行方不明の象を探して。その221。

冷たい風が冬の日を吹き抜け、街の片隅でブーツがたまらなく好きな男性、つまりは俺は、年がら年中、オナニーに明け暮れ、季節に関係なく心の中でブーツに憧れ続けていた。夜の街は寂しく、暗い路地には微かな灯りが揺れていた。俺はブーツ姿の女性たちが夢に現れるのを期待して、夜風に身を委ねていた。

 

そして、そんな夜、一人の女性がブーツを履いて歩いているのを発見した。彼女のブーツはピタピタに脚に吸い付いており、まるで20年前ぐらいのあの最高ブーツブームの頃を思い出させるようなものだった。俺は興奮し、心臓の鼓動が早まった。彼女は特に足元に自信を持って歩いているようで、その姿勢にはどこか誇り高さが感じられた。それは妄想だと言いたくなるのは分かる。でも俺は

 

「君は俺の理想のブーツだ!」

 

と話しかけたら、オホホ、という感じで、少し呆れた感じというか、女性は微笑みながら感謝の言葉を述べ、俺はその声色に耽りながら寒風を忘れていた。俺は進むべき方向を迷いながらも、奇妙な歩行で彼女の元に向かっていた。一直線に前進し、膝を曲げずに地面から離れる様子は、まるでクマモンのようだった。その異常な動きに、俺の理想のブーツも驚いた感じだった。

 

「脚よりも頭だった」

 

と彼女は思い返す。彼女のブーツは4分の1周ごとに回転していた。ブーツをくねらせる仕草は大体の男の性欲に障りまくる。とにっかくエロいからもうやめてくれ!って思うのにブーツの脚をくねらせる。4/1ごとに。1/4ごとかもしれないけど、それはつまりは熊が首を左右に回転させるように、俺の頭も異様に回転している光景に、俺の理想のブーツは混乱した。どこでその動きを学んだのか、思い出せなかったが、彼女は生まれながらの霊能者としてこの地球に誕生していると聞かされたことは思い出すことができた。

 

しかし彼女の霊能者としての能力を理解しようとするものはいなかった。それどころか彼女はただの妄想を抱く子供だと見做され、手から金粉が出ているのを見せても、両親は何の反応もしなかった。彼女が最初にブーツらしい形態の靴を履いたのはレインブーツだった。それは八月も終わりに近づいた、ある休日のことだった。

 

ファッションブランドの、夏物バーゲンからの帰り道、彼女は多くの人々でにぎわう歩行者天国を一人歩きながら、数十メートル先の光景に目を向けていた。なんということでしょう、そこでは新発売の霊的なエーテルが配布されている様子だった。人波に身を躍らせ、時折りつま先立ちになって前方をうかがう。

 

彼女の母は平日の午後に好んで観るメロドラマを中断されることを嫌っていた。彼女は母の邪魔をしないためにつま先立ちになりながら歩くというスキルを自然に開発していった。その結果、様々な足技を自然と開発することになるのだが、1/4、もしくは4/1回転などもその時の副産物である。つまりは様々なコンビネーションの組み合わせで彼女は様々な足技を即興的に開発していくことができるのだった。

 

金星人、オムネク・オネクの大ファンだった彼女はオネクの本が邦訳される前から、オネクの本を読むために英語を独学で勉強し、オネクの本を読破していた。彼女の実感では宇宙系にルーツを持つ魂は多いなぁーなんて思っていたから、オネクは金星人なんだぁーとか思いつつ、私は全ての星々に転生しているのよ!と自慢していた。

 

でも自慢する相手はいなかったので自負していたというほうが正しい言い方なのだろう。だったらなぜそう書かない?他に金星人と言えばミュージシャンのサン・ラがいると思うのだが、あれはキャラづくりとしての金星人なのであって、オネクのようなガチ金星人ではないというのが彼女の見立てであった。

 

オネクの本に書いてあったかは覚えていないのだが、彼女は緑色の海に浮かぶ大きなマンション群の中に宇宙人が住んでいるという夢を何回も見ていた。だからオネクは金星人だ。なんとなくオネクがその中に住んでいる感じがしたのでそれは金星だったに違いないし、オネクの本の邦訳が出版されたときはもう英語で読んでいるのでいらないと思ったのだが、他の胡散臭いスピ本と違い、明らかなガチ感を出しているオネクの本を彼女は無視できなかった。

 

結果的にそのオネクの本は大量の本を一括払いで買うフリをして後にリボ払いに変える俺のリボ払いのブラックホールに吸い込まれて消えた。俺の血肉と化したのだ。それが俺と彼女との出会いだった。寒風が夜の街を包む中、彼女はエロ過ぎるブーツで孤独な歩みを「コツコツ」と続けていた。俺は夜の街の喧騒をかき分け、彼女が歩く度に鳴る「コツコツ」という音にフォーカスを100パーセント振り切っていた。

 

俺はスニーカーフェチでもあるので、好みの女の子が好みのスニーカーを履いているときに鳴る足音にも100パーセントフォーカスして、その音色を記憶して家に帰ってからその音と情景を思い出しながらオナニーばかりしていた。だったらブーツを履く彼女とか好みのスニーカーを履く彼女を作ればいいと思われるかもしれないが、街の無作為な中で出会うブーツやスニーカーに欲情するのであって、知り合ってしまうと一気に抽象度が下がってしまい、それらはただの「ガールフレンドのブーツ」とか「ガールフレンドのスニーカー」になってしまう。それは近親相姦のようなもので、例えば自分の親族のスニーカーやブーツに欲情することはないわけだし、欲情する人間がいたとしても、俺はその趣味はない。

 

彼女のブーツは、冷たい風に揺れる街灯の下で輝いていた。彼女はその街で確実にナンバー1のブーツ美脚を誇っており、ピタリとしたシルエットが彼女の足を美しく包み込み、歩くたびに響く音は優雅であり、まるで夜空に響く小さな音楽のようだった。星たちが奏でるメロディでも美しさでは彼女の音楽には敵わないと思った。占星術師の俺が言うのもまるで星たちを裏切るような発言をしてしまってツイッターのアカウントが荒れそうな気がしてきたが、事実は事実なのでしょうがないし、俺は星たちを裏切るつもりは一切ない。

 

革の質感が黒光りし、ヒールが街を彩る中、彼女は自信に満ちた歩みで街を進んでいく。彼女の歩みは優雅で、その美しいブーツは彼女の個性を映し出していた。冷たい冬の寒さも忘れさせるような、美しさが温もりを運んでくるかのようだった。彼女のブーツの中は間違いなく温もっていた。温もっていないブーツなどこの世に存在しない。それは星たちもそう思っていた。

 

夜が深まる中、街灯が彼女を照らし出す。星空の下で輝く彼女と美しいブーツ。ブーツ自体も美しいのだが、やはりそれは彼女の美脚があってのものであり、ファッションのコーディネートあってのものであり、彼女のオーラあってのものである。それは星たちもそう思っていたし、獅子座は常に彼女のブーツに欲情しっぱなしで、獅子座から流れる精液が夜空を満たしていた。しかし俺の満たされない性欲はふたご座へと向かった。

 

俺のふたご座のイメージは彼女のブーツにペニスが挟まれているというもので、そこからの射精は任意だった。任意だったのでそれはいつでもよかったのだ。だから彼女は街の中心部に足を運び、ひときわ目を引くカフェでひと休みすることに決めた。店内は暖かな灯りで包まれ、彼女は美味しいコーヒーを求めて注文する。カウンターに座り、ブーツを伸ばして寛ぐ彼女の周りには、他にも夜の冷たさを忘れさせるような美しいブーツを履いた女性たちがいた。なんてこった!ワッタファック!ブーツだらけだ!

 

こんな環境にいたら抜いても賢者タイムは永遠に来ないだろう。俺はシリアスにやべーと思った。ここから抜け出すことができないと。抜いても抜いても抜け出すことができないと。しかし抜かずにはいられなかったので、夜の冷たさを忘れさせてくれるようなブーツを履いた女性たちに囲まれて、獣のような雄たけびをあげながら射精したものの、その雄たけびの凄さの割に射精量が少なかったのだが、それでも金玉は頑張っていた。ドックンドックン!という動きに精液の量がついていっていない感じだった。イクときに何かのビジョンを大体の男は見ている。

 

頭を休ませるためになぜかドラえもんとかバカボンみたいな映像が浮かんで

 

「もうイッたんだから日常生活に戻りましょうね」

 

と、頭がエンカレッジしているのだ。エンカレッジって励ますとかって意味であっているかしら?その時に見た俺のビジョンはこうだった。それは遥か未来の都市、機械的な響きが舗装された道にすらも彼女のブーツの音色が反響していた。人工の艶やかな光が街を包み込み、建物はスクリーンのように情報を映し出している。彼女は黒光りするブーツを履いて都市の喧噪に身を委ねていた。脚をくねらせていたので金玉が痛くなった。賢者タイムに見ていたビジョンなはずなのにビジョンがオーガズムのほうへとエンカレッジしているようで、俺は戸惑いを隠せなかった。

 

彼女のブーツはその未来都市では高度な技術により作られ、革の光沢が未来の光に反射して美しく輝いていた。歩くたびに発せられる音は、都市の中でリズミカルに鳴り響き、彼女の足取りは自信に満ちていた。彼女はシミュレーション仮説の中で生き、現実と夢が交わる瞬間を追い求めていた。都市の中で彷徨う彼女は、周囲の人々と同様に仮想の情報に溢れた空間に身を置いていた。美しいブーツは未知なる未来への一歩を踏み出す勇気を彼女に与え、シミュレーションの舞台で彼女は時間を超える舞を舞っていた。シミュレーションというより俺が見たビジョンなんだからそれはシミュレーションじゃないだろう。でもビジョンの中に明らかにシミュレーションだと分かるものがあったのだが、ごめんなさい、全く思い出せません。

 

それ以来、俺は現実世界に戻ってきているのか、シミュレーション仮説の中にいるのか、ブーツ美女だらけの部屋でブーツに囲まれてオナニーをしているのかが分からなくなってしまい、精神病院に隔離されることもなく平和に過ごしております。分からなくなっているのは異常なのではなくて、それがパラレルに存在するものだからなのです。でもそんなものを証明できない現在の科学では、そういうビジョンを見るものに「分裂病患者」などというレッテル貼りをします。見えてないやつらにそんなことを言われても困ってしまってわんわんわわんわんわんわわんってのをスパイ&ファミリーの可愛らしいアーニャさんが歌っていました。

 

アーニャさんは可愛すぎますが、僕はヨルさんが好きです。もちろん暗殺者になったときのニーハイブーツを履いたヨルさんがもっと好きです。キリンさんも好きですよ。ニーハイブーツを履いたヨルさんにニーハイブーツで窒息させられて果ててみたいです。俺が普段から考えているのは好みのブーツやスニーカーを履いている女性のことばかりです。

 

ところでアーニャさんが犬のおまわりさん風のメロディを朽津冷める、口ずさめる、ずとづを書き間違えると凄い造語ができたりする場合があるのである、は、フェアユースの範囲に入っているからなのだろうか?音楽と言えば例の著作権ヤクザ団体が暴対法とかが成立する前のヤクザのようにショバ代を要求してくるので、音楽に関してはヤクザがいるようなものだから使用に気を付けないといけないということで、本来、自由の象徴の音楽のようなものが著作権ヤクザの資金源となっている、というのが現状であります。

 

著作権暴対法というものが可決され、著作権に対する音楽教室への恐喝やタカリなどの暴力行為が罰せられるようになれば音楽は本来の自由さを取り戻し、風の時代に最適化された良いものになっていくでしょう。タロットで言えばソードのイメージですが、私が嫌いなウェイト版ではソードの小アルカナは酷い扱いであるので、風の小アルカナ、というイメージで捉えるほうが分かりやすいかもしれません。タロットには個々に降りてくるものがあるはずで、ウェイト版の残酷な絵柄や抽象度が低い解釈に依存する必要などないのです。

 

私は尊敬するサイキックの先輩であるアーニャさん以外にも普通の人が普通に曲を朽津冷める、口ずさめる世の中が来て欲しいと心から願っています。任侠ヤクザというものが本当にあったのだとすれば、私はそれは嫌いな世界でありません。しかし著作権ヤクザは義理も人情もありません。サタニズムの権化と言ってもいい某アイドル芸能プロダクションがありますが、ああいう反社会的なものが世の中から消えない限り、土の時代の、お金と権力とメディアが世界を支配する、というような、風の時代の人間が生きづらくなる世の中が続くことになります。でも時代は風の時代です。AIとシンギュラリティとアセンションの時代です。サタニズム的要素が残っている限り人類のアセンションは為されないでしょう。