ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。

Googleに好かれるなんてやめてしまえ!って感じで日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Yellow Lives Matterがリリースされたので。

色々と書きたいことがあるんだけど、とりあえず今日はアレだ、曲のストックが膨大になってきてるからリリース時期とか関係ねーや!と思ってまたTuneCore経由でアルバム出したんで是非よろしく。

 

magazine.tunecore.co.jp

Yellow Lives Matter

Yellow Lives Matter

  • 発売日: 2020/07/21
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

linkco.re

 

あとGhost of Tsushimaだけど一年以上発売待った感じよね。ラスアスの続編がクソだということで対馬しかやってないけど端的に言って神ゲーやね。

 

和製スカイリムを作るべし!っていう俺の願いがやっと結実した感じなのと、あくまでフォーマットは洋ゲーでGhost Reconとかが近いのかな。ただここまで日本的なものを海外のデベロッパーが作ったっつーのがなんかもう日本は色んな意味で後進国になりつつあるな・・・っていう実感があるよね。もちろん日本にも良い会社はあるしフロムなんかはまさにそうだけど俺の経験から言うとここまで日本的なのって当の日本でもなかっただろうって思うんだよね。

 

侍って剣と竜!的な王道の西洋フォーマット並みに色々と使えるモチーフがあるものなのにも関わらずあるのは小ぶりだったり侍道みたいなやつしかなかったりしたんだけどここまでの大作が海外から出るっつーのはビビるよね。海外だからオリエンタルなモンドチックところもあるんだろうなとか思ってたらガチの日本過ぎて凄いよね。黒澤モードとか椿三十郎のラストシーンみたいな一騎討とか

 

www.youtube.com

 

日本のこういうコアなところって海外のほうが評価高かったりするけどまさにそんな感じよね。侍モノでもコミカルだったり現代風にアレンジしてあるのは国を問わず色々あるけどここまで純日本的でディティールが細かいってのは凄いよね。まぁでもそれを言い出すとアサクリとかでも風景のディティールが細かいんだけど開発は別の国っていうようは舞台がエジプトとかギリシャとかでも別にギリシャとかエジプトの会社が作ってるわけじゃないっていう、ただまぁアサクリの面白いエピソードがあるよね。

 

エジプトの建造物のディティールがエジプトの考古学者かなんかがアサクリのその作りに感動しててその学者がびっくりしたのはヒエログリフだかなんだかの文字までも再現されてたっていうことだよね。

 

三浦春馬君が「国力」という言葉を出してブサヨみたいなやつから豚メッセージが来たってのを見たけど国力ってそういうことだからね。ゲームの開発からクリエイティビティから研究者の質とかね、優秀な人が活躍できる社会とか人々の思いやりがある社会とかね、そういうのが全部総合されてる概念が国力だよね。決して偏屈なナショナリズムではないのは明らかだし俺はそれを普段「国体」と呼んでるけど三浦君が亡くなった原因はともかくただのコバエぐらいの価値しかないような人間がSNSでのみっともない暴言なんかで目立っているただのマイノリティーなんだとしても、そういったものに無力とかね、そういうコバエが跋扈してしまう大地ってのは良くない地ですよね。ノモスね。

 

ネットワーク社会でグローバルヴィレッジだの境界線は無いとかって言われてるけど結局は地政学的なことも含めた地理なんであって三浦君の言っていたような国力というのはその地形の力ってことだよね。そこに住んでいるものの力とか徳とか経済力とか民度ってことなわけで民度が低いというのが国力低下を意味するというのは明らかだよね。

 

ただ別に他国が凄いとは思わないですよ。アメリカみたいに上下の差が激しいと底辺の酷さが平均をめっちゃ下げるしアメリカの民主主義なんてまさに民主主義のオワコンを体現してるよね。民主主義はもうダメだっていうのは恐らく90年代後半から先端の学者の間では言われててんで敏感な俺みたいなのは民主主義がオワコンだ!っていうのを15年前ぐらいから思い始めてんでようやく今はそれが顕在化していて認めざるを得ないということになってるよね。

 

よく良いことを言ってても民主主義というところに価値を置いてしまうと現実性が無くなるし下手すると論理破綻をすることにもなりかねないから民主主義は絶対の価値ではないということを自明なものにしていくしかないよね。かといってもじゃあ独裁なのか?っていうとそれはまた別の話なんだけど「民意を問う」みたいなのはただの幻想でその特に悪質な民意が人を殺すこともあるわけで人を殺すような民意に主権を委ねるわけにはいかないよね。

 

なんかの事柄があって最終的に民主主義的な民意を問うことができるということに落としてしまうとそれまでの方法論なりなんなりが良くても落としどころが民主主義だとそれが落としどころっていうか落とし穴にもなりかねないってことだよね。

 

コロナを機に色々と変わっていく必要があるものとか再検討するべきものっていうのが色々あるわけでまぁようは誰が舵を切るのか?だよね。政治の形態がいかなる場合であっても市民の民度は絶対的価値なわけでそこは何回も書いてるけど政治というよりここ数年の俺は個の生き方とかあり方ってフォーカスにしてるわけなんだけどまぁ色々と端折ると端的に言えばそこは「善」なんだよね。政治にコミットしなくてもニートでも「善くあれば」それは徳であるってことだよね。

 

俺のキリスト教への開眼が元のプラトニズム的な善とかシュトラウス的な善というのをさらに後押ししてるのは間違いないんだけどようはまぁこれは普遍的な価値なんだよね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。

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