相対的・主観的。

こないだのmsさんへの返信をもうちょっと敷衍してみると全てが相対的なんだとすると逆説的に相対的ではないものを探すのが絶対的なものへのコミットを確実にするということになるんだけどそんな絶対的なものを探すとか見つけるなんて至難の業ですよね。

 

もちろんそこにおける絶対ってのは主観的な絶対で傍から見れば何が面白いのか分からない釣りとかにしても釣り好きにしたらそれは絶対なわけで本人にとってはお金というよりどのくらい釣りをできるのか?というのがQOLに繋がるわけだよね。

 

お金で手に入るものは相対的だってのは散々書いたけど、ただまぁ経験は絶対必要なんだよねってのは繰り返しになるけど言いたいわな。いつも繰り返してるテーマだけど例えばグローバル化した現在では世界のどこに行っても同じというのも散々行ったり一か所でもいいから長期滞在したとかっつー上で「どこいっても同じらしいぜ」っていう情報ではない実感が必要なんだよね。そこに凄まじいつまらなさと虚しさを見出すのが重要だよね。

 

消費然りだわ。飯だの洋服だののグレードを上げて行ったところである程度のものはある程度で買えたりするわけだからそれ以上上げるってのはただですら自己満足なファッションとかグルメってのがさらに自己満足になるよね。というよりグレードより死ぬほど欲しいか欲しくないか?ってことなわけで実際に死ぬほど欲しいものなんてそんなに無いわけだよね。

 

今色々と中国武術関係に金使い過ぎてレコード買ってないんだけど思えばレコードも何百枚聴くのがあるっていう満足感を得たいだけなんだよね。実際に取り出しては何回も聴くのがあるのか?っていうと少ないわけでね、あとまぁあんまり言いたくないけどコスパを重視するとやっぱりbeatportとかbandcampで買った方がいいってのがあるよねっていうか自分の中でのあたりを引く確率が低いから買えば買うほど不要なものが増えちゃうんだよね。

 

ガチャ感があって楽しいんだけどある程度買えば買うほどガチャの確率は減るよね。あとまぁ手に入っても原盤がレア過ぎるからbandcampで買った方がいいっていうね、まぁ金に余裕あればレコード買い続けるけどコロナとかもあってまぁ色々と若干控えないとやってけない中で色々と減らしていくしかないっつーとまぁレコードってプライオリティ低いよね。

 

まぁだからファッション関係が最優先だよね。でもいくらデザインだ!といっても出せる額には限界があるし、かといっても着道楽なわけだから使える金を全部注ぎ込んでれば良いやつは買えるわけで異次元の高級ブランドとかを買おうとしない限り困ることはないよね。別に異次元のやつをめっちゃ欲しい!と思ったことはあんまりないしね。ゼロではないにしても。

 

あと飯にしてもこないだずーっと食いたかったふぐをフルコースで食べてきたんだけど浴びるほど食べるとしばらくいいかなって感じになるよね。肉然り魚然り。別に10万のステーキ食べなくても庶民でも払える額で安くはない高級肉は食べれるわけじゃん?それ以上になると店の品格とかさ、富裕層が来る店っていう料理っつーより環境とかっていうステータスの部分が大きいよね。いつも書くけど銀座の寿司屋と地元の寿司屋がどっちがいいのか?っつっても寿司でしょ?っていうね(笑)土地代で値段が高くなるってことは土地代に金払ってるわけで料理じゃないじゃん?だったら場所が屋台とかでもめっちゃ旨い寿司を食えた方がそっちのほうがいいよね。

 

店構え=味じゃないからね。まぁ孤独のグルメみたいにたまたま入った店が旨いってのは滅多にないからあれ真似するとダメなんだけど(笑)そうなるといかに失敗せずに良いものを食べるか?っていうとやっぱ「ここだ!」っつーところがあったらそこでいいんだよね。それが何種類かあってそれを回していけば失敗は無いよね。

 

まぁ色々と攻略してきた結果、分かっちゃいたけど全部相対的やんなっつーところで何が残るのか?っていうと本当に欲しいものとかやりたいこととかっていうことなわけででもそれすらないってことになると惰性の消費に走りがちなんだよね。もうレコードいいかなそろそろ・・・って思っててもレコード屋行って買っちゃうっつーのも何を買ったか?というよりかは全部聴くのに何週間もかかるようなレコードを買ったことでその数週間は色々と誤魔化せるっていう誤魔化しの消費だよね。

 

そういう消費というのは内発的な絶対性から来てるんじゃなくて虚無を埋めるための惰性なんであってそれを繰り返しても満足することって永遠にないんだよね。あとまぁよくあるのが色々と満たしているはずなのに満たされない理由は他にあるんじゃないか?っつってまぁ妬みとかと同じような感情を自分が持ってないものに抱いてそれを幻想化するっていうところだよね。

 

美形のカップルとかを見ると心から嫉妬することはなくても「はぁー幸せそうだなー」って思っちゃうのはやっぱり隣の芝生みたいなもんでさ(笑)なるほど!彼女がいないから満たされないんだ俺は!とかっつって恋愛に幻想を抱いちゃうんだけど恋愛も所詮は幻想だとか快楽にしても相対的だったりするってのが分かるとそれも悪くはないし出会いがあればコミットするべきだけどそれを必死に追い求めるっていうものではないよね。

 

それを得れば幸せになれるってのは結婚への幻想とか恋愛の幻想と同じでそれはマテリアリズムとあまり変わらないよね。あの憧れのジャケットを買ったら幸せになるのか?ってまぁ俺は好きだから幸せになるけどそれがone of themぐらいのものだったらいくらかは多幸感は持続するかもしれないけどサステイナブルではないよね。ずーっと着てれば飽きるしっつーかだからまぁ何着も買って飽きないように回すほうが長持ちするんだけどね。

 

筋トレとかもそうだよね。あんなボディを手に入れられたら!って思っても仮に手に入れても「それで?」っていうことなわけでさ、まぁ筋トレが趣味ならいいんだけどね、虚無から来る相対性を誤魔化すためのコミットだったらいつかは化けの皮が剥がれるからね。

 

だから「これだ!」と思うことを見つけるってのは大変なんだよね。一瞬「これだ!」と思ってもそうじゃない場合も多いし逆に見つけられたら凄いけど一生それでいいのか?っていうと一生は持たないかもしれないわけで常に自分とか環境の変化とかっていうそういう変化の中のものだよね。

 

語学もそうだね。英語できるようになりたいなーって昔はずーっと思ってて完璧じゃないけど読み書きできるようになってブロークンだけど喋れるようになったところで別に変らないわけですよ。「夢達成!」とはならないわけね。まぁすんげー便利になるし世界変わるのは確かなんだけど。

 

これって逆説的である程度達成したころにはもう目標が変わってるんだよね。だから達成感もないわけで。目標が変わってるのはいいことなんだけど現状維持しだしたら終わり!って思い過ぎて今ある幸せに鈍感になるというのはダメだよね。この辺のバランスが凄く難しいよね。

 

ってことで長くなったから分けるわ。んじゃまた。