるわけねっていうような後ろめたさがあってなんかやっぱ気分が良くないんだよね。

 

リアルを肯定したいからね。俺は。そこがやっぱりまぁあれなんですよ、根底はニヒリストだけどロマン主義的なところなんだよね。ゲームってのは娯楽ならいいんだけどプロとかは別としてそこを居場所にしちゃうと現実に対するスタンスは自ずとニヒリストかアパシーってことになるよね。アニメとかの二次元の世界はどうなのか?っていうとまたそこは違うし分からない世界だけどまぁでもなんだろうね、仕事してくたびれて帰ってきて好きなゲームをやってる時間が一番いいとか好きなアニメを見ている時間が一番いいっていう人はそりゃいるだろうけどそれはまぁ逃げじゃないからね。仕事でくたびれているからっていう条件があるでしょう。

 

まぁ仕事だけの生活って充実してればいいけど不満がある場合まぁそれが同じくリアルのクソゲー加減を加速させるものになるんだけどまぁそれが仕事だろうがフリーな時間だろうが基本的にデフォはもうつまらないんだよね。だからもう面白いことをやるか手軽に刺激を得られるものに逃げるかっていうかまぁそれがドラッグとかになるとヤバいんだけどまぁただあれなんだよね、LSDとかの効能とかがなんかアメリカ系のメンタル関係の本で増えてるよね。サイケデリックの再来か!みたいな感じになってるっていうかまぁそれはいいか。

 

まぁたださ、サイケデリック体験して確かにね、主観は所詮主観でしかないんだ!みたいな悟りをメンタルで得られるっていうのは大きいにしてもね、でもまぁサイケデリックだろうがなんだろうがどう生きるのか?ってのはもう永遠のテーマっていうかさ、まぁなんかホント、そんなの分かってなかったんだけど改めてそれが分からないまま色々やってきたんだなっていうのを凄く感じてるんだよね。まぁ考えてこなかったわけじゃないけど色々やり尽くしたからそれが如実に表れるっていう感じなんだよね。あとまぁなんかたまにする贅沢っつーかまぁすげー高いスニーカーとか洋服買うとか特上塩タン食べまくる!みたいなことも慣れるとルーティンになるんだよね。

 

別にそこで飯とか洋服のグレードを上げたところで変わらないっていうかまぁただファッションに関してはこれだ!っていうのが見つかってしかも似合いそうだってなったときのマッチングしたときのテンションの上がり方は半端じゃないからこればかりはもう飽きないっていうかこれに逆に飽きたらマジで趣味どんどん無くなるっていう感じでまぁまだいいですよね。洋服とかスニーカーやらメガネが好きなのはいいことですよ。これは別に物欲で誤魔化すとかじゃなくて本当に好きなものだからね。

 

なんかまぁそんな感じなんだけどもっと頑張ればいいじゃん!とかっていうようなことじゃないっていうところがまぁディープですよねっていうなんかやればいいとか彼女作ればいいとかっていうそういう抽象性が低いものじゃないからね、こればかりは認知療法とか実存セラピーとかでもどうにもならないっていうまぁそもそもの問い自体に答えられてるという例が無いようなものだしセラピーとかの対象になるような病理でもないしね。

 

ただまぁそんな感じだから毎日San値削れるから抗うつ剤マックスで寝る前もあらゆる眠くなるものをマックスまで飲まないと寝れないみたいな感じで考えすぎなんだよって言われればそれまでなんだけど考えないということがありえない身としては向き合う以外方法が無いんだよね。ただまぁそんな中で俺はリアルを肯定したいなって思うんだよね。生を肯定したいよね。そこがまぁいつも書くようにニヒリストとロマン主義者の違いなんだよね。

 

まぁ今日はそんな感じかな。それにしてもまぁ考えすぎなのか最近頭痛が酷いんだよね。ゲームのやり過ぎもあるのか(笑)ただまぁ本とかって楽だからね。インプットって自分で考えることに比べたら本当に簡単なんだわ。自分で考えるって本当に大変だなって思うよね。まぁそんな感じでんじゃまた。