太極拳徒然。3。

太極拳のレッスンをしていて感じるのは先生からの度肝を抜かれるような身体術だったり色々な発見があってそれを自分で実践するんだけど最初からうまく行くわけないからインスタ映えするような中国拳法の訓練ではなくて超絶地味な練習をするわけなんだけど、この基本作りってたまらんよね。

 

あ、んでまぁそれもあるんだけど禅の言葉とかにもあるような雑念を捨てて目の前のことに無心で取り組むっていうところなんだよね。逆に日常生活でそういうシーンがあるのか?っていうと無いでしょ。仕事に無心で取り組むってのもあるかもしれないけど話はいきなり変わるんだけどペルソナのゴールデンがsteamで出ててさ、無印しかやってないから「よっしゃー!」とかって思ってやるとまぁハマるじゃん?あっという間にプレイ時間が何十時間とかいってたりするよね。

 

これはまぁチクセントミハイのフロー状態ってやつでまぁゾーンに入ってるとも言えるけどいつも書くようにゲームには終わりがあるし曲作りにしてもいつかは出来上がるからっつってもフローアディクトになるとまた次の曲を!って作ってる時のフロー状態が最高だから曲を作りたい!ってのがあるんだけどそれを身体のレベルで満たせるのが武術なんだよね。

 

んでまぁストレッチとかっていう体育的なものではなくて太極拳の理論のような抽象的な概念を常に意識して体に覚えさせるとかただ重心を下におろすということではなくて降ろすときの要諦が腐るほどあってそれを常に意識してないと無駄な稽古になるからまぁようは体も脳もフル稼働なんだよね。エクササイズを否定するつもりはないけど走るだけなら楽でしょ。でも武術的な重心の落とし方とか点を意識するとかっていうことは凄まじい知的活動でなおかつ体が鈍ってるとついてこないからフィジカルの柔軟性と体力も必要になってくるっていうね、始めたばかりというのもあるけどやってるときに全く余裕がなくなるから必然的にフロー状態が生まれやすくなるっつーのかな?

 

雑念を消して・・・というより雑念が入る余地がないっていうかね、ちょっとでも集中力を欠いたら例えば腰の入れ方がダメになるとか背中の角度がダメになるとかっていう武術的に死に体なものになっちゃうから先生は楽しくやりましょうって言ってるけど俺は常にミスったら死ぬっていう臨場感でやってるんだよね。

 

あとまぁ先生にお願いしたんだけど例えばここになんで軸を置くか?っていうと蹴られたときに崩れないようにするためってのがあるんだけど別に稽古で蹴るようなことはしないんだけど武闘派の俺としては痛みで分かった方が早いから先生に蹴りを入れてもらうとか突きを入れてもらうってのをお願いしてるんだよね。そうすると体勢がアウトなだけであんな痛い思いをするのか!っつって体勢一つにしても絶対に満たさないといけないものっていうのが防衛本能っていうのに繋がるんだよね。

 

稽古事で形がダメとか角度がダメとかじゃなくてそれがダメだと死ぬっていう感じよね(笑)そんな体勢でここに入られたらどうするんですか?という臨場感だよね。もちろん先生はクラスでは楽しくやりましょうって言ってるだけで自分が学んでいた時とか学んでいた頃はそういうメンタルでやってたと思うんだけどまぁそれをなんつーか街の一角でやってる太極拳教室で「ミスったら死ぬぞ!」なんていう感じでやるというのはありえないから必然的にケガ無く無理なく楽しくやりましょうになるんだけどそこは意識の持ちようだよね。俺はミスったら死ぬと思ってやってるってだけだからね。

 

武術ってそうじゃん?いつも書くけど生きるか死ぬか?っていうところでの術なわけでさ、ミスは即死を意味するんだよね。居合なんかでは何しろ扱うのが刀だからそういう面は凄く強調されるけど素手の武術全般だとどうなのかな?ってのはあるよね。まぁあるとすればプロレベルのボクシングとか総合とかだと思うけど別にプロになって試合に出るとかじゃないにしてもそういうモチベーションでやるってことはできるよね。

 

「なんなのそのモチベーション?」ってことになるけど(笑)ハマったものとか極めたい!と思ったことへの情熱が常軌を逸しているというのは俺みたいなタイプではデフォだからね。ただ滅多にいないんで相当変に見えるんだけどでも別にクラスに迷惑かけるわけじゃないからそれはいいよね。

 

習得への情熱っつー本があるけどまさにあれよね。

 

 

それは情熱をかけることの素晴らしさなんじゃなくて情熱が出てきてしまうっていうある種の衝動性なんだよね。なぜこれはうまく行かないのだろうか?とかそういう疑問が出てくると解消せずにはいられないっていうこととかも含めてなんだけど、あとはまぁ長年憧れてたフィジカルの世界ってのに没入しているっていう満足感と実際に受ける刺激が今まで受けてきた刺激と全然違うからめっちゃ楽しい!ってのがあるよね。

 

それを知ったところで使えないし倫理的に使っちゃいけないというものではあるんだけど奥深い術理とか異次元の身体運用法とかっていうのが凄く知的刺激になるっていうのはそれだけで自己完結するようなハマる人はハマる世界よね。まぁ使っちゃいけないなんて居合とか弓道やってたら分かるからね(笑)

 

で、特に習得が難しいものをやってるし時間がかかるものをやっているから半年コースでやれるようになりますっていう類のものではないから余計にやりがいがあるんだよね。すぐ終わっちゃうとつまらないし簡単にできるようになるものなんてつまらないよね。まぁ自分が難解なもの全般を好むというのはそういう面もあるよね。んでまぁそういうのにチャレンジすると自分がレベルアップするじゃん?

 

30代前半ぐらいまではひたすら理とか知の世界に没入してたけど今は知と理の場所が知識だけではどうにもならない習得という身体を必要としたものになってるっていうことだよね。だからまぁいきなり全く今までと違うことを始めたという感じは無いよね。神学が自分的には哲学の延長にあるのと似てるかもね。

 

あとやっぱり情報の非対称性に尽きるよね。自分の得意分野だったらあんまり教わるとか教わって感動することなんてあんまりなくなるし独学で出来る人はそもそも先生いらないんだけど身体を必要とするものばかりはそうはいかないからね。独学は不可能だよね。で、先生への質問攻めとかしてそれへの回答で刺激を受けるのはこっちが全くそういう世界について知らないからなんだよね。だから知らないこととか体にしても武術的運用ってなると全く日常と違う動き方とかをするからそれがまた楽しいじゃん?

 

ファッションとかにしてもいつも行ってる洋服屋でいつも対応をしてもらってる店員さんがいて俺のファッションの師匠みたいな人なんだけどこれも情報の非対称性だよね。自分なりにオシャレはしてきたつもりだけど最高にイケているショップの店員さんの知識とか着方とか合わせ方って素人レベルじゃないじゃん?だからそこで毎回行く度に学びになるっていうね、これもまた刺激よね。いやー勉強になるなーという感じ。

 

ただそれも全部出会いに恵まれるか?っていう運なわけでさ、中国拳法なんて胡散臭い人たちばっかだし(笑)ガチの人なんて探すのが困難で居たところで通える距離でクラスをやってるのか?っていうことなわけでさ、そういう場所の問題もある中で通える距離でしかもガチで凄い人!なんつーのは本当に人に恵まれているとしか言いようがないよね。洋服屋の店員さん然りよね。なんでも「お似合いですねー」ってとにかく売りつけることだけを考えてる店員なんて問題外だけど(笑)色々とサジェストしてくれてこっちの好みも分かっていて・・・っていうような人に出会えるか?ということでしょ。

 

まぁそこは結局どのくらい自分が求めるか?っていうところでもあると思うんだよね。運もあるんだけど求める意思の強さってのもあると思うんだよね。まぁある種の思考が現実化するっていうような、求めるものに出会えるようになるってことだよね。

 

人間関係くだらねーってよく言うけど相手が全く自分が知らない世界のプロとかになったらそりゃ別よね。まぁそもそも同じ「人間」という並び方をしてないわけでプロってのはまぁそういうものだよね。日常で出会える可能性は非常に低いけど行動すれば出会える可能性は高まるということだよね。

 

だから行動が無いと成長も止まるよね。やってみよう!と思ったらまずやるのが大事ってのはそこだよね。習い事の体験入学なんてみんな最初は緊張するものだけど得られるものが多かったらそこは変な言い方になるけど知的欲求を満たせるワンダーランドみたいなものなわけでね、まぁそこで武術とかになるとまた雰囲気変わるけどそこはまぁ道場通いは経験済みだから自分にとってはそこまで敷居は高くないけどねっていうかそもそも留学してるからやろうと思ったらやろう力は半端じゃないですよね。

 

その結果、実利とかではないけど見識とか体験も伴ったリアルな知識とかが得られてその蓄積たるや凄まじい・・・っていうことになるわけでさ、でも自分的にはフローを求めていただけなんだけど結果的に色々なことに役に立って実利になってんじゃん?っていうことになるということだよね。でもそれは結果なんであって最初から実利を求めようとしていたわけじゃないんだよねっつってもまぁフロー状態を求めていてそれが満たされればもうそれだけで実利だけどね。実利って経済的な概念に寄せられがちだけど辞書とかで調べると「現実の効用」って載ってるわけじゃん?

 

だからまぁ仕事に活かせるとかも実利だけど最高の趣味になっているとかまぁ俺は武術を趣味でやってるつもりはないけどフロー状態に入ることができていて体も使って運動不足も解消できて普段の生活の中でも練習があって・・・っていうまぁシンプルに言えば「楽しい」ということは最大の実利だよね。

 

楽しい!とか幸せ!と感じられることだよね。だから人類ってのはやりたくないことを永遠とやっているというような軛から解放されて「楽しい!」とか「幸せ!」というような実利を目指せるようになるべきなんだよね。人類が幸福にならないと起こるのは争いばかりでしょう。まぁ個々が幸せになるというのは本当に大変なことだけどある意味での最大の革命的な火種だよね。

 

俺流のスピノザ理解の「楽しい」ということが革命的な力能になるということだよね。その力能を発揮するとか見つけようとするというのが神から与えられたミッションを成就するってことだしそれは国家みたいな狭い範囲ではない普遍的な義務なんだよね。だからそれを阻害させるものというのは必然的に悪になるよねっつってもそんな赤白はっきりしたものじゃないにしてもシンプルな正義論ってまさにこれだよね。小難しい話はいらなくて個々が幸せになるとか存在を肯定できるという恒常性を維持できるということが正義で倫理ということになるんだよね。

 

理想論のようで実際に一番現実味がある革命論ってスピノザに尽きると思うね。革命論なんて色々読んできたけどこれに勝るものってのは無いといっても過言ではないよね。もちろんその幸福というのは健康であるということとか生活に困らなくて平凡ながらも充実した生活を送っているっていうもので億万長者になるとかやりたい放題やる!っていうことではないんだよね。あとまぁ非倫理的な幸せとか楽しさというのは論外だけどね。

 

最近はそういう「楽しい」ということの凄まじい威力というのを感じるよね。それ自体に凄まじいパワーがあるんだなというのを凄く感じるね。

 

とまぁそんな感じで今日はこの辺で。