オカルト話、今日は数学編だ!。

躁鬱さんが紹介してくれたはやし浩司って人なんだけどめっちゃ面白くてっていうかディスみたいになっちゃうけどネタ的な意味も含まれるんだけど(笑)なるほどねーって思える内容と一気に論理が飛躍しまくってる内容とが入れ混ざっててギリギリ統失じゃない感じなんだけど何が凄いかって動画のアップロードの量よ。その総数なんと一万5千超え!っていうね(笑)

 

で、網羅してる内容が躁鬱さんが張ってくれたやつは割とまともなんだけど他を見るとイルミナティっぽい話とかバチカンが悪魔教だとか(笑)宇宙人の存在だとかよくある陰謀論的な暗号が色々なところにちりばめられてるとか、恐ろしいのがあのペースで動画をアップし続けてるっつーところなんだよね。

 

ヒカキンの比じゃねーよ(笑)一人でやってるトカナみたいな感じで角ちゃんとか取材しないかな?って思ってるんだけどね。角ちゃんとはやしさんの対談とか面白そうだよなとか思ったり。まぁただすげーYoutuberであることには変わらないよ。マジリスペクト。本人は学術だと思ってるのかもしれないけど結果的に最高のエンタメになってるっていうね。

 

やりすぎ都市伝説とかが超薄く感じられるぐらい濃いんだよね。一応全部自分で発見したってことになってるけどまぁ色んなところからアイデアは持ってきてるにしてもだよ、あそこまで咀嚼して説明してるのはすげーなと思って。あの動画全部見た!っていう最初の人になろう!とかって思ったけど一つ目で諦めたね(笑)つまらないわけじゃなくて量が尋常じゃなくて続かないなと思ったのでね。

 

ってことでまぁ俺も若干オカルト混ざりの話を続けるとだな、カントールが神からインスピレーションを受けて絶対無限の概念を生み出したっつーのを後から見ると絶対無限の定義自体が神みたいなもんでそれを数学的記述にするとこうなったみたいな話でもあるよね。

 

ようは絶対無限的な概念は昔から哲学とか神学で普通にある話だったんだけど、それをカントールは数学で表したっていうね、もちろんカントールは数学者なんでいきなりその概念が下りてきた!とかじゃなくてフーリエやらの解析の研究をしてたときに集合っつー概念に行きついてそれを色々と展開していったら神の概念に行きついたっていう、まぁそこで「神」を出すところがオカルト臭いんだけど(笑)カントールにとってはそれが重要だったとかインスピレーションの元だったってのを考えると、神という概念の絶対的な形じゃなくて部分的な表現が数学的に記述できたっていうことになるよね。

 

この辺も最近の話だよねっていうか逆バージョンか。「気」とか「感じる」みたいなのは恐らく演算処理で表せないと思うし、そこは生体エネルギーみたいなのが介在していてそういう類のエネルギーのやり取りであったりそれを感じるということがそういったものの存在を感じるという感覚に行きつくわけで、それが客観的にそのエネルギーを観測とか記述可能か?っていうとそんなことないよね。

 

前にも散々書いた気がするけど機械論的なくだらないシンギュラリティみたいな話があるじゃん?脳を演算の機械みたいに考えて完全に人間の脳を再現できるようになったAIが人間を支配するようになるみたいな話だけどまぁそれこそオカルトだろって思うんだけど(笑)例のインド哲学の人も言ってたんだけど脳と体っつーより全体をもってして人間なんだよね。

 

脳だけ作って後は何かに繋げば体がインターフェースみたいになって動くようになるってSF的な概念だけど生体ってそんなに簡単なものじゃないよね。ガンガンそこで不思議な話をぶっこむと例えば肝臓なり心臓なり移植手術を受けた人が例えばそれまで全く興味が無かった日曜大工をやり始めたとか野球が大好きになったとか「一体何なんだ?」って思ってたらドナーが日曜大工好きだったり野球好きだったりしたっつーんで、記憶ってのは脳だけじゃなくて細胞自体が持ってるのかもしれない的なね、これもまぁ「ある」話じゃないですか?

 

数件似たような話があるんじゃなくて角膜移植なりなんなり移植関係でそういう話が結構あるってことは一般化できるってことだよね。これも全然科学的仮説にぶち込んじゃっていいと思うんだよね。

 

で、これって脳=コンピューターで胴体=インターフェース的マシンっていう考えじゃまずありえない話だよね。PCで言えばなんでマウスとかキーボードっつー周辺機器にHDのデータの断片があるんだ?って話で(笑)でもその機械論的な話ってぶっちゃけ便利でそう考えやすいから安直にそう考えちゃうんだよね。

 

でもそれって全く生体の神秘とか命とか魂とはなんなのか?みたいな議論を吹っ飛ばしてる文系的な感覚が完全に抜け落ちた理系の考えだよね。でも身体と魂とはどう考えられてきたのか?とかインド哲学とかヨーガとかキリスト教神秘主義とか安易に身体論っていうのはあれだけどまぁやっぱ身体と心って話じゃん?禅もそうだよね。

 

その身体と心みたいな話も演算に還元すれば体のこういう状態とか刺激とかで脳がこう反応して云々・・・っつープロセスとして記述できるんだけどまぁそれができないだろうっていうのが決定的に人間が機械と違うところなんだよね。例えば気功とかヒーリングとかもなぜかできる人がいるからあると仮定して、んじゃあそれは謎のままAIと人体に限りなく違い体を繋いだアンドロイドが気を発したりヒーリングできるのか?っていうとできないよね。

 

ゼロイチの世界じゃないだろってことになると量子コンピューターならどうなんだ?って話だけどそれは気とか謎のヒーリングパワーを解明してないとシミュレーションもできないよね。まぁ最近はそういう神秘主義の影響もあって演算不可能なものってのに一貫して惹かれるよね。

 

まぁそれは気功に行って気ってマジであるんだ!ってのを実感したっていうのがデカいんですよね。もうそりゃ世界観変わりますよ。だったらあれって何なの?ってなるじゃん?

 

で、カントールに話を戻すと実在と言っていいのか分からないけど文学的比喩とか抽象的な概念としてあった神っていう概念がヒントになったっつーかインスピレーションを受けたってことだから書いてないだけで神秘主義的な体験があったのかもしれないよね。ただ数学の厳密性と人間としての世界観って関係ないっつーか科学者だけど世界観は超スピリチュアルで生きてるって人もいるわけじゃん?

 

数学者とか科学者っつーとそういうのを一切信じないっつーイメージがあるけどそれはんか地位的にそういうことを言い出すと「あっちの世界に行ったか」ってレッテル貼りされちゃうから避けてるように見せてるだけってこともあるよね。何しろアインシュタインも神は信じないけどスピノザ的な神なら信じるとかって言ってたわけだしね。

 

あとまぁ数学で言えばエルデシュが「The Book」って呼んでた数学の神だか普通の神だか忘れたけど全部の数学の証明とか公理が書いてある本とかって読んでるのがあって、証明を思いついたときは「The Book」をチラ見できたとかそこから降りてきたみたいな言い方を冗談交じりに言うんだけど、主観的体験は全く分からなくてその「降りてくる」感じってのは実は神秘主義者とかのそれと凄く似てるかもしれないよね。

 

ラマヌジャンなんか完全にそうだもんな(笑)「夢の中で女神ナマギーリが教えてくれる」とかって言ってたんだからそれはただの比喩でただの天才なんだろって普通は思うけどそれがマジだとしたら数学的才能も天才レベルなんだけど実際にナマギーリが教えてくれたんだとしたら予言者的な能力があったわけで、それを出力しただけってことになるから、どっちかというとその驚異的な数学的能力もさることながらその神通力がヤバい!ってことになるよね。

 

そんな体験があったらラマヌジャンが数学は神の道に繋がるって思っても当たり前だよね。そんな体験とか世界観で生きてたわけなんだからね。カントールにしてもラマヌジャンにしてもそれは比喩とか「数学者ってやっぱ変人多いよねー」ってことで済まされないと思うんだよね。マジでそういうインスピレーションがあったらどうすんだ?って話じゃん?

 

まぁそれで言うと神を降ろして占いとか悩み相談をする沖縄のユタとかも原理は一緒だよね。ただ面白いのがアヴィラのテレサだか忘れたけど神秘主義体験をする前とかそういう状況になるとカミダーリィってのが起こってまぁ客観的に見ればイッっちゃったように見えるんだけどそのカミダーリィ後に神通力に目覚めるんだかカミダーリィがあったからこの人はユタになる人なんだなってことでユタの修行をさせられるのかは忘れたけど似てるのが面白いよね。

 

テレサなんかもそういうイッっちゃったようになってたらしいんだよね。それで言うとヒルデガルト・フォン・ビンゲンなんかは完全に巫女体質っつーか巫女以外の何でもないよなって感じがするんだよね。

 

そういう繋がっちゃった人たちが不思議な力を発揮する場合もあれば数学とか科学っつー神秘とは関係なさそうな業績を残す場合もあるわけで、ただポイントはそのアウトプットじゃなくてプロセスなんだよね。神通力的なものがあるから作れたとか考えられたとか思いついたってことがあるわけじゃん?

 

その結果がいかにも神通力を駆使したっぽいものじゃなくてもそれが小説であれ数学であれ出力は何でもあるんだよね。自動書記なんかはそんな感じらしいけどね。なんかまぁこういうのってコリン・ウィルソンとかが考えてたことと同じだよねって今更思い出したわ。一時期コリン・ウィルソンの本をまとめて読んだことがあったんだけど、まぁコリン・ウィルソンは一応懐疑的なんだけど未知なるものに真剣に取り組むみたいな感じで全部をオカルトとして一蹴しない感じがあるじゃん?あれよねまさに。

 

で、ウィルソンの話そのままになっちゃうけど世俗宗教とは違うマジの神秘体験とかをする人とかってマージナルなウィルソンが言うところのアウトサイダーが多いわけでそれはスタンダードにならないから常にマージナルな存在なんだよね。まぁそりゃそうだ。仏教者とかキリスト教者の全てが神秘体験してたらなかなかヤバいよね(笑)

 

ただまぁそれを神と言えるかどうかとか聖書に記述された神なのかは分からないけど、それこそでいじさんが書いてたような「ただあるだけ」の何かってのはあるよね。それは俺は人格神だと思ってないんでそれがアカシックレコード的なものなのかなんなのか分からないけど、そういうものの使者として人間に現れるときに恐らくそれは人間の内部表現としての使者ってのがビジョンとしてヒンドゥー教の神だったりキリスト教のガブリエル的な天使だったり仏教の場合、分からんけどまぁキラキラしてる如来系のものだったりするわけなんだけど、そこは人間の文化とか宗教の違いで来てるものとか遣わしているもののソースは一緒だと思うんだよね。

 

まぁなんだろうね、ベクトルとしてはウィリアム・ジェイムズの「宗教的経験の諸相」みたいな感じだよね。信者側の論理になるとそっちになっちゃうんで仮に信者でもそういう世界とはある意味距離を置くっつーかね、ただまぁ最近ヤバいのが安易な薄っぺらいキリスト教批判とかを知識人とかがしてたりするのを見ると凄まじい憤りを感じるようになったんだよね(笑)

 

完全にこっち側になってんだなっていうね(笑)まぁ分かってないか表面的な人って儀式とかを幻想とかって言ったりメタファーだとか逃避だとかって言うじゃん?でもそれとは違うんだよね。でも外野が見るとそうなんだよな。ここがまぁまた意識の面白いところなんだけどね。

 

客観的に記述したところで本質は分からないっていうね、それは儀式とかをやってる側の論理を理解しないといけないからそっち側に行こうとしたりしない人には理解不能かそっち側にまで行って理解しようとするような俺みたいなやつは最初からそのケがあるってことなんだよね。あ、ゲイってことじゃなくて宗教体験に興味があるって意味ね。

 

ただ宗教体験然りだけど宗教自体がそういう外野的な内在されている論理を理解しない限りは永遠に批判も意味無いなって思うんだよね。それは逆から見ると宗教側からそういう批判者を見ると意味無いなって思うのと一緒で同じ言語や論理を共有しているようで全く違うからね。で、どっちが正しいって話ではないんだよな。そこが面白いところなんだけどね。

 

ってことで今日はこんな感じで。

 

んじゃまた。